#171「白詰草に導かれ」
そんなワケで、一晩経って二日目の
精霊圏で迎える朝は清々しい。
春の気持ち良さに満ち溢れている。
薔薇男爵から供される朝食も、文句のつけようがない。
キノコ笠のテーブルで野菜やら果物やらを食べながら、信じられないほど美味い天然水を飲む。
「ン、ン──うま」
「本当に美味しいですね、先輩!」
「新鮮な水と豊富な食料……女神カルメンタよ、感謝します。ここへ来た時はどうなることかと思いましたが、とりあえず餓死の心配だけは無さそうです」
「肉や魚はありませなんだが、菜食もこれだけ実り豊かであれば時には良いものですな」
精霊女王も薔薇男爵も、本気で俺たちを歓迎しているのだろう。
昨日の話では都合のいい手駒を欲している印象だったが、利害はたしかに一致している。
夜の間になにか悪さを働かれる様子も無かったし、大罪人リュディガーを捕らえるにあたって、
昨夜の内に、俺たちは必要な会話を行った。
目的であるリュディガー・シモンの捕縛について。
精霊女王が嘘をつく理由の皆無について。
事前に押さえていた手がかりとの符号。
目的達成のヒントがあるのなら、まずはそれを頼りに行動を起こすしかない方針への合意。
妖精の存在は気になるが、精霊は魔物ではないため、必ずしも人類に敵対的ではない事実。
何より、
四竦みの実情が真実かどうかも含めて、精霊の〈領域〉を
そうした行動を採択した方が、俺たちにも都合が良いだろうと話し合った。
というか、精霊以外は人語が通じるかも怪しいし、外界と隔絶した禁足地で言葉の通じる現地人類がいるかも不明。
そのため、一応の相談は経つつもディーネ=ユリシスの打診を受ける方向で決定した。
後は、どうせバラされるかもしれないならと、俺が自身の秘密をカプリに打ち明けた程度だ。
──俺は魔物じゃありませんが、白嶺の魔女の力を持っています。
──……なるほど。ワタクシに黙っていたのは、禁忌ゆえの忌避を嫌ったためですか。
──それもありますが、カプリさんは吟遊詩人でしょう? 俺を歌のモデルにしたいとか言ってるし、バレたら余計に吹聴されるかなって。
──信頼が無い点は仕方がありませんね。まだそれほどの仲ではない。
──ええ。だけど、さすがに今後は、俺も全力を尽くさないでいられる余裕がありません。
奇しくも、格上は比べやすく存在していた。
──カプリさんが望むなら、俺は異界の門扉も開けられます。
──……つまり、立ち去るのなら今だと?
──俺たちの旅が最厄地に向かうものだと知っていたら、カプリさんだって近づこうとは思わなかったんじゃないですか?
──確かに、ワタクシも命は惜しい。
──なら。
──ですが、甘く見られては困りますな。
──え?
──唄うたいの誇りにかけて、メラン殿が善良な人柄なのは見抜いております。
──……。
──忌むべき魔物の力を宿し、人々に恐れられる宿命を背負いながらも戦う英雄。
それは、まさにワタクシが歌う叙事詩に相応しい稀代の主人公になるでしょう、と。
カプリは打ち明けられた真実に深く呻きつつも、旅の同道を続行する選択肢を採った。
差し出された右手は懸命に堪えようとして堪えきれず、小刻みにブルブル震えていたが、半魔女化した状態の俺に握手を求めたのだ。
とても勇気のある男だと思った。
フェリシアが後ろから「見直しましたカプリさん!」と嬉しそうに褒めていたし、俺も実際カプリを見直した。
他人を信じる勇気が、俺にはまだまだ足りていない。
なので、カプリには断られてしまったが、いざとなれば護衛の務めをこちらも果たし、カプリだけは絶対に
そんな夜を終えて今朝を迎えた。
朝餉を片付け、腹ごなしの休息も済み。
俺たちはさっそく、リュディガー・シモン捕捉のために『古代圏』への移動を始める。
案内役は風の精霊、『白詰草の君』だ。
「はじめに言っておく。ボクは女王の命令だからキミたちを案内する。けど、それだけだから」
「? というと?」
