#139「鉄鎖流狼=悪心萌芽」
痛みが、意識を鮮明にした。
血と魔力と呪いが、反吐と一緒に喉奥を逆流する。
灼き切られた鎖なんか、大したダメージではない。
問題なのは、銀の猛毒。
まるでカラダの内側が、中身から引っ繰り返されたみたいに全身を蝕み、文字通り世界が裏返った。
「────────」
眼球がどこを向いているか分からない。
だが、それと同時に、意識から余分な熱がカットされ、苛立ちから来る衝動が、少しだけ冷水に漬け込まれたみたいに、小さく萎んでいくのが分かった。
冷静さが取り戻される。
「────────ァァ」
瓦礫を払い除け、深く深く息を落として。
激痛は当然、絶え間なく続いていたが、気が狂うほどの痛みなど、逆に清涼剤。
痛みの無い日々など無く、痛みあるから己あり。
ゆえに、精神は段々とクリアに世界の輪郭を取り戻した。
人狼としての肉体が、壊滅的なダメージを負おうと、我らは魔物。
奈落に堕ちたる心の化身。
心さえ確かであれば、いつだって現実の方を凌駕可能……
「オレとしたことが……」
聖堂の参列席を、踏み砕きながら扉を開ける。
瞬間、手の皮膚が弾け飛び、腕の鎖が何本かイヤな音を上げてヒビ割れるも、留まっているよりかは遥かにマシ。
外に出たコトで、眼球がジュクジュクと血膿を出しながら、ゆっくりと元の位置に戻った。
おや?
どうやら、先ほどのデカい牛は、もう消したらしい。
(甘い判断だ……けど、認めてやる)
アレほどの隠し技を持っているのなら、この戦場には少なくともふたり。
敵と認めるのに相応しい人間がいる。
素晴らしい。
追撃をしてこないのは何故だ?
分からん。
でも、おかげでひどく〝状況〟は単純になった。
頭のいいフリは、やっぱりやめよう。
「──ギヒッ、ギャハッ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハーーッ!!」
HOWLING
「……!」
「!?」
人間がふたり、音圧だけで吹き飛んだ。
(オイオイ、ダメだろう?)
もっと踏ん張れ。
公子の贄に、せっかく相応しい供物を見つけたんだ。
敵ならば立ち上がれ。
戦意を奮い立たせろ。
オマエたちの渾身、全霊、その悉く。
すべて呑み込み喰らい、魂までしゃぶり尽くさなければ、何のための悪魔だと云うのか。
「リンデンをちまちま調べるのは、もう出来なくなっちまったなァ……?」
大魔の襲撃を報せる鐘の音と騒音。
近くに忍び寄る刻印騎士の匂い。
秘宝匠の鍛えた武具を携えて、腕に自信のある騎士までが、鉄鎖流狼を取り囲み始める。
こうなってはもう、正体を隠せない。
二千年ぶりに消滅の危機を感じた。
理由としては、たったそれだけの瑣末事だが、そのせいでまさか、ここまで自分が冷静さを欠いてしまうとは。
二千年間の微温湯に、神経を侵されていたのは、業腹ながらも人間だけではなかったらしい。
「悪かったな、人間ども……目が覚めたよ」
周囲を見回し、首をひねる。
姿を晒しているのは、刻印騎士が三名。
見込みはある様子だが、しかし、地に膝をついてキツそうな顔をしているのは、やはりいただけない。
常人が耐えられないのは仕方がないが、魔力に恵まれた人間が、この程度の圧力に屈してしまうようでは、とても公子の食指を動かすに足りた供物とは言えない。
「とはいえ、もはや一切合切だ」
胸を掻き毟り、血と肋骨と鋼鉄の欠片をばら撒く。
爪と指の隙間に、ドロッとした心臓を掴み、そのまま引き抜き天へ翳して、
「“
自死としか呼べない凶行。
然れど、魔物は疾うに、今を生きる
存在そのものが、現象に近しい混沌の渦潮。
ゆえに見晒せ、当代の人間ども。
鉄鎖流狼とは、悪なる魔。
かつてこの地で、オマエたちと相争った仇敵の名である。
思い出すがいい。
鉄鎖流狼が、如何なる大魔法とともに恐れられた魔性であるか。
そして、悪心の美しさを!
