#172「謎の菌界」



 古代圏。

 さて、壮麗大地テラ・メエリタには四つの〈領域レルム〉があり、内三つは人外の異界だと分かったワケだが。

 この禁足地の真ん中にある〈領域レルム〉だけ、他とは明確な違いがある。


 一つ、呼び名が時代を表わしているコト。

 二つ、特徴として明らかに人類文明の遺跡を残しているコト。


(三つ、他の〈領域レルム〉と比べて──あまりも小さいコト)


 人間的な尺度で見れば、古代圏も充分に広大ではある。

 全体的な広さとしては、山峡と台地というバイタリティに富んだ自然を擁しているし。

 高らか且つ鋭利に切り立った台地には、恐らく歴史上の著名な都市国家が二つか三つくらいは収まるだろう。

 事実、近づいて見る遺跡群は、古代のメソポタミアやアステカを彷彿とさせる趣きを備えていた。

 しかし、それでもなお。


(規模が完全に段違いだったよな……)


 精霊女王ディーネ=ユリシスが作った壮麗大地テラ・メエリタの縮図。

 あれはビオトープじみた言うまでもなくミニチュアの箱庭だったが、思い返してみても他の三つが大人気ないほどに広すぎた。


 古代圏がどうして、周囲の異界に食われず残っているのか?


 第一級の〈領域レルム〉として、あまりにも次元の異なる精霊圏を目の当たりにしてしまった後では、余計に不可解な気持ちを抑えきれないほどに。

 だって、精霊圏も獣神圏も、最北の永久凍土ヴォレアスより広いのだ──壮麗大地テラ・メエリタ自体が、東方大陸の半分を占めている時点で当然だが。

 挙げ句、それらを優に上回ると明言された巨龍圏にまで古代圏は隣接されている。

 なのに、どうして未だ殺されていない?

 弱肉強食、敗者淘汰。

 野生の掟ワイルドルールこそが、この超大陸の第一原則のはずだろう?

