#169「ディーネ=ユリシス」



 既視感。

 圧倒的な既視感。

 泉から伸び始めた液状の樹。

 流れる水が植物のカタチを取り、本来は無定形であるはずのところを、水音を響かせ成長していく異常。

 俺はそんな光景を、前にも見たコトがあった。


(ノエラ……!)


 城塞都市リンデン。

 銀冬菩提樹と丸酸塊の森。

 迷い家に棲まう樹界人ドルイディアン

 半地精の異種族。

 彼女の精神世界で、俺は幾度となく同じモノを目にした。


(ってコトは、壮麗大地テラ・メエリタが故郷だったのかよ──!)


 リンクした真実に目を見開く。

 そうしている間にも、泉の水はどんどん湧き溢れ、広場の四方を環状列石クロムレックすら越えて埋めつくしつつあった。


「ウンディーネ……!」

「精霊女王は水精ですか!」

「なんと面妖な……!」


 三人も驚愕し、慌てて『樹水』を避ける。

 泉から伸びる液体樹は、もはや千年樹に等しい威容を湛えて庭城を飾っていた。

 と同時に、色とりどりの花々が繚乱に咲き乱れる。

 春の涼風が暖かな木漏れ日を揺らし、足元の花弁が綺麗に風の円舞曲ワルツを楽しむ。


 陽光がカーテンのように広場を照らした。


 地上にいるのに、水中から空の光を見ているようだった。

 ちゃぷり、ちゃぷり。

 キラキラ輝く美しい太陽。

 樹水の中で反射して、折れ曲がっては降り注ぐ〝木漏れ日〟は、その概念をもはや新しく上書きしている。

 思わず見惚れ、幻想的な光景に感動した。


「はじめまして」

「!」


 すると、いつの間に現れたのか。

 泉の中央から二股に幹を伸ばした大樹が生えていて、その真ん中に女性が腰掛けていた。


 美しい女性だった。


 歳の頃はニンゲン基準で、二十代の半ばか後半に見える。

 ノースリーブで胸元が大胆に開いた青黒いドレスを着ていて、露出した素肌は清らかな白。

 顔はやや面長で、誰が見ても美人だと思うだろう。

 深い水底の闇のような黒髪は、艶やかで繊細でひどく軽やかに見えた。


 と、そこまでなら抜群のプロポーションを持った美女で終わるが。


 女性の背中には、もちろん異形の証。

 花のように咲いた六枚翅が生えていて、ミヤマカラスアゲハやエレクトラモルフォ。

 ドレスと同じ青黒の蝶の翅が、天女の羽衣のごとく揺れていた。

 翅は水中に揺蕩う美魚の鰭のようでもあり、鱗粉の代わりに〝びいだま〟みたいな綺麗な水滴を飛ばしている。


 頭には、女王のティアラだろうか?


 枝珊瑚えださんごのような、あるいは日向水木ヒュウガミズキの芽枝のような。

 こちらも青黒の、見事な造形の宝冠を被っていた。


 全体的に、ひどく隔絶した美々しさを感じる。


 女性はまるで、一人だけ水中にでもいるみたいに妖艶であり。

 ドレスの波打ちラッフルは、本当に寄せては返す波のようだ。

 その美しさに、俺たちは誰もが言葉を失った。


「もし? もし? 聞こえておりますか? 言葉は通じているかしら?」

「ご安心を女王! お客人は女王の美しさに息を飲んでいるのです! 今日も大変お美しゅうございますれば!」

「……まぁ」


 ほぅ、と。

 困ったように息を吐き、片手を頬に添えて困り眉。

 一挙手一投足が、とても穏やかで視線を吸い込んだ。

 この際だから言ってしまおう。


 絶世の美、沈魚落雁の化身がここにいる……!


 気づいた時には、全員がザッ! と片膝を着いて単跪礼を取っていた。

 強すぎる美、深すぎる美は、人間の精神に無意識下での降伏感情を沸き上がらせる。

 フェリシアですら一瞬だったのだ。

 性別の垣根などなく、精霊女王は誰をも圧倒する魅力を秘めていた。

 それでも、


「っ……失礼しました。お初にお目にかかります。私はメランズール・ラズワルド・アダマス」

「ゼノギア・チェーザレ」

「フェリシア・オウルロッドです」

「……カプリと申します」

「ああ──よかった。会話に支障は無さそうですね? 男爵」

「ハ! 前提条件はクリアでしょう!」

「……なら、わたくしも久方ぶりに名乗りましょうか」


 


「歓迎いたします……北方からの旅の方」


 精霊女王──ディーネ=ユリシスは言った。


(名前が、あるのか──!)


 大魔の忌み名や、あからさまな異称ではない。

 個としての名前。

 どうやら精霊女王には、きちんとした固有名があるらしい。

 精神霊は集合的無意識の結晶のようなモノ。

 元が集合体である以上、精霊にはコレといった固有名を持つ習性が無いのが常識なのだが。

 目の前の水精は〝一個としての自我〟を、完全に確立しているようだった。


(つまり、薔薇男爵ですら比べ物にならない存在規模イデア・スケールの持ち主……!)