「──
直後、リンデンの空は赤黒く染まり、都市の城壁は鋼鉄でできた監獄の囲いに変わった。
鉄格子が大地より都市を覆う。
紅色の満月が、リンデン城の真上に顕現した。
「全員、生皮を剥いでやる」
誰ひとりとして逃れられる者はいない。
────────────
────────
────
──
空気が重たかった。
息が吸いずらい。
肩にかかるプレッシャー。
強大な魔力を持った者が発する
先ほどまでは耐えられた。
けど、今はもう立ち上がるコトも難しい。
(重力、が……!)
増した。
そうとしか思えない。
強制的、加重現象。
敵をアルゼンタム聖堂に叩き込み、致命傷を与えたと錯覚した刹那だった。
リンデンには明らかに、コールタールのような空気が上から覆いかぶさった。
鉄鎖流狼の魔力。
大いなる魔物の存在感。
霊脈が穢された。
〈
人狼の存在規格を、俺は見誤った。
正体を見破り、不意を打ち、路地裏で目の当たりにした奈落の深度。
指先にチリリとした痺れを起こし、首の裏筋からゾワリと総毛立つ感覚。
だがしかし、それはかつての『最恐』ほどではなく。
〝頑張れば勝てそう〟
そんな予感を脳裏に過ぎらせ、結果的に勝算のパーセンテージを誤認した。
なぜ考えつかなかった?
(正体を見破られても、なお……!)
鉄鎖流狼は、己が存在感を小さく見せていた。
人狼。
人間を欺き、必ず殺さずにはいられない魔物。
下手に追い込むのは、悪手だったかもしれない。
それほどの大魔力。
ただの威圧が、重力という形で物理的に重たかった。
そのうえ、懸念していた大魔法。
〈目録〉に語られる、恐らくは精神支配の魔法まで使われてしまった。
「──ク、ソが」
口に溜まった血反吐を吐き捨て、根性で立ち上がる。
フェリシアは傍にいない。
吹き飛ばされた際に、彼女は運悪くも大通りに立っていた。
壁となる障害物が少ないから、最悪、年輪街まで行ってしまったかもしれない。
これは完全に、俺の落ち度である。
「マズイぞ……」
リンデンはいま、大魔襲来によって、大勢が都市の外へ避難しようとしていた。
なのに、鉄鎖流狼は大魔法を発動し、恐らくはリンデン全体を異界化。
自分にとって都合のいい、何らかの
見たところそれは、牢獄……いや、監獄か?
ともかく、紅色の満月に照らされた、鋼鉄の檻。
リンデン市民は逃げ場を失った。
そして、もはや逃れられない。
鉄鎖流狼の大魔法。
それは、人間に潜む悪性や獣性。
負の側面を強制的に倍増し、ケダモノへと堕とす下劣なノロイ。
オマエたちの本性は、〝醜さ〟だと突き付ける性悪説礼賛。
抵抗力の少ない者から、間もなく、全リンデン市民が暴走を開始する。
暴走はやがて殺し合いに。
人間に人間を殺させる。
鉄鎖流狼は、ゆえに禁忌に登録された古代の大魔。
抗うには、そう。
「──『魔法陣』を展開します!」
長い歴史の変遷のなか、人類が積み上げ研鑽した、新たなる魔法の境地。
大魔の〈領域〉にも真っ向から対抗可能な技術に、頼るしかない。
「……やれるのか、ルカ?」
「やるしかないでしょう」
「我ら刻印騎士団、人界を護る盾」
「人間に仇なす魔物は、退治てやるのが誓いなれば」
白騎士がゆっくりと立ち上がる。
「女ひとりにジジイがふたり……哀れだ。落ちぶれたものだなァ、刻印騎士団」
「──ほう? 哀れとな? 畜生の目には、我らが哀れと映るか」
「どうやら知らぬらしい」
ロータスさんとアルマンドさんが、互いに懐から武器を取り出す。
「ここに居るのは、貴様ら魔物の鏖殺者」
「白き衣と盾の徽章。我らは古代から今まで、一度たりとも戦いをやめていない」
「その
「──ほぅ?」
────────────
tips:悪心よ、萌芽せよ
ゲルミナティオ・ノズィーアン。
鉄鎖流狼の扱う大魔法。
対人特攻であり、精神汚染。
人間の心の裡に巣食う悪性と獣性を、極限まで肥大化させて人格を変貌させる。
些細な苛立ちや他人との衝突が、殺し合いの惨劇に発展する魔法であり、まるで人間がケダモノへ堕ちたかのような地獄絵図を一晩で創造可能。
紅色の満月を、直視してはいけない。
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