#148「向き合うべき現実それと闖入者」



 城塞都市リンデンが、二体の大魔に襲撃された由縁は分かった。

 けれどまだ、月の瞳に問い質すべき謎は残っている。

 秘文字の奇蹟を利用して、鉄鎖流狼が鯨飲濁流を復活させた動機はいいだろう。

 従僕が主人のために、遮二無二がんばって忠誠を尽くすのは、ストレートな動機で行動とも直結している。


 でも、あの人狼にはそもそも、秘文字をどうにかできるようなアタマが無い。


 戦いの最中、尼僧の墓所があるというリンデン城の地下にも行っていないし、死を目前としたアイツの目には、恐怖と懇願しか残らなかった。


 仮にその〝懇願〟が、リンデン城地下の秘文字まで届いて、好都合にも鯨飲濁流を復活させたのだとしても、鉄鎖流狼だけでは成し遂げられたはずがない。

 忘れてはいけないが、尼僧の墓所ならざる森の祠でさえ、あんなにも厳重な封印処理が行われていたのだ。


 事象の停止による時空間の切り取り。


 リンデン城の地下にどんな封印がされているのかは知らないものの。

 祠と違って、尼僧の遺体そのものを眠らせておく場所に、祠以下の封印が施されていたとは考えられないワケで。

 そのためにも、守り人──伯爵家の存在があったと考える方が妥当だろう。

 無人と有人。

 警戒度が高いのは、どう考えても後者。


 だから、自らを盗人であり墓荒らしと称した、目の前の魔物。


 月の瞳が何らかの関与をしたのは明々白々な事実。

 少なくとも、二十七年以上前にもどうにかして秘文字盗品を持ち歩いていた事実があるのだから。

 コイツにはそれだけの能力、ないし智恵。

 尼僧の封印を解除する〝技〟があって、秘文字を使方法まで把握している。

 そう判断するのは、ごく自然な論理的帰結だ。


 そのうえで。


「人界にとっちゃ、損にしかならない魔物を解き放つのに加担しておいて、人類への協力とか……舐めてるだろ」

「もっともな意見だね」


 再び張り詰める広間の緊張の糸。

 職業戦士が皆、スっと僅かに腰を低くするなか。

 月の瞳はなおも平静を保ち続け、依然としてウィンター伯の傍から一定の距離で離れようとはせず、膠着状態を支配する。

 薄気味の悪い翠碧の泡沫眼を、ぴくりと各目蓋の裏で動かすのは、状況の推移を注意深く観察でもしているのか。


「しかしながら、私はそれでも繰り返そう。君たち人間への害意なんか無い。私はただ、

「何のために」

「知れたこと」


 世界を救うために。


「……は?」

「突拍子もなく、荒唐無稽に響くのは百も承知している。世界の救済。何の冗談なんだろうね? 冗談であればどれだけ良かったか。私も未だに、頭を抱えているんだ」


 月の瞳は無表情に語る。

 広間の面々は、顔を見合わせずにはいられなかった。

 わずか半刻にも満たない接触でも、月の瞳が頭を抱える姿なんて、まったくイメージできない。

 それこそ、タチの悪い冗談だろう? と、誰もが違和感に苦しめられた。


(それに、世界を救うだって?)


 破滅に追いやる。

 そう言われた方が、まだしも信憑性が高い。

 だというのに、


「言葉にすると、何とも陳腐でバカバカしいが、私の行動理由、存在意義は嘘偽りなく世界のために消費されている」

「……どういう、コトですか?」

「細かい経緯は省こう。私には未来が視えるんだ。もちろん、未来だけでなく、過去、現在、もしもの仮定。いずれの場合も、様々な真実を視通せる」

「はぁ?」

「魔法使い諸君には、実演してみせた方が信じてもらいやすいかな? ──“叡智ソフィアー”」

「「「!」」」


 それは、人類では本質・原義を、生涯にわたって掴み取れないだろう抽象概念。

 高次元の魔法階梯であり、困難呪文、難解呪文。

 区分けの通りに、人類の魔法体系からはほとんど手放されたも同然のモノ。

 

「私の堕ちた奈落は、月暈の啓蒙光に満ちている。

 すなわち、森羅万象のほぼすべてを私は演算可能……それだけの情報量を持つ──そうだな。全世界のありとあらゆる知識が収蔵された、図書館のようなモノだと考えてもらって構わない」

