#181「驟雨の獣」



 その後、ゼノギアはどうやってこちら側に戻って来たのか。

 実はあまり、詳しくは覚えていない。


 ただ、人としての意識を取り戻すとき──導くように暖かだった火を覚えている。


 冷たく暗い闇路のなかでも、たしかに目の前を照らしてくれた濃紺の明かり。


 宙に浮いた五つの火の玉。


 土砂降りの雨に晒されても、ポゥ、と灯って帰り道を教えてくれて。


 ──ああ、そうだ。自分にはまだやるべきコトが残っていた。


 こんなところにはいられない。

 戻らないと。

 そうやって、何とか奈落から這い上がった。


 魂はもうかつての〝ゼノギア・チェーザレ〟ではなかったけれど、憎しみと怨みだけが残されたワケじゃない。


 友から託された想いがあった。

 友が感謝を寄せてくれた誇るべき〝自分〟があった。


 ──ユーリのためにも、あの五人だけは助けなければ……


 無人になったクインティン城。

 雨が止んで光の差した地下。

 地獄の光景に再び足を浸し、ゼノギアは五人のもとへ必死に戻った。


 ──いいや、それは少し違いますか……


 あの日の奇跡。

 奈落に堕ちた魂が、そのまま何故、奈落に囚われずに舞い戻れたかなど。

 きっと、あの五人が迎えに来てくれたからに違いない。

 ゼノギアの堕ちたところまで、五人こそが足を運んで助けに来てくれた。

 誰かの救いがあったからこそ、ゼノギアはギリギリで踏みとどまれたのだ。


 それが幸せなコトなのか、不幸せなコトなのかは……生憎まだ分からないけれども。


 半魔物ゆえ。

 五人は魔物の能力を発現していた。


 鬼火──イグニス・ファトゥス。


 現世を彷徨う人魂。

 明かりの無い全き夜、まるで生きているかのようにゆらゆら漂っては、不意に何処かへ消える小さな火球。

 地域によっては、妖精の火、狐の火、戒めの火などとも呼ばれ、おおよそ霊界の焔として知られているモノ。


 しかしてその正体は……『ウィル・オ・ウィスプ』


 世界各地に存在する鬼火伝承の一つ。

 夜の湖や死人の埋まる墓場、底なし沼にて惑える魂を冥界に運ぶ魔物。

 第八の道先案内人、火の魂渡し。


 五人に混ざる魔物の血は、魂への干渉を可能にするものだった。


 戻ってきたゼノギアは、その事実に後から気がついたが……


「アノス……? クゥナ……? ネイト、ミレイっ、ヨルン……!」


 どうあれ、何事もなければ息を続けていたはずの五人。

 ホムンクルス・カムビヨン。

 世界に新しく生まれた驚異の種族。

 五人はゼノギアを救い、代償として命を燃やし尽くした。


 完全な魔物ではなく、半端な混ざり物であるがゆえの無理だったのか。


 濃紺に燃える肉体は、燎原のように銀の血を燃料にして明かりを灯し続け。

 ゼノギアの元には、何も残らなかった。

 目の前にはただ、失われたモノが寂しくあるだけ。

 後悔と懺悔と、決して晴れない罪悪感。


「あぁぁ──あぁあぁっ──あぁぁあああぁぁぁあぁぁぁあああああああああああああ──……」


 つまり、すべては精霊圏の妖精たちに言われた通り。

 頑張って戻って来れても、結局、救えたのは自分ひとりだけ。

 友に託されたものも守れず、神父には重い罪劫だけが突きつけられた。


 たとえ、後日になって事件に関与した枢機卿数名が、宰相ザディアの怒りに触れ極刑に処されたとしても。


 ゼノギアの生きる意味は永劫の徒刑。

 ゼノギアの精神は驟雨のごとき慟哭。

 ゼノギアの目的と唯一の望みは、灰色の魔術師を殺すコトのみに集約された。


 五人のホムビヨンの創造者は、後の調べでリュディガー・シモンであると判明したためだ。


 西方大陸の大魔術師。

 錬金術すら身に修めた賢哲。

 なのに、リュディガー・シモンは金を稼ぐため、自身が生み出したホムビヨンを裏世界で高値で売り捌いていた。


 その悪業。

 その厚顔無恥。


 ゼノギアには黙って見過ごせない。


 ゆえに──





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 ────────

 ────

 ──





(……貴様は、まだ続けているのか……純粋無垢な彼らの命を、今度はよりにもよって殺戮の道具に……?)


 壮麗大地テラ・メエリタ、古代圏。

 正史の国遺跡の中枢へ通じる街路。

 あの日と同じ濃紺の焔が、恐らくは現地人と思しいエルクマンを冷酷に焼き払った光景。

 五人どころか、その十倍以上も量産されている現実を知って。


「──タハハ」


 タハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ────ッッッッッ!!!!!


 ゼノギアは奈落が近づいてくるのを悟った。

 拒もうとは思わなかった。

 

「アノス……クゥナ……ネイト……ミレイ……ヨルン……」


 忘れたくとも忘れられない。

 五人の子どもたち。

 ゼノギアの目には、今なお彼らの最期が焼き付いている。

 だから記憶が、かつてのトラウマが。

 遠い日の失敗が、罪と罰が。


 贖罪を求めて、魂を掻き毟る。


 目の前に奈落が広がって、闇が心をわし掴む……!


