#170「四竦み」
「ひとつはここ、『精霊圏』です」
「精霊圏……」
「その名の通り、わたくしたち第四の眷属が棲まう場所です」
「柳は緑、花は紅! 麗しき春の爛漫! すなわちは第四世界!
薔薇男爵の補足は、精霊圏が
大仰な身振りと詩的な言い回し。
精霊女王は慣れているのか、薔薇男爵のうるささには全く気にした素振りを見せなかった。
「言葉で説明するだけでは、分かりにくいかもしれませんね……」
ユリシスが「フゥ……」と泉の水面に息を吹きかける。
すると、途端に泉の底から小さな島が浮かんで来た。
島にはミニチュアサイズの森があり、山や谷などもある。
そこに、俺たちから見て左側。
西の花畑の上で、青色の蝶が止まった。
「仮にこれを、
「女王! 薔薇がありませぬ!」
「おまえは省略します」
「!」
薔薇男爵がショックを受けたのか、ガーン! という擬音そのままに硬直した。
しかし、配下の気持ちには敢えて無頓着なのか。
おっとりとした口調の水精霊は、続いて北の位置に小鳥を立ち止まらせる。
黒色の小鳥は、島の中で最も山の多い場所で翼を広げた。
精霊圏の花畑と、同じくらいの広さが闇に包まれる。
「その小鳥と山々は、『獣神圏』」
「……獣神圏? では、環境神のテリトリーというワケですか」
「如何にも! 森羅の元に還りし獣たち! 動物霊ならざる自然霊を気取るもの! だがその意思は、やはりケダモノのそれ! 業腹ですが認めましょう!
「また鳥……」
気鬱げな呟きは、いよいよ因縁を感じるフェリシアのものだった。
碑文を読んだ際に、〝森羅を統べし獣神の王〟という明確なフレーズはあった。
だから、
ただ、その正体がまたしても鳥となるなら、少女には鳥の神と何かしらの縁があるのかもしれない。
(……ま、それを言うなら俺にも縁はあるが)
獣神に関しては、〈大雪原〉を彷徨していた時から何かと出会っている。
縁を感じる理由は、俺もフェリシアも充分すぎるほど持っている。
ゼノギアとカプリはどうなんだろう?
二人の様子をさりげなく窺ったが、これといって特別な感情は覗けない。
「山門を越えた先の異界。山は古来より天然の異界ですからな」
「
「ええ、そうですね……これだけの大自然、環境神群が我らの世界を侵食するのは、〈崩落の轟〉を避けられなかった時点で必然の結果でした」
「忌々しきは巨大彗星! 凶つ箒星よ! ああ、汝は何ゆえ我らの故郷を打ち壊したのか!」
水と地の精霊が悲嘆に憂う。
そんな中、島の東側には数匹のトカゲが泉を泳いで上陸した。
緑、茶、紫の色彩を持ったトカゲだった。
小さな爬虫類は丘に囲まれた水たまり──湖に辿り着くと、周囲の雑草を踏みしめながら、思い思いに蟻などを食べ始める。
湖の上には、不思議な雲が浮かんでいた。
「これは?」
「……ドラゴンの王国です。トカゲは
「湖を中心に、その丘陵地帯全体がヤツらの縄張りですぞ!」
「ってことは、竜種の巣か……」
「フフフ。獣神がいるのです。
「ワイルドルール・キングダム!」
薔薇男爵はうるさい。
しかし、言いたいコトはシンプルに分かった。
原初の自然、野生の掟がそこにはあると言いたいのだろう。
頬が引き攣るが、カプリの納得にも同意する。
しかし、
「精霊圏、獣神圏。じゃあここは、差し詰め『色竜圏』と云ったところでしょうか?」
「いいえ」
「否! 否否否否否否否否否ッ!」
ゼノギアの問いに、精霊たちは激しい否定を返した。
「そこなる〈
「星の最強種、世界最強の獣といえども、たかだか
「
精霊たちの激情。
怒りとも嘆きとも苦しみとも言える畏れ。
突然の取り乱しに、俺たちはもちろん動揺した。
──『巨龍圏』
その名を聞かされ、動揺はさらに深くなった。
「いま、なんて……?」
「巨龍圏! ドラゴン・オブ・ドラゴンの〈
「度し難いコトですが、
ゆえに
精霊たちは囁くように震えた。
巨龍圏は、一番広範な〈領域〉だった。
