#161「フェリシア日記」



 渾天儀暦6027年17月10日。


 私たちが三叉槍の入り江トライデント・ハーバーを出立してから、約二ヶ月の時が経ちました。

 いよいよ〈中つ海〉の旅も後半戦ですね。

 二つ目の〈大海のポータル〉も越えて、巨人艦トーリー号の航海はとても順調です。


 先輩を真似て、こうして密かに日記を書き連ねるのも、もう何回目でしょうか?


 それほど分厚い手記ではないのですが、筆を執るというのは意外と難しくて、後ろのページはまだまだまっさらなままです。

 ですが、どうせ誰に見せるワケでもない個人の日記なのですから、好きなように気の向くままに、日々思ったコトをツラツラ今日も書き綴って行こうと思います。


 最近の船は、すっかり賑やかになりました。


 先輩が魚竜──海から転じた竜を撃退してからというもの、巨人の乗組員さんや船長さん、他の乗客の方々まで、私たちを見る目が変わったからです。


 竜を殺した魔法使い。

 新たなる英雄。


 元々目立つ方ではありましたけど、先輩は一躍、とんでもない人気者になってしまいました。

 特に、あの現場を目撃していた巨人の方々からは、大層な人気ぶりです。


 ダークエルフと巨人は、〈第五円環帯ティタテスカ・リングベルト〉出身の同郷の種族。


 遠い故郷を同じくする仲間であるためか、皆さん先輩の偉業に誇らしさを抱いているようで。

 船に乗ってから、時折りカタコトで、先輩がティタノモンゴット語なる巨人語で会話している姿は散見していましたが、この頃はよりその頻度が増したように思われます。


 とても良いことですね。


 リンデンでは先輩は、様々な事情があって〝一人〟を選んでいましたけど。

 こうして人となりを知られて、凄さも知られて、たくさんの方に囲まれるようになるのは、見ていてなんだか胸がほっこりしてきます。

 当の先輩自身は、知らない他人から急に声をかけられるようになって、やや辟易しつつあるようですが。

 私は先輩が、もっと人気者になってもいいとさえ思いました。


 実際、先輩はとてもすごい方だからです。


 大きくてカッコよくて逞しくて強くて。

 純粋な身体能力。

 白兵戦の技能。

 ダークエルフだからという理由だけでは説明できない、本人の戦闘能力。

 トロールを殺すモノトロルズベインの異名は、紛れもない実力ゆえです。

 他ならぬ私も、先輩がたったひとりで霜の石巨人フロスト・トロールを退治するところは、見たことがあります。

 というか、初対面ではまさに先輩に助け出してもらったのでした。


 最初はものすごく強い戦士さんなのかと。


 でも、先輩は私と同じ魔法使いで、リンデンでは異例の嘱託騎士にまで選ばれていて。

 魔物や怪人、怪物などの脅威とどうやって立ち向かえばいいのか。

 実践的な知識、豊富な経験、錬金術の技さえ持っていて。

 そりゃ、これだけ頼りになるヒトなら、たくさんの方から一目置かれるのも当然だなー、って思っていました。


 〈目録〉に記される伝説の大魔とすら戦える姿を見て、私が『英雄』を感じたのはもっともな話ですよね。


 しかも、とっても良い人なのです。


 時々すごすぎて、うわぁ、って距離を感じちゃうコトはありますけど。

 先輩は自分で思っているより、遙かに人に好かれます。

 青色の瞳や、不気味な紋様、白嶺の魔女という禁忌の力。

 こうして並べると、たしかに複数の問題を抱えてらっしゃいますが。


 先輩に助けられた人は大勢います。


 先輩は守れなかったと、罪の意識に苛まれているかもしれません。

 ですが、強大な力を持っているからと、そんな理由だけで誰かが周りの人の分まで重荷を背負う。

 周囲もまた、それを良しとしてしまう依存体質的な社会は、果たして〝人として〟どうなのでしょうか?


 私は女ですが、刻印騎士団の一員として〝社会が男の人に求める役割〟を知っています。


 いえ、職業として〝戦う者〟を選択した人なら、他にも多くの女性が多かれ少なかれ理解しているでしょう。

 たった一人の『英雄』に依存して、あの人がいるんだからと、何もかもを英雄にやってもらおうとする?


 それは、自立した人間としてとても醜くくて、情けない在り方です。


 弱くても、劣っていても。

 英雄でない人々だって戦える──戦っている。

 一個の人として、戦う意気も権利を備えている。

 先輩もそのあたりについて、理解はしていらっしゃいますね。


 私を頼りになる後輩。


 よく、そんな風に褒めてくださいますし。

 私たちを完全な力不足ではないと認めて、敬意を払ってくださっています。

 八年間も時間があれば、その敬意と信頼はとても深いものだったでしょう。


 なので、今の先輩は少しだけ傲慢かもしれません。


 何もかも背負おうとするのは傲慢ですよね。

 人界の守護者を標榜しているワケでもないのに、ただ力があったからという理由だけで責任を感じ、他者からは色眼鏡で見られる。


 可哀想です。


 月の瞳から聞きましたが、先輩は自分で望んでそういう力を手にしたワケではありません。

 にもかかわらず、先輩は私たちの分まで勝手に背負って戦おうします。


 それは先輩自身の心根が、きっと善良なもので出来ているからなのでしょう。

 ある見方からすれば、英雄の肩書きに相応しいと、誰もが認める高潔さの証でもありますね。


 けど、だからこそ、私はモヤモヤします。


 先輩がご自分を責めているのは、先輩の精神が『英雄』だからではありません。

 彼もまた私たちと同じ『一個の人』だから、リンデンの惨状に心を痛めているんです。


 先輩はそれを、最近は敢えて忘れようとしている気がします。


 いえ、人の在り方が周囲の環境や経験によって育まれるものであれば、これは必然に応じた変化なのかもしれませんが。


 だとしても、私は思います。

 一個の人として、思います。


 先輩がいなければリンデンは滅んでいましたし。

 きっとこれからも〝先輩のおかげで助かった誰か〟は大勢現れるはずです。


 もしかしたら、誰かが言うかもしれません。

 あの日、あの時、あの場にいなかった者が──いいえ。

 先輩の想いも、先輩がこれまで何を見聞きして、何を一番に大切に生きてきたかも理解しようとしない者たちが。

 人ひとりの人生を軽んじる者たちが。


 ただ力があったからと、それだけの理由で「オマエが悪いんだ」──なんて。


 力ある者には責任がつきまとう。

 そんな理屈で、あまつさえ批難の言葉まで口にするかもしれませんが。


 そんな時こそ、私は先輩に思い出して欲しいです。


 だって、先輩にはそもそも、誰かを助ける義務なんて無いんですから。

 先輩の人生に、悪しき大魔と戦って見知らぬ誰かを助けるなんて必要性が、どこにありますか?


 刻印騎士団でも無いのに。


 それでも、先輩は私たちを守る。

 救ってくれて、救われた誰かはたしかに存在して。

 そういう誰かは、必ず先輩の味方になります。


 私だってその一人です。


 一緒に旅をするようになって分かりましたが、私は先輩には幸せになってもらいたいなって思います。

 頑張っている人が辛い目に遭う世界はイヤです。

 良い人が報われない世界は、救いが無いからキライです。

 なので、先輩がご自身の功績を讃えられて、たくさんの方に認めてもらえる姿は、とても良いものだと思いました。


 まだ東方大陸にも到着していない旅の途上ではありますけど、この旅が始まった時のどうしても拭い切れない悲壮感といったものが、最近になってようやく晴れて来た気もしますし。

