#149「新たな旅の誘い」



「故郷が大魔に襲われたんだぜ? そりゃ俺が来るだろう。何を不思議がってんだ?」

「に、にしても、早すぎるご到着かと……」

「ガッハハハ! ひとりで来たからな! 王都からここまで、ほんのひとっ走りよ。しかしまあ、無念だ。肝心な場面には、間に合わなかったみてぇだからな……」


 英雄は目蓋を下ろすと、しばし黙祷を捧げた。

 そして開眼。


「民には俺から謝ろう。もちろん、オマエたちにも頭を下げる。必要な時に駆けつけられなかった。俺はとんだ無能だ」

「何をおっしゃいますか、グラディウス翁!」

「英雄たる貴方とて、身はひとつだけです!」

「むしろこうして、即座に足を運んでくださっただけでも、リンデンは感謝に堪えません!」


 魔物の暴虐に傷ついた人々の心。

 英雄の存在は、生存者の心を大いに励まし、勇気づける。

 レイノルド・ソーダ、シルバー・スミス、ロゥ・シャンデリオンは、口々に刻印騎士団長を歓迎した。

 中には感極まったのか、涙目になりながら大男と握手を交わしている者も。

 一通りの挨拶が終わり、広間にはようやく落ち着いた空気が舞い戻ってくる。


「それで、ああ、裁判だったか? ウィンター」

「そうですが……」

「悪かった。俺はてっきり、オマエがボウズを死刑にでもするつもりかと、早とちりしちまったんだ。まさか、事実上の無罪判決を言い渡してるところだったとは、思いもしなくてな!」

「む、無罪ではなく、一応、追放刑ですけれどね……」

「んなもん、無罪放免みたいなモンだろ? いやぁ、良かった良かった! 俺もな、最初は白嶺の魔女再臨だってんで、めちゃくちゃヤベェじゃねぇかと思ったんだ。

 けどよ、ここに来る途中、何人かに〝トロルズベイン〟っつぅダークエルフの噂を聞かされてよぉ。ひでぇのなんの!

 アレスってガキなんか、俺よりそいつに憧れてるなんて言うんだぜ? 参ったぜチクショウめ」

「は、はぁ……」


 もはや、伯爵は気の毒なほど威厳を損なわれていた。

 先ほどまでのシリアスな雰囲気が、完全にどこかへ吹き飛んでいる。

 憤怒の英雄、アムニブス・イラ・グラディウス。

 どんな人物かと前々から気にはなっていたが、なんという凄まじさ。

 全身から〝陽〟の気が、太陽みたくピカピカしていてハンパない。

 若干、ノンデリカシーとか無神経とか、そういう人種のビミョーな空気感をも纏ってはいるが、とにかく風格オーラ全開だ。

 偉業を成した大人物というのも、納得の凄味を覚える。

 ルカは数分前から、恥ずかしさのあまりにか、真っ赤に染まって蹲っていた。

 ロータスさんとフェリシアは、慣れているのだろう。


 ──久しいですな団長。

 ──わあ、団長!


 てな感じで、普通に久闊きゅうかつじょしている。

 月の瞳はうっすら存在感を消していた。

 が、


「なるほど。オマエが月の瞳か。気色悪いな!」

「……」

「ふぅん。まあ、いいだろう」


 ──ジュッ


「ひとまずは、それで様子を見てやる。分かったら少し失せろ」

「……」


 ぼとり、と落ちた自身の左腕を無感動に見下ろして、月の瞳はスゥゥ、とあちら側へ姿を消した。

 終始、何も言わなかった。

 こちら側に残された左腕は、消し炭のように塵化していく。


(……見えなかった)


 剣を抜いた動作も、魔法を使った兆候も。

 英雄は結果だけを広間に見せつけて、フンと鼻息荒く、顔を顰めて「胸糞悪い」

 その意見には完全に同意だったが、垣間見た英雄の武威が凄すぎて、俺はまだまだ上がいるんだと、心底から感嘆するしかなかった。


(……驚いたぜ)


 この英雄、恐らくだがアレクサンドロよりも強い。

 種族はニンゲン。

 巨人の血が混ざっていなければだが、たぶん純粋なニンゲンだろう。


(なのに、いったいどんな人生を歩めば、そこまでの領域に到達できるってんだ?)

 

