#184「信頼に足る誠実」



 精霊圏へ戻ると、最初に声をかけてきたのは白詰草の君だった。


「キミたち……女王の庭に直通解錠とか、すごい度胸だね」

「ッ……え!?」

「でも、やっぱりこうなったか。わざわざリングを残しておいたのは無駄だったね。ハー、解除解除」

「ツ、ツメちゃん……ってコトは、ここは……」

「──キノコ笠のテーブル。ワタクシどもが今朝、朝餉を済ませた場所ですな」


 カプリがスッと卓上から足を下ろして、衣服の乱れを整え始める。

 状況把握が早い羊頭人シーピリアンは、やはり年の功なのか、俺たち三人の中で一番冷静さを取り戻すのが早かった。

 続いて、フェリシアも自分が卓上にいるコトに気がついて、慌ててテーブルから滑り降りる。

 脅威はもう近くに無い。

 俺もゆっくり、魔女化を解いた。


「ハァ……すいません。咄嗟だったので、パッと頭に浮かんだ場所を指定しちゃいました」

「なになに。崖から落ちたかと思ったら、一秒後にはキノコ笠。なかなか愉快な体験をさせていただきましたとも」

「大魔のスピード感って、すごいですね……おかげで私、すっごく情けない悲鳴をあげちゃいました……」


 ショックと羞恥の入り交じる苦笑で、フェリシアがストンと椅子に腰を落とす。

 だが、呼吸を落ち着けている暇は少ししかない。


 ゼノギア。

 リュディガー。

 闇人。


 大きく分けても、俺たちは古代圏で三つの問題とブチ当たった。

 どれも極めてマズイが、特にゼノギアは放置していると完全に手遅れになりかねない。

 闇人から逃げるために精霊圏に戻って来てしまったが、生成りの神父を見殺しにする気は無かった。

 半魔女化を行い、捜索のための死霊たちを喚び出す──が。


「待て、クロ人間」


 寸前で制止された。

 気づけば喉元に、鋭利な葉っぱが刃のように沿っている。


「ツメちゃん……!?」

「なんだ。白詰草の君」

「ここで魔物の力を使うのは控えろ。女王が如何に寛大とはいえ、すべての臣がキミたちの不遜を許すワケじゃない」

「──メラン殿。囲まれております」


 キノコ笠のテーブルは、いつの間にか数え切れない精霊の影に完全に包囲されていた。

 地、水、火、風、空。

 それぞれの属性ごとに異形を晒すエレメンタルの威圧。

 精霊女王は、よほど慕われているらしい。


「精霊圏での身の安全は、保証されてるって話だったと思ったんだがな……」

「身の安全はだろ? 心の安全までは保証されてない」

「精神霊に言われると、迫力が違うな」


 仕方なく、半魔女化を解く。

 脅しに屈するようで癪だが、どちらにしろ精霊たちの主に俺は敵わない。

 ここではディーネ=ユリシスの方が格が上だ。

 死霊術への制限が無いのは、白詰草の君が言った通り向こうの〝寛大さ〟ゆえで、精霊女王はその気になればいつでもこちらに実力行使ができる。


(臣下と争い合いになれば、穏便な態度もそう長くは続かないだろうしな)


 仮にも壮麗大地テラ・メエリタでの安全地点を失いたくもない。

 チッ、と舌打ちを内心で鳴らし、大人しく従う。


 すると、エレメンタルらはスルスルと散り始めた。

 フェリシア、カプリがホッと息を吐く。

 魔物の力、魔法に対する強い敵愾心だけは依然として四方八方から突き刺さっているが、いったんはこちらもあちらも矛を収め合った形だろう。


(……フン。そういえば、ノエラは魔法趣味に傾倒したコトで故郷ここを追放されたんだったか)