〝すぐそこに世界の終わりが眠っている〟
俺たちの誰も、あまりの荒唐無稽さに正直ついていけていない。
精霊女王も薔薇男爵も、精霊圏さえも
ゼノギアが乾いた声で笑う。
「タハハ……〈目録〉の蒐集官は、果たしてどうやってこの情報を集めたのでしょう……」
最厄地の由縁。
永遠の禁足地に指定されたワケ。
古龍は荒ぶる獣の神とは云うが、巨龍は世界にとって滅びの神だ。
「……ですが、ご安心ください」
沈黙に埋まる俺たちに、ユリシスが言う。
「終末の巨龍は封印されています。何事も無ければ、世界に滅びが訪れるコトは無いでしょう」
「! 封印……?」
「巨龍の実体は
「すべては今は遠き六千年の過去! 巨龍は幽世に封印されました!」
「残されたものは、巨龍の影だけ……然れど、恐るべきは実体無き影さえも、巨龍の〈
島の湖に、巨大な龍の
吹き寄せる風に乱れるさざなみ。
水面は荒れていて、なのに不可解なほど影の輪郭は克明だった。
「幽世に封印されている……じゃあ巨龍は、淡いの異界に閉じ込められているってコトですか?」
「ええ、その通りです」
フェリシアの疑問に、精霊女王はコクンと頷いた。
「あちらとこちらを分かつ境界の世界。今ではない何時か。此処ではない何処か。さしもの巨龍も混沌の渦潮からは抜け出せません」
「でも、さっき何事も無ければ、って言いましたよね」
「ええ。つまり、わたくしたちが問題視しているのは、ちょうど
異形の美女は物憂げに島へ手をかざす。
途端、島の中には流水の軌跡が引かれた。
軌跡は川となり、精霊圏、獣神圏、巨龍圏の境を明確にする。
そうして改めて見ると、それぞれの〈領域〉が円グラフのような割合で、
やや南寄りの西側を占拠しているのは、花畑と樹海の『精霊圏』
西と東、両方に食い込みながらも、北部一帯を堂々占拠しているのが暗黒の山地『獣神圏』
そして、北寄りの東側には丘陵に囲まれた湖の『巨龍圏』がある。
だが、島にはまだ
三つの〈
一際高く盛り上がった台地と、天然の要害に相応しい山峡。
断崖絶壁の峡谷の内側に、明らかな人類文明があるのだ。
そこに、女王は人間を模したような木人形を置いた。
「……皆様が探している灰色の魔術師。あの男は現在、巨龍の封印を解かんとして
「まさに、大罪人!」
「ゆえ、わたくしは皆様に彼の者の速やかな捕縛か……いっそ殺害をお願いしたいのです」
招待の理由。
人選の意図。
精霊女王は溜め息が出そうなほど美しい顔で言った。
華やぐ笑顔だった。
「残念ながら、わたくしたちは精霊圏を出て行動できません。獣神圏もまた同じです」
「均衡を保つ太古の盟約! 問題解決のため禁を破る覚悟に迫られましたが! ええ、ええ! 皆様がいらっしゃった!」
「いらっしゃったって……」
精霊たちは恐らく、かなり前からこちらの事情や動向を察知していたのだろう。
問題解決のため、自分たちの手でリュディガーを始末することも考えたが、太古の盟約を破った場合の何らかのリスクを許容できず。
好都合にも自分たちからリュディガーを追ってきた俺たちに、白羽の矢を立てたらしい。
「皆様の身の安全は、精霊圏であれば保証しましょう。お望みなら、いくらでももてなします」
「──その代わり!」
『古代圏』
「今や誰も知らぬ名もなき王国……〈崩落の轟〉直後、哀れにもわたくしらと同じく故郷を失い、この地に流れ着くしかなかった『正史』の国遺跡を利用して」
リュディガー・シモンはそこにいる。
「協力のための利害は、ね?」
「一致したものと考えますぞ……!」
……要は、体のいい手駒になれと精霊らは言っているらしかった。
────────────
tips:精霊圏
精霊女王を柱とした〈
五大元素の精神霊と、化け物の集合的無意識から生まれた妖気精が多数棲息。
──
──
──
──
第一級の〈領域〉である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます