#150「葬列の日に」
渾天儀暦6027年13月1日。
葬列の日は、穏やかな粉雪が舞っていた。
「物悲しいものだな。死者無き葬列か」
「死体が無いんだ。仕方ないだろう」
変わり果てた城塞都市。
がらんどうの棺。
形だけの葬送儀礼であり、弔うべき街人たちの骸は無い。
生き残った数少ないリンデン住民は、空っぽの棺桶を幾つか用意して、列を成してそれを運んでいる。
魔物に破壊された、自分たちの家を。
幼い時から慣れ親しんだ故郷の街並みを。
一歩ずつ巡り、ぐるっと回ることで、喪った家族や友人、大切な人々との日々を追憶し。
彼らは別れの区切りをつけるため、追悼を捧げている。
たとえそれが、心の傷とあまりにも釣り合いの取れない〝軽い〟見送りでも。
生きるためには前を向いて、這いずってでも歩き続けるしかない。
「私には、意味があるようには見えない」
「そうか」
「……だが、地に還るべき肉の殻を持つモノが、その理を捻じ曲げられ、自然界の調和を乱されてしまったというのは……たしかに悲しいな」
「ありがとう。ノエラなりに、悼んでくれてるんだな」
銀冬菩提樹と丸酸塊の森に棲まう
迷家に囚われるノエラは、鉄鎖流狼や鯨飲濁流がリンデンを襲ったことを、まったく知らなかった。
森の奥の異界は、人界とは境界を隔てる。
あれほどの大騒ぎが起きても、それは所詮、人間の世界での話。
この世界はやっぱり、物理法則だけでなく、不可思議なルールで成り立っている。
楡木色の肌の半地精は、心から悼んでくれている風ではなかったものの。
長年リンデンの迷い人や迷子を送り返して来たからか、「悲しい」とは言ってくれるようだった。
迷家を離れ、森から出てきてくれたのも、ノエラなりにきっと、思うところがあるからなのだろう。
「ではな、少年」
「もう、帰るのか?」
「挨拶は済んだ。私が長居する理由は、見当たらない。ああ、だが」
「ん?」
「最後に、“
「──」
「獲得できたようだな。おめでとう」
「──ああ、ありがとう」
「せいぜい大切にしたまえよ。ではさらばだ」
ノエラはそう言って、森へ戻った。
冬が始まり、まだ一ヶ月。
出会ったのは何年も前なのに、彼女は少しも変わらない。
背が高くて、角が生えていて、神秘的で孤独。
薄黒い森のドレスに、花と苔のヴェール、
同じ人間と呼ぶには、あまりに浮世離れした異種族だったが、精神世界での魔法訓練、神の祝福で繋がった友情。
八年も続いた交流は、寂しさを覚えるのには充分な想い出を残し。
「またいつか、な」
銀冬菩提樹と丸酸塊の森に消えゆくノエラの姿は、ひどく幻想的だった。
まさか最後に、おめでとうを言われるとは思っていなかったが、樹界人にはやはり分かるのかもしれない。
“
何かしらのシンパシーが、通じたのかもしれないな──なんて。
葬列を一歩外から、離れた位置で見送りながら、ひとり瓦礫街へ向かう。
今日、俺が挨拶を交わすのは、ノエラだけじゃない。
──自由民専用職業斡旋所。
「……誰も、いないな」
無愛想な担当官ザック・ハイネケンも、紅一点だったシャーリーさんも。
何もなければ、常に怪しい輩が入り浸っていた斡旋所だというのに、もうここには誰も居ない。
ザックの旦那は死んだ。
シャーリーさんは生きている。
でも、彼女は重傷を負っていて、意識が不明だ。
生き残った自由民は、とっくにリンデンを去った。
建物だけが奇跡的に無事でも、もうこの場所は、絶対に元の場所には戻らない。
──旅から帰って来たばっかりなんだ。今晩くらいは休みを入れとけよ。
──お金もたくさん、稼いだんですからね。
最後に交わした言葉が、忘れられなかった。
