#164「カプリの疑問」



 暇な航海が続いている。

 海賊島ガルドゥーガを出港してから、巨人艦トーリー号は穏やかな旅に戻った。

 結局、殺してしまった海賊たちについては、正当防衛ということで話が済み。

 巨人たちは曖昧な顔で「遅かれ早かれ、結果は同じだったでしょう。やっちまったものはしょうがないですね」と火葬だけは行い、あの島を背にした。

 あれから、一週間以上の時が海上で経過している。


 渾天儀暦6027年18月2日。


 天気は曇り。湿気はかなり。

 今日はここ数日と同じく、非常に退屈な海だった。

 船旅も三ヶ月目に突入すると、暇な時は本当に暇である。

 天気が落ち着いていれば、景色は変わり映えのしない一面の海原だし、デッキで外の空気を吸おうにも、潮風には飽き飽きしている。

 三番目の〈大海のポータル〉に着くまでは、何もやるコトが無かった。


(なのに、次の〈大海のポータル〉に着くのは、一ヶ月後だってんだもんなぁ)


 三叉槍の入り江トライデント・ハーバーから東方大陸までの所要期間。

 最初に聞いた時は、四ヶ月とか短すぎるだろと思ったものだが。

 こうして波に揺られる生活を続けていると、なんだかんだで長く感じてくる。

 旅の本番はまだこれからだというのに、北方大陸グランシャリオでの生活が恋しいと思えた。

 リンデンでティバキンに指示され、木を伐り倒していたのが懐かしい。

 薪割りとかしたい。


(“樹木アルボス”を唱えれば、木は生やせられるけど)


 わざわざ伐採するためだけに魔力を消費するのは、バカの所業だ。

 やっているコトも、側から見たら自分で穴を掘って自分で穴を埋めているみたいな、意味不明だろうし。

 何の徒刑? って思われてしまう。

 退屈は人を殺す病だとは云うが、さすがにそこまで薪割りジャンキーでもない。

 東方大陸には樹海が豊富だそうだから、そのへんは着いてからの楽しみにしておこう。


(ノエラは元気にしてるだろうか……)


 と、船室のハンモックに揺られながら、天井の木目を数えるなどして時間を潰す。

 すると、コンコン。

 不意にノックが扉を叩く。「メラン殿、カプリでございます」


「カプリさんか」


 ハンモックから降り、俺は「どうぞ」とドアを開けた。

 訪問者は白毛と緑衣の吟遊詩人。

 風の精霊の祝福を持つ羊頭人シーピリアンは、いつもと同じようにゆったりした動作で一礼した。

 部屋に招き入れ、椅子を示す。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

「それで、どうしました?」


 用を尋ねると、カプリはピン、とリュートハープの弦を弾いた。

 これは最近になって分かったコトだが、カプリは自分の楽器を何かとイジるクセがある。

 吟遊詩人ゆえの職業病か、その時々の感情を音で表現してしまうようだ。

 少しだけ子どもじみたクセだとも思うが、孤独な一人旅が多いと人間は得てしてこういうクセを育てる。

 俺も恐らく、自分では気づいていないだけで、何かしらのクセがあるはずだ。


「さて、メラン殿。ワタクシが貴方がたの旅に加わり、そこそこの月日が経ちました」

「はい。そうですね」

「貴方がたの旅の目的、背景については、すでにあらましを共有いただいておりますが、今日は解せぬ点について問わせていただいても、よろしいでしょうか?」

「解せない点? カプリさんに説明していないコトって、何かありましたっけ」

「肝心なコトがひとつ」


 ポロロロン。

 カプリは爪引き訊ねた。


「貴方がたの旅の目的は、連合王国から依頼された大罪人の捕縛」

「ええ」

「ですが、そもそも何故、大罪人が東方大陸に逃げたと?」

「ん?」

「ワタクシたちはこうして、連合王国の船で東方大陸を目指しておりますが、ワタクシ寡聞にして聞かないのです。それとも、北方大陸グランシャリオには他にも東方大陸への航路を拓いた国が?」

