#136「この世にないモノを追う」
フェリシアの様子が少しおかしい。
(やっぱマズかったか……?)
朝、宿の一室。
野菜スープと腸詰のソテーを食べ終わり、俺たちは互いに身支度を整えている。
しかし、室内の空気はちょっとだけ気まずい。
というのも、昨夜からフェリシアがひどく緊張している。
最初は
だが、様子を見ていると、どうやらそういうコトではないらしく、〝異性との共同生活〟的な面でテンパってしまっているようだ。
部屋の中には昨夜からピンッ! とロープが張られ、ベッドシーツによる急造のパーティション。
簡易的なカーテンレールみたいなものまで引かれてしまった。
(まさか、ガチの生娘だったとは……)
失態である。
反省である。
昨日は久々の入浴が最高すぎて、つい気が緩んでいた。
十代の少女に迂闊にも、半裸で接近してしまうなんて。
時と場合によっては、両手どころか首に縄がかかってしまう軽挙妄動。
やはり金は、人間を油断させる。
日頃からこのへんは、かなり気をつけているつもりだったのだが、急ぎ気を引き締め直さないと。
将来有望な刻印騎士に、悪い噂がついてはいけない。
(あくまでビジネスの関係だってコトを、念頭に置いとかないとな)
信用と信頼。
自由民はそのあたりが、本当に簡単に崩れ去るので。
「──よし」
いつもと同じ格好になったところで、パーティションを振り返る。
(うん。狭いな)
こんなコトになるなら昨日の内に、二部屋借りれば良かったと後悔しなくもないが、それだとやっぱり名目が果たせない。
人狼対策としての監視役。
面倒ではあるが、受け入れた以上は仕方がない。
本当はアルマンドさんか、ロータスさんが相方に選ばれると考えていたが、今回俺に求められている働きは、遊撃隊的な意味合いが強い。
フェリシアの動物魔法は、強力ではあるが中遠距離からのバックアタックスタイル。
ルカも恐らく、俺との相性を考え、サポート的な意味で人選したはずだ。
初手でいきなり戦力を集中させるより、まずは様子見を兼ねて、柔軟なユニットを配置するのは古今東西共通の話。
なのでフェリシアには悪いものの、これも仕事の内と思って、しばらくの間だけ我慢してもらわなければ……
(俺だって、多少は昨日の内に考えたんだぜ?)
少なくとも、瓦礫街の仮屋を拠点にするより、こっちの方が遥かにマシだろう、と。
「あー、フェリシア?」
「! はい、な、なんですかメラン先輩?」
「俺の方は準備ができたんだけど、そっちはどう?」
「だ、大丈夫です。私も、準備できました」
「開けても平気か?」
「えっと……はい!」
返事が来たので、シーツをズラす。
フェリシアはキッチリ正装だった。
刻印騎士団の白い制服に、猛禽羽の外套。
腰に差した短剣に梟杖。
目元にはうっすら、クマが残っているが、それを指摘するのは少々意地が悪いか。
歓迎会の時のウブな反応。
俺は若干、カマトトの可能性もあるかと後々になって、少しだけ疑念に駆られていたのだが、純朴な村娘らしさは嘘ではなかった。
きっと良いご両親と、良い師匠のもとで愛されて育てられたのだろう。
俺がスレた自由民だからだろうな。
フェリシアを見ていると、人間の純粋さや心根の良さ。
そういったものを、無条件に思い出せて安心する。
だからこそ、尚更に。
「──んじゃ、行きますか」
「はい!」
リンデンに潜り込んだ人狼の脅威。
長々と
(まずは事件現場に)
追跡の手段は二通りある。
その内どちらが使えるのかは、すぐに分かるだろう。
俺とフェリシアは、瓦礫街へ向かった。
リンデンでは現状分かっているだけで、ふたりの被害者が出ている。
最初のひとりはエルフの連合騎士で、彼はやはりあの石橋付近で人狼に殺された。
だが、人狼は彼の皮を奪えず、現在確定で皮が奪われたと判明しているのは、洗濯女のクィニー。
いわゆるスラムの労働者であり、洗濯業で生計を立てていた薄幸な女性だったそうだ。
生前の彼女と少なくない親交があったと云うソーダ司祭によると、クィニーはロクデナシの夫に借金を背負わされ、いろいろ苦労が多かったと聞いている。
未練があれば、必ずこちら側に〝想い〟を残しているだろう。
(そう、亡者の念を……)
──だが。
「……どうですか?」
「ダメだな。もう
フェリシアからタリスマンを受け取り、首を短く横に振る。
「ありがとう。あと、衛兵たちも戻してもらっていいか?」
