#183「古代圏の王」



 秘文字の奇蹟『魔力喰らいの黒王秘紋』

 現時点で俺が把握しているコレの使い方は、魔女化および半魔女化だけである。


 捕食の風──存在力の簒奪。


 自分の意思でアレを使えたコトは、一度もない。

 〈渾天儀世界〉での人生も二十七年を超えたが、その間たった二回しかアレは発動されなかった。

 ニドアの林とヴォレアス。

 内の一回目は、自覚も無かったので感覚的には一回だけ。

 とはいえ、いずれも経験として共通しているのは、どちらも死亡をトリガーにしていた事実。


 肉体が壊滅的な欠損を負い、心肺機能が停止した際、『魔力喰らいの黒王秘紋』は宿主である俺を蘇生させるため、〝至近にあった最も存在力の大きいモノから存在力を奪う〟という能力を発揮して来た。


 朧げな記憶を頼りにすると、これはたしか彼女の意思によって発動のするしないを決められたはずだ。


 彼女──一心同体の半身、運命の共同体。


 エル・ヌメノスの尼僧。

 未だ名も知らぬ神のごとき女。

 救うか救わないかは彼女の決断に委ねられていて、肉体の修復や怪我の治癒なども彼女のおかげで助けられている。


 しかし、何にせよ、彼女のアクションは常に受動態だ。


 俺が死ぬか傷を負うか、どちらかの場合でしか秘紋は行動を起こさない。

 それ自体には助けられているし感謝もしているが、俺は長年、疑問も抱えている。


 彼女はどうして、能動的には動いてくれないのか?


 ドSなのか?


 というのは、冗談にしても。

 秘文字の奇蹟、世界改変の大権、エル・ヌメノスから権能を継ぐコトを許された巫女。

 実質的に〈渾天儀世界〉の中でも頂点に近い上位存在だろうに、彼女のアクションはかなり限定的だ。


 思うに、それは彼女が何らかの理由で、本来の力を大きく封じられているからなんじゃないか?


 休眠状態。

 いや、省エネモード的な。


 常日頃、肌の上をニョロニョロ蠢いて、移動してくれと念じれば念じた通りに頭皮だったり腕だったりに移動してくれているが、そこに明確なはあるのだろうか。

 俺はたまに、自動オート的な反応を感じるコトがある。


 なので、彼女の意識は恐らく、あったとしても常に覚醒状態を維持しているワケではない。


 憶測ではあるが、リアルタイムでラグなく常時俺の状況を共有してはいないんじゃないかと思う。多分。


 それに、そう考えるとだ。

 モルディガーン・ハガルの王の書斎で、彼女が言っていた話とも符合が出てくる。


 ──私の名は███。……この通り、今はまだ伝えることができません。名を口にするには、あまりにも存在規模が不足しています。

 ──補う方法は?

 ──盗み出された私の骸を、探し出し見つければ。ただし、秘文字の奇蹟は、世に出回れば世界を乱す恐れがあります。

 ──……なにせ、願いを叶える器だもんな。

 ──はい。ですので、我が運命、我が今生の君。どうか秩序律を狂わす悪しきモノどもから、私を救い出してください。


 キーワードは〝存在規模の不足〟と〝盗み出された遺体〟

 彼女は自分の口で万全ではないと語っていた。

 俺はてっきり、それは秘紋としての能力ではなく、あくまで意思疎通に関する面での問題かと考えていたが。

 鯨飲濁流との戦いによって、奇しくもそうではないんじゃないかと思い至った。


 そもそも、ヴォレアスで奪った白嶺の魔女ベアトリクスの力。


 五千年分の魔力だけでなく、完全な魔女化の方法を教えてくれたのもあの時の彼女である。

 で、いろいろ思い直してみると、エル・ヌメノスの尼僧は秘文字の奇蹟の口承者。


 口承──すなわち〝対話による口伝〟が、俺たちの間にも必要なんじゃないだろうか?


 魔力喰らいの黒王秘紋を十全に使いこなす資格。

 それは口承という必須のプロセスを経ていないがために、完全にはこちらへ権限を委譲されていない。

 もしくは、仮権限しか与えられていない。


 そう考えると、次にネックになるのが亡き父ネグロの呪いだ。

 

 魔力喰らいの黒王秘紋は、宿主である俺を王とし、秘紋である彼女を下僕しもべに据えている。

 表向きの親機マスタは俺で、子機スレイブは彼女であるという関係性。


 なのに、本質的に秘文字の奇蹟を扱う管理権限を持っているのは、親ではなく子の側。


 仮に魔力喰らいの黒王秘紋を、二人で一つのシステムと見立てた場合。

 このワケの分からん不整合のせいで、彼女は自分の意思では自由に能力を使えない可能性が高い。

 秘紋の起こすアクションが常に受動態で消極的なのも、そう考えれば充分に納得可能な理由じゃあないか?


