#137「誤算と接敵」
──では、ここでひとつ、鉄鎖流狼側の
誤算というより、正確には経歴と云った方が適切かもしれないが。
鉄鎖流狼には古代末期から、およそ十年前まで、自身の〈領域〉に閉じこもっていた背景がある。
大いなる魔物は一種の伝説であり、存在そのものが異界のようなもの。
白嶺の魔女に『白髏の夜』という世界観があったように、鉄鎖流狼にも勿論、その魂から織り成す独自の世界観がある。
鉄鎖流狼はそこで、およそ二千年近く閉じこもっていた。
何故か? と問われれば、答えは単純。
鉄鎖流狼にとっての英雄。
救い主であり永遠の王。
闇の公子と呼ばれる吸血鬼が、エリヌッナデルクの大戦を境に、消息を絶ってしまったためだ。
公子は鉄鎖流狼が魔に堕ちたキッカケ。
言うなれば、親とも呼べる存在だった。
そんな彼の行方不明を前に、鉄鎖流狼の嘆き、怒り、苦痛、絶望。
破綻した精神は耐え切るコトができず、ただ延々に、ひたすら己が〈領域〉内にて狂気を爆発させるしかやり過ごしようがなかった。
人狼であるがゆえに、時折り本能的に人里は襲った。
だが、それはただ魔物としての、抗いようのないサガに従っただけ。
鉄鎖流狼が鉄鎖流狼たる理由。
大いなる魔物として、明確な目的意識に従って行動したワケではなく。
ケダモノの欲、殺害の悦。
呼吸をするために、意識して肺を動かそうとする人間がいないのと同じ話で。
人狼は無意識的に、人間を殺す。そういう魔物であるというだけ。
しかしその度に──やれ討伐だ。やれ復讐だ。
人界は騒ぎを起こし、躍起になって鉄鎖流狼を殺そうとしたが、大魔に敵う人類などそう居るはずもない。
結果はいつも同じだった。
鏖殺。
鏖殺、鏖殺、鏖殺。
すべては古代に流した数多の真紅の焼き回し。
そして、どうしようもないほどの劣化。
どんなに大地を赤く染め上げようとも、
満足するコトができない。
世界は色褪せ、輝きを失い、何のために自分が存在しているのか、意義を見失ってしまった。
ゆえにこそ、自我の崩壊は必然で、鉄鎖流狼はおよそ二千年間、ほとんどを己が〈領域〉で泥のように過ごして来た。虚無のような二千年間だった。
月の瞳との出会い。
敬愛し、憧憬し、崇拝する公子の復活。
自身の手で再び〝意義〟を取り戻せると知らされなかったら、未来永劫、そうしていただろう。
崩壊していた自我に、深淵の
そこからの話は特に難しくはない。
月の瞳の言葉に従い、ただひたすらに闇の公子復活のための走狗となる。
脅威となる存在について、情報のアップデートも行った。
鉄鎖流狼の目的は、人類にしてみれば最悪の目論見。
いずれ必ず、立ち塞がって来る者が現れるはずで、その時は絶対に全霊を尽くして排除しなければならない。
……だが、鉄鎖流狼は大魔である。
古代に名を馳せた大いなる魔物で、二千年の時を経ようと、大魔に敵う人間は少なかった。
憤怒の英雄のみが目下最大の障碍で、それ以外は触れれば砕け、撫でればひしゃげ、まさに脆弱至極。
古代に敵対した英雄英傑、勇者賢哲、聖王聖君に比べれば、当代の人間のなんと脆く儚いコトか。
──エリヌッナデルクの終結は、人間を間違いなく弱くした。
鉄鎖流狼がそう判断するのに、時間は然程かからなかった。
その結果、何が起こったかと云うと、話はこれまた単純。
ズバリ、慢心。
鉄鎖流狼は
二千年間の〝平穏〟のせいで、人間は弱くなり、英雄英傑、勇者賢哲、聖王聖君はゴッソリと姿を消し、
──ならば殺戮だ。
──皆殺しの
──闇の公子復活のための、贄となれよ人間ども。
鉄鎖流狼の意識などそんなモノで、つまり、この大魔は人類について、『英雄・英傑・勇者・賢哲・聖王・聖君』といった物差ししか持たなかった。
それ以外の
いわゆる常識。
たとえば、古代では非常に
今回の場合は『猟犬の追跡』が、現代では魔物退治の専門家にとって、高価ではあるが決して消費を躊躇うほどの薬ではなくなった──歴史的変遷。
人狼の変身能力が、如何に秘宝匠の聖具を騙くらかそうと、その欺瞞はもはや、絶対の保証を持っていない事実。
どんなに上手く化けようとも、人間は人狼の脅威に、きちんと対抗策を見つけている。
殺した人間の記憶を読み取れる?
