#147「月の瞳は斯く語り」



 闇の公子、鯨飲濁流。


「そもそもの話だが、あの吸血鬼がなぜ二千年ものあいだ、姿をくらましていたのか。今この場に、知っている者はいるかい?」


 問い掛けに答えられる者はいなかった。

 〈渾天儀世界〉の長い長い歴史学。

 古代の終焉を招いたエリヌッナデルクの大戦は、四方の超大陸で様々な結果をもたらしたが、共通しているのは四つの超大国が同時期に滅んだ悲しい事実。

 北方大陸グランシャリオではセプテントリア王国が敗北を喫し、勝ったのは魔物、鯨飲濁流だとして語られている。

 だが、


(いずれの書物にも、大戦の結末がどのようなカタチで終わったのかは……)


 具体的には記されていない。

 セプテントリア王国は、具体的にどんな顛末を経て滅亡に追い込まれたのか。

 勝利したはずの悪魔王は、どうして長いこと姿を見せないのか。

 憶測は様々話し合われているも、一番有力なのは、〝ほぼ引き分けだったからなのでは?〟という一説だ。


「大戦の決着の際、鯨飲濁流は深手を負った」

「あるいは、メレク・アダマス・セプテントリアと相討ちになった」

「通説では、そのように囁かれていますね」

「フン……相討ち説は、間違いだったワケだがな」

「その通り」


 魔物の専門家たる刻印騎士団の反応に、月の瞳が簡潔に肯定を返す。


「偉大なる闇の公子は二千年前、たしかに活動が困難になる状態まで追い込まれはした。だが消滅は、どうにかして免れていたのだろう」


 ──俺が眠っているあいだに、世界はまたもオカシクなったらしい。


 戦いの最中、たしかにそれらしい発言はあった。

 眠っている。

 つまり、休んでいる。

 二千年間。

 あれほどの魔物が、どうしてそこまでの時を必要とした?

 いや、どうしてそこまでのピンチに追い込まれた?

 全員の意識が、同じ疑問に辿り着くのを確認して、月の瞳がおもむろに回答する。

 

「彼は、『灑掃機構』に襲撃された」

「! カルメンタリス教の、神造物に?」

「そうだ。しかも、一番機から三番機。総出による不意打ち。セプテントリア王との戦いで、疲弊していたところを、容赦なく狙われた形になる」

「……それが事実ならば、教会はさらなる信徒を獲得するだろうな」

「古の灑掃機構、女神の秘蔵品。我らの神が直接手懸けた〝真なる聖遺物〟となれば、闇の公子にも太刀打ち可能なのか!」

「おお、文明の光、いと聖なる光の炉、偉大なるカルメンタ様……」


 司祭と秘宝匠組合が、祈りの言葉を唱え女神を讚える。

 月の瞳はその時だけ、不快げに眉を寄せて、薄く溜め息を吐いた。

 やはり魔物らしく、カルメンタリス教には良い思いを抱かないらしい。


「ともかく、彼は女神の手先によって、消滅ギリギリのところまで追い詰めらた。本来であれば、あと千年程度は眠りが必要だっただろう」

「? 待て。では、アレはまだ、復活するには早い状態なのか?」

「本来であれば、と前置いたよね? 吸血鬼が如何に不死身のアンデッドとはいえ、さすがに三種の〝天罰〟を受けた以上、魂は霞のようにバラける。そこからは、どうしたって時間をかけて回復に専念するしかない」

「……なら、なんでアレは復活したんです?」

「簡単だよ。鉄鎖流狼がそう望んだからだ」


 そこで、月の瞳は意味ありげに俺を見つめると、ニコリと微笑み言った。


「悪いけど、王子。脱いでくれないかい?」

「────は?」

「君のカラダを見たい」

「え」

「ぇえッ!?」


 なぜか、ルカとフェリシアが俺よりも先に驚愕した。


(今のは絶対、そういう意味でのセリフではないと思うんだが……)