 さて、それを踏まえて。


 現状の俺は彼女との対話を望んでも、遺体を見つけられていないために機会を得られない。

 存在規模イデア・スケールの補充は、遺体を発見しないコトにはどうにもならず。

 秘紋の能力を明らかにするにも、全ては遺体探しが叶わなければ打つ手なし。


 では、秘紋による魔女化。


 現状、唯一俺が使い方を知っている秘紋の能力。

 鯨飲濁流のような格上との戦いでは、これ以外に最大の切り札が無いワケだが。

 大魔『白嶺の魔女』の霊威を頼る以上、相手が格上であった場合、厳しい戦いは避けられない。


 〈領域レルム〉の特性である。


 例えば、メラネルガリア。

 祖国ダークエルフの王国には、北方大陸王メレク・アダマス・セプテントリアの信仰基盤が〈領域レルム〉として先にあったワケだが。


 あれは四千年の伝承。


 エリヌッナデルクによってセプテントリア王国が滅亡してしまった時点で、核となる主を失い終止符を打たれていた。

 〈領域レルム〉としては弱く、発生年数四千年以上の大魔には簡単に上書きが可能だった。


 だから、暗黒の御伽話ダークグリム・フェアリーテイル──紛い物の俺でも容易く上回れた背景がある。


 一方で、城塞都市リンデン。

 あそこではまず最初に、鉄鎖流狼が〈領域レルム〉を上書きした。


 悪心萌芽の紅い満月監獄。


 鉄鎖流狼の発生年数は最低でも二千三百年。

 五千年級である白嶺の魔女ベアトリクスとでは、格がまったく違う。


 しかし、鉄鎖流狼も大魔は大魔だ。


 しかも、すでに終わった伝説ではなく、アイツは今もなお存続している恐怖譚。

 格は低くても、〈領域レルム〉としての強度自体は高かった。

 もちろん、だとしても五千年を跳ね除けられるほどの強度ではなく、時間がもう少しあれば当然敗北していた程度の〈領域レルム〉でしかない。


 けれど、リンデンではそのもう少しが足りず、鉄鎖流狼は破裂しそうになる自身の〈領域〉を必死に保ち続けた。


 終わったモノと今も続くモノ。

 差は厳然と存在し、こちらが〈領域レルム〉を上書く前、今度は鯨飲濁流という完全に上位の〈領域レルム〉が登場してしまった。


 格:六千年

 伝説:今も続くモノ


 つまり、二つのルールで負けたコトで、白嶺の魔女という〈領域レルム〉は存在を否定されてしまったのだ。

 具体的には、魔女の存在の根幹とも云える死霊術の禁止や、大魔法の封印という形で。


 鯨飲濁流は明らかに意図して抑えつけて来た。


 証拠に、鉄鎖流狼は鯨飲濁流の〈領域レルム〉の中でも、特に苦しむ素振りを見せなかった。

 魔女化だけは、秘紋による事象のため強制キャンセルこそされなかったものの、あの時の絶望と屈辱は今となっても筆舌に尽くし難い。

 だが、この世界の理不尽は理不尽なりに、ルールのもとに成り立っている。


 よって、対格上戦闘ではベアトリクスの力があっても、俺は今後〈領域レルム〉の差を見抜いて、理解して挑まなければならない。



 壮麗大地テラ・メエリタ、古代圏のピラミッド前──



「…………」

「…………」


 咄嗟に魔女化した俺は、注意深く闇人と対峙している。

 背後にはフェリシアとカプリ。

 二人は改めて見る俺の姿に、ゴクリと息を呑んで戦慄していた。

 けれど、当の俺は密かに奥歯を噛む。


 魔女の〈領域レルム〉を展開しようとしても、やはり直観の通り相手の方が格上だった。


 古代圏の〈領域レルム〉の核。

 魔女化したコトで〈領域レルム〉の中心が目の前の〝正体不明〟だと分かる。


 だが、それは別にいい。


 古代圏が本当に正史からの残留物なら、その歴史は鯨飲濁流をも踏みつけにする正真正銘の神代。

 壮麗大地テラ・メエリタに拉致られた時点で、第一級の精霊圏も目にしているのだ。

 今さら〈領域レルム〉を上書けないだけで動揺はしない。ただ事実があるまで。


 問題は、そう──


「……やっぱ、大魔じゃないな。オマエ、何なんだ?」

「…………ァァ」


 闇人は魔物じゃなかった。

 もちろん、精霊でもない。

 それなのに、〈領域レルム〉の王として圧倒的なまでの存在規模イデア・スケールを誇っている。

 理性があるかは分からない。

 人声は発しているが、意思疎通が可能かはだいぶ怪しい。

 外見も意味不明。

 それでも、完全に上位存在なのだけは分かる。


 余裕のつもりかは知らないが、死霊術も大魔法も封じられてはいなかった。


(その点に関しては……いったんラッキーだったが……)


