#134「リンデン城で伯爵と」



 その城は〝断片幾何学フラクタル建築〟の精華精髄だった。


 うぐいす色の布地に、銀冬菩提樹の紋章。

 翻る旗と垂れ幕。

 ステンドグラスは丸酸塊の葉と銀細工を描き、天井を支える柱の構造は、まるで木の枝が頭上に広がるよう、組み上げられている。

 壁の石垣、床の石畳。

 幾何学模様を目にしない箇所は無く、外観も内観も、総じてフラクタルに築き上げられ。

 〈渾天儀世界〉に特有の建築技法が、異国情緒をこれでもかと醸していた。


(リンデン城……)


 正式名称、リンデンライムバウム城。

 城塞都市の中枢に位置し、丘の頂点、且つ最奥の砦。

 領主であり城主、ウィンター・トライ・リンデンライムバウム伯の居城でもあり、ここには城主の一族とその家政機関。

 そして、軍事的な要所でもあるため、騎士と従卒、領主軍の兵士──都市の中でも選りぬきの戦士たちが、絶えず駐留している。


(貴族の世界か……)


 懐かしい空気を感じるのは、決して気のせいではない。

 だが、リンデン城には一目見ただけで、メラネルガリアとは大きな違いがあった。

 陰惨な雰囲気。

 重々しいプレッシャー。

 リンデン城にはそれが無い。

 というか、むしろ、柔らかな暖かさまで感じられる。


暖気灯照明ステンドグラスが多いせいかな?)


 光に照らされた場所が多いため、だからそう思えるのかもしれない。

 アロマでも焚いているのか、心地のいい香りもほんのり漂う。

 色合い的にも、真っ黒ではない。

 しかし、


「──さて」


 西陽の差し込む軍議室。

 広い部屋の真ん中に長方形のテーブルを置いて、一堂に会する錚々そうそうたる要人たち。


【刻印騎士団リンデン支部】

 刻印騎士 ルカ・クリスタラー(支部長)

 刻印騎士 アルマンド・バッリストラ(副支部長)

 刻印騎士 ロータス・スパーダ(支部長補佐)

 刻印騎士 フェリシア・オウルロッド


【領主軍代表】

 年輪騎士 ペルシヴァル・トライ・エイル(騎士長)

 年輪騎士 テオドール・キリエ(副騎士長)

 年輪衛兵 ハミング(衛兵長)


【リンデン秘宝匠組合】

 秘宝匠 シルバー・スミス(大看板)

 秘宝匠 ロゥ・シャンデリオン(先代大看板)

 秘宝匠 ブロッカー・メイソン(次代大看板)


【カルメンタリス教会アルゼンタム聖堂】

 司祭 レイノルド・ソーダ


 ……いずれもリンデンで暮らしていれば、一度は名を聞く著名な人物ばかり。

 そこに、


「待たせてしまって申し訳ない。突然の呼び出しに応じてくれて、皆ありがとう。久しぶりの顔もあれば、はじめましての顔もあるね。一応挨拶をしておくと、私がウィンター・トライ・リンデンライムバウム」


 まずはお茶でも飲むとしようか。

 ニンゲンとエルフのクォーター。

 正真正銘の貴族。

 美貌の伯爵が、風に髪をなびかせ、ハーブの香りを纏って登場した。


(……おいおい)


 ダークエルフの自由民など、明らかに場違いじゃないか?

 若干頬を引き攣らせつつ、刻印騎士側として領主軍メンバーとの間に座り、メイドが給仕した上質なハーブティーを一口啜る。


 見たところ、落ち着いた様子でいるのは、やはり職業戦士のメンバー。


 ルカを筆頭とした白服の刻印騎士。

 こちらはフェリシアのみ、見るからに緊張した面持ちだったが、どうやらすでに招集の由は把握している。


(まあ、魔物が出ておいて、刻印騎士団が出張らないはずはないしな)


 伯爵との意識合わせ、状況共有も大方済ませているのだろう。

 秘宝匠組合や教会の司祭と比べて、明らかに困惑、戸惑いの気配が薄かった。

 鎧姿の領主軍代表も、対面の座席に比べれば、刻印騎士ほどではなくとも事態を察している雰囲気。

 リンデンの主は、そんな彼らを上座から見回し、皆が一呼吸を置いたところで、再度口を開く。


 こうして間近で接するのは初めてだが、思いのほか線が細い。

 キリリとした怜悧な眼差しに、よく通るアルトボイス。エルフの血混じりのせいだろうか?