 しかし、反応には困り物。


「……まさか」

「ん?」

 

 いや、十中八九そのまさかか。

 月の瞳は俺を知っている。

 王子という呼び掛けからも、それは完全に明らか。

 メラネルガリアでの一件もある。

 秘紋の由来を思えば、こちらの素性を知られていたところで、何も不思議はない。


(だって、生まれる前からの因果だもんな)


 薄気味悪くて堪らないものの、元をたどればコイツがネグロ王に秘文字を与えたことで、俺に『魔力喰らいの黒王秘紋』が刻まれた。

 要するに運命の始まり。


(つまり、俺はコイツのせいで、〈大雪原〉を彷徨うハメになったとも言える)


 死界の王の加護もあるので、百パーセント月の瞳が悪いワケではないが、原因の何割かは確実にコイツのせいだ。

 そう思うと、なんだか無性にムカつく……

 だが、私怨はいったん、胸の内側にギュッとしまいこんで、現状をどうしたものかと考える。

 エル・ヌメノスの尼僧。

 世界改変の大権。

 それを今ここで、余人の目にも晒せと言うのは、言うまでもなく激しい抵抗感を覚えるものだ──しかし。


「分かった。脱ぐ」

「ええええッ!?」

「ちょ、メランくん……?」

「勘違いするな。どうせこのあと、見せるしかなかっただろうからな」

「……! 貴公、それは!?」


 愕然と目を見開いたのは、ウィンター伯が最初だった。

 普段は服の内側で、隠していた呪いの証。

 上半身の服を脱ぎ、堂々と半裸を晒すと、秘紋はニョロニョロと背中から胸の方へ顔を出した。

 右腕を上げると、意図を察したのか蛇のようにそちらへ集まる。

 当然、広間は不気味な光景に硬直していた。


「彼の右腕を見たまえ。一見は奇妙な刺青のようだが、近くで見ると、それが極小の文字の連なりであるコトが分かるはずだ」

「む、むむぅ? 読めませなんだが、しかし、これは……」

「妙だな。文字なのは分かるが、いったい何語だ?」

「──秘文字だ」

「……ウィンター様?」

「貴公、それをどこで手に入れた!?」

「落ち着いて、ウィヌ。彼は墓荒らしじゃない。アレは私が、彼が生まれるより前に、彼の父君へと与えたものだ。つまり、盗人は私であり墓荒らしも私だ」

「ッ、この……バケモノめ……!」


 伯爵は怒りに震え、呼吸を荒くしていた。

 だが、心労が激しかったのだろう。

 ふらりと横に倒れかけ、慌てたテオドールが急いでその体勢を支える。

 月の瞳は無表情でそれを眺めていた。

 が、顔を上げ、


「秘文字の奇蹟。世界神エル・ヌメノスの尼僧が権能のひとつ。

 現在ではカルメンタリス教に玉座を追われて久しいものだが、かつての世界宗教は渾天儀教だった。

 この場で知っている者が、どれだけいるかはさておき、これだけは把握しておきたまえ」


 秘文字とは、言うなれば願いを叶える流れ星。


「どんな願い事でも、必ず叶えてしまう原初のルールだ」

「……なに?」

「たとえば、魔力を持たずに生まれてきた者が後天的に魔力を得ることは不可能だと、魔法使い諸君は知っているだろう? そこの彼は、もともと魔力を持っていなかったんだ」

「バカな」


 ロータスさんが「嘘をつけ」と眉間にシワを寄せた。

 ルカやフェリシアも、信じられないという顔でこちらを見る。

 けれど、月の瞳は嘘を言っていない。


「本当の話です。俺が魔力を得たのは、十代の半ばでした」

「そして、白嶺の魔女のチカラを引き継いだのも、同じ頃のはずだね」

「……ああ。おかげさまでな」

「ふ、ふふっふ、ふふふ。半分ほど、見せてくれないかい? ここまで話しても、まだ信じられない者もいるみたいだ」

「…………」


 腕を魔女化させる。

