#180「ジェヴォーダン」



 ここからは、辛い事実があるだけなので要点のみを想い起こそう。


 結論から言えば、ゼノギアは城塞都市クインティンでまったく受け入れられてなどいなかった。


 正確には〝ホムンクルスを庇護する行い〟をだが、どのみち違いはない。

 ホムンクルスが連れ去られたと分かった後。

 ゼノギアはもちろん、よしを問うために領主の城へ行った。


 ──クインティン教会で庇護されていたホムンクルスたち。

 ──自分が留守の間、クインティン公が何故に彼らを引っ捕えよと命じたのか。

 ──神聖な教会を荒らすような真似をしてまで、いったいどんな由があって蛮行に踏み切ったのか。


 仮にも教会を預かる神父として、ゼノギアは断固とした面持ちで面通りを望んだ。

 その結果、若年の領主は大層渋りつつも対面の機会を許し、ゼノギアはクインティン公と会話ができた。


「元はと言えば、ゼノギア神父。貴君がいけないのだ」

「……は?」

「前任のロレンス神父にも、ほとほと困り果てていたものだがな? ホムンクルスなど教会に置いておくものではない」

「どう、いうコトでしょうか?」

「分からぬか? 一体か二体程度であれば、まだ備品として目も瞑れたが、さすがに三十体以上は限度を超えている」

「……」


 領主、クインティン公の言い分はこうだった。

 教会は本来、街の住民のために開放されているべき。

 敬虔な信徒である市民が、女神様への祈りを捧げる神聖な場所。

 そこに、なぜ非人間であるホムンクルスが我が物顔で居着いているのか。


「ロレンス神父は長年、我がクインティンに貢献してくれた。晩年は顰蹙を買うコトも多かったが、過去の功績は先のクインティン公も大いに認めていたところ。

 ゆえに、せめて息を引き取るまでは望み通りにさせてやろうと、ホムンクルスをいくら飼おうが自由にさせて来た」


 どうせ老神父が亡くなれば、ホムンクルスも行き場を失って勝手に自滅する。

 事実、ブラザー・ロレンス亡き後のクインティン教会は信徒からの喜捨や布施を望めず、経済的な困窮に陥っていた。

 後はホムンクルスが機能を停止すれば、教会は晴れてクインティン市民のもの。

 カルメンタリス教の聖なる祈りの場に、人ならざるモノはいなくなる。そのはずだった。

 なのに、


「ゼノギア神父。貴君にはガッカリした」

「……」

「王都の教会から、新任の神父を寄越すと連絡があった際は、新しい教会に新しい神父。ホムンクルスの数も一気に処分されるかと予想していたものだが、貴君はやはり若さゆえにか?」


 前任のロレンス神父の思想に感化されてしまい、まさかの後継者となってしまった。

 しかも、


「貴君は宰相閣下のご子息だ。法衣に身を包み、聖典を携え、どれだけ神父としての装飾を身につけようと、貴君は我ら貴族社会において到底〝ただの神父〟では済まされない。

 苦情を寄せる市民たちにも、私はクインティンの統治者として忍耐を要請するしか無かった」

「……なぜ、です?」

「当然だろう。貴君の機嫌を損ね、万が一にも宰相閣下の耳に妙なコトでも囁かれたら、私は要らぬ面倒を背負い込む。お忘れかね、ゼノギア公」


 貴族社会では、上に立つ者から睨まれたが最後。

 孤立、窮乏、居場所無し。


「たった一つの噂話が、領地取り潰しの破滅にまで繋がったコトもあるのだ」

「大袈裟な……」

「そう思うのは、貴君が身分社会のヒエラルキーで紛れもなく、〝上位〟に立っているからだろう」

「だとしても、不満があったのなら直接、言ってくだされば良かったではありませんか」


 わざわざ都市の市民に芝居までさせて、ゼノギアたちを数ヶ月以上も放置する必要はない。

 築き上げたと思い込んでいた都市での信頼。

 すべては嘘だったとナイフのように切り付けられながら、ゼノギアはそれでも若き領主の顔を睨み据えた。

 クインティン公は溜め息を零して言った。


を相手に?」

「────なん、ですって?」

「恥を知るがいい、ゼノギア神父。カルメンタリス教の僧侶ともあろうものが、あのような〝銀の血〟を人間視するなど、正気の沙汰ではないのだ」

「あ、貴方は、何を言って……」


 愕然と口を開き、両腕から力が失われたゼノギアに。

 領主は嬌めつ眇めつ神父を見下ろしながら、内心の不快をわずかに堪え切れなかったとでも言わんばかりの様子で眉間と鼻頭に皺を刻んだ。


「貴君に分かるかね? 自分よりも圧倒的に上の立場にいる者が、理性的な会話の望めない〝イカれ〟だった時の絶望が」


 何を話しても見解の相違。

 言葉は通じるのに意思は通じない理不尽。

 なのに、力だけは相手の方が上。

 


