#173「大弓使いの神父」



 菌界胞子道、菌糸人類マイコノイド

 人類と名はついているが、この種族は〈渾天儀世界〉において人類の区分に含まれてはいない。

 宗教観的生物学。

 そもそも人界ではなく菌界に分類されている時点で明白だが、キノコ系の種族はたとえヒトガタを取っていても人間とは見なされない。


 人間の定義を考えた時に、よく〝言葉や火、道具を使うコト〟が特徴の一つに挙げられる。


 もちろん、怪人類の中にはロクな言葉も持たないばかりか、水掻き鬼アドゥーのように火を嫌う種族もいるワケだが。

 しかし、水掻き鬼アドゥーにしろ霜の石巨人フロスト・トロールにしろ、ヤツらも最低限、道具を使う知能は備えている。

 使い方は主に悪い方向で発揮されるが、この世界で一番最初に人間の定義を考えた者は、恐らくそこを最低ラインに設定したのだろう。


 人かどうかも怪しいと嫌悪・侮蔑しながら、それでもなお学問的な位置付けにおいて〝人間ではある〟と認めたのだ。


 だから、逆にそうではないモノ。


 道具を使わず、言葉も持たず、火だって使わないヒトガタ。

 今回の場合は菌界、胞子道。

 菌糸人類マイコノイドが便宜的に人類の名を与えられながらも、俺たちと同じ『人間』に含まれないのは、そういう意味では至極順当な成り行きだった。


 峡谷に現れた十体の菌糸人類マイコノイド


 薄緑と青白の体躯に、複数の笠。

 そして菌糸。

 人間的な五体を模したカタチはあるが、目や口、耳、皮膚などの類いは一切ない。

 胞子道の種族に共通した特徴だが、キノコ系種族はクラゲの触手じみた大量の菌糸をカラダから揺蕩わせ、身動きする度に怪しげな胞子を放出する。

 その際、胞子は霧となり彼らを取り囲み、霧の中では不思議な光点……電気信号のようなものが頻繁に明滅するのも共通した特徴のひとつだ。


(古代圏がこんな有り様なんだ)


 胞子道の種族は、そりゃあ棲息していて当然だろう。

 足元の地面が蠢動道の代表、スライムの混ざった泥なのだから。

 菌糸人類マイコノイドの群れくらい、当たり前に出くわして不思議はない。

 菌糸人類マイコノイド自体、森や洞窟などでは壮麗大地テラ・メエリタに限らず、普通に遭遇可能な種族でもある。

 とはいえ……


「ここの菌糸人類マイコノイドは、さすがにヤバめか?」

「向こうも、どうやらこっちを捕捉したみたいです」

「……清風の加護ありでも、近づかれたくはありませんね」

「胞子道系種族は、必ずしも人間に敵対的ではないと云いますが……」


 ゼノギアの忌避。

 カプリの不安。

 どちらも大いに理解できる。

 なぜなら、菌糸人類マイコノイドの中には人間にとって毒となる胞子をばら撒くヤツもいるし、繁殖力と生存力に異常に優れた種類もいる。

 人間の死体を苗床に、菌糸を植え付けて寄生するタイプも多い。

 なので、


「……空気中の毒に関しては、とりあえずツメちゃんのおかげで何とかなると思います」

「でも、直接触られたり体内に入り込まれたら、ここの菌糸人類マイコノイドです」

「死は免れぬ未来でしょうな!」

「言ってる側で、どうやら来るみたいですよ」


 十体の菌糸人類マイコノイドが、ある程度の距離を持ったところで大量の胞子を散布開始した。


「残念。やる気みたいだ」


 敵対の意思確認。

 古代圏の菌糸人類マイコノイドたちは、まずはセオリー通り毒で弱らせてからこちらを養分にしようという魂胆らしい。

 幸い、その攻撃だけなら今の俺たちに脅威は無い。

 だが、向こうもすぐに妙だとは気がつくはずだ。

 やるなら、先手必勝。


「凍りつかせるか」

「いえ。ここは私にお任せを」


 ゼノギアが柔和な笑みを湛えつつ、俺たち全員の前に立った。

 大弓に矢を番え、神父は初めて戦う姿を見せる気になった様子。

 突然の心変わり。

 いや、もしかすると直前の会話による心境の変化だろうか?


「タハハ! そう意外そうな顔をしないでください。メラン殿下が力の一端を解禁したのです。ならば私も、皆さんに少なからず胸襟を開こうと思ったまで」


 それに、時が来ればいずれ使うと。

 翡翠島で話していたでしょう?