「あ、はい」
「悪い。俺が言うより、フェリシアの方が〝通り〟がいいからさ」
「大丈夫です。ちゃんと分かってますから」
会釈を挟んで、フェリシアが離れていた衛兵たちを再び呼びに行く。
その間に、俺は薬箱から小瓶を取り出し、ブワァッ! と中に入っていた粉薬を空気中にバラ撒いた。
死界の王の加護がダメだった以上、頼るのは自前で用意した錬金術の妙薬。
銀色の光がキラキラと宙を舞って、次第にグルグル回り出すのを確認する。
「……? これは、何をやったんですか?」
「『猟犬の追跡』だよ。一定時間だけど、魔物の痕跡を可視化させる薬品でね」
トコトコと戻ってきたフェリシアに簡単に説明しながら、銀粉が匂いを嗅ぎとるまで大人しく時間を待つ。
「正直、被害者本人から情報を聞き出せれば、一番手っ取り早かったんだけどな。
クィニーって
潔のいい人物だったのか。
あるいは、生きているより死んだ方が、遥かに楽な人生だったのか。
この世界では人は、誰でも魔物になり得る。
けれど、皆が皆、死ねば
どちらが幸せで、どちらが不幸せなのか。
俺は現状、答えを持ち合わせないものの……
「まあ、殺されて泣き寝入りってのも、後味が悪い。
死者の代弁を気取るつもりはないけど、俺自身がムカついたから、報いはくれてやらないとな?」
「だから、この薬品を? もしかして、いつも持ち歩いているんですか?」
「出費は嵩むんだけどな。でも、材料費だけなら手が届かなくもないんだ」
『猟犬の追跡』
材料は、猟犬の遺骨、蟲喰みの大銀樹の根片、狩人の詩篇。
製法は知らない。
『樹霊の爛れ』なら自分でも作れるんだが、コイツは馴染みの行商人から定期的に材料を購入し、ロータスさんに調合して貰っている。
「刻印騎士なら持っといて損は無い薬だから、フェリシアもいつか、ロータスさんから作り方を教わった方が良いかもしれない」
「な、なるほど。今度聞いてみます!」
と、フェリシアが興味深そうに真剣な頷きを返してくれたところで、
「──嗅ぎつけたな」
銀粉がグルグルと渦巻くのをやめて、移動を開始した。
人狼の変身能力は秘宝匠の聖具をも欺くが、錬金術はこの世に無いモノを物質化させる学問であり技術。
人狼が如何に巧妙に化けようとも、魔物であるからには境界を異にし、この世のモノではない事実が、痕跡諸共、錬金術によって浮き彫りにされる。
「こっからは少し走るぞ」
「はいっ!」
俺たちは『猟犬の追跡』に従い、走る。
銀粉は路地裏を這うように移動し、次第に丘を上へと目指していく。
「……聖壁に怯む様子が無い?」
「ああ。それなりに力のある野郎らしい」
フェリシアの気づきに同意しながら、眉間のシワを深くする。
リンデンはその特性上、上に登れば登るだけ退魔の波動が強くなる。
秘宝匠ブロッカー・メイソンによる聖なる城壁。
秘宝匠ロゥ・シャンデリオンによる暖気灯と聖火灯。
秘宝匠シルバー・スミスによる無数の銀細工と銀装飾。
いずれも至高には一歩届かずとも、魔物ならば近づくだけで苦痛は必至。
並の魔物なら、侵入できたとしても、せいぜい年輪街までが関の山。
普通なら近づこうとすらしないはず。
(だけど、これは……)
「メラン先輩っ、アレ、城下に向かってませんか……?」
フェリシアの声が、驚きと疑いの震えで強く耳朶を打った。
そこで、
「! 止まれ、フェリシア」
「ッ、はい」
年輪街、路地裏。
城下へと繋がる北門近く。
三十分ほどのランニングで、薬品は効果が切れ。
銀粉が力なく、風に煽られ消えていくが、最後にたどりついたのは年輪騎士の詰所裏。
恐らくは休憩中だろう衛兵ふたりと騎士ひとりが、
「……」
俺は静かに斧の柄を握り締めた。
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tips:猟犬の追跡
錬金術の妙薬。
猟犬の遺骨、蟲喰みの大銀樹の根片、狩人の詩篇を材料に作られる。
銀色の粉末状で、ガラス瓶の栓を開けて、空中に中身を振り撒くと、魔物の痕跡を追跡する。
──厄介な魔物に逃げられたなら、こいつは便利な逸品ですぜ?
とは、卸屋ガーガンの言だが、材料調達も難しければ、調合難易度も高い。
それなりに貴重(高価)な薬である。
※大銀貨十枚〜十五枚(1万5000円以上)
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