 年齢もすでに、老境を優に超えて。

 普通なら衰えが始まっていておかしくないシワクチャなのに、背筋もピンとして筋骨も隆々。

 だんだん自信が無くなってきたが、これでも八年リンデンで暮らしてきた。

 混血かそうでないかの見分けは、注意して見ればおおよそは判別できる。

 すごい。

 魔女化しない状態の俺では、百回戦って百回とも負ける未来しか見えない。

 一方で、


「……意外と、怨みを買ってるんですね」

「あん? ……って、そうか。報せにも書いてあったな。ボウズのそれは、死界の王の加護か。けったいなモンを贈られたな。なんだ。俺の背に、亡者の念でも視えるか?」

「はい。かなりの数が」

「ガッハハハッ! そいつは仕方がねぇ。悪いが放っておいてくれよ? 俺の荷物だ」

「……荷物?」

「応とも。救えなかった命。取り零した陽だまり。怨みくらい買ってやらねぇと、俺は〝英雄〟を張っていられねぇからな」


 ニッカリ笑って、こちらの肩をポン。

 刻印騎士団の長にしては、意外な言葉。

 吟遊詩人の歌のなかでは、憤怒の英雄は魔物の絶滅者として、苛烈なイメージを広げられている。

 しかし、どうやら本物は、歌と違って案外柔和な面も持ち合わせているようだ。

 予想外のひととなりに、やや嬉しい気持ちが胸の中をくすぐった。


「コホン」


 ウィンター伯が気まずげに、けれど咳払いをして話の脱線を指摘する。

 全身鎧フルプレートメイルの英雄は「おお、そうだった」とよく通る声で言った。「皆、聞いてくれ」


「実を言うとだな、俺はここに被災地見舞いのためだけに戻ってきたワケじゃないんだ」

「? と、おっしゃいますと?」

「三日前に報せを受けてから、大急ぎで走ったんだがな? 王都じゃその前に、さすがに話をつけないワケにいかなかったからよ」

「そうでしょうとも! 仮にも国防の要が、勝手に王都を離れちゃったら、大問題ですからね!」

「そうなんだルカ! ザディアのチビヒゲも鼻たれトーリーも、うるせぇのなんの!」


 トライミッド連合王国、現国王トーリー・ロア・トライミッドを鼻たれ。

 王国政治の頂点に立つ宰相ザディアを、チビヒゲ。

 豪放磊落にもほどがある不敬発言。

 皆の顔がヒクヒク引き攣り、伯爵とルカが頭を抱えたところで英雄は言った。

 

「まあ結論から言うとだな? もしリンデンに現れた白嶺の魔女(疑惑)が──ボウズ、オマエのことだが──魔物じゃなかったら、爵位と土地とかやるんで、うちに来てくれないか? てな話をして来いって言われたんだわ」

「トーリー……!」


 伯爵が頭を振り乱し、壁に向かって叫んでいる。

 事情は知らないが、どうやらトライミッド連合王国の首脳陣は、かなり剛毅な性格らしい。

 素性もよく分からない俺を、まさか取り立てる──いや、囲うつもりでいるとは驚きだ。

 憤怒の英雄を抱えているがゆえの性質だろうか。

 でも、


「すみませんが、受けられる話じゃないです」

「お、そうか」


 連合王国の貴族として取り立てられてしまえば、俺は〝ふたりめの英雄〟として間違いなく戦働きを求められる。

 相手が魔物だけならまだしも、ベアトリクスの力は対軍、対戦争向き。

 そんなことのために彼女を利用する気は、ちっとも持ち合わせていなかった。

 それに、


「貴族の位はとっくに捨てましたが、俺は一応、メラネルガリアじゃそれなりの家の生まれなので、勝手に他所の国の貴族になるのは、祖国に叱られます」


 主に幼い義姉と双子の姉妹に。


「……ハッ、そういえばさっき、メランくん『王子』って呼ばれてなかった……?」

「私も聞き逃しませんでした、先輩……!」


 女性陣の妙にキラつき始めた視線に、スっと背中を向ける。

 月の瞳がサラッと口にするものだから、案外平気かな? と思い過ごしていたが、やっぱりダメだったか。

 まあ隠していたワケじゃないから、別にいいけど……


「ふーん。まあ了解。んじゃ、もう一個の話な?」

「あ、はい」


 グラディウス翁は所詮他人事だからか、恐らくは王と宰相ふたりからの一番の目論見を、「断られたんで、次いくなー」とアッサリ終わらせてしまった。


(俺が触れる話じゃないけど……)


 トライミッドって実は、かなりユルい国なのか?

 いや、〝英雄〟ゆえの例外か。

 現にウィンター伯は、未だに壁に向かって叫んでいるし。

 バカとかモノクルとか、クセっ毛モヤシとか。

 さっきから、ひどい質の暴言だ……テオドールがオロオロしている。

 だが、


「──秘文字の奇蹟、ひいては尼僧の墓所について」

「!」

「オマエさんが情報を欲しがったら、ひとつでいいから頼みを聞いてくれってさ」

「頼み、ですか」

「オゥ。東方大陸フォルマルハウトに逃げた大罪人、〝灰色の男グレイマン〟リュディガー・シモンっつぅ大魔術師を、いっちょ捕まえて来て欲しいんだと」

「……その話、詳しく聞きましょう」


 秘文字にまつわるどんな情報も、吊り下げされれば食いつかずにはいられない。

 新たな、旅の予感。

 東方大陸への誘いに、今度こそは──と心臓が強く鼓動した。





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tips:刻印騎士団団長


 アムニブス・イラ・グラディウス。

 渾天儀暦6027年現在、刻印騎士団の頂点に立つ男。

 異称は〝憤怒の英雄〟

 当代で最強格の英雄と目される大人物。

 白い全身鎧と二振りのグレートソード、ニンゲンでありながら熊のような体格がトレードマークで、超強い。

 モンスターハンター、メイガスマーダー、ドラゴンスレイヤーなどの肩書きを、たくさん持っている。

 ややノンデリ。

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