リンデンでは一番、世話になった人たちだから。
「……悪い。金はどっかに、失くしちまった」
蕩けチーズの暖炉亭は、白蛾虎竜ヴァイスの竜咆哮で地の底へ飲み込まれた。
せっかくいい仕事を紹介してもらったのに、申し訳ない。
何も無ければ、ふたりには質のいい薬でも揃えて、またプレゼントしようと思っていた。
けど、
「大金を失ったんだ。自由民はこれだから、って怒られちまうよな……」
ごめん。
謝って、背中を向ける。
一種のけじめ。それと、再確認。
自分の選択ミスがもたらしてしまった取り返しのつかない現実を、改めて脳裏に焼き付けた。
死なせてしまった人たちは、何も彼らだけじゃない。
年輪街の鍛冶屋からは、ゴーゼルとジゼルが姿を消した。ジゼルは自殺だった。
釣り好きのゲール爺さんは、橋から身投げしたのか、ただ転落したのか分からない……
商店街のピッツァマンさんは、死刑が決まった。アインドラが被害者だった。
ただ命を落とすだけじゃなく、何もかもをめちゃくちゃに狂わせて地獄に変えた。
罪は大きかった。
たとえ連合王国が無罪を言い渡そうとも、他ならぬ俺自身が、自分を有罪だと知っている。
リンデンの街を一歩ずつ歩きながら、俺だけは葬列に加わらない。
この現実を忘れないためにも、敢えて逆方向に進んで罪と向き合う。
追悼も葬送も、悪魔を殺さなければ、俺には資格が与えられない。
「っと、トロルズベインじゃねえか」
「……ジャック?」
と、そんな折に。
濃紺の外套。
長い金髪の真ん中分け。
中途半端に伸びたアゴヒゲ傭兵が、偶然にも現れる。
(いや、今はもう傭兵じゃないのか)
フェリシアのおかげで救われたコイツは、年輪騎士。
つまり領主軍に、騎士として働くことを決断した。
ちゃらんぽらんの自由民だったが、この男なりに、思うところがあったらしい。
知ったのはつい昨日のコトだが、今ではさっそく、伯爵の命であちこちに駆け回っている。
「斡旋所に、行ってたのか?」
「ああ、まぁな」
「そうか……オマエもあんまり、暗い顔してんなよ?」
「優しいんだな。でも、俺はオマエとは寝ないぞ」
「ブァーーカッ! オレはもう騎士だぜ? 娼館に行かなくても、女の方から寄って来るってんだ……テメェみてえなゴツイ男に走るほど、困っちゃいねぇよっ!」
「ハハッ、どうだか。まずはその口調から直していかないと、お上品な淑女はモノにできないと思うぜ」
「おっ、おぉ? ま、まあそうだな! 騎士になったら、やんごとなきレディたちとも、そりゃ知り合えるだろうし!」
「ウィンター伯の目は厳しいと思うが、がんばれよ」
「へっ! お上が怖くて女にコナかけるのをやめる? それはもう、オレじゃあないね」
さすがだな、と片手をあげて別れ、苦笑をひとつ。
失ったものは多いが、残ったものもリンデンにはある。
ジャック、ティバキン、ホワイトヘイズマーケット。
闇市が残ったのは、善し悪しを測り兼ねるところではあるが……変わらない景観がひとつでもあるなら、それは良いことだと信じよう。
助けられた命はある。
それもまた、事実ではあるから悲嘆には暮れない。
別れの挨拶。
出立前の儀式。
湿っぽいのは苦手だけど、数少ない無事な知人にひとりひとり会いに行って、言葉を交わした。
そうこうしていると、時間もだんだんいい頃合に変わっていく。
やるべきを終えた俺は、大橋に爪先を向けた。
雪は勢いを増してきたが、そろそろ見送りに来ると言われていた時間だった。
「やっと来ましたか、薄情者」
「許せって」
「いいえ、許しません。私を置いて出ていくなんて、絶対に許さないから」
リンデンが誇る麗しの白騎士。
ルカはフンとご機嫌ななめな様子で、ゲシッ! とこちらのスネを蹴った。