「下の者は常に頭が痛い。ホムンクルスとよろしくやっているようなイカれ者でも、相手が大貴族となれば容易には弾劾できない。

 ……いや、宰相閣下ほどのお身内ともなれば、そういった胡乱な趣味を密かに隠し持っていても、不思議はないのかもしれぬがな──しかしだ」


 ここは我が領土、我がクインティン。


「宰相閣下のお膝元や、王都では罷り通った放蕩三昧も、ここでは断じて見過ごされないのだよ」

「……私の行いが、放蕩?」

「ああ。それもかなり気色の悪い、な。私を含め、街の住人も含め、誰一人として貴君の支持者はいない」


 つまり、完全な差別。

 クインティンではホムンクルスは、人権を認められていなかった。


「では、私たちに良くしてくれた、都市の皆さんは……」

「あらかじめ、領主の命令として申し渡しておいたのだ。貴君の不興を買えば、クインティンが危うくなるかもしれぬ。だから申し訳ない、今しばらく忍耐を求むとな」

「……ハ」


 滑稽。

 まさに、滑稽。

 ゼノギアは何も知らず、見事に〝クインティン〟に踊らされていた。

 神父としての説法も、理解を得られたと思っていた祈りの時間も、何もかも欺瞞。

 人々はただ勝手な憶測で都市の窮地を危ぶみ、ゼノギアたちを謀っていたのか。


 ──ホムンクルスを庇護し、その命を救う活動をしただけで。


 狂人。

 なんという不理解。

 クインティンの領主が語った絶望を、このとき奇しくもゼノギアも味わった。

 それでも、


「……理由は分かりました。どうやら私は、この街に受け入れられない存在だったようですね。ホムンクルスは全員連れて行きます。この街には二度と来ないと約束しましょう。さぁ、彼らを自由にしてください」

「なに?」

「貴方がたがホムンクルスと、相容れないのは分かりました。ですから、彼らは私が引き取ります。ご心配なさらずとも、父にクインティンの悪評など流しません。何なら、聖槍に誓いましょう」

「ほぅ」


 トライミッド連合王国の貴族ならば、聖槍への誓いは一生の誓約。

 クインティン公が何を恐れようと、ゼノギアがそれだけの対価を捧げれば、まだ大丈夫だと思った。

 否、大丈夫であってくれと必死に思いたかった。


 現実は非情だった。


「まさかそのような言葉が、貴君の口から出てこようとはな。しかし残念」

「……残念……?」

「自由と云うなら、ホムンクルスたちはとっくに自由になったさ。私が何のために面倒な根回しをしたと思うのかね?」


 王都の教会に嘆願書を送り、クインティン教会が半ばホムンクルスの巣になっている客観的な事実を伝え。

 クインティン公同様、ホムンクルスの存在を快く思わない何人かの枢機卿を抱き込む。

 後は教会経由でゼノギア宛に不審な手紙を発出させ、ゼノギアが留守になったところでホムンクルスたちを処分。

 ホムンクルス自体、もともと大っぴらに許された存在ではない。


「枢機卿がたも、年若き神父を正しき道に戻すためにはと、今回は慈悲の御心で手を貸してくださった」


 行って帰って四ヶ月。

 ホムンクルスの延命処置には、最長でも三ヶ月に一回の〝水銀漬け〟が必要であるコトを前提とすると、今ごろはとっくに機能を停止していておかしくないだろう。


「もっとも、五体くらいはまだ稼働しているか?」

「貴、様……」

「そうだ。あの五体だ。貴君のところに転がり込んだ時は、どうしたものかと思ったぞ? 海を越えて売り飛ばされて来たらしいのだがな。あの五体は普通とは違う。

 ま、何が違うのかは知らんのだが、少なくとも兵士たちの慰み用に一年以上は用を果たした。頑丈だな。やはり道具。人間ではこうはいかない」

「ッ……!」


 邪悪な言の葉に、ゼノギアは耳が腐り落ちるかと錯覚した。

 それほどまでに許容し得ない雑言だった。

 人間とはこうまで、自らの悪性に無自覚でいられるものなのか?