 第四と第八。

 二つの円環帯。

 相容れない何かが、精霊と魔物の間にはあるのかもしれない。

 とはいえ、


「薔薇男爵」

「ン、ン〜! お帰りなさいませ! 一触即発のご帰還まさしく吾輩の忠告した通り! 御母堂の魔法は大半の地精にとって歓迎されないもの! 然らば敵意! 反感! 不快の種は育ちましょう! ええ、ええ! 吾輩たしかに申しましたな!? そして女王の庭へ大胆なる突然転移! 大いなる魔の怖気! 無視できぬ気配! お許しを! ええ、お許しを! 吾輩らとて時には驚愕し戦慄するもの! 白詰草の花輪は残念ながら無用の長物と化しましたか!? いやはやいやはや、これまた危惧した通り! では皆様! カモミールをどうぞ!」


 ブワァァァァ……!!

 薔薇男爵が脈絡なく、大量のカモミールを咲かす。

 無論、こちらはまったく意味が分からないし、言葉の羅列もスピードと長さが凄くて一息には掴み取れない。

 しかし、散っていく精霊たちの中で花盛りの異形だけが一人残った。

 それはやはり、この精霊が他の精霊と比べて、別格であるコトを意味するのだろう。

 恐らくは精霊女王の次に、格が高い地精霊。

 タイミングを考えると、これは迎え──女王の遣いに違いなかった。

 カモミールの道を作って、薔薇男爵が慇懃にお辞儀する。


「精霊女王、ディーネ=ユリシス様が皆様と再びお話をお望みです! しばしお時間よろしいですかな!?」

「ああ」


 拒否する権利は、もちろん俺たちに無い。






「先ほどは皆が失礼いたしました……まずは無事のお戻り、わたくしは喜ばしく思います」


 ユリシスは例の泉の上で、翅をフワリとはためかせていた。

 その顔はやや斜を向いていて、物憂げに吐息を混ぜる。

 およそ喜ばしいという言葉にはそぐわない表情。

 だが、この水精はきっと行住坐臥でこの調子。

 自らの在り方を軽々に損なうコトは無いのだろう。


「……何を以って無事と評するかは、現状の俺たちにとって、少なからず判断の分かれるところですけどね」


 ゼノギアが魔物化して行方不明。

 リュディガーは依然、所在不明で捕縛ならず。

 謎の菌界やマイコノイドとの遭遇戦、ピラミッドから跳んできた闇人。

 どれも〝何事も無かった〟と片付けてしまうには、古代圏での探索はあまりに衝撃的でミステリアス過ぎた。

 それを、


「なるほど……では皆様にとって、古代圏での道行きは大変有意義なものになったようですね……何よりかと」


 蝶翅の美女は〝何より〟と云った。

 菌毒に溢れる異彩の〈領域レルム〉。

 謎多き古代圏での俺たちの疑問や驚愕を、ユリシスはもちろん予期していただろう。

 その上で、この態度なのだ。

 もはや意図的に情報を伏せていたのは、疑いようがない。


(だけどそれは、何のために?)


