#165「風の精霊とセイレーン」
新年が来た! 年が明けた!
渾天儀暦6028年1月1日!
三つ目の〈大海のポータル〉に、俺たちは来た!
「アレを抜けると、いよいよ
「これまで同様、ただでは通れなさそうですね」
フェリシアの声には微かな緊張が籠っていた。
少女の視線の先には、三つ目にして最後の〈大海のポータル〉
しかし、何度目の当たりにしようと、その圧巻は変わらない。
物理法則を無視し、重力にすら逆らい、まるでナイアガラの滝のような轟音と共にトンネルを維持する海嘯のゲート。
古代から開きっぱなしだと云う異界の門扉は、一切の迫力を損なうコトなく今回も開門されている。
ただし、その前方に望むのは、これもまたお約束じみて来た通行の際の問題点。
魔物、
魚竜、
これらが半ば、門番のような役割を備えていた障害物なら、三つ目のそれも同じくゲートキーパーじみていた。
人肉を求め、岩礁から妖しい歌声を響かす二股尾の人魚、セイレーン。
そして、そんな神話の怪物を棲まわせているのは、何故か空中に浮いている小さな岩島。
岩島は三つの瘤山状になっていて、ポータルのトンネル内で水流の通路に囲まれていた。
ウォータースライダーの水だけが、周囲を流れていると表現すれば的確だろうか。
セイレーンの姿は顔と胴体だけはニンゲンの女性である。
だが、両腕は鳥の翼で下半身は二股に分かれた魚だった。
大きさはザッと、六メートルくらいに見える。
歌声は妖しく、聴く者の精神を強制的にボヤけた状態に引き込む催眠術性がある。
マトモに聞いてしまえば、自分からセイレーンのもとに向かいかねない。
海に飛び込むのは当然、自殺行為だ。
そのため、巨人たちも対抗手段は準備していた。
ドン!
ドドン!
ドン!
ドドン!
太鼓の音。
それと、
“ヨー、ホー……!”
“ヨー、ホー……!”
“すべての船乗りよ 帆を掲げよ……!”
“すべての船乗りよ オールを漕げ……!”
“勇者フェルディナンドは 最果てを見た……!”
“海はこれにより 我らのもの……!”
“すべての船乗りよ 帆を掲げよ……!”
“すべての船乗りよ オールを漕げ……!”
“〈
“胸を焦がす海への憧れ……!”
“勇者フェルディナンドは 最果てを見た……!”
勇気の詩。
声を張り上げて歌を歌い、楽器を鳴らしてセイレーンからの攻撃を掻き消す。
岩島がトンネル内の真ん中、空中に浮いている以上、トンネルの壁──波上──を走らざるを得ない俺たちからは、攻撃が届かない。
通行の間は、ゆえにセイレーンの歌声に必死に張り合うコトで、自分たちの精神を守る戦いが行われる。
岩島とセイレーンは、恐らく〈
セイレーンは翼を持つが、飛行する能力は持たない怪物で、その性質から待ち伏せ型の狩りを行う。
妖しい歌声が耳朶を打ちかけるが、巨人たちの歌に集中して何とか意識を保った。
フェリシアも同様の様子だ。
「……っ、私たちも、一緒に歌った方が良いでしょうか?」
「そうだな。可能なら退治しておきたいところだけど、ここですら気を抜くとヤバそうだ」
神話の怪物は神話世界のルールで生きている。
魔力による精神干渉ではないため、魔力循環の技能を持つ刻印騎士でも、危険を覚えたなら耳を抑えるなどして対策は必要だ。
聴覚に優れるダークエルフの耳が、こんな時は恨めしい。
歌声さえなければ、セイレーンなど
「煩わしい歌ですな」
「カプリさん!」
そんな俺たちのもとに、不意にセイレーンの歌が届かなくなった。
何事かと思い振り向けば、カプリが指を回して風を起こしている。
(そうか)
風の精霊から祝福を受けたカプリには、周囲の音を遠退けたたり引き寄せたりする技があった。
船室から現れたカプリは、どうやら俺たちの周辺だけ静音状態になるよう風を手繰ってくれたらしい。
巨人たちは引き続き太鼓を打ち鳴らし、勇気の詩を歌っている様子だったが、今はもうそれすらもくぐもって聞こえた。
「……ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。これもサポート係の務めなれば」
ポロロン。
吟遊詩人は軽妙にリュートハープを鳴らす。
「カプリさん。船員の皆さんには、今のは?」
「さすがに数と範囲が大きすぎますな」
「そうですか……いや、でも、充分にありがたいです」
精霊の祝福。
五大の元素によって種類や内実は異なると云うが、カプリの
少なくとも、俺の死界の王の加護とは、比べ物にならない使い勝手の良さ。
これなら、セイレーンの歌声に気を取られるコト無く、迎撃ができる。
「さて……このままやり過ごしてさようなら、ってのも選択肢としてはアリだと思うが」