 自身の行いを、まったく悪だと思っていない歪んだ悪。

 城塞都市クインティンは、人獣の巣窟だったかと歯を食い縛って、


「あの子たちは……どこにいる……ッ!」

「さて。まだ片付けられていなければ、恐らくは地下牢だろう。引き取ってくれるなら、感謝はしておく。掃除の手間が省けるからな」

「ッ!」


 それ以上の言葉は、一秒たりとも聞いていられなかった。

 ゼノギアは急いでクインティン城の地下牢へ行って、衛兵から牢屋の鍵をひったくり──





「──あぁぁ、あぁあぁっ、あぁぁあああぁぁぁあぁぁぁあああああああああああああッ!!!!!」





 

 目を背けたくなる凄惨な悪夢。

 床に飛び散り、壁にこびり付いた銀の血潮。

 子どもたちはどんな目に遭わされたのか。

 どんな苦痛と恐怖を得て殺されたのか。

 一目見ただけでは全容をうかがい知れない、猟奇的な解体現場。


 それでも、銀の髪と銀の瞳と、捥ぎ取られ剥ぎ取られた銀の爪。


 彼らの証拠を示すばかりが、あちこちに散乱して。

 ヒトガタを維持しているものは、一人としていなかった。

 全員が、面白半分に何らかのカタチを損なわれていた。


「ああぁ、ぁあぁあぁ……よくも……よくも……!」


 もはや、人の為した行いとは思えなかった。

 自分でも、この瞬間に正気ではなくなりかけたのが分かるほどだった。

 バラバラになったヒトガタを、拾い集めて必死に元の位置に戻そうとした。

 意味など無かった。

 頭の中は後悔と懺悔と憎悪と怨嗟に満たされて、


 ──道を外れた悪魔の所業。

 ──罪を罪とも自覚しない無知。

 ──罰する仕組みが社会には無い。


「私は……どうやって……!」


 あがなえばいいのか。

 床に崩れ落ち、魂が張り裂けるほどの慟哭。

 そこに、


「ブラザー……ゼノギア……?」

「っ、ユーリ……!?」

「よかっ、た……あなた、は、ぶじだ、った……ですね」

「あぁ、あぁあぁ……!」


 地下牢の奥。

 鎖に両腕を吊るされ、白銀のシスターがまだ生きていた。

 胴体から下は無く、半ばうつ伏せで床に倒れ伏している姿勢。

 銀色の水たまりの上で、しかしゼノギアの友は生きている。

 彼女は言った。


「しン、ぱい……して、まシた。おちちぎみ、は、だイじょう、でしたか……?」

「私の心配など不要ですっ、今はそれより貴方の方が……!」

「そう、です、か。しんぱいふよう、なのは、よイことです……ね」

「喋ってはダメです! すぐに錬金術師を、助けを呼ん──いいえ、貴方を助けます!」

「…………おちつい、て、くださイ」

「大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫ですから……!」

「ブラザー・ゼノギア」

「ッ」


 ユーリの声はか細くて、耳を澄ましていなければとても聞こえない声量だった。

 なのに、ゼノギアを呼ぶ声だけは不思議と明朗で、思わず動きを止めてしまった。

 遺言。

 末期の声だと察してしまったからだった。


「わたシは、もうよイの、です……それより五にン、を、たのみます」

「ユーリ……!」

「四にンは、ここで、まだ……あのす、はきっと、きょうかイ……」

「っ……ええ、ええ! 任してください。私がきっと、五人を救ってみせます……!」


 アノスを除いた四人のホムビヨン。

 クゥナ、ネイト、ミレイ、ヨルンが、本当にこの地獄の中で生きているかは分からなかった。

 だけど、今まさに息を引き取りかけている友からの頼みに、無理だなどとは絶対に言えなかった。

 叶うことなら、ユーリだってゼノギアは救いたかった。

 なのに、


「ああ……なかない、で……やさしいヒト」

「……ぇ?」

「あなたは、わたシたち、を、たすけて、くれまシた……それだケで、生きるよろこびは、あったの、です」


 本来なら与えられなかったはずの機会。

 一度目は老いた神父に与えられ、戸惑いながらも〝とりあえず〟で生きてみて。

 老神父が亡くなった後、不思議と終わりたくないなぁ、と皆で思った。

 だけど、現実はやっぱり厳しくて、無理かな、と諦めかけていた時に。


「にどめの、わる、あがき……を、げんじつに、シてくれ、たのは……あなた、だよ……?」

「っっ!!」