「バケモノじゃないですか」

「ああ、そうだよ」


 ルカの愕然に、月の瞳は「私は魔物だ。バケモノだ」と端的に首肯した。


「「な、なあ、今のは何だ?」」

「「察するに、その魔物は特別な魔法を使って、未来視が可能というコトですかな?」」


 シルバー、ロゥ。

 秘宝匠ふたりが、数秒ほど遅れて「!?」と動揺する。

 自分の言の葉と、一言一句同じ。

 声音や息継ぎも、そっくりそのまま被せられた。

 月の瞳はニコリともしない。


「まあ、こんなのは奇術や詐術の延長で、信憑性は低いと思われるかもしれないが──」

「充分だ」

「……そうかい? なら良かった。デモンストレーションにしても、少々くだらないコトに魔法を使ってしまったと、後悔しかけていたからね」


 伯爵のウンザリした言い草に、肩を竦めて会釈を返す月の瞳。


「このように、私には未来が視える。

 そして、世界を救うためには、どうしても鉄鎖流狼の願いを叶えてやる必要があった」


 最悪の魔物を、たとえ千年早く目覚めさせてでも、成し遂げたい世界の救済とは何なのか。

 広間にいる全員が、固唾を飲んで次の言葉を待つ。

 すると、


「二度目の終末。〈崩落の轟〉」

「────な」

「闇の公子が、あと千年間も眠りについたままだと、確実に巨大彗星が再来する」

「……嘘、ですよね?」

「嘘をつく理由がない。私は来たる終末の未来を回避するため、魔物へ堕落した。ゆえに魂に懸けて誓おう。これは真実だよ」


 信じて貰うためなら、私は『使い魔契約』も辞さない。

 魔物からの前代未聞の申し出に、魔法使い全員が、その場で仰天して頬を引き攣らせたのは言うまでもなかった。


 使い魔契約。


 別名、魂合わせの誓い。

 第八の神から、人類へと割譲された太古の盟約のひとつにして、魔物からは忌み嫌われるモノ。

 人間は魔物を、〝使い魔ファミリア〟として使役する。

 魔物は奉仕の代価に、人間の魂を共有する。


 結べば、人間は魔物の能力を自分の物のように何時でも引き出せるが、代わりに魔物との強い霊的結合を経て、ほとんどの確率で精神を破綻に追い込まれる。


 どちらかが死んだ場合、どちらもが消滅する魔法的なデメリットもあり、古代では強大な魔物を言葉巧みに騙した魔法使いが、自死を以って道連れにした逸話も散見される。

 基本的に、魔物側にメリットは存在しない。

 それを、月の瞳は受け入れると断言した。


「……そこまでの、覚悟ですか」

「ああ。なんなら、今すぐ契約を結ぼう。ルカ・クリスタラー」

「なっ、私と……!?」

「だって、相性がいいのは君だ。鉄鎖流狼の〈領域〉にすら抵抗可能な魔法を持つ君は、使い魔契約のデメリットをほとんど無視できるからね」

「!!」


 ルカの愕然に合わせて、俺たちもまた認めないワケにはいかなかった。

 魔物にとって、使い魔に成り下がるのは百害あって一利もない。

 巨大彗星は確実に再来するんだろう。

 少なくとも、月の瞳の中ではそれが真実になっている。

 鯨飲濁流が復活しなかった場合、世界が滅ぶことも。


「〈崩落の轟〉と鯨飲濁流の因果関係については、すまない。

 複雑な要素が絡み合い過ぎていて、君たちの脳ではまず理解できないだろう。

 未来は不確定で、些細な切っ掛けで運命を変えてしまう。

 なので詳細については、現時点であまり明かすコトができない」


 ゆえに〝信じて〟欲しい。


「……とんでもない話だろう?」


 広間の沈黙を見渡して、ウィンター伯が乾いた笑みで鼻を鳴らした。

 テオドールの支えから手を離し、ひとりで立ち上がり、美貌の伯爵は「さて」と小さく呟く。


「このバケモノが、我々への協力を提言した理由と意図は、貴公らも納得しただろう。無論、感情面で納得できるかは別の話だ。

 しかし、リンデン住民として、被害を受けた当事者として。

 此度の騒動の由縁が、不明のまま終わってしまうより、こうして真実が解明されたコトは喜ぶべきだろうと思う」


 問題は山積み。

 なれど、向き合うべき現実は、霧の奥から輪郭を露にした。


「そこで、私は今回の件を、陛下に包み隠さず報告するつもりだ。

 世界を救うためだろうが何だろうが、伝説の吸血鬼を世に解き放ってしまった以上、これは我が国だけの問題じゃなく人界すべてに波及する問題──私は、生涯を賭して、向き合っていく覚悟を決めた」


 鶯色の切れ長な目が、真っ直ぐに俺を捉える。


「自由民メラン」

「はい」

「貴公への依頼は、継続とする」

「……いいんですか?」

「人狼を取り逃し、リンデンを壊滅させた失態は、貴公ひとりだけの責任ではない」

「英雄に並ぶ戦力を、罪に問うなんてバカげた損失だしね」

「オマエは黙っていろ!」


 月の瞳へ鋭い忠告を送り、ウィンター伯が呼吸を挟む。


「もちろん、後悔が無いワケじゃない。私は人を見る目に自信があった。偉業を為す者は、風格オーラを宿す。昔から貴公には、正式に騎士になってもらいたいと、クリスタラー支部長とは語っていた」

