#167「薔薇の出迎え」
「な──どういう、コトだ……?」
気がついた時には、あまりにも一変だった。
始めに感じたのは嗅覚への刺激。
雨上がりに外へ出かけると、たまに〝雨の匂い〟なんてものを感じると思うが。
それを数十倍にも濃縮して、一気に拡散させたかのようなあまりにも濃密な湿った土の匂い。
そして、次に感じたのは風に乗って薫る独特な青臭さ。
植物の匂い。
根、芽、草、茎、葉、枝、花、果、幹、樹、皮、液、密、腐。
ありとあらゆる〝緑〟から発せられる、とんでもない数の植物臭。
甘やかな香りもあれば、酸っぱいような香りもあり、匂い立つ芳醇と爛熟が眼球──粘膜に染みるかと思うほどの強い臭い。
鼻だけじゃなく、口──舌の味蕾でさえ空気に味を感じかけたと言えば、どれほどの濃さかは分かるだろう。
現実的に考えて、そんなコトがあるはずないのに。
けれど、慌てて辺りを見渡せば、それは当然の現実だった。
「馬鹿な……ここは……!」
「ウソ、あれもこれも皆んな、古代に絶滅したはずなのに……!」
「……熱帯雨林のような植生もあれば、我ら北方の民がよく知る
その他にも、エトセトラエトセトラ。
森は完全に、ある一つの事実を指し示していた。
特に、空気中に揺蕩う蛍火じみた黄緑色の燐光。
地面から立ち上る不可思議な光。
直観が正しければ、これは〈
「樹冠が遠い……樹齢は千年や二千年じゃ足りない……」
「如何にも。これなるは
「……精霊!」
「おっと! さすがに分かりますか!? では、さっそく名乗りましょう! 吾輩の名は『薔薇男爵』! 不出来で不快な不細工肉塊ども! 世はいつにも増して合縁奇縁のお花見日和! お見知り置きを! ええ、どうかお見知り置きを!」
薔薇の異形が、洒脱な伊達男のような身振り手振りで話した。
頭部が薔薇である。
服装こそは真っ黒い
目、鼻、口、皮膚、髪の毛の類いは無く、代わりにあるのはイバラのカラダと真っ赤に咲いた大輪の薔薇だけ。
わずかに露出した襟元や、不自然なまでに細い腰元から、中身が茎やイバラの集合体であると簡単に分かる。
服の内側で蠢く薔薇の根っこ。
肩には裏地がワインレッドのマントを留めていて、胸元には瀟洒なコサージュ(恐らくは本物の薔薇)を挿し、全身から種々の花の香りと一際強いローズのフレグランスを放っていた。
発声器官がどこにあるのか。
理解は難しいが、そんなコトを考えても仕方がない。
目の前の異形は人間でもなければ、生物でもないのだ。
フェリシアが戦慄して悟ったように、コレは間違いなく精霊──『精神霊』で相違ないはず。
なぜなら、
「精霊円……エレメンタル・リング」
「左様。人間の世界でポピュラーなのは妖精円、俗に言うフェアリーリングの方でしょうが、我ら第四の眷属は異界の門扉を使う際に痕跡を残します。あちらとこちら。行って帰って二つの同心円。何故かって? 我らは心の凝結ゆえに!」
俺たちの周囲には、薔薇で作られた大きなエレメンタル・リングが出来ていた。
エレメンタル・リングは隙間が無ければ無いほど、異界の門扉を開いた精霊(もしくは妖精)の格を証明すると云う。
薔薇は一分の隙間もなく、花垣を作るほどに完璧だった。
状況把握は完了。
俺たちは極めて高位の精霊に、問答無用で拉致られたと見て良い。
魔女化の覚悟を決める。
が、
「ああ、哀れなる彷徨の子よ。その必要はございません」
「──なに?」
「吾輩は単なる出迎えです。危害を加えるつもりはありません。御母堂の魔法は大半の地精にとって好ましくないため、冷害寒害は出来ればご遠慮願いたく」
「……」
知っている。
コイツは俺の秘密を、どういうワケだか知っている。
ゼノギアとフェリシアもまた、その事実に気がついた。
ハッとした顔で薔薇男爵を見据え、カプリだけが疑問符を浮かべながらも緊張に腰を落とす。
身を守る術を心得ているというのは、本当らしい。
いつでも逃げられるよう、吟遊詩人は全力疾走の準備を済ませていた。
……逃げる先が、恐らくは何処に言っても
「出迎え……って言ったか?」
「然り。突然の招待に戦々恐々としていらっしゃいますね? ご安心を。ええ、ご安心を。少なくとも此処では、身の安全を保証いたします。歓迎会も開きます。さあ、ついて来てください」
薔薇男爵は背中を向けて歩き出す。
もちろん、そんなすんなりと後を追えるはずはない。
拉致られた理由も不審なら、
出会って五分にも満たない非人間を、どうして信頼できる?