痛い。
だが、ダメージを負ったのはルカもらしい。
「イィったッ! このカチコチ男! なんて筋肉してるんですか!」
「蹴ったのはそっちだろ」
「鉄板でも仕込んでるじゃないです!?」
「仕込んでねぇよ」
スネの位置にはだけど。
大丈夫か? と蹲ったルカに近づくと、
「──待って。来ないで」
「なんだよ、泣いてんのかよ……」
「泣いてない!」
赤くなった目元を隠しながら、ルカは噛み付くように怒った。
とんだ三文芝居だ。
涙を隠すために痛がるフリなんて、子どもでも今日日やらないだろうに。
「もういい大人だろ? なにも今生の別れってワケじゃないんだぞ?」
「私はニンゲンだもん。メランくんと違って、寿命は短いんですぅ!」
「知ってるよ」
「いいえ! 知ってたら、だって分かるはずですから!」
「……」
何が、とは聞かなかった。
薄々、そうじゃないかとは感じていた。
それでも、ルカはこれまで何も言わなかったし、俺の方からも何かを言うつもりは無かった。
(だから、この話は終わってる)
口に出さなくたって、俺たちは分かっている。
十九の時に出会って、二十七になるまで一緒だった。
俺は歳を取らないが、ルカはものすごく綺麗になったし、魅力が増した。
ヘタな言葉をかけるのは、残酷な振る舞いだし、相当なクズだろう。
「ほら立て、英雄の娘。刻印騎士がこんなところで泣いてたら、市民が不安になっちまうだろ」
「フン……冷血漢。財産よこせバカ王子」
「めちゃくちゃ言うな?」
勘弁してくれ、と右手を伸ばして、ルカを引っ張り上げる。
少女だった女は、それですぐに涙を止めた。
気丈なヤツなのだ。
年若くして伊達に長いこと、リンデンを背負って立っていない。
「見えると思いますけど、すでにあそこで、フェリシアさんと案内人が待っています」
「ああ」
「……まったく、ひどい話ですよ。いくら人が減ったからって、何もフェリシアさんまで持っていかなくたっていいじゃないですか」
「上からの正式な人事だろ? ルカとロータスさんのふたりがいれば、今のリンデンはどうにかできるって判断されたんじゃないのか?」
「まだこんなひどい在り様なのに? まったく、労りってものが無いですよねぇ……」
制服も白なんかやめて、黒くしちゃえばいいのに。
ルカは笑えない呪詛を吐いて嘆息する。
しかし、刻印騎士団は常に人手が足りていない。
大いなる魔物に襲撃されたからといって、無いものは無いのだ。
優秀な人材をいたずらに遊ばせておく余裕は、どこにも。
「ルカが月の瞳と契約しちまったのも、理由のひとつだろうな」
「む……」
水晶杖のルカ。
今回の件で、ただでさえ八面六臂の活躍をしていた才女に、未来視の能力まで備わってしまった。
アルマンドさんを失ったとはいえ、リンデンの刻印騎士は大幅にパワーアップしている。
魔物との霊的結合も、水晶魔法を修めたルカであれば、精神の浄化は問題ない。
準英雄級の働き。
ルカ・クリスタラーの名は、そう遠くない未来で、傑物として知れ渡るだろう。
月の瞳も、今のところは従順に、使い魔の役目を果たしているらしい。
リンデン復興のための最適解を、相談役として早速ウィンター伯に授けているとか何とか。
「次に会う時は、お互いもっと強くなっていような」
「そうですね。できれば近い未来で」
会話を切り上げるのは、どこまでも名残惜しかったが、時間には限界がある。
雪の勢いが速くなった。
「……まずいな。いよいよ吹雪いてきた」
「それじゃあ、もう行きます?」
「そうだな。そうするよ」
「分かりました。じゃあね、メランくん」
「じゃあな、ルカ」