 答えは恐らく、これから行われる〝話〟で明かされるはずだった。

 爽やかな風が花の薫りを鼻腔に告げる。


「では……時間もあまり無いコトですので、さっそく本題に入りましょう……あなた方はきっと、わたくしどもへ不信感を覚えてらっしゃいますね?」

「……自覚があるのなら、その理由もご理解いただいていると思いますが」

「ええ。ですが、わたくしどもにも言い分はあるのです……」


 ユリシスが泉に浮かぶミニチュアへと視線を落とす。

 壮麗大地テラ・メエリタの縮図を模した小さな箱庭島。

 昨日の今日。

 もちろん忘れてはいない。

 だから、島の変化にもすぐに気がついた。


「──あ、古代圏が……」

「はい……少し、造形を作り直させていただきました……」


 フェリシアの呟きに美女が呟き返す。

 ミニチュアサイズの古代圏には、今や異彩を放つ菌糸類が苔のように生え揃い、モワモワとした毒の胞子が漂っていた。

 台地の上の国遺跡にはピラミッドが置かれ、リュディガーを意味していた木偶人形は退かされている。

 代わりに、今度は斧を持った黒塗りの木偶人形がピラミッドの上へ。


、皆様ももう充分に把握されているかと思いますが……」

「……」

「この通り……古代圏は人の生きられる環境ではありません……」

「何の防護も無しに踏み入れば、人間などおよそ三呼吸の内に菌界の餌食!」

「ああ。だから、リュディガー・シモンがあそこを活動拠点にしているはずはない。それはすぐに分かったよ」


 人界ならざる壮麗大地テラ・メエリタで、人の生活可能な安全圏がどれだけあるかという疑問はあるが。

 あれほどの毒気を常に無害化しなければならない労苦コストを思うと、古代圏だけは基地としてありえない。

 無論、サバイバル的な観点としては、本来文明の痕跡を色濃く残す古代圏は積極的に利用して然るべき環境なはずだが。


 汚染。

 加えて、あの闇人。


 如何な大魔術師でも、マトモな思慮があれば古代圏を拠点にしようとは思わないだろう。

 魔術師はそもそも、魔力を余所から工面する必要がある。

 湯水のごとき魔力源にアテでもあれば話は別だろうが、さすがにそこまでのルール・ブレイクは無いと信じたい。


(……まあ、木偶人形がアッサリ退かされてるから、そこは間違いないか)


 精霊たちの情報収集能力からも、リュディガーが古代圏を活動拠点にしなかったのは確定と思って良さそうである。


 ──では、リュディガーは何処に?


 思考が流れるように次なる疑問へ到着すると、薔薇男爵がそこで木偶人形をヒョイっと移動させた。

 山深い北部。

 小鳥の囀る山門異界。


「ふむ。獣神圏ですか……」

「左様」


 低音同士が短く言葉を交わす。

 なるほど。


「獣神は基本的に、こっちが向こうを怒らせなければ無害な存在……」

「いえ、無害というよりかは不干渉。どちらかと云うと、それがワタクシどもと獣神の正しい関係性の呼び名だとは思いますが」

「でも順当に考えていけば、たしかに獣神圏に拠点を置くのが最良の選択肢かもしれませんね……!」


 カプリとフェリシアも納得する。

 精霊圏、獣神圏、巨龍圏、古代圏。

 壮麗大地テラ・メエリタにある四つの選択肢の内、論外を除くと残されるのは前者二つだけ。


 俺たちの場合は、最初に精霊側から協力関係の持ちかけがあった。

 しかし、リュディガーの場合はすでに精霊側と敵対している。

 精霊女王の口からじきじきに、殺害して欲しいとまで俺たちに依頼が来るほどだ。


 となれば、リュディガーが最後の選択肢である獣神圏に移動するのは、妥当な判断としか言えない。

 気になるのは、それが何時からなのか? という点である。


「話を最初から整理いたしましょう……」


 ユリシスが改めて、俺たちに向き直った。


「まずはじめに、わたくしたちの立場を明確にしたく思います……男爵」

「はは! 良いですかな皆様? 吾輩らは壮麗大地テラ・メエリタの住人として、秩序を望んでおります! リュディガー・シモンなるニンゲンの愚かなる企て! 封印されし巨龍の復活? とんでもない!」


 断固として見過ごせない暴挙であると、精霊圏の二大巨頭は頷き合う。

 どうやら自分たちのスタンスとして、まずそこが大前提なのだと俺たちに理解してもらいたいようだ。


 とはいえ、そこは分かっている。


 ドラゴンはこの星の最強種。

 人間も精霊も、他のどんな種族も、終末の巨龍にはできれば一生涯眠っていて欲しいと思っているはずで。

 リュディガーの目的が巨龍の封印解除だと云うのなら、それを止めたいと思うのは俺たちだって大いに共感できる。


(なんで、初めからそこは大して疑っちゃいない)