なるほど。
たしかに、それは恐るべき驚異の能力。
だが、勘違いしてはいけない。
人狼のそのチカラは、あくまでも『変身』に付随するもの。
獲物を欺き、騙し、演じ、罠にかけるためのチカラであって、本当に重要な情報を好きなように読み取れるワケじゃない。
長期間、一心に集中し情報の引き出しにかかれば、まだしも。
たった数日、それもサラッと流し読みした程度。
それではまったく、〝現代に追いついた〟とは言えないのだ。
鉄鎖流狼の知識は、未だほとんど古代の末期で止まっている。
ゆえに。
鉄鎖流狼は、知る由もなかった。
年輪騎士に化け、何食わぬ顔で水煙草を吸い、次はどう警戒網の穴を突くかと思案していた時に。
路地裏に突然入ってきたダークエルフが、いきなり斧を振りかざし、自身の首を狙ってきた
自分が何故、こんなにも早く退治家の目に留まってしまったのか。
また、ダークエルフの青の瞳に、昨晩殺した年輪騎士の未練が、しっかと映り込んでいた事実など。
鉄鎖流狼には知る由もない。
「ガッ──」
一瞬の攻撃。
首を断たれる。
直観的に理解できたのは、正体を見破られた事実とその実感だけ。
皮を脱がなければ殺される。
だから、
── 一方で。
それが誤算、想定外だったのは、ダークエルフの方も同じだった。
一撃必殺。
それは、斧使いであれば誰もが心に誓う戦闘の理念。
不意打ちは完璧で、振るった刃は間違いなくトップスピードで敵の首へ「斬撃」を叩き込み。
勝負は一瞬。
皮を裂き、肉を絶ち、骨をも砕き、後はズバッと通過させてしまうだけ。
首を落とした、という手応えを得るまで、もはや本当に残りわずか。
だったというのに。
「ッ!」
ジャラジャラとジャラジャラと。
ギキギキギキギキギキギキッ! と。
それが突然、有り得ない量の
金属と金属がぶつかり合い、擦れ合う際に奏でる耳障りな不協和音。
およそ人間ひとりのカラダに潜り込むには、あまりにも質量法則を無視した鋼鉄のうねり。
波打ち蠢く容貌魁偉の氾濫。
いったい何だ? と双眸を見開けば、路地裏を埋めたのは大量に荒れ狂う鉄の鎖。
やがて、人型の狼。
──大魔の
「なっ、なん? えっ!?」
「じ、人狼……! クソォァッ!」
「急いで! 知らせを!」
「ッ……!」
動転していた衛兵たちが、フェリシアの一喝に歯を食いしばりながらも、立ち上がって駆け出す。
その後ろ姿を、ある程度まで見守りながら、路地裏の緊張感は秒単位で高まっていった。
GRRrrrrrrrrrrrr……
苛立ちに染まった唸り声。
敵の正体は、いまやこれ以上ないほど瞭然に、眼前に浮かび上がっている。
血と肉と生皮の破片。
犠牲者である年輪騎士の
「危ねぇ……危ねぇ、危ねぇ、危ねぇ……危ねぇじゃねえかよクソボケが……」
「──先輩」
「ああ。間違いない」
フェリシアの固唾を飲んだ小声。
刻印騎士団ならば、〈目録〉に語られる大魔の忌み名くらい、全て抑えている。
鉄の鎖を纏った人狼。
そんな特徴は、幸いにしてひとつの名しか指し示さない。
「──〝鉄鎖流狼〟」
「発生年数は……推定で二千三百年以上ですッ」
「古代の大魔だな。大物だが、呑まれるなよフェリシア」
「ッ、はい! でも、どうしますか、この状況!?」
「
端的な返しに、少女の顔がわずかに引き攣る。
無理もない。
だが、このプレッシャーと鉄鎖流狼のネームバリュー。
接敵してしまった以上、見逃す選択肢だけは何処にも無かった。
ただでさえ人狼という時点で見過ごせないのに、古代に名を馳せた大いなる魔物と判明してしまえば、もはや一刻の猶予も無い。
最悪の場合、リンデンは〝魔都〟に堕ちるだろう。
「やるっきゃないぜ」
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tips:人狼の能力
殺した人間の生皮を剥ぎ、被るコトでその人間に化けられる変身能力が有名だが、人狼がその際に、被害者の記憶をも読み取れるコトはあまり知られていない。
余談だが、〈渾天儀世界〉にはこんな諺もある。
「生皮剥ぐまで人獣分からず」
その人物の正体が、人であるのかケダモノであるのか。
人狼であるかどうかにかかわらず、人間の本性そのものを問う警句である。
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