 第一級の〈領域レルム〉の中核。

 神話で云えば、主神に等しい存在だと確信が走る。

 緊張の汗が、ブワッ! と吹き出した。

 魔女化を抑圧されている感覚は無いが、その気になれば何時でもディーネ=ユリシスは白嶺の魔女ベアトリクスを制限できる。

 それだけの差がある。


 最厄地。

 永遠の禁足地。

 世界三大禁忌の一。


 〝壮麗大地テラ・メエリタ


 上には上がいるのだと、つくづく教えられる。

 ……だが、だからと言って延々に縮こまってなどいられない。

 フェリシアもゼノギアもカプリも、俺と違って単なる人間であるのに耐えている。

 だから息を吸って吐いて、呼吸を落ち着けて顔を上げた。


「……あら」

「ほう?」

「女王陛下……いえ、女王とお呼びしても?」

「ディーネか、ユリシスで構いませんよ」

「では、ユリシス様」


 恐らくは姓に当たるだろう方を呼んで、精霊の女王に質問する。


「私たちは、そちらの薔薇男爵に招待されここへ来ました。

 しかし、男爵は自身を私たちの出迎えだと言い、詳しい招待の理由については、ユリシス様から説明されると伺っています」

「……そうですね。あまり時間をかけても、双方にとって損にしかなりません。単刀直入ではありますが、本題に入らせていただきましょうか」


 ディーネ=ユリシスは一泊の呼吸を挟んだ。


「率直に言えば、皆様の探し人である灰色の魔術師は、壮麗大地テラ・メエリタにおります。わたくしは皆様に、彼の者を一刻も早く連れ帰って貰いたいのです」

「やはり、そうでしたか」

「あら、察していらしたので?」

「リュディガー・シモンの名を聞き、〝約束されし滅び〟が壮麗大地テラ・メエリタにあると分かった時点で、推測はしていました──ただ」

「ただ?」

「その前に確認させてください。第四の眷属、精霊と妖精。貴方がたはどうして我々の事情を把握していて、見透かしたような言動を取れるんですか?」


 情報の出処について、ある程度察しながらもそこだけはハッキリ教えて欲しいと告げる。

 俺だけじゃなく、三人も同様に頷いた。

 すると、


「男爵」

「簡単な話です! 精霊とは何か! 世界とは何か! こうしている今だって届いておりますとも! 心は! 常に! ひとつ!」

「……つまり、精霊には隠し事ができない……?」


 無数の精神の凝結であるエレメンタルには、心のありようがダイレクトに伝わっている。

 だから初対面にもかかわらず見透かしたような言動が可能で──というか実際に見透かしていて。

 心あるモノは皆すべて、精霊の目と耳を誤魔化せない。

 要はそういう話なのか。


「……困りましたね」


 ゼノギアが目を細めて、無表情になる。

 カプリもまた張り詰めた顔で唇を引き結んだ。

 謎めいた素性。

 他者に知られたくない秘密。

 人間ならば誰もが多かれ少なかれ黙っておきたい過去を持つのに、精霊との接触は何を理由に迂闊な一言を放り出されるか分からない。


(フェリシアは……秘密が無いワケじゃなさそうだけど)


 赤くなったり青くなったり、「えー! どうしよう〜!」的な感じで目を泳がせているから、あまり重たい事情は背負っていないのか。

 四人のうち三人。

 男たちばかり、悲愴で沈鬱な顔になっていた。

 もっとも、俺は壮麗大地テラ・メエリタに転移して、薔薇男爵と邂逅した時点で諦めているのだが。


(カプリさんにバレるのは、もう時間の問題だ……)


 本当は時が来たらサポート係をやめてもらって、良さげなところで別れてもらうつもりだった。

 けど、これはもう覚悟を決めて秘密を打ち明けるしかない。

 白嶺の魔女のチカラを隠したままでは、どうにもならない存在が壮麗大地テラ・メエリタにはいる。

 ならせめて、誠意として自分の口から話しておくべきだった。

 ディーネ=ユリシスとの対話が終われば、すぐにでもカプリと話をしよう。


「ありがとうございます。そちらの話の根拠は分かりました」

「そう。では、来訪者である皆様のために、状況を共有します。壮麗大地テラ・メエリタの現状を知っていただくには、まず〝四竦み〟について理解していただきましょう」


 壮麗大地テラ・メエリタには大きく分けて、四つの〈領域レルム〉があります。

 精霊女王ディーネ=ユリシスは、吐息混じりに語り出した。




────────────

tips:樹水


 樹木に含まれる水分を樹水と呼んだりするが、壮麗大地テラ・メエリタでは『樹水=精霊女王の異界景色』という常識が強い。

 樹のカタチをした水。

 泉から湧き溢れ、水音を響かせながら成長せる液状の千年樹。

 樹水が触れた通り道には花が咲き乱れ、緑が喜びに染まり。

 女王の庭城はこれにより完成する。

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