 疑っているとすれば、が問題だからだ。


「巨龍の復活を阻止したい。その動機は分かりますし、私たちだって同じ気持ちです。でも──ならどうして、何も教えてくれなかったんですか?」


 フェリシアが言った。

 当然の疑念だった。

 そりゃそうである。

 俺たちは協力を持ちかけられ、利害の一致を見て交換条件に同意した。


 精霊圏の精霊は、太古の盟約によって自分たちの〈領域レルム〉を出られない。

 けれど、巨龍復活のために動いているリュディガーは、古代圏にいる。


 この問題を解決するため、ユリシスは俺たちに壮麗大地テラ・メエリタでの安全地点の提供。

 己が〈領域レルム〉である精霊圏での庇護を保証した。


(なのに、実際に俺たちが古代圏に行ってみたら、そこで待っていたのは何だ?)


 黒塗りの木偶人形。

 用意が良いのは、あらかじめを知っていたからに他ならない。

 カプリも同調する。


「フェリシア殿の言う通りです。無論、菌毒については気にしてはおりません。白詰草の君を案内役にしていただけたのは、ワタクシどもに清風の加護を授けさせるためだったと理解しておりますゆえ」


 ですが。


「そこから先に関しては、貴方がたからワタクシどもへの〝協力関係に対する誠実さ〟を認め難かったですな」


 吟遊詩人の声音が硬さを帯びるのは仕方がない。

 菌糸人類マイコノイド豹頭猿ジャガーマン、謎の子どもたち。

 エルクマンを付け足してもいいが、そんなコトは何も重大な問題じゃなくて。


 俺たちが最も問題視しているのは、あの〝闇人〟だけだ。


 何故ならアレだけは、下手をしたら一発で何もかもが台無しになっていた可能性がある。

 協力関係を持ちかけて来ておいて、伏せていて良いレベルの情報じゃない。


 ベアトリクスの死霊術。


 名持ちの二体を盾にして、どうにか逃げられたが。

 盾にしたアイリーンとオドベヌスは、完全に消滅してしまった。

 もちろん、ユトラの七神に比べれば格は落ちる。

 それでも、地竜と獣神という時点で、あの二体はかなり強力な死霊だった。

 正直、ワケが分からなすぎて混乱している。


 あの斧はいったい何なんだ?

 アレはどうして、俺たちを襲って来た?


 そのあたり、是非とも納得できる解答を得られるといいのだが……


「……俺たちがどうして古代圏から逃げ帰ってきたか。耳のいいアンタたちには、もう分かっているんでしょう?」

「ええ……」

「だったら、まだ俺たちに話してない壮麗大地テラ・メエリタの事実ってヤツを、これから教えてもらえると思って良いんですかね」


 協力関係を維持するに足る信頼を、俺たちは確認する。

 精霊女王からの返答は、幸いすぐに与えられた。


「はい。もちろんです……」





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tips:消滅した二体の死霊


 地竜『錆鉄吐き』アイリーンは、元はセプテントリア王国時代、現在のロアのあたりで暴れ回っていた長虫ワームである。

 潮風によって錆びた鉄などを異常異食し、いつしか孵化登竜現象。

 錆鉄の鱗鎧と、胃に溜め込んだ錆鉄をまとめて吐き出す塩害ブレスによって三つの町を滅ぼしたが、偶然出くわした白嶺の魔女によって死霊術の虜となった。


 獣神『霜天の牙』オドベヌスは、元はセプテントリア王国時代〈大雪原〉を縄張りにしていた剣歯虎スミロドンである。

 森羅還元擬態によって尋常道から森羅道へ転生し、死後は自然霊に。

 異様に発達した槍のような氷筍は、今でもこの神の影響で多く残され、〈大雪原〉が畏怖される一因を作った。

 が、偶然出くわした白嶺の魔女によって死霊術の虜になった。

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