声が震えないようにするのは、お互い下手くそだったかもしれない。
でも、背中を向けた後は、絶対に振り返りはしなかった。
せっかく笑顔で送り出してくれたのに、二回も泣き顔を見るワケにはいかない。
たとえ嗚咽が聞こえても、それはきっと気のせいだ。
雪は凪のように音を消す。
でも、なるべくゆっくり時間をかけて、大橋を歩いた。
気持ちを落ち着かせるには、俺もまた深呼吸が必要だったから。
「あ、先輩」
「──よ、フェリシア」
榛摺色の髪をひょこりと揺らし、
そして、
「はじめまして、メランズール殿下。案内人のゼノギアです。これからしばらく、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ゼノギア神父」
ザ、と。
踏みしめる雪に踵を鳴らし、カルメンタリス教の法衣のうえで、雨色の外套を羽織ったニンゲン。
緩くウェーブがかった金髪を、背中まで伸ばした丸眼鏡の優男。
歳は二十後半から、三十手前くらい。
大弓を肩にかけた、トライミッド連合王国からの道先案内人。
握手をしながら、頑張って意識を切り替える。
──トライミッド連合王国は、エルノスの三種族の国。
〈
三兄弟三姉妹の神話は、エル・ヌメノスの子どもらの神話。
エルフ、ドワーフ、ニンゲンは、神話では神々によって創造されたコトになっている。
(秘文字の奇蹟は、エル・ヌメノスの尼僧と等号)
思えば、なぜその関連に思い至らなかったのだろう。
三日前に英雄から聞かされた交換条件。
リンデンライムバウム家が、秘密裏に守り人の任を受けていたように。
この王国には、他にも尼僧の墓所を守る者が存在している。
リンデンの遺体は魔物に利用され、悪しき願いに染められてしまった。
しかし、現在の連合国王トーリー陛下は、書面の上で約束した。
〝大罪人リュディガーを探し出し見事に捕縛すれば、願いをひとつだけ何でも叶えよう〟
体のいいエサのつもりかもしれない。
だが、俺にとっては願いそのものより、この国が未だ隠し持つ尼僧の遺体が、
(月の瞳は口を割らなかったからな……)
世界を救うのに、なんでも支障が出るとか言って。
つまり、頼りにできるのはこれまで同様、自分だけ。
自分の運命は、自分の手で掴み取るしかない。
「では、吹雪もひどくなりそうですので、中に入りましょうか」
「そうですね。積もらない内に、最初の宿場町まで着ければいいんですけど」
「暖気灯の敷設された国道です。まあ、このくらいなら数刻くらいは大丈夫だと思いますよ。仮に無理でも、貴賓用の馬車です。居心地はホラ、かなりのものでしょう?」
「わあ、すごい! 先輩、これすっごい内装ですね! 椅子がフカフカしてます!」
「ああ、そうみたいだな」
まずは王都、ロアまで。
長い旅路が再び幕を開けた。
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tips:トライミッド連合王国
代表王と代表議会によって統治される。
北方では最大のエルノス人国家。
エルフ、ドワーフ、ニンゲンの三王国から、それぞれ三十年ごとの持ち回りで代表王を選定し、同じタイミングで王都が変わる。
カルメンタリス教を国教とし、数々の城塞都市が有名。
現王トーリーは病弱で変人なことで知られる。
王都の名はそれぞれ、
・ロア(ニンゲン)
・エリン(エルフ)
・ダァト(ドワーフ)
であり、三王家同士による婚姻・縁戚関係が結ばれているため、混血やハーフといった概念への寛容性は極めて高いようだ。
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