「ダメですよ、先輩!」
「ああ。セイレーンは人肉を食らうからな。巨人たちが毎度、うまく対抗できるとも限らない」
「乗客の中には、己を縛りつけている者もおります」
なら、ここは退治しておくのが、俺たちの為すべき務めだろう。
距離は遠いが、俺もフェリシアも遠距離攻撃の手段はあった。
「陽動は任せていいか?」
「はい! “
夜色の翼を持った、森羅道の猛禽がおよそ十羽ほど、少女の杖先に向かって船を飛翔する。
岩島のセイレーンは、近づいて来る夜梟にまだ気が付かない。
だが、十羽の鳴き声と羽ばたきは、すぐにセイレーンのもとに辿り着くだろう。
俺はその間、先日と同じ弩砲を創造する。
竜種に通じた一撃、セイレーン程度当たれば粉微塵に違いない。
問題は当たるかだが。
「今です! 先輩!」
フェリシアの生み出した夜梟からの引っ掻きを嫌がり、セイレーンは岩島の端に移動した。
気を取られ、完全に隙を生んでいる。
──勝機。
「“
巨人の銛を番えた弩砲が、火を噴いて鋼鉄を射出した。
セイレーンが危険に気がつき、慌てて避けようとする。
しかし、夜梟がそこでセイレーンの目を引き裂いたのだろう。
顔を庇って動きを止めた怪物に、銛は深深と貫通した。
吹き飛ぶ上半身の右。
神話の怪物は最後は断末魔さえ上げず、霞となって消滅する。
岩島もまた同時に霧散した。
(……イメージしてるのが、アルマンドさんの弩砲だからだろうな)
ハズレずに当たったのは、老騎士の魔法がそれだけ鮮烈だったからである。
俺の腕では水鳥さえ仕留められない。
魔法は自我から垂れ落ちた一雫の存在証明。
つくづく、出会ってきたモノに恵まれた人生だと感じる。
「やった! やりましたね、先輩!」
「ああ。フェリシアも、やったな」
「えへへ」
飛び跳ねるようにフェリシアは喜ぶ。
カプリが後ろから、「素晴らしいものを見させていだきました」と再度リュートハープを鳴らした。
そのタイミングに合わせ、周囲の音が一斉に戻ってくる。
巨人たちは一心不乱なのか、セイレーンがいなくなったのにも気が付かず、まだ太鼓と詩に集中していた。
「ポータルを抜けますな」
「これが、最後なんですね……」
螺旋を描く帆走、スパイラル・セーリングが終わる。
途端、空から射し込む太陽の明かりは百倍になった。
否、そう錯覚するほどの眩しさが海に満ちていく。
巨人たちもそこで、ようやく危険からの脱却を察知した。
「ここからはもう、
「と言っても、残り数日は航海が続きますが」
「時間の問題でしょう」
「ですな。それでは、ワタクシはここで」
緑衣を翻し、カプリは船室に戻っていく。
去り際、俺にだけ伝わる意味深な視線を残し。
もちろん、言いたいコトは分かっている。
(けど)
フェリシアへの疑念は、カプリの物であって俺の物じゃない。
カプリ自身が言っていた通り、時間と年齢の矛盾はカプリ自身の単なる記憶違いかもしれないし。
あるいは、たまたま似たような文化を持った村が他にもあって、そこと勘違いしているだけかもしれない。
梟の意匠の杖は、たしかに独特と言われればそうかもだが、唯一無二かと言われると断言はできないものだ。
なので、俺はフェリシアについて、あくまでもこれまでと変わらず、自分の目で見たものを信じるコトにした。
「? 私の顔に、なにかついてますか?」
「いいや? いつも通り、安心する顔だ」
「──え!? そ、それって……先輩!?」
「んじゃ、俺も船室に戻るかな」
「あ、ちょっとっ!?」
慌てる少女の純心は嘘には見えない。
本人の気質や勇気だって好ましいものだ。
たとえフェリシアが、俺たちに何かしらの嘘をついているのだとしても、だから何だ?
(フェリシアは俺の秘密を知っても、何も変わらなかった)
なら、俺もまた少女のありのままを、受け入れる準備をしておくべきだろう。
それが悪いものなのか、善いものなのかはさておいて。
どちらにしても、フェリシアはフェリシアであると言ってやるのが、
(少なくとも、俺はそう思うよ)
──渾天儀暦6028年1月10日。
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tips:精霊の祝福(風)
風の精霊から祝福を授かったモノは、風にまつわる特殊能力を得る。
カプリの場合、それは〝風に乗る〟音声の集音や排音のようだ。
本人の口ぶりからだと、普段は集音がデフォルトであるらしいが、だとすれば彼の日常生活とは喧騒に満ち満ちたものかもしれない。
吟遊詩人は何を想い、その道を選んだのか。
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