 ダークエルフの黒い肌が、真っ白に変わって冷気が漂う。

 底冷えのする怖気。

 歴戦の刻印騎士団には、それでもう、完全に真実だと伝わったらしい。


「……ッ、なんたる話だ!」

「でも、誤解はしないでもらいたいんです。俺は魔物じゃないし、魔物に取り憑かれているワケでもない」

「ああ、そうだね。譬えるなら、魔物の魂を自らの存在規模イデア・スケールに充填した。

 いや、互換性の無かった存在規模イデア・スケールを、違法改造して無理やり対応可能にしたと言った方が、この場合は正しいかもしれないかな?」

「……ゴチャゴチャ吐かすな、バケモノめ! 要は貴様のせいで、彼はその身に大魔を宿してしまったというコトだ。違うか!」

「んー、んー、んー。否定はしない」

「そんな……!」

「なんと……!」


 ロータスさんの言葉に、同情と忌避、両方の視線が一斉に集中する。

 同情は主にルカとフェリシアから。

 忌避は秘宝匠組合と司祭、領主軍代表。

 無理もない反応だが、やはり悲しくはある。

 この場合、少なくとも刻印騎士団から好意的な目で解釈されたことを、喜ぶべきではあるんだろうが……


「────」


 嬉しい気持ちは、申し訳ないほど何処にも無かった。

 半魔女化を解き、だらりと右腕を下げる。

 そんな俺を月の瞳だけが、ひとり理解者のツラで微笑んでいるのが、ひどく癇に障った。


「話を戻したらどうだ?」

「そうしよう。まとめると、要はこういうコトだ」


 ①鯨飲濁流は、二千年前に天罰を受けて消滅寸前になった。

 ②鉄鎖流狼は、主を復活させたくて秘文字の奇蹟に縋った。

 ③リンデン城の地下にはちょうど秘文字の奇蹟(尼僧の遺体)があった。


「襲撃された理由は、ハッキリと分かっただろう。

 ああ、念のため補足しておくけど、鉄鎖流狼の願いを叶えたのは、リンデンにもともとあった秘文字の方だ。王子の真っ黒いのは呪いに染まっていて、ひとつの願いしか受け付けない。

 この城の地下には尼僧の墓所があってね? リンデンライムバウム家は、秘密裏にその守り人を務めていた家系なんだよ。

 あいにく、闇の公子復活のために使い潰させてもらったけど」

「!」


 ピースが出揃う。

 長年の謎が、たった一呼吸の内に種明かしされる。


(森じゃなくて、城……)


 俺のカンも当たらない。

 八年も時間があったのに、みすみす目の前で奪われたなんて。

 とんだマヌケだ。

 胸が苦しい。

 伯爵の動転ぶりにも納得する。

 秘文字の奇蹟を知る者に、俺のカラダは、きっと物凄く心臓に悪かっただろう。

 善人ならば、なおさらだ。

 悪しきモノの手に渡らぬように。

 きっと長年、守らなければと心に誓っていたはずで……俺だってそれは変わらない。

 だから、


「……月の瞳」

「なんだい? 王子」

「盗人も墓荒らしも、オマエはどっちも自分だって言ったな」

「うん」

「じゃあ、オマエは鉄鎖流狼に、手を貸したってコトだろ」

「そうなるね」

「なのに、その口でさっき、人類への協力とか言ったな」

「ああ、言ったとも」

「……そりゃ、どういう料簡なんだ」


 透徹な殺意の弓弦を、静かに引き絞った。





────────────

tips:灑掃機構


 カルメンタリス教の主神、女神カルメンタから人類への贈り物。

 人類文明を守護するため、魔を撃滅する機能を持った天罰機三台。

 真なる聖遺物と呼ばれ、至高の聖具よりも上に格を位置付けられる。

 エリヌッナデルクでは、秩序律の側として参戦した。

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