「古代圏でキミたちがどうにかなっても、ボクは絶対にキミたちを助けない。人間なんか嫌いだ」
ボクっ子の風精は「フン」と鼻を鳴らして前を歩く。
性別は中性的でイマイチ分かりにくい。
だが、純白のワンピースは可愛らしい刺繍付きで、エバーグリーンの髪の毛は前も後ろも胴まで伸びる長さ。
人間と同じで髪の毛をめくったら、〝素顔〟があるかは分からないけれど。
頭には白詰草の花冠も乗せていて、線は非常に細い。
背丈も小さい。
なので、恐らくは女の子だと思うのだが……精霊に性別を問うのもナンセンスか。
ちなみに、背中にはワンピースと同じくらい白色の、ドラゴンフライの薄翅が生えている。
靴は履いてなくて裸足だ。
だが、痛くは無いらしい。
「いいか人間ども。ボクは薔薇男爵様と違って、人間の醜さにはうんざりしているんだ」
「そうなの?」
「キミたちと来たら、年がら年中くだらない。いっそのこと、ボクは全ての人間の口を二度と開けられないよう、永遠に縫い付けてやろうかと計画するほどだ」
「計画してるんだ」
「そうだ! 妖精どもをけしかければ、きっとすぐにできるぞ!」
「へぇ〜、すごいねっ!」
年下の子を相手にしている気分なのか、フェリシアがニコニコ白詰草の君の話し相手になっている。
内容は捉え方によっては、かなりバイオレンス。
だが、白詰草の君は声が可愛いので、フェリシアは先ほどからまったく怖がっていなかった。
少し離れた後ろから少女たち(仮定含む)を眺めつつ、カプリに質問する。
「風の精霊の祝福持ちとして、アレはどう思います?」
「…………むずかしい」
「タハハ! 詩人のカプリさんでも、さすがに言葉に詰まるようですね」
「……フン。
「まぁ、それには完全に同意しますが」
祝福保持者にとって、祝福の贈り主は自分の人生を狂わせたと言っても過言ではない相手だ。
白詰草の君は恐らく、カプリとは何の関係もない別個体の風精だろう。
しかし、それはそれとして同じ元素の精霊である点に違いはない。
〝ひょっとしたら、これと似たようなのが犯人なんじゃないか?〟
そんな疑惑は、何とも言えない気持ちをカプリの心に湧き起こしているんだろう。
俺も死界の王がこんなチビだったら、どうリアクションするか分からない。
(……そういえば、
東方大陸に着いて最初の港町では、亡者の念や不穏な影はいつも通り視界の端に映った。
だが、薔薇男爵に誘拐されてからというもの、そういったあちら側の存在がまったく見つからない。
精霊圏──精霊女王の〈領域〉だからだろうか?
(それとも、
永遠の禁足地。
〈目録〉がいつから三大禁忌に指定しているかは知らないものの、一千年単位で人間が踏み入っていないのなら、亡者の念すら無いのにも頷ける。
現地人類はゼロなのかもしれない。
「──ところで、白詰草の君?」
「なんだ? メガネ人間」
「メ、メガネ人間ッ? い、いえ、別に構いませんが……貴方は異界の門扉を開かないのですか?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いま、開こうと思っていたところだ」
凄まじい間があった。
白詰草の君が翅を震わせる。
すると、風精の前には白花のガーデンアーチが建てられ、モンシロチョウなどが止まった。
綺麗で無垢な異界の門扉。
「じゃあ、さっさと入れ」
抜けた先は古代圏だと、ぶっきらぼうな声が通行を促す。
フェリシアが顔だけでゼノギアに抗議を入れていた──もっとお話ししたかったんですよ! ええ!?
ともあれ、古代圏はもう目前。
────────────
tips:白詰草の君
精霊女王ディーネ=ユリシスが、メランたちのガイド役として遣わした風の精霊。
ゆったりふわふわした純白のワンピースと、白詰草の花冠が可愛らしい。
エバーグリーンの髪の毛は若草じみた長髪で、後ろも前も頭部を覆っている。
素顔は誰も見たコトが無いそうだ。
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