#138「鉄と銀の緒戦」



 〈目録〉に曰く、鉄鎖流狼は精神支配の魔法を使う。


 ──その人狼、げに痛々しき姿を晒し、見るものに心痛を与えし。

 ──数多の鎖を己が体皮に縫い付け、血錆を垂れ流すがごとき手負いの姿。

 ──然れどその人狼、未だ三日月の笑みで、人界を血に染めたり。


 特徴は一致していた。

 たしかに、痛々しい姿だった。

 一度見れば思わず「うっ」とし、眉をひそめ、胸の内の嫌な気持ちを自覚する。


 なんというか、交通事故の衝撃映像や、ピアスを開ける瞬間の驚きとか緊張。


 そういうものを何千倍にも膨らませて、ドス黒くしたようなショックが体中に広がるのだ。

 正視したいとは、お世辞にも言えない。

 けれど、


 ──まるで、拘束具のひとつひとつが、意思を持ったかの如く動き回り。

 ──巨大な狼の体毛の一本一本、鋭い爪と凶悪な牙、戦渦を描くように縦横無尽。

 ──並の武具ではまったく太刀打ちできず、捕まった者、皆どこかへと引き摺られそのうちに肉塊、血霞と化せり。


「ッ!」

「──ハァッ!」


 視線を背けられる余裕は無かった。

 路地裏はすでに死地へ変じていた。

 否、もはや路地裏だけではない。

 城塞都市のどこもかしこも、人狼が動き回る限り、すべてが戦場。


 ──カンッ、カンッ、カンッ、カンッ!


 大魔襲来の鐘は鳴り、悲鳴と怒号、急ぎ避難をと駆け出す市民たちの焦りは大きく。

 未だ日は、中天にも差し掛からない午前の曇天。

 朝餉を終え、仕事を始めたばかりの人々に、この報せがどれほど不意を打つ恐怖であるか。

 城下の街を縦に横に猛スピードで移動しながら、それでも魔物の暴威が斧を弾く。

 いいや、通用していないのは斧だけではない。


「“雌狼ルパ”── “夜梟ノクトゥア”!」

「ハッ、児戯にもなりゃしねえ……!」


 フェリシアの動物魔法。

 後方から追いすがる援護の連続。

 刃が立たないのは並の武具だけでなく、魔法さえもが鉄鎖流狼の前では雲散霧消。

 雌狼の群れは鉄の鎖のひと撫でで擦り潰され、影からの奇襲を行う猛禽も、風圧だけで返り討ち。

 見かけ上は単なる鋼鉄でも、どの鎖も鉄鎖流狼の伝説カラダの一部。

 攻防一体。

 人狼の首は、いまや余りにも落とし難い不落城そのものだった。


(いや、違うな)


 この場合、正しくは鎖鎌とか手裏剣が、何本もチェーンを付けて激しく回転している。

 そう表現した方が適切かもしれない。ベイブレードか?

 近づくのが難しいし、本気で打ち込んでも火花と一緒に弾かれる。

 さながら壊れた鎖鋸チェーンソー

 殺人ルーガルーは、建物を破壊しながら屋根から屋根へ飛び移った。

 鉄鎖流狼だって?


「まさか、見たまんまの名前とはな……!」

「……いいかげん、止まりなさいッ!」

「バカがッ、止めてみせろよ人間──!!」

 

 戦闘が始まって数分。

 〈目録〉に語られる鉄鎖流狼の脅威は、のに、俺とフェリシアは戦慄を禁じ得ない。

 匣を開けてしまったパンドラさながら、したくもない後悔が押し寄せる。

 まあ? もっとも? 俺の場合はパンドラと違って、開けるしか選択肢が無かったワケだが!


「── “イグニス”」

「アァッ!?」


 万象灼き焦がす復讐の火炎。

 斧では埒が明かないため、切り札のひとつを早速開帳する。

 鉄鎖流狼の鎖が見る間に赤熱化し、どろりと溶け落ちた。

 だが、通用したのは上辺だけ。

 身のこなしの素早いケダモノは、脅威を感じるや否や、レーシングカーのように街路を疾駆した。

 舞い上がる土と雪煙。

 ズタズタに捲れ上がった石の畳。

 貴族街の明媚な街並みが、加速度的に台無しにされていく。

 人狼は大きくカーブを描き、止まった。

 そしてニタリ、三日月の笑み。

 耳まで裂けた口元から、牙を剥き出しにして低い声を出す。


「──まさか、そうなのか?」

「……あ?」

「いや。オマエそうなんだろう!」

「……」

「煌夜の英雄……征伐者の末裔……絶えてはいなかったか? 不倶戴天ッ! だったら素晴らしいぞッ! 贄ってのは、やはりこうじゃなくっちゃなァッ!」


 人狼はクツクツとカラダを震わせ、口端からヨダレが垂れるのも気にせず叫ぶ。

 様子がおかしいのは、気にしても無駄だろう。

 こんなヤツを相手に、今ここで既視感デジャブなど覚えたくもないが、大魔であれば納得の精神性。

 破綻した心の裡は、深い奈落に沈んでいる。


(周囲に人気は無い……)


 けれど、貴族街だけに限らず年輪街や瓦礫街。

 人々の避難はまだまだ、完璧とは言えない。

 フェリシアがそろりと、物陰に隠れながら様子を窺っている。

 今のところ、彼女には援護に専念してもらっているが、ここまでの戦闘から“雄牛タウルス”の呪文が、非常に有効なカードになり得そうなのは俺も認識していた。

 動きも速く力も強い敵を止めるには、同じくらいの壁を使うしかない。

 とはいえ……


「使い所が難しいな」


 ボロボロになった斧の刃をチラリと確認。

 たった数分の衝突で、ドワーフの鍛えた武具がこのザマになった。

 ゴーゼルとジゼルに何と詫びを入れよう?

