#146「敗戦の結果と疑問」



 つまり、敗戦後の事後処理だった。


 まず目が覚めた時、俺は牢屋の中でベッドに寝かされていた。

 湿った土の匂いと、黴臭い埃。

 松明の明かりがゆらゆらと揺れているだけで、窓は無かった。

 だから、地下牢なのは体を起こす途中でピンと来て、その割に手枷とかが嵌められていないコトが意外だった。


 見張りは、頭に包帯を巻いたルカ。


 どんな顛末でそうなったのかは分からないが、恐らく見張り役のクセに、すぅすぅと寝息を立てて傍で座っていた。

 声をかけて起こしたら、寝起きだというのに開口一番「バカ」と言われ、「悪い」と謝ったら、再度「バカ」と責められる。

 いろんな想いが込められた罵りだ。

 何と返せばいいのかは分からなかった。

 なので、誤魔化すように苦笑いを浮かべていたら、ムカッとした顔で「外へ出るように」

 そのまま事務的な口調で手を引かれ、リンデン城の大広間まで、ついて行かなければならなかった。


 どうやら、俺は裁判にかけられるらしい。


「死刑はありえるか?」

「ふざけないで」


 なんて、一言二言交わしながら(ふざけたつもりは無かったが、ルカはますます怒った顔になった)扉は開かれて、導かれるままに広間の中央へ。

 最初に感じたのは、明かり。

 地下から地上に出て、窓から差し込む外の明るさから、ようやくその時、昼間であることを認識した。

 驚いたコトに、日もそれほど経ってはいない様子だった。

 数日前に城に集められた顔ぶれが、何人か数を減らしてそこには居た。


 刻印騎士団リンデン支部、ロータスさんとフェリシア。

 領主軍代表からは、テオドール・キリエ。

 リンデン秘宝匠組合からは、シルバー・スミスとロゥ・シャンデリオン。

 カルメンタリス教会のアルゼンタム聖堂からは、レイノルド・ソーダ司祭。


 そこに、俺を連れたルカが合流して、もちろん伯爵も。

 皆んな、ひどく疲れた顔をして、空気が重たかった。

 傷が癒えていない。

 肉体的には、恐らく治療済みなのだろう。

 錬金術の霊薬か何かで、重傷を負ったのだとしても回復はしている。

 ただ、精神の方が、まるで癒えていない。

 せいぜい三日か四日。

 まだ、そのくらいの雰囲気でしかなかった。


「──まずは、こうして生き残り、再会できたことを喜ぼう」


 伯爵が口を開き、それでも前向きな発言をしたときは、素直に驚きが勝った。

 裁判と聞いた時点で、俺はてっきり、ウィンター伯は激怒しているものと想像していたからだ。


 鉄鎖流狼は、禁忌に登録された古代の大魔。


 俺は人狼捜索の任務を請け負い、都市に入り込んだ魔物を退治するべく斧を抜いた。

 だが、結果は失敗。

 今にして思うと、あの路地裏で一気にカタをつけようとした判断も、間違いだったように思う。


 とはいえ、あそこで様子見を選択していた場合。


 年輪騎士に化けた人狼が、周囲の人間をいつでも殺せる状況を少なからず放置するコトになっていた。

 それは、大多数を救うために少数を犠牲にするという、古代王のような選択だ。


 人狼の正体が鉄鎖流狼だったという事実も、あそこでは誰にも分かっていなかった。


 正しい選択が何だったのか。

 考え方自体はたくさんある。

 ただし、それを心理面で受け入れられるかは、個人差があるだろうし別の話。

 頭では分かっていても、人はどうしたって思ってしまう。


 もっと他に、やりようはあったんじゃないか?