「ウィンター様……」

「……だから、我々は運が悪かったのだろう。この街に入り込んだ人狼が、古代の大魔だったなんて、誰にも予見はできなかった」


 それでも、と。


「頭では分かっているんだがな……貴公が最初から、素性を明かして、秘密を打ち明けてくれていれば……」


 人狼の正体が発覚した時点で、白嶺の魔女が顕現しても。


「私は貴公を、全面的に信用して、安堵を約束したはずだ」

「……」

「もちろん、詮無き〝もしも〟ではあるのだろう。私ひとりが安堵を約束したところで、すべての民が納得したとは思えない。

 姿なき〈目録〉の蒐集官、あるいは編纂官が否を告げて来た可能性もある。

 ……何より、我々は今回そこのバケモノの掌の上で、いいように踊らされていた。貴公を責めるのは、筋が通らないッ」


 然れど、鉄鎖流狼だけならば、確実に仕留め切れたのが今回の力の天秤。

 天を仰ぎ、頭を掻きむしり、伯爵は苦悩しながら、やはり「……それでも」


「追放だ」

「ウィンター様!」

「許せ、クリスタラー支部長。私はそれでも、あの悪魔どもを殺すまで、二度とこの者にリンデンに立ち入って欲しくない」

「分かりました」

「メランくん!」


 ルカは悲愴に叫ぶが、これはかなり有情だろう。

 伯爵は俺に、贖いの機会をくれている。

 どちらにせよ、あの悪魔どもに報いを与えるのは、俺の中で決定していた。


 宿敵である。


 鉄鎖流狼と鯨飲濁流。

 あの大魔どもは、いずれ必ず見つけ出して、絶対に消滅させる。

 リンデンに留まり続けた理由も、もう何処にも無い。


(依頼は継続)


 ならばそれは、むしろありがたい断罪だった。

 ウィンター・トライ・リンデンライムバウムも、同じ罪を背負っている。

 生涯を賭して向き合う。

 その宣誓は、つまりそれだけ彼がリンデンを愛していた証。

 統治者としては、きっとこの上ない。

 人間的にも嫌いにはなれなかった。

 予想していたよりも、遥かに情状も汲んでもらっている。


(追放されるのも、初めてじゃないしな)


 余人はあまり、笑えないジョークかもしれないが、旅には慣れている。

 八年間のブランクはあるが、きっとすぐにカンを取り戻すだろう。

 伯爵が姿勢を正し、居住まいを直した。

 リンデンの領主として、どうやら正式に沙汰を言い渡すつもりのようだ。


 裁判。


 安易な罰は与えられない。

 厳しい罰を、魂に刻む気持ちで粛々と受け入れる。


「ではこれより、自由民メランに判決を──」

「茶番はやめろ馬鹿らしい」


 その時だった。

 広間の扉がいきなり、バタンッ! と開けられて、銅鑼のような重低音が伯爵の声を遮った。


「……グ、グラディウス様!?」

「オゥ、俺だ」


 闖入者ちんにゅうしゃは、熊よりデカい大男。


「裁判なんざ、くだらねぇ。俺が聞きてえのはひとつだけだ。──なあ、ボウズ」


 テメェは人間か?

 それとも、魔物か?


「どっちだよ?」


 刻印騎士団、団長。

 アムニブス・イラ・グラディウス。

 グレートソードを二振りも背中に留めて、歌に聞こえし『憤怒の英雄』が、苛烈な目つきで言った。

 というか、ドカドカ近づいてきて俺の前に立った。鼻息が馬みたいだ。


(やばい、殺される──?)


 いきなりの事態に、呆気に取られ困惑しながら、一応の回答として、


「に、人間です」

「あ? やっぱり? だと思ったぜバカヤロウ! よし無罪!」

「ちょっ」


 その場にいた全員が──月の瞳さえ含んで── 一瞬、白眼を剥きそうになった。


「なんだよ。文句あんのか? いいだろべつに。外で聞いたぜ? このクロスケ、良いヤツなんだろ? じゃあ無罪でいいじゃねえかよ。あっ、でも、ルカに手出してたら有罪な? 死刑にしてやる」

「っ〜〜〜! パパッ!」


 ……なんか、空気がめちゃくちゃ変わってしまった。


 




────────────

tips:使い魔


 ファミリア。

 魔法使いと魂合わせの契約を結んだ魔物。

 魂を共有する特殊な契約形態のため、どちらかが死ねばもう片方も消滅してしまう。

 自分から契約を望む魔物は、めったにいない。

 魔法使い側も、使い魔に対しては古くから〝魂は許しても心は許すな〟という格言が存在し、良好な関係を構築するのは至難。

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