 と、不思議に思うのは当然で。


 だが。


「「「「──ッ!!」」」」


 白詰草の君に開いてもらった異界の門扉。

 白花のエレメンタル・リングを後にして、精霊圏と古代圏の境界線を越えた。

 その瞬間、俺たちは全員が慌てて口元を抑えた。

 何故なら、古代圏には猛毒が漂っていたからだ。


 ──菌毒である。


「ッッ……!」


 土も植物も遺跡も風も。

 目に入るものはすべて、菌界の生物に覆われていた。

 薄緑と濃紫、たまに真紅。

 ところどころに青白いチョコミント色。

 異星の外来種に侵略インベイドされたら、こんなふうな景色になるのではないかと。

 胞子の靄に汚染され、腐海のごとく異様な景色を広げた古代圏。

 地面は半ばスライム混じりの泥。


 〈渾天儀世界〉において菌界は、食用のキノコ等を除いて疫病や病毒の温床という認識だ。


 蠢動道──スライム、シャドーマン。

 ほか、分類不詳の奇怪な下等生物。

 それらが便宜的にカテゴライズされるのが菌界全般のイメージで、だからこそ突如として視界を埋めた生理的嫌悪感の爆発。


 それらがすべて、地中から立ち上る揮発した霊的真髄エッセンスの変貌である事実に。


 カラダが思わず逃げ帰りかけたのは、間違いなく誰にも咎められない咄嗟のリアクションだった。


「清風の加護を一時的に授ける。三日くらいは耐えるはずだ」

「っ……清風の加護?」

「いちいち聞き返すなクロ人間。カラダじゅうからキノコ生やしたいか? だったらボクは謝るけど」

「い、いや、助かった。……ありがとう」

「──フン。じゃ、オマエたちの誰でもいいから、戻ってきたくなったならリングに入って教えるんだな。ボクはそっちには行けないから」

「ありがとう、ツメちゃん!」

「……ツメちゃんんんんん?」


 おい、まさかそれはボクのコトじゃ──と。

 白詰草の君がフェリシアに振り返りかけたところで、門扉が閉まった。

 ボクっ子はツンケンした態度とは裏腹に、俺たちへの親切さが隠し切れていない。

 まさか、一時的な処置だろうとはいえ加護をくれるとは……


「……清風。なるほど、これが神々の息吹ゴッドブレスというヤツですか」


 ゼノギアが目を丸くし、自身の口元や手足を撫でる。


「む、むむ? ワタクシどもの付近だけ、菌毒が弾かれていく……?」


 ファンタジー・エア・コンディショナー。

 カプリがもし空気清浄機を知っていれば、白詰草の君が俺たちに与えた加護を、的確にそう表現したかもしれない。


 何にせよ、とても助かった。


「……全部が全部、有害ってワケじゃないでしょうけど、これだけの菌類が溢れてるんです。古代圏はほぼほぼ〝菌界〟そのものですね……」

「しかも、自然発生した菌類じゃなくて、霊脈から揮発した霊的真髄エッセンスが元ですよ、これ!」

「精霊圏でも黄緑色の燐光として確認できましたが、ここは壮麗大地テラ・メエリタ中の霊脈が結びつき交差している……世界でも類を見ない『大龍穴』となっているのではないでしょうか?」

「ありえなくはない話です。有り余る存在力が、逃げ場を求めて揮発するコト自体『龍穴』の証。

 言うなれば、巨大な龍穴である壮麗大地テラ・メエリタの中枢がここなワケですから、揮発の過程で『物質化』が起きても不思議は無いのかも!」


 フェリシアがにわかに興奮しているのは、この光景がつまりそれだけ異常な現象に端を発しているからだろう。

 他の〈領域レルム〉に食われずに古代圏が生き残っている理由。

 龍穴の中の大龍穴という仮定。

 上から覆い被さる法則よりも、下から堪えきれずに絶えず吹き上がり続ける法則の方が、勢いは強いだろうし壁は分厚い。

 乗っ取ろうとしても、これだけ際限が無いなら手を出すのはナンセンスかもだ。

 エルダースの学者がいれば、たぶん世紀の大発見と卒倒する光景かもな。

 

(……だけど、よりにもよって何で菌なんだ?)


 腐海じみた汚染の在り様に、知らず知らず眉をひそめてしまう。

 偶然という可能性も考えられるが、古代圏という呼び名も然り、この〈領域〉には謎がある。


 ユリシスは古代圏を、今や誰も知らぬ名もなき王国。

 〈崩落の轟〉の直後、故郷を失って壮麗大地テラ・メエリタに流れ着いた『正史』の国遺跡だと言っていた。


 正史──その二文字が意味するのは、恐らく〈はじまりの紀〉だろう。


 正史黎明神代。

 巨大彗星が〈渾天儀世界〉を襲う前。

 つまり、〈最初のエルフ〉と呼ばれるエルフ種の祖先や、他様々な種族がはじめて目を覚ましたことで、文明が加速度的に興亡を始めた時代。

 各種族は信仰を芽生えさせ、その隆盛と版図に伴って新たな力のある神々(文化神、軍神など人格と性格を備えた神々)が登場したとされている。


(三兄弟三姉妹の神話も、この紀が舞台だったはずだ)


 ならば、正史の国遺跡という言葉が意味するものとは。

 巨大彗星衝突による〈はじまりの紀〉終焉から、世界全体が混乱と無秩序に包まれた暗黒神話時代〈崩落の紀〉を挟んで。

 それだけの年月を経てなお、今現在の〈壊れた星の紀〉にも残り続けている〝神代残滓〟だと考えられる。


 順当に行けば、呼び名は古代圏ではなく神代圏が妥当だろう。


 なのに、精霊たちは古代圏と呼称した。

 そこには何かしらの理由があるはず。

 斧を担ぎ直しながら、ひとまず探索を開始する。


「先輩。精霊女王様の言葉じゃ、大罪人はここにいるって話でしたけど……」

「ああ。普通の人間がこんな場所で、長いこと滞在してるはずはないよな」

「ですよね。魔術で無害化できたとしても、魔術師じゃ魔力消費が割に合わないでしょうし……」

「となると、我々はまだ〝情報〟を伏せられている?」

「恐らくは。ただ、白詰草の君をガイド役にしたのは、俺たちがここでも何の問題もなく活動できるように、っていう配慮だったんでしょうね」

「……なるほど。つまり確実なのは、精霊たちの意図が何にせよ、ワタクシたちに直接古代圏を見て回ってもらいたがっている……そういうコトですな」


 甘き謎。

 ミステリアス。

 カプリは「なんだか無性に、ゾクゾクして来ましたぞ」とブルリ震えた。

 俺たちも同じ気持ちだった。

 足元に注意しつつ、シダや菌糸を避けて峡谷の底を歩く。

 スライム混じりの地面は踏むとヌチャッ! と半端な水音を立てるので、不快指数度がえげつない。

 なるべく、無駄な探索は避けたいと思った。


(……いや、待てよ?)