 残念だが、現状の俺の実力では、鉄鎖流狼の皮膚は破れないらしい。

 霜の石巨人フロスト・トロールの石膚をものともしない斬撃のはずだが、クズどもとは比べ物にならない強靭硬度。

 恐らく、大蹄大野牛ジャイアントバイソンが如何に凶暴な猛獣でも、馬鹿正直に力勝負に訴えれば、運行中の貨物列車にダンプカーでぶつかっていくようなもの。

 真正面からでは、きっと力負けしてしまう。

 だから、


「横っ面か、腹に入れてぇなぁ?」


 狙うのは効果的な一撃。

 ……問題は、それをどうやって抉り込むタイミングを生むか。

 〈目録〉が真実を語っているなら、悩んでいる暇は無い。

 眼前の大魔は、こんな物理的脅威よりも、もっと恐ろしい危険性を秘めている。

 ルカたちはきっと、もう少しだけ情報の整理や、伯爵の警護に拘束されるだろうし。


を使うか」


 俺は作戦を決めると、再度地面を蹴りつけ敵の元へ向かった。

 炎の大剣を、背後に十本、装填。







 ────────────

 ────────

 ────

 ──






 その戦いを、何と表現しよう?


(──凄い。凄すぎる!)


 古代の英雄譚。

 人間賛歌の叙情詩。

 勧善懲悪。

 まるで御伽噺の勇者のよう。

 大いなる魔物に立ち向かう流離いの戦士。

 強い男性ひとだとは知っていた。

 実力者の風格オーラが、常に隠し切れていなかった。

 けれど、それがまさか、ここまでの次元だったなんて。


(ついていくだけで、限界……!)


 フェリシアは走りながら、歯を噛み締めてその背中を追う。

 魔法による身体強化。

 動物魔法による追跡。

 素の能力だけでは、とっくに敵も彼も見失っている。

 この戦闘が始まってから、フェリシアには魔法を行使していない時間が無い。

 なのに、それでも未だ、引き離されかける驚愕と慄き!


 破壊の痕跡。

 倒壊した家屋の轍。


 後から追って目の当たりにする凄惨な戦闘現場。

 耳をつんざく鋼鉄のぶつかり。

 色彩イロ激しく苛烈な魔法。

 何もかも、今のフェリシアには不足を突きつける。


 〝足手まとい〟


「……ッ、くぅ!」


 刻印騎士団、団長。

 アムニブス・イラ・グラディウス。

 本物の憤怒の英雄を知って、痛感しない刻印騎士などひとりもいない。

 こんな歯痒さは、誰だって入団時に体験している。

 それでも、フェリシアはリンデンに派遣され、少しは自分も一人前になれたかと思った。

 期待の新人。

 将来有望なホープ。

 ぜんぜん違った。


(遠い……!)


 あまりにも、遠すぎる。

 彼らの立つ高みに比べれば、自分はまだ足元にも手を伸ばせていない。

 正直、昨夜の覚悟と決意なんか、とっくに何処かへ吹き飛んでいる。

 悔しすぎて泣きそうだし、というかすでにだいぶ泣いちゃってるし。

 とても彼のようには戦えそうにない。


 ……なのに。


(私は……!)


 足が止まらない。

 どう見ても、力不足であるのは明白なのに。

 自分みたいな足手まといが、この戦場に相応しくないのは、誰より実感している事実なのに。


(──それでも)


 刻印騎士団の白き制服。

 人界を護る盾の徽章。

 入団の誓いに懸けて、こんな自分でもまだ、信じていたいから。


 直観に従って、メランの意図を正しく理解できている自信のままに、タイミングを合わせる。


 フェリシアの読みが外れていなければ、鉄鎖流狼は炎の大剣に追い立てられ、確実にその瞬間ときへと向かうはずだ。


 だって、


「──!?」

「バカが。走りすぎたな人狼……!」


 リンデンの城下町には、アルゼンタム聖堂。

 聖銀のシルバー、最高傑作。

 そして、人狼にとっての弱点猛毒

 〝銀〟の聖域。

 カルメンタリス教の退魔の波動とともに、白銀の処刑場が存在する……!


「これは──だが!」


 鉄鎖流狼は空中で身をひねり、自身の鎖を鉤縄のようにして他の建物へ伸ばした。


「ハッハッハッ、これで追い詰めたつもりか!?」

「落ちろ。やれ、フェリシア!」

「はいっ!」


 灼き切られる鉄鎖を確認し、“雄牛タウルス”発動。

 暴れ狂う牛王が、待っていたとばかりに人狼のカラダへ頭上から伸し掛る。

 その重さは、果たしてどれほどのものか。

 墜落先はもちろん──


「神様、お許しください!」

「────────────────!!」


 声にならない声。

 激痛の咆哮。

 まるで雷に打たれたかのように全身を痙攣させ、大魔は白目を剥きながら聖堂の中へ落ちる。

 貴重な文化遺産、見事な建築芸術が、屋根を壊され、大きくその価値を損なってしまったものの、


「これで、どう!?」


 人狼に対する最大効果の攻撃。

 大魔とはいえ、戦果は期待できる会心だった。





────────────

tips:鉄鎖流狼


 古代末期に発生した人狼の大魔。

 その忌み名は、鉄の鎖が流動する狼が如くだったため。

 だが、この魔物にはもうひとつ、隠された名がある。

 かつての主は、むしろそちらの名の方を褒めていたとか……

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