 鉄鎖流狼のような、大いなる魔物に城壁を越えられてしまった時点で、人類側は〝手遅れ〟という厳然的事実はあっても。

 リンデンを治め、リンデン領民からも慕われていた伯爵にとって、この現実はあまりにも度し難すぎたはずで。


 なのに、ウィンター伯は俺を見ても激昂を露わにはせず、一瞬、瞳の奥で静かな雷のような怒りを爆発させただけだった。


「……」

「……」


 恨まれる覚悟はあった。

 糾弾される覚悟もあった。

 が、ウィンター伯の怒りは想定していたよりも、かなり深いらしい。

 俺は彼の一瞬の眼差しに、安易な罰が与えられないコトを悟ってしまった。


 まあ、裁判である。


 穏やかな結果には、そもそもなりえるはずがない。

 意識を失っていたあいだ、地下牢に置かれていた意味を考えれば。

 答えはもちろん、あっさりと想像できる。

 ウィンター伯ならびに今ここにいる面々が、俺に対して何を問題視しているのかも容易に察せられた。


 だが、話はいきなり、本題に移るワケではないらしい。


 リンデンの要人たちは差し当って、城塞都市の現状確認から始めていくつもりのようだった。

 俺の裁判はすこしだけ、後回しになるようだ。


「さて、それで、生者の数だが……」

「我々を含め、千と三百二十でした」

「森の反対側に逃げた者たちは、幸いでしたな……」

「ですが、昨日今日で、自殺者の報告も上がっています」

「絶望か……」

「許さん。断じて止めろ」

「ハッ……しかし、死刑を望む者が、今朝も城に。しばらくは後を断ちそうにありません……」


 苦鳴の唸り。

 鉄鎖流狼の魔法によって、悪心の虜となってしまった者たち。

 魔法が解除された今、そういう者は罪の意識に駆られ、命を捨てたくなるほど嘆き苦しんでいるのだろう。

 テオドール・キリエの報告に、広間の空気はさらに沈鬱とした。

 あの人狼を、仕留め損なう意味。

 精神はおのずと暗くなる。


「では、死者は、どうだ?」

「そちらについては、私から。ですが、こちらもやはり、前回確認したのと結果は変わりありません……」

「ハッ! 弔うコトもできないのか!」

「恐らく、吸血鬼にやられたのでしょう……」

「闇の公子の伝説には、一夜で無人と化した小国の記録もあります」

「で、でもよ……本当に? たった、ひとりも?」

「……よせ、シルバー」


 司祭とルカの言葉に、咎の秤は重みを増していく。

 鯨飲濁流。

 信じたくないが、アレは去り際、リンデンの九割近い住民を〝食って〟いったのだろう。

 タイミングは、血潮の海を解除した刹那か。

 伝説に曰く、あの〈領域レルム〉は鯨飲濁流のこれまで吸ってきたすべての血液。

 つまりは胃袋の中身のようなもの。

 行きがけの駄賃とばかりに、小腹でも満たすつもりで攫っていったか。

 まさに、吐き気を催す邪悪の所業だ。

 リンデンはいま、ゴーストタウンも同然なのだと、否が応でも突きつけられる。

 そして遅まきながら、〝音〟の違和を察知して実感。

 八年間慣れ親しんだ都市の鼓動が、まったく聞こえない。

 代わりに聞こえるのは、啜り泣きのような風の音。亡者の悲鳴。

 これが、現実か。


 ──と、そこまで話を眺めていた直後だった。


「じゃあ……そろそろ例の件だが」

「ウィヌ。そこから先は、私に話させてくれないかい?」

「──は?」


 ウィンター伯がとても苦々しい顔をして、一文字に唇を引き結んだ。

 