 最後はいい結果に繋がると、私は信じます。


 ……まぁ、先輩と違って私は、リンデンからまったく成長できていないのですが。


 復活した闇の公子、鯨飲濁流。

 リンデン壊滅の原因、鉄鎖流狼。


 二体の大魔は依然野放しのままで、人界は古代以来、未曾有のピンチに陥っています。

 だというのに、私は師匠から刻印騎士の資格を剥奪されて、見習いからの再スタートです。

 一歩を明確に踏み出した先輩と違って、まさかのマイナス出発です。


 師匠の言いつけを破って、飛行魔法を使ったコト。

 未熟者ゆえの判断ミスで、呆気なく戦闘不能に追い込まれたコト。


 どれも私が悪いので、まったく文句を言えません。

 が、だからこそ再起を誓って先輩について来たのに、今のところまったく成長を感じられていません。

 先輩のように、既知の呪文を自分の中で再構成して、新しい手札を増やせたワケでもありませんし。

 ここまでの旅で私がやったコトと言えば、醜悪魚人グロテスクフィッシュに漁り火を放ったくらいでしょうか。


 小賢しい小手先の技です。

 頭でっかちゆえの取るに足りない工夫です。


 その証拠に、先立っての魚竜退治では、私はカカシのように戦闘を眺めているくらいしかできませんでした。

 エルダース次席卒業なんて、実戦の場では何も役に立ちません。

 いえ、そもそも首席でない時点で、私などタカが知れていたのでしょう。


 アルマンドさんの呪文を、あの場で咄嗟に自分のものにするなんて、先輩は生存本能の化身です。


 私が刻印騎士として再び返り咲く未来は、なんだかとても遠い物に思えてしまいました。

 せめて、私の刻印魔法がもっと使い勝手のいい物であったら、話はまた違ったのでしょうね。

 過去は変えられないので、後悔するだけ無駄な時間ですが。

 得意の動物魔法も、海上ではほとんど使えないので悲しみのフェリシアです。


 このままでは、私はフェリシア・無能・オウルロッドと呼ばれてしまうかも。


 師匠は間違いなく呼ぶ気がします。

 まぁ、あの人は性格がキツイので仕方がありません。

 とはいえ、そんな師匠に正面から吠えて出立して来た手前、この旅で私も何かしらの成長をしなければ。


 差し当たって、鉄鎖流狼との接敵を教訓に、魔法陣の改良などが良いでしょうか?


 魔力循環なんて刻印騎士にとっては、基礎の基礎みたいな技ですけれど。

 強大な〈領域〉は独自の異界法則や異界常識を強制してくるので、干渉を跳ね除けられる簡素インスタント頑丈ハードなフレームを開発できたら、自信を持って自慢できます。

 もっとも、魔法陣に関しては私は、ルカ・クリスタラー支部長のように相性の良い刻印魔法を持っているワケではないので、中途半端な結果になりそうです。

 無色の魔力では、やれることには限界がありますからね。


 なのでここは大人しく、自分の短剣を信じて、刻印の純粋強化に専念しましょう。


 今はただ、焦っても仕方がない時期です。

 経験を積んで、少しでも先輩の役に立てる後輩になります。

 先輩は甘々なので、今のままでも充分に役立っているとおっしゃってくれますが、そんな甘言に甘んじてはいられません。

 東方大陸に着いてからも、先輩の傍で大いに学び、大いに頑張ります。


 頑張りフェリシアです。


 ……。


 なんか、気づいたら先輩について、やたらと書いてしまったような……


 いえ、旅の仲間なので、別に変なコトではないですね。


 ゼノギア神父、カプリさん。

 あのお二人に比べても、先輩がとても目立つ方なのは事実ですし、同じ魔法使いとして共通点が多いのもあります。


 というか、私に比べて皆さん、個性豊かが過ぎるのではないでしょうか?


 ゼノギア神父については、最初は神父さんらしい柔和な方かな、って思っていたのに、生成りという事実や大きな剛弓、ところどころで滲むタダモノじゃない感。

 船酔いで影が薄くなっていますが、絶対にただの神父さんじゃありません。

 吟遊詩人のカプリさんは、もう羊頭人シーピリアンというだけで目を引きます。

 綺麗な低音の歌声と、オシャレなリュートハープがとてもお似合いで良い方だな、とは思っていますが、まだまだミステリアスで底知れない怪しさを感じます。

 あと、どこかで見た記憶があります。どこだったかは思い出せません。


 うーん。


 私の周りにいる男性、ちょっと濃すぎますね。

 男女比率が偏ってきているので、できれば同性のメンバーも欲しいところです。

 大罪人捕縛という危険な旅なので、望み薄でしょうか?

 東方大陸に着いたら、新たな出会いに期待します。


 残り二ヶ月間。


 海上の旅は、もうしばらくだけ続きます。

 船長さんによると、一週間後の寄港地は海賊島だそうです。


 ……大丈夫なんでしょうか?




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tips:刻印魔法Ⅱ


 刻印魔法の発動には、魔力消費が不要である。

 これは、発動に必要な魔力が、すでにチャージされ続けている状態だからである。

 また、印具による攻撃は、それが刻印励起によるものでなくとも、呪文に則した超常現象を常に派生させる。

 例けば、“イグニス”と“ラミナ”の刻印された刃物で何かを切りつけた場合、対象は切り傷と同時に、火傷も負うなどの二種のダメージを受ける。

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