#166「東方大陸」



 暖かな春のきらめきと、さんざめく陽の光。

 爽やかな夏の草木や、精一杯に生命いのちを謳歌する鳥と獣たちの歌声。


 はじめに言っておく。


 詩人の唄う星の神秘。

 人々に恵をもたらす優しい緑は、この地にて

 ぬくもりと実りを告げる太陽。

 一年を通じてほとんど変わらぬ穏やかな小春日和。

 季節の中で最も長いのは、春夏秋冬の『春』に他ならず。


 けれど、東方大陸──フォルマルハウト。


 雨風と春の爽快、花薫る碧緑の大地。

 この地で生きるということは、それだけでもう立派なひとつの戦いだ。

 不用意な旅人や、愚かな迷いびとは、フォルマルハウトの咽せ返すほどの〝緑気〟と、そこで活動する数多の生命によって、遠からず己の運命を知るだろう。

 さらされた骸は土に埋もれて、瞬く間に地竜か何かの糧となる。

 通りすがりの誰かに見つけてもらい、供養してもらえるなんて期待は絵空事に近い。


 フォルマルハウトは広大で、また、生命の脈動が色濃い大陸である。


 身の丈を優に越えて育つ草叢。

 行手を惑わす迷いの森。

 茂みに潜む奇々怪々な蟲類。

 植物に覆われた濃闇の森の中は、まさに太古から変わらぬ原初の野生の掟ワイルドルールで覆われている。

 知らないうちに猛獣の縄張りに入り込んで、あっ! と気がついた時には喉笛を噛み切られている常在戦場。


 春と云えば、誰もが穏やかで憩いのある景色を想像するだろう。


 だが、ここではあまりに春が濃すぎるゆえに、生きとし生けるもの全てが〝己が生〟に貪欲だ。


 自然に恵まれた碧緑の大地は、豊富な資源と数多の生命を許容したが。

 ゆえにこそ、彼らの生存競争をも激化させた。


 今や東方大陸の人界に、残されているのは指折り数える国ばかり。


 〈中つ海〉に面した巨大な冊封──西海岸から中央東部まで非常に広大な版図を持つ超人の国。

 鳳凰信仰を自分たちの文化の根底に据えた大帝国──鳳国、またの名を鳳帝国。


 東方大陸の人界南東。

 鳳帝国とは人跡未踏の山脈を隔てて位置する汎霊説アニミズム国家。

 葵の紋様を掲げた国主によって統治される葦原の地──またの名を葵ノ国。


 そして、忘れてはならない──


 