「今からがその時です」


 目を丸くする俺たちに、神父は笑みを深めながら自身の得物に一本の矢を番える。

 大矢。

 矢筒から抜かれるところは初めて目にしたが、ニンゲンの腕で扱うにはギリギリの大きさだ。

 そして、先端に使われているのは普通の鏃じゃない。

 俺が口にする前に、フェリシアが言った。


「え、『猟犬の追跡』……?」

「刻印騎士団の方には、やはり分かりますか」

「これって……錬金術の妙薬を、鍛治職人に混ぜさせて加工したもの?」

「ええ。なにぶん実家が太いもので、うちの職人には色んなものを作ってもらえるんです」


 ゼノギアは冗談めかしながら答える。

 が、父親が大国の宰相であれば、実家は太いとかの次元で語られるレベルじゃない。

 下手をしなくても、ゼノギアの血は王族に次ぐ高貴さだろう。


 お抱えの錬金術師、お抱えの鍛治職人。


 実家の財力に物を言わせて、市場には出回らない独創的な武器を生産させているのか。

 矢筒を見ると、他にも数種の矢が入っていそうだった。


「弓使いの宿命として、矢が尽きれば途端に無力という悩みがあります。

 私はそれを、この『銀犬の鏃』で解決できないかと考えまして」


 胞子の霧が俺たちに届く。

 その瞬間、ゼノギアは菌糸人類マイコノイドの群れの中央を目掛けて、見事な〝射〟を行った。

 大矢が豪速で霧に風穴を空け、一体の菌糸人類マイコノイドを破壊する。

 上半身と下半身の泣き別れ。

 仲間をやられた九体は、明滅を加速させて菌糸の鞭を振り回し始めた。

 だが、


「これは……!」


 カプリが驚嘆する。

 無理もないだろう。

 俺とフェリシアも、同じく目を瞠ってゼノギアの矢を見た。


 通常、猟犬の追跡は魔物の痕跡を可視化させる粉薬だが、鏃として生まれ変わったそれは、素材にされた猟犬の特性が色濃く出ているのか。

 一体を射抜いた後でも、ひとりでに方向転換を始めて残敵の掃討を開始したのだ。

 縦横無尽に駆け回る豪速の銀犬。


 普通の弓矢ではありえない超常現象。


 しかも、菌糸人類マイコノイドすべてを再起不能に追い込んでヒトガタを破壊し尽くした後は、ゼノギアの元まで戻って来た。

 忠実な猟犬が主に褒められるのを待つみたいに、足元に突き刺さり。

 ゼノギアはそれを懐の布で汚れを拭き取りつつ、改めて鏃を俺たちに見せる。


「──もっとも、これはまだ開発中のもので、依然として消耗品なのですがね」

「銀の含量が減っている?」

「ええ。どういう理屈かは分かりませんが、猟犬の追跡はやはり完成されたレシピなのでしょう。違う形に加工してしまうと、本来の性能とは異なる変異を来たすようです。劣化も早まります」


 使用回数は効果時間に応じて減っていくし、逆もまた然り。

 ゼノギアは「まだまだ未完成の技術です」と矢を矢筒へ戻す。

 しかし、だからこそゼノギアは大弓を使っているんだろう。

 あるいは、大弓を使っているから相性のいい矢を携帯しているのか。


(速度と威力を兼ね備えた大弓なら、コストパフォーマンスはかなり高められるはずだ)


 生成りゆえの人外的な膂力。

 弓使いとしての正確無比な射撃。

 大人しそうな顔と雰囲気をして、ゼノギアのやっていることはひどく純粋な戦闘の最適化と効率化だった。

 狙った獲物を必ず害するという、絶対の殺意を感じる。

 俺と同じ感慨を得たのだろう。


「たった一本の矢で複数の敵を倒す。いやはや、実に末恐ろしい」


 職業上、多くの英雄譚を知るからか。

 カプリは目を細めてリュートハープを爪弾いた。


「今回の旅において、神父殿の役割は大罪人捕縛の見届け役だとうかがっておりましたが、さすがはカルメンタリス教。英雄に届かざるといえども、極めて稀な人材を抱えていらっしゃる」


 自分たちに楯突いた灰色の魔術師。

 リュディガー・シモンに大罪人の烙印を押したのは現世界宗教。

 ゼノギアが同行している意味に、実は〝裏〟があるのでは? と穿った見方もしたくなった。


(俺がしくじったら、躊躇なく殺すのが第二プランなんじゃ……とかね)


 けれど。


「ゼノギア神父。じゃ、今後は貴方も頼りにさせてもらいます」

「はい。微力ながら尽力しましょう」


 ゼノギアは胸襟を開くと言って、技を見せた。

 戦闘巧者なんて壮麗大地テラ・メエリタでは、いくらいたっていい。

 遠距離攻撃に秀でた優秀なアーチャーが仲間にいるなら、菌糸人類マイコノイドの撃退も安全にできる。

 見たところ、矢の進むスピードはゼノギアの膂力ありきに見えた。


「古代圏の探索、これなら事前に予想していたよりも、かなり順調に進みそうですね!」


 フェリシアの前向きな声に頷きつつ。

 亡者の念からの連絡も待って、俺たちは峡谷をさらに進んでいく。




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tips:菌糸人類


 マイコノイド。

 菌界胞子道、キノコ系ヒトガタ種族。

 人間とは見なされない。

 彼らの菌糸と胞子は、複数の用途を兼ね備えている。

 とりわけ同種との意思伝達は、ネットワーク的な同時並列思考、あるいは思考の共有化に似ているそうだ。

 人間に必ずしも敵対的・脅威的ではない。

 が、繁殖力や生存力が強い種もいるため、時には寄生被害に遭う場合もある。

 ……ごくたまに、マイコノイドを食用に求める人間もいるとか。

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