 藍鉄色のクラシカルブラウス。

 老婆のような嗄れ声。

 月色の髪を奇妙に宙に漂わせながら、その魔物はふわりと突然〝こちら側〟へ浮かび上がり。

 異形のマナコは、すべて閉じられていたが、


「──」


 ロータスさん、ルカ、フェリシア、テオドール、俺の順に。

 その場にいた職業戦士が、全員臨戦態勢になりかけ。

 しかし、伯爵から有無を言わさぬ「待て」という制止に、戸惑いながらも動きを止めた。

 俺は驚きすぎて、反応も遅れてしまったし、状況の把握に努めるほかに為すすべが見つからなかった。

 そんななか、突如として姿を晒した月の瞳は、


「ありがとう、ウィヌ。それに、君たちも。そのままどうか、身構えないでくれたまえ。私に君たちへの害意は無い」

「ん、んなコト言われたってな……」


 シルバーの青ざめながらの反駁。

 月の瞳は、チラリと聖なる職人に視線をやり、「だろうね。素直に信じられる発言ではないだろう」と小さく首肯した。


「無理もない反応だ。古代の大魔。あの鉄鎖流狼や、鯨飲濁流が暴れた後では、君たちのなかの魔物に対する敵愾心てきがいしん。簡単に取り除けるものではないだろう。ああ、重々承知しているよ」


 伯爵の肩にそっと手を置きながら、月の瞳はつらつらと述べる。


「だから、ウィヌの制止に素直に踏みとどまってくれた君たちには、心から感謝の言葉を贈ろうか。ありがとう」

「……貴様が伯爵閣下の背後にいなければ、我が剣刃は即座に閃いておったがな」

「だとしても、私からの感謝は変わらないよ? 君たちの絆と思い遣りの精神。美しい人間心理の働きがあったおかげで、こうして対話の機会を得られたんだからね」


 詩文でも、詠っているかのような滑らかさだった。

 なのに、声音はまるで蜘蛛かなにか。

 精神構造がまるで違う。

 本心からの言葉ではないと、不快なほどに察知できてしまった。


 〝こういう時には、こういう風に答えるのが正解。だからそう答えている〟──といった印象が、たった数秒で全員に与えられたのである。


 ロータスさんは露骨に舌打ちを鳴らし、秘宝匠組合や司祭たちは、ゾッと出口の方へ後退った。

 大魔の圧力は感じないが、見るからに異常な魔物の存在感に、皆が意識を集中させていた。


「……ふむ。期せずして、注目を浴びてしまったな。ちょうどいい。そのまま是非に傾聴いただこう──私は月の瞳。ああ、〈目録〉には載っていない。これは我々のなかでの通称になる」

「御託はいい。さっさと本題に入れバケモノ」

「ウィヌは冷たいな。首を絞めたコトを、まだ怒っているのかい?」

「なんだと?」

「構うな、騎士ロータス」

「しかし閣下ッ!」

「黙れ。私の首よりも、今はコイツの言葉の方が優先度が上だ!」


 伯爵の断言に、目を見開かなかった者はいない。

 すわ、操られているのか?

 懸念は緊張として走り、然れど。


「ありがとう、ウィヌ。しかし、今のは誤解を招く発言だ。言っただろう? 私に害意はない。むしろ、君たち人類には協力したいと考えている」

だと──?」


 月の瞳が続けざまに放った、虚を衝くフレーズ。


「ああ、そうだよ? 手始めに、城塞都市リンデンが何ゆえに鉄鎖流狼に目をつけられ、何ゆえに鯨飲濁流にまで襲撃されてしまったのか……ワケを教えてあげよう。私がここに、人類への協力を提言する理由についてもね」


 ……耳を傾ける。

 選択肢は、どうやらそれしか無いようだった。






────────────

tips:月の瞳


 女の姿をした謎の魔物。

 藍鉄色のクラシカルブラウスと、フリルが特徴的なホワイトジャボを身につけている。

 声は嗄れていて、老婆のようだが見た目は若い。

 月光をり合わせたかのような、奇妙に揺蕩う豊かな銀髪の持ち主。

 顔の半分を髪の毛で覆っていて、その隙間から、無数に現れては消えていく、翠碧の泡沫眼を飼っている。

 視線には何らかの影響を宿すようで、鉄鎖流狼もこの魔物の眼差しを疎んじていた様子があった。

 かつてメラネルガリアで、秘文字の奇蹟をネグロ王に授けた張本人。

 果たして、その目的とは──

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