 この大陸の人界を大いに狭めている原因にして、〈崩落の轟〉以来、およそ六千年の時が経ようとも、未だに神代の法則ルールを残していると囁かれる永遠の禁足地がある。

 そこは〈目録〉の最初のページで、いの一番に警鐘される〝最厄地〟であり、世界三大禁忌が一つ。


 最果ての樹海──『壮麗大地テラ・メエリタ


 彼の地は開拓不能、開墾不能。

 ましてや開闢など、とても不可能。


 鬱蒼と生い茂った深き緑。


 深山幽谷、山門異界、嵐影湖光、柳緑花紅の体現。

 見渡す限りの大自然は、もはや緑色の濃闇、野生の掟ワイルドルールの地獄。

 吸えば毒にすらなり得る星の息で満たされ、もはや同じ世界と考える方が馬鹿馬鹿しい混沌カオスである。


 何より、壮麗大地テラ・メエリタには棲んでいると云う。


 森羅を統べし獣神の王。

 宙より舞い降りたる第四の眷属。

 約束されし滅び。


 そんなモノたちが、息を潜めずに跳梁跋扈。


 ゆえに、東方大陸フォルマルハウトへ訪れし旅人たちは、ゆめゆめ最厄地に足など運ぼうと考えるな。

 これは警告に非ず。

 命令に非ず。

 ただ当然の延命であるがゆえに、生者の義務を全うせよ。


「もっとも、わざわざこんな碑文なんか残さなくたって、自分から命を捨てようとする阿呆なんざ世界中の何処にもいないと思うけどね!」

「そうだな。でも、これは良い物だよ。案内してくれて助かった。これは礼だ」

「わぁ、知らない国のお金だけど、こんなに? 旅人さんには親切にするもんだね! それじゃあね!」


 と、去っていく無邪気な猪人ししびとの子どもに手を振りながら、「さて」と仲間たちに振り返る。

 現在地は東方大陸に着いて最初の町。

 巨人艦トーリー号は未だ波止場に停泊中。

 俺たちはついに東方大陸に足を下ろしたが、最初に目にしたのは町の中で大きく聳え立った大剣型の碑文だった。


「はじめはあまりの大きさに、巨人の武器かと思いましたが……」

「違いましたな。これは恐らく、我々のような外からの来訪者に向けて設置されたのたでしょう」

「まだ比較的、新しそうですもんね」


 ゼノギア、カプリ、フェリシアが思い思いに碑文を見上げる。


「大剣型っていうのも、目を引くには気の利いたデザインだ」

「警告に非ずって言っときながら、中身は完全に警告ですしな」

「わざわざ大剣──いえ、処刑刀に似せて作っているのは、少々暗喩が過ぎるのでは? とも思いますが」

「つまりそれだけ、『壮麗大地テラ・メエリタ』なる地への畏れが強いのでしょう」


 無理もない。

 〈目録〉に記される世界三大禁忌の一つだ。

 永遠の禁足地に指定され、厄ネタ大図書館から〝最も厄い〟と太鼓判を押された場所に、マトモな人々は近づこうなどとは思わない。


 目に見えた地獄。


 自分から落ちようとするのは、よほどの倒錯者か自殺志願者に限られるはずだ。

 だが、少し気になる一文はあった。


「──約束されし滅び、か」

「……先輩。これってひょっとして、いきなりの手掛かりだったりしませんか?」

「タハハ……だとしたら、到着して早々かなり嫌な可能性が浮上して来ましたね」

「なるほどなるほど。大罪人、リュディガー・シモンなる男。もしかすると、そやつは禁忌を破って最厄地へ侵入しているかもしれませんか」

「鬱」


 眉間にシワが寄るのは、避けられない推測だった。

 とはいえ、トライミッド連合王国でリュディガーってテロリストが最後に言い残した言葉。

 東の果てにて滅びを呼び覚ます云々を聞いて、嫌な予感がしていなかったワケではない。 


(〈目録〉を知っていれば、東方大陸フォルマルハウトに『壮麗大地テラ・メエリタ』があるのは常識だし)


 滅びというフレーズから、なにか厄っぽい展開が待っているのでは? と想像するのはひどく容易だった。


「……まぁ、まだ確定じゃないですから、差し当たっては大きな町を目指しましょう」

「人探しのセオリーは、人の集まる場所での情報収集からですもんね」

「ですが、我々は完全な外国人です。東方大陸フォルマルハウトに土地勘はありませんよ?」

「おっとっと。神父殿、お忘れですか?」

「? 何がです?」

「こういう時こそ、ワタクシの出番ですとも」


 自信満々なカプリの発言に、ゼノギアは「はい?」と間の抜けな声を上げた。

 するとカプリは、


「折衝。交渉。具体的には親切な現地人の見繕い方から、適正価格でのガイド雇用まで。腕が鳴ります。すべてすべて、ワタクシにお任せください」

「あ、ああ。カプリさんはそういうのが得意なんでしたか」

「はい。思えば神父殿には、船医室に清涼な花束を届けるぐらいでしか、ワタクシの能力をお見せできていなかったでしたね。なので是非とも、ここは大船に乗ったつもりでお任せいただければ」