「██████████████████████████████████████████████████████████████──ッッッッ!!!!」


 二度目の人魔転変。

 しかし、一度戻ってしまったがゆえに、これは完全な魔物化に非ず。

 人でも魔でもない不確かな変貌。

 制限時間付きの罪劫狩り。


 旅の目的だとか、大罪人捕縛の見届け役だとか、そんなものは正直なところ最初からどうでも良かった。


 ゼノギアが何故この旅に志願したのか。


 答えは決まっている。

 罪を罪とも思わない恥知らずの罪。

 咎の何たるかも知り得ない酸鼻の末路。

 自覚が無いのなら、ああ、私が思い知らせてやりましょう。


 この身はあの日から、地上で最も穢らわしい悪に罰を与えるだけの殺戮者。


 ゼノギア・チェーザレ──否、『驟雨の獣』なのだから……!





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 ──






「██████████████████████████████████████████████████████████████──ッッッッ!!!!」


 ゼノギアが魔物化した。

 人とも獣ともつかない、異形に変わり果てた。

 その変貌に言葉を失くしたのは、俺たち三人の共通の反応だった。


「……ッ」

「そん、な──」

「神父殿……!」


 生成りであるのは分かっていた。

 ゼノギアが闇を抱えているのは知っていた。

 魔物へ堕ちかけた人間が、心に闇を秘めていないはずはなく。

 俺は旅の中で、折を見ては打ち明けてもらえないものかとタイミングを窺っていた。

 この世には誰かに話せば、肩の荷が軽くなる類いの問題もある。

 だから、俺がリンデンで誰にも打ち明けられず失敗した以上、ゼノギアに似たような轍を踏んで欲しくはなかった。


(なかなか上手くは行かなかったけどな……!)


 ま、そりゃそうか……

 俺たちは男。

 この世界で男は、強くあるコトを求められる。

 たとえ他人に、弱音を吐いたとは思われなくても。

 自分自身が弱音を吐いているような気持ちになれば、自分で自分を許せない。


 他人に打ち明けられるほど傷が癒えていない。


 それは、ひとたび他人に打ち明け始めれば、弱音を堪えきれないとある種、自白していたようなものだ。

 ゼノギアは苦しんでいる。

 そして、その苦しみは目の前の殺戮劇によって、いま再び心の均衡を揺るがした。


 ポツリ、ポツリ。


 雨が降り始める。

 それを合図に、魔物が街路に飛び出す。

 魔術師姿の子どもたちが、異変に気がついた。

 魔物は迷うコトなく一直線に疾走する。

 微かな動揺。


 そして、システマチックな火の玉整列が、驚くほど綺麗に焼き回され!


「──ど、どうしますか、先輩!」

「このままでは、神父殿はエルクマンたちの二の舞に……!」

「っ……行くしかないかッ!?」


 逡巡。

 そして、こちらも追走。

 ゼノギアを追って街路に飛び出す。

 俺が動いたコトで、フェリシアとカプリも身を踊らせる。


(だけど、どうするのが正解だ──!?)


 魔物化したゼノギアが、何を思って行動しているのか。

 破綻した精神の裡で、どんな狂気を爆発させているのか。

 仮に子どもたちを狙っているのだとしたら、どちらを守るために俺たちは動けばいい?


 ゼノギアを狙う集中砲火。


「たしか生成りの魔物化は、再発したとしても一時的なものだったはずだよな!?」

「! はい、そうです!」

「ならば……!」


 いずれ正気を取り戻すゼノギアを、エルクマンのように焼き殺されるワケにはいかない。

 状況は不確実。

 しかし、「待った」は効かない。

 俺は斧を握って、一触即発の事態に介入できる準備を済ませた。

 介入した先のコトは考えていないが、考える暇が無いのだから仕方がない。


「こうなったらもう、なるようになれだ!」


 無数に近い火の玉が、俺たち目掛けて落下を開始する。


「うそッ、あの子たち、私たちが見えてないの……!?」

「エルクマンに限らず、何者も通さぬのが彼奴等の仕事なのでしょうな!」


 ゼノギアが咆哮した時点で、存在は気取られていたんだろう。

 ピラミッドへ通じる街路を通ろうとするもの、全てを殺す〝焼撃〟が来る──かと思われたその直後だった。


「陣形解除。無駄な魔力を消耗するな。散開、然るのちにラインに帰投しろ」

「「「!」」」


 男の声が、火の玉を霧散させた。

 そればかりか、子どもたちがいきなり方々に散り始め、たった一言でピラミッドへの道がガラ空きになる。


 後に残ったのは老人。

 白に近い頭髪と、もみあげから顎までが繋がった仙人のようなヒゲの持ち主。


 いつの間に現れたのか。


 服装の様式は見慣れない。

 しかし、濃灰色ダークグレイを基調にした長衣の上に、ややアジア風な印象を与えるシックなコートを羽織っている。

 内側にベストのような重ね着もしていて、どの指にも宝石の嵌められた指輪。

 金装飾の腕輪やイヤリングなどもつけていて、一目で高位の魔術師だと分かった。


「████████████████████████████████████████████████████████──ッッッッ!!!!」


 人獣ゼノギアが殺意に烟り、男へ鉤爪を振るう。




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tips:ウィル・オ・ウィスプ


 魔物。

 多くは火の玉としてしか確認されない。

 夜の湖や死人の埋まる墓場、底なしの沼地などで散見される。

 この魔物が導くのは、現世を彷徨う罪人の魂だとも云われ、導かれる先は第八の世界でさえも冥界と呼ばれる場所らしい。

 ……神父を奈落から掬い上げた濃紺の灯火。

 あるいはそれは、魔物のサガにすら抗った感謝の顕れか。半魔ゆえか。

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