「ああ。リュディガー・シモンがどうやって東方大陸に行ったのか、そこが疑問なんですね」

「はい」


 テノールが神妙に頷く。

 そういえば、たしかにそこについてはこれまで触れて来なかったかもしれない。

 刻印騎士団団長、アムニブス・イラ・グラディウスと戦って逃れた大魔術師なら、そのくらい簡単にやるだろうという先入観もあった。

 しかし、俺が持っている魔術師への知識やイメージが、他人にも共通しているとは限らない。

 カプリは特に、連合王国の王や宰相から直接経緯を聞いたワケでもないからな。


「カプリさんは異界渡りの魔術って、ご存知ですか?」

「異界渡り?」

「はい。魔物が使う異界の門扉と同じようなもので、魔術師が編み出した長距離移動魔術です」

「……つまり、大罪人はその魔術を使って東方大陸に逃げたと? 思い出してきましたが、たしかそれは人間には何かしらの代償が必要だったはずでは」

「代償覚悟で逃げたんでしょうね」

「なるほど。では、行き先が東方大陸だと分かっているのは?」

「本人自身が、異界渡りを使う前にそう言い捨てたみたいです」


 曰く──〝必ずや東の果てにて滅びを呼び覚ましてくれる〟と。


「意味深な捨て台詞ですな」

「ともあれ、東の果てと言うからには場所は東方大陸」

「人類文明に対し破壊と混沌を目論む狂人の発言と考えれば、連合王国が追っ手を放つのも無理はない……なるほど。疑問が氷解いたしました」


 カプリはぺこりと頭を下げる。


「しかし、だとすると捜索は困難な道になりそうですな」

「最悪の場合は、異界渡りで行方を眩まされる可能性もありますからね」

「大罪人の目的が東方の地にあるのならば、別の超大陸に逃げられるのは無いと信じたいですが」

「そもそも超大陸自体が、広大ってのもあります」


 何の道しるべも無しに人間を探すのは、不可能に近い難行だ。

 俺もその点は、どうしたものかなと考えてはいた。

 言っておくが、大陸越えの異界渡りなんて普通は意図的に狙ってできるものじゃない。

 リュディガー・シモンはマジの大魔術師なのだろう。

 四ヶ月以上の行方不明期間もある。

 最悪の場合、俺はベアトリクスの死霊を大動員する必要もあると思っていた。

 とはいえ、カプリさんにはまだ俺の秘密は打ち明けていない。

 ガルドゥーガでは密かに死霊術を使っただけだ。

 察していたのは、フェリシアとゼノギアだけだろう。


「とりあえず、捜索の方法については、東方大陸に実際に着いてから考えましょう。向こうに着いてからでないと、いろいろ分からないコトもあるの思うので」

「そうですな。それはそうです」


 カプリは立ち上がった。

 用件が済んだのだろう。

 どうやら今日の訪問は、本当に疑問を解き明かしたかっただけのようだ。

 俺も立ち上がり、ドアまで見送ろうとする。

 が、カプリは一礼をして退室を辞す前に、


「あ、そういえば」

「ん、何です?」

「メラン殿はフェリシア殿と、恋仲ですか?」

「ブフゥッ!」


 突然ブッコンできた。

 おいおい。藪から棒に、この亜人は何を言ってるんだ?

 文脈も何も無かったぞ。


「ンッンンッ……違いますが?」

「ほう。そうでしたか」

「急に何なんです?」

「いえ、英雄の側に英雄を慕う乙女がいるというのも、歌物語には定番なものでして」

「フェリシアが聞いたら、また揶揄ったんですねって怒り出しますよ?」

「年若い少女から怒られるのは、我ら男にとって得も言われぬ感慨がありましょう?」


 ……一理あるが。


「カプリさん。貴方、本当にいくつなんですか?」

「秘密です」

「少なくとも、オッサンなのは分かりましたが」

「ハッハッハ。まぁ、冗談はこのあたりで」

「冗談て……」


 溜め息が堪え切れない。

 そんな俺に、カプリは「いや、申し訳ありません」と謝意を口にした。


「今のは仮にメラン殿が、もしフェリシア殿とそのような関係であるなら、実は少し注意した方が良いかもしれぬと思ったのです」

「? どういう意味です?」

「フェリシア殿の杖の話。あの意匠は、故郷の村にて智慧の女神をかたどったお守りでもあるそうです」

「らしいですね」


 それが何か?

 訪ねると、カプリは僅かに言い淀みつつ、


「……ワタクシの記憶違いかもしれませんが、あのような梟の意匠を、昔どこぞの片田舎で見た覚えがありまして」

「フェリシアの故郷に、立ち寄った記憶があるってコトですか?」

「分かりません。なにぶん昔の話で……ただ、珍しい意匠だったので記憶には残っていました」


 旅の吟遊詩人は言った。


「アレは三十年、いや四十年は前だったでしょうか」

「はぁ……」


 つまり、カプリの年齢は最低でも五十歳以上で確定。

 羊頭人シーピリアンって寿命長いのかな? と、この時はまだぼんやり思っただけの俺だったが。

 続く発言には、さすがに困惑せざるを得なかった。


「その村はですね……

「……はい?」

「計算が合わないので、たぶんワタクシの記憶違いだとは思うのですがね」


 フェリシア・オウルロッドは、今年まだ十八。


「これがワタクシの記憶違いでなかったとしたら、彼女は本当にただの少女なのでしょうか」


 カプリは矛盾が生じていると、気がかりに疑問した。




────────────

tips:大罪人


 リュディガー・シモン

 人類文明の破壊と混沌を目論むアンチ・カルメンタリスト。

 大魔術師であり、超大陸を跨いでテロ活動を行っている。

 この男が関与したと思われる事件は、西方大陸、北方大陸で多数記録され、現世界宗教であるカルメンタリス教は、彼を大罪人と呼んだ。

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