「は、はぁ。それはたしかに……?」


 戸惑うゼノギアに、俺とフェリシアはやや微笑した。

 船酔いで余裕のなかったゼノギアには実感が無いのかもしれないが、カプリのそういった能力についてはかなり信頼を寄せていい。


 土地勘が無いとはいえ、全世界共通語エルノス語自体はどの超大陸でも通用するし、方言や訛りがキツすぎなければ言語の壁は問題ない。


 カプリはきっと、巧みな話術で俺たちを大きな町まで導いてくれるはずだ。


 俺とフェリシアが口を挟まないからだろう。


 ゼノギアも異論は挟まず、いったんこの場はカプリに任せるコトになった。

 猪人ししびとの子どもがいたくらいだ。

 羊頭人シーピリアンがうろついていても、町の住民は特に怪しまない。


 というか、そもそもトライミッドからの貿易船を受け入れているくらいだ。


 物珍しいモノがあるのは当然で、町の人たちはダークエルフにも忌避の視線を寄越さない。

 ダークエルフ自体を知らない感じの様子はあるが、見慣れない異種族が来訪するのには慣れているんだろう。

 町の景観はどことなく、東南アジアっぽい風情が漂う。

 住民の来ている服は民族衣装っぽい。

 ただ、町の一番大きい建物の上には、不死鳥を模したような旗が掲げられていた。


 察するに、アレは凰帝国とやらの支配を意味する旗だろう。


 冊封制らしく、各領地の自治は皇帝からじきじきに官爵を与えられた貴士族が行っているようだが。

 とはいえ、さすがに領土が広すぎるのか、この辺りは辺境も辺境なため、かなり緩い統治がなされているみたいだった。

 海を渡った実感が湧いてくる。


 と、だいたい五分ほどカプリを待ったところで、


「お待たせしました。目当ての情報は手に入れて来ましたぞ」

「噓、カプリさんの仕事早すぎ……?」

「ハッハッハ。残念ながらガイド役の雇用は無理でしたが」

「それでも、充分すぎますね」


 フェリシアが「さすがカプリさん。凄いです!」と純粋にカプリを褒める。

 一方で、ゼノギアはおどけた様子を装いつつ、目の奥でドン引きしていた。

 俺もどちらかというと、ゼノギア寄りの心情である。

 ただ、ゼノギアと違って船での免疫があるので驚きは少ない。

 ポロロン。

 リュートハープの胸を張ったような音色。


「それで、ここからだとどのくらいで大きな町に?」

「徒歩でおよそ五日間。荷馬車でおよそ三日の距離にバイゲンという宿場町があるそうです」

「なるほど」

「ただ、その宿場町自体はここよりも少し大きいくらいの規模らしいので、本命はさらに先、ゴウロンなる都市になるだろうと言われました」

「ま、そうですよね」


 海岸の町から直通で大都市に行けるなど、滅多にない話だ。


「じゃあ、まずはバイゲンを経由して……」

「その先にあるゴウロンって都市を目指しましょうか」

「移動手段はどうしますか?」

「追っ手がかかってる事実を、大罪人は知らないはずですね」

「それに、船旅のおかげで四ヶ月以上の放置期間もあります。今さら急いだって、状況は大して変わらない」

「では、路銀を節約し徒歩カチというコトで?」

「ええ」

「なに。海上に比べれば、陸の旅は楽園も同然ですよ」


 ゼノギアの冗談。

 思わず、皆が苦笑いを顔に刻みかける。


 その瞬間だった。






「──ほほう!? では吾輩、皆様を遠慮なく招待させていただいてもよろしいのですな!? 素晴らしい! ご機嫌よう命儚き醜き人間ども! ようこそと歓迎しましょう! ようこそ『壮麗大地テラ・メエリタ』へッッ!!!!」

「「「「ッ!!??」」」」






 世界が一瞬で、緑に染まった。



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tips:東方大陸


 花薫る碧緑の大地、フォルマルハウト。

 東西南北の東、〈渾天儀世界〉に存在する四つの超大陸の内のひとつ。

 気候と植生、自然環境については、地球における森林環境すべてを網羅していると思って良い。

 豊かな自然に犇めく! 蠢く! 生命の躍動!

 見果てぬ極東には、〈目録〉によって永遠の禁足地に指定された最厄地『壮麗大地テラ・メエリタ』が存在する。

 というか、人界以外はすべて樹界である。

 ここで生活するエルノスの三種族はニンゲンが大半で、大国はニンゲンによって作られている。

 それ以外の種族は、少数部族的な獣頭の亜人か、森に隠れ住むジャガーマンなどの怪人類ばかり。

 人は云う。

 「東方大陸には人外の方が多い──」

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