「わたシ、の、たったひと、りの……やさシい……おともだち」


 ありがとう。

 一緒に狩りをした想い出は、一生の宝物になりました。

 だからどうか、五人にも同じ機会を与えてあげて──


「──あぁぁあああぁぁぁあぁぁぁあああああああああああああッ!!!!!」


 ユーリは逝った。

 ゼノギアの腕の中で、最後まで純粋だった。

 誰かへの恨み言も、世界への憎しみも零さず。

 美しくも儚いしろがねの人。

 これほどの純粋無垢さを、地上にいる人間の誰が持ち合わせているというのか。


 ──私は、みすみす失わせてしまった……


 この命を代わりに出来たとしても、もはや帳消しにはならない罪の天秤。

 天罰が実在するのなら、どうか今すぐ我が身を苛んで欲しい。

 涙は枯れなかった。

 あまりの悲しさに滂沱と流れ続けて、それでも、バラバラの山の中から四人を見つけて、まだギリギリ息をしているのも確認して……


「帰りましょう……せめて、貴方たちだけは……」

「いいや、ダメだ。やはりその四人は置いていけ」

「……う、ああッ!」

「──アノス?」


 法衣で身をくるんだ──くるめてしまった──四人。

 軽い体を両手で抱き上げ、地下牢を出ようとした直後。

 地上へ繋がる階段から、領主が兵士を引き連れ降りてきた。

 兵士たちはアノスを、階段から蹴飛ばした。


「……まだ回復し切っていないのに」

「ハッ! どうせこの程度では壊れん。それより、前言は撤回だ。貴君が抱えているそれらも含めて、コレは半魔だと分かった。つまり、決定的な証拠だ」

「──何の」

「とぼけても無駄だぞ! カルメンタリス教の神父ともあろうものが、よりにもよって半魔のホムンクルスなどを匿っていたとは! 異端審問ものの大事件だ! 貴君が異端に認定されれば、チェーザレ家も終わりだな!」

「──なるほど」


 クインティンの領主は、つまり今度はそういう筋書きを思いついたらしい。

 五人を最初に手中にしていたのは、恐らくはクインティン公自身であるにもかかわらず。

 事が予想よりも大きな事件に発展しそうだと見るや否や、保身のためにゼノギアを生贄に捧げるつもりなのだ。

 咄嗟に思いついたにしては上出来だが、半魔のホムンクルスという歴史的偉業を目の当たりにしてなお、思考の及ぶのが他家への陰謀とは。


 ──どこまで、どこまで……


「醜く、浅ましく、穢らわしい、咎人ども」

「ん? おいおい、罪人は貴君だろう!?」

「そうですね……私の罪は明白です。この咎は決して贖い切れないでしょう。ですが──」

「ですが、なんだ? 言ってみろ狂人!」

「罪を罪とも思わない貴様らの罪……咎の何たるかも知り得ない酸鼻の極み……自覚の有る私に裁きが下るのは望むところ」


 然れど、


「貴様らに罰が与えられないなら……我らが女神様の愛は何を以って相応しき恩寵を宿すのかッッ!!」

「「「っ!?」」」


 人魔・転変。

 純粋無垢ホムンクルスならざる醜悪汚泥ニンゲンゆえ、ゼノギアの魂はこのとき『罪劫狩り』の奈落へ堕ちた。

 優男の肉体は醜く変貌し、全身は異形化。

 二足歩行だったシルエットは四足歩行に近くなり、膨れ上がった憎悪と怨嗟が人獣ジェヴォーダンを思わせる獣へと変貌させる。


 その頭部から後ろへ伸びた二本のツノは、まるで氷象をも射殺す大弓のように弧を描き。

 殺意に染まった獣の双眸には、絶えず血涙が溢れ出る。

 堕天変生、聖者反転。


「な、その姿──魔物……!!??」

「██████████████████████████████████████████████████████████████──ッッッッ!!!!」

 

 城塞都市クインティンはこの日、領主とその軍事力と、都市に巣食う全ての悪人を殺害された。

 断末魔の叫びがそこかしこで響くなか、都市には涙のように雨が降り続けた。





────────────

tips:人魔転変


 人が魔物へ転ずる現象。

 およびその成れ果てを指す。

 多くは死した後にアンデッドに変わるが、生きながらに転ずる場合もある。

 第八の法則──奈落へ。

 魂が堕ちた時、人は魔物へと変わってしまう。

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