 立ち止まって思い至る。

 先頭の俺が歩くのを止めたため、後ろのフェリシアが「っと、どうしました? 先輩」と背中にぶつかりかけた。

 後続のゼノギア、カプリもまた「何かありましたか?」と疑問符を浮かべる。

 たしかに、あったと言えばあった。


「すいません。長年のクセで、つい無駄足を踏みかけちゃいましたが、今から死霊術を使おうと思います」

「! 死霊術を……?」

「白嶺の魔女の力ですか?」

「はい。もう、俺の秘密はここにいる全員が知ってますし、人目を気にする必要は無いですからね」

「……そっか。ここは壮麗大地テラ・メエリタだから……!」

「うん」


 フェリシアに頷いて、半魔女化を開始する。

 両腕が白く変じて、霜と冷気が服の上から零れる。

 けど、こうやって俺がベアトリクスの力を使っても、今は誰にも問題視されない。

 影の内側から、ぬらりと滲み出る冬の衣と薄闇の亡霊。


「……っ」

「亡者の念……!」

「これが、先輩の魔女の力……」


 目の当たりにするのは、初めてだろう。

 三人はやはり、本能的な怖気を堪え切れなかったのか。

 ゴクリと唾を嚥下したり目を見開いていた。

 俺はそれを尻目に、喚び出した百体ほどの亡者の念に斥候役の仕事を命じる。

 百体なのは様子見を兼ねて。

 必要であれば、さらに斥候係を動員しよう。


 動き出した亡者たちに、ゼノギアが俺の名前を呼ぶ。


「メラン殿下」

「……なんです?」

「それほどの力、日頃から隠しているのはさぞ窮屈なのでしょうね」

「別に、もう慣れてますよ」

「でも、慣れないコトもあるでしょう?」

「……」


 ゼノギアは生成りゆえにか。

 魔物の力を持つ俺に、何かしらのシンパシーを得ている様子だった。


(慣れないコトもある、か)


 たしかに。

 けれど、それは仕方がない。

 差別も偏見も憎悪も怨恨も、俺やゼノギアのような人間には一生涯付きまとう宿命だろう。

 慣れようと思っても、こればっかりは慣れるものじゃない。

 ただ、


「今回はツイてました。ゼノギア神父もカプリさんも、もちろんフェリシアも」

「おや」

「? 私ですか?」

「三人とも俺の秘密を知っても、変わらない態度でいてくれる。少なくとも表向きは」

「タハハ! そうですね。今回はかなり、ツイていますか」

「だから、今はもう昔ほど窮屈ではないです」

「……」


 答えると、ゼノギアは小さく「なら、良かった」と微笑んだ。

 その視線は、気のせいかも知れないが、少しだけ幼子を見るような柔らかさだった。


 俺とゼノギアの年齢は近い。


 しかし、外見上はもちろんダークエルフである俺の方が歳下なので、丸眼鏡の神父はひょっとしたら、子ども姿の俺を通して今ではない何時か、遠い誰かを思い出しているのかもしれなかった。

 ふと、そんな直観を与えられた。


「──っと」


 そんな会話をしていたら、早速斥候係の一体から念話が入った。

 念話と言っても、亡者の念からのそれは言葉ではなく、あくまでも強い感情や意思の伝達に過ぎない。

 が、簡単なメッセージくらいなら死霊術師には容易に読み取れる。


 メッセージはだった。


「何か見つかったんですか?」

「どうやら、そのようですな」


 俺の表情がにわかに変わったのを察したのだろう。

 フェリシアとカプリが喫緊の事態に備えて体勢を整える。

 ゼノギアもまた、肩に掛けていた大弓を降ろして、矢筒から一本の矢を取り出した。


「──前方、警戒対象。十のヒトガタ」


 菌糸人類マイコノイドが接近。




────────────

tips:古代圏


 壮麗大地テラ・メエリタに存在する四つの大領域において、最小の異界。

 現代では存続しないはずの神代残滓、正史黎明神代の国遺跡を残す。

 外から見ている限りでは分からないが、ここは大地から立ち上る多量の菌毒が充満していて、腐海的な環境。

 薄緑と濃紫、少しの真紅、ところどころに青白いチョコミント色。

 遺跡自体は古代メソポタミアやアステカを彷彿とさせる。

 菌界化しているのは、果たして自然の摂理だろうか?

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