 

 前に立っているだけで、思わず白旗を上げたくなるようなプレッシャーがある。

 俺の魔女化が、本物のベアトリクスと違って、使えば使うだけ存在規模イデア・スケールを減少させていく消耗品という一因もあるだろう。


 この世界の魔力は、鍛えたら量が増えるという代物じゃない。


 例外は魔物だけで、魔物だけが経年によって魔力を増やしていくが、それ以外は使えば目減りしていく余剰だけで勝負している。

 俺の場合、ベアトリクスが魔女だったコトもあって、同じ五千年でも比較にならない魔力を引き継いだが、蘇生や肉体修復がタダで行われるワケじゃない。


 劣化はしていく。

 弱体化はしていく。


 彼女たちが存在した痕跡は、どんどん細く小さく見えなくなっていく。


 だからこそ、尼僧の遺体を早く探し出したい思いも強まるのだ。

 得体の知れない神代のバケモノなんかに、邪魔はされたくない。


(どうする?!)


 死霊術が使えるなら、ここは先手必勝、物量作戦で以って対戦するか?

 まだ遭遇しただけで、敵対関係になったワケじゃないと思いたいが、正直こうして向き合っているだけで尋常じゃない体力を消耗している。


 動悸が激しい。

 呼吸と汗が乱れる。


 俺ですらそうなのだ。

 フェリシアとカプリは、先ほどから息も詰まりかけて窒息しそうだった!


「──カヒュッ、カヒュッ」

「っ──くッ!」


 緊張状態を続けていても自滅する。

 もはや、状況を強引にでも変えて撤退しかない。

 俺がそう決断しかけた直後


「█が██斬██ヨ█──█邦の斧███、『█羅██』を███?」

「え」


 目と鼻の先に、黒塗りの刃が迫っていた。

 斧の先端だとは直観的に理解できたが、骨面が割られる。

 全てがスローになる。

 真上からまっすぐに、割断の直線が入ろうとしていて、


「ッ──先輩ッッ!!」


 フェリシアの絶叫に近い叫び。

 それにより、本能的に死霊術を行使した。


 地竜『錆鉄吐き』アイリーン。

 獣神『霜天の牙』オドベヌス。


 二体の強大な手駒を盾として間に出現させて、ギリギリのところで窮地を逃れる!


 後方に向かって大きく跳躍。

 フェリシアとカプリも引っ掴んで、一気に三三百メートルほど距離を取った。

 その僅かな緊急離脱の隙間に、


「──ハァッ! ──ハァッ!」


 フナムシらしき特徴を持った長虫ワーム、アイリーンの胴体が錆鉄鎧の硬さも通じず切断された。

 巨大な霜柱を氷筍のごとく地面から生やした剣歯虎、オドベヌスの牙が意味を要さず割り砕かれた。

 名持ちの地竜と獣神が、たった一振りの斧で真っ二つになった──そして消滅。


 死霊術のくびきからも繋がりが消えた。


「なン、だよそれは……! 逃げるぞ……ッ!」

「ッ、残念ですがそれしかありますまい!」

「でもツメちゃんの門扉までには……!」


 距離がある。

 何より、あの白花のサークルまで戻るには、台地を降りなきゃならない。

 でも、そこまで走る必要はない。

 俺はフェリシアとカプリを両脇に抱えた。


「ぬ!?」

「あ、ちょっ、まさか──!」

「口を閉じてろ! 飛び降りる!」

「あッ、ああァァァああああァァァああァァァああああァ──!!??」


 異界の門扉、解錠。

 俺たちは崖から、飛び降りるようにして古代圏から撤退した。




────────────

tips:正体不明の闇人


 魔物でもなければ精霊でもない。

 にもかかわらず、古代圏という〈領域〉の核にして中心であるモノ。

 ハッキリとは視認できないため、外見は極めて形容しにくいが、強いて言えば『ブラックホールの擬人化』

 黒く染まった異様な大斧を持っており、〝斧を持っている〟という記号が無ければ人とは認識できない。

 声は雑音がひどく明瞭には聞き取れず、辛うじて古エルノス語を使用しているコトだけが分かる。

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