しかも、薔薇男爵が歩き出したのは完全な〝道〟だった。
人跡未踏であるはずの大樹海で、綺麗に舗装された石の畳。
四人で立ち止まって警戒を高めるのは、必然の心理選択だ。
振り返った薔薇男爵は、しかしそれでも言った。
「リュディガー・シモンを、探しているのでしょう?」
「「「「ッ!?」」」」
「さあ、ついて来てください」
どうやら、選択肢は他に無いらしい。
俺たちは罠の可能性を考慮に入れながらも、薔薇男爵の背中を追った。
石畳の道は歩き去った傍から消失し、元々の地面を露出していった。
……理由は分からないが、わざわざ俺たちが歩きやすいように何らかの超常現象を起こしている。
気味が悪い親切心に、緊張感が片時も収まらない。
そうしていくと、石畳はクネクネと曲がり始めた。
薔薇男爵が不意に足を止める。
「コホン。右手をご覧ください!」
「え?」
「あそこに見えまするは、
「っ、デカ──!!??」
フェリシアがキョトンとし、ゼノギアが素っ頓狂に驚愕した。
謎の精霊が突然指し示した木立には、まるで屋久島の屋久杉と見紛うまでに体幹を肥えさせた蛇が紛れていたのだ。
ティタノボアは全長15メートルほどの威容を誇るが、コイツはその二倍、いや三倍はあるかもしれない。
カプリが引き攣った声で狼狽える。
「りゅ、竜蛇の間違いなのでは……?」
「一説にはそうも言われておりますな! あるいは何処ぞの神話生物とも! とはいえ、気性は極めて大人しいため、身構える必要はまったくありません! 人間などエサとして下等! では進みます!」
ミドガルズオルムを放置し、薔薇男爵は再び石畳を歩き始める。
異様な森、太古の森。
突然の観光案内めいた振る舞いに思わず面食らうも、薔薇男爵が足を止めて教えてくれなければ、サイズ感が異なりすぎていてまったく気がつかなかった可能性もあった。
歓迎という先ほどの意思表示に、嘘は無いのかもしれない。
次に薔薇男爵は、小さな湖沼の隣で足を止めた。
湖沼には世界最大のトンボ、メガネウラが飛んでいて、水辺付近の岩には世界最大のヤスデ、アースロプレウラが這っている。
他にも、名の知れない蟲たちが水の恵みを思い思いに満喫している様子だった。
「我らが『精霊圏』の特徴として、ああいった蟲どもが多くいるのも覚えておくと良いでしょう!」
「精霊圏?」
「じきに改めて説明いたします! さぁ、目的地はもうすぐですぞ! 花と緑、童話と詩、雨と神秘の楽園は依然! 偉大なる女王は庭城にてお待ちしております!」
くるくる、くるくる。
ステップ・アンド・ターンで踊り、道案内を続ける薔薇の精霊。
フェリシアが我慢できなかったのか、ボソッと呟いた。
「……なんだか、少しカプリさんに似た雰囲気の精霊ですね」
「ワタクシ、舞台上ならまだしも、素でここまで芝居がかった振る舞いはできませんが……!」
「──え、悔しがってる……?」
吟遊詩人としてのプライドに、何かしら感じ入るものでもあったのか。
カプリは「ぐっ!」と、自分の仕事道具を強く握りしめ悔しげだった。
そうこうしていると、急に開けた空間に出る。
雨垂れの御簾。
霧のヴェール。
境界として一瞬現れたそれらを越えて、視界に広がったのは第一級の〈
脳裏に浮かぶ詩のごとき印象は、すなわち第四の原風景か。
精霊の世界が、そこにあった。
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tips:壮麗大地
テラ・メエリタ。
東方大陸の東側半分を占有する禁足地。
最果ての大樹海。
〈目録〉によって世界三大禁忌の一つと数えられる場所。
古代に絶滅したはずの植物や、怪物に並ぶ動物が棲息。
熱帯雨林のようでもあれば、北の針葉樹林のようでもあり、混沌じみた森林環境を形成している。
しかし、気温は涼しく常に過ごしやすい。
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