 背が高くて、まるで海外のモデルのようだと思った。


「まず皆に参集してもらった理由についてだけど、単刀直入に言えば、この都市に〝人狼が紛れ込んだ〟可能性があるからだ」

「! 人狼!?」

「うん。これは私の臣下たちと、そこにいる刻印騎士団の共通見解でもある」


 動揺が広がったのは、秘宝匠組合。

 大看板シルバーが、ゾッと青ざめ息を詰まらせる。


(なるほど)


 人狼。

 それは魔物の中でも、吸血鬼に並びポピュラーな存在。

 人から転じた魔。

 狼憑き。

 コイツは人類社会で、最も厭悪されている魔物と言っても、過言ではない。

 人間の生皮を剥ぎ、人間に化け、人々の生活に潜り込んでは、夜毎に殺人を繰り返すタチの悪い魔性。

 生前に呪いを積み重ね、死後もなお人間を殺すと誓った者のみが、この魔物に転生すると云われている。

 つまり、人類にとってはこの上のない〝敵対者〟

 シルバー含めほかふたりも、聖なる職人とはいえ、人狼の名を聞き血の気を引いてしまうのは、無理もない反応だろう。


「失礼。ウィンター伯」

「何かな、ソーダ司祭?」

「いま人狼とおっしゃられましたが、というコトはすでに、犠牲者が出ていると?」

「その認識で問題ない」

「ぉぉ……なんたる。神よ」


 灰髪の大男が、聖典を握りしめ短く祈った。

 レイノルド・ソーダ。

 リンデン教会の祈祷と聖餐式を取り仕切る司祭。

 ドワーフの血が混じっているらしく、その外見は〝灰色のサンタクロース〟とでもいった風体である。

 ただ、身なりは質素。

 レイノルド・ソーダ司祭といえば、日頃から清貧を心がけ、信徒からの喜捨も浮浪者や孤児への炊き出しに使ってしまうとして知られている。

 犠牲者が出たと聞いて、ひどく胸を痛めた様子だった。


「事件が発覚したのは、連合騎士の死体が森で発見された二日前になります」

「人狼の仕業だと判断した根拠は?」

「連合騎士の死体に、皮を剥ごうとした痕跡があったためです」

「痕跡? むぅ、ルカ様を疑うワケではないが、それだけで本当に、人狼と断定してしまってもよいものなのかのぅ?」

「瓦礫街のイカれ野郎や、変態野郎シェイプシフターの可能性もあるんじゃないか?」

「残念ながらそれはない。人狼で決まりだ」


 秘宝匠組合からの疑義に、ロータスさんがハッキリと断言した。

 古くからリンデンを守る老刻印騎士の言葉に、職人たちがつい気圧される。


「連合騎士の死体を検分したが、アレは途中で自ら身体を傷つけていた」

「自ら? つまり、自傷を?」

「そんな。なぜ」

「高潔な騎士だったのだろう。人狼に皮を奪われ、連合騎士の外見ナリで都市に侵入されれば、甚大な被害が出かねん」

「私も確認しましたが、アレはそれを食い止めるため、敢えて自傷行為に走ったとしか思えぬ傷跡」


 いわゆる〝騎士の防御痕〟でしたなと。

 アルマンドさんが補足して目蓋を下ろす。


「騎士の防御痕……?」

「昔からよくある刻印騎士我らの教えだ」

「連合騎士はエルフでした。きっと長年、この国に仕えていたのでしょう」

「我々刻印騎士は、人狼への対処法として、決して自身の皮を奪わせるなと教え込まれます」

「要するに、被害者である連合騎士は、刻印騎士団に知己でもいて、その対処法を幸運にも聞き知っていたというワケだね」


 ウィンター伯が話を巻き取り、テーブルに両肘を置いた。

 ショッキングな話だが、人界守護の誓いはそれだけ過酷なもの。

 古強者であるアルマンドさんとロータスさんが確認し、ふたり揃って間違いないというのなら、今この場で疑う理由はどこにも無い。

 老兵である彼らは、つまりそれだけ仲間の死をも経験している。


(けど、エルフの連合騎士……?)


 それはもしや、先日石橋の前で会った、あの騎士だろうか。

 一言二言の会話しかしなかったが、だとすると、胸の奥に何とも言えない鉛が広がる。

 知り合いとは言えない。

 しかし、実際に顔を見て、言葉を交わした誰かが死んだと聞かされるのは、テレビやネットのニュースとは違って、簡単には拭いきれない嫌なものを長く心の底に捻じ込み続ける。

 ハッキリ言って、不快な感覚だ。

 堪えていなければ、つい舌打ちをしそうになる。


「だが、犠牲者は連合騎士だけに留まらなかった」

「昨日ですが、瓦礫街の衛兵が、生皮を剥がれた女の遺体を発見しました」

「野犬か何かに食われかけていて、それが人間の遺体だと判断するのにも、ひどく時間がかかってしまいましたが、幸い遺体の発見現場付近に、被害者の物と思われる遺留品があったため、今朝方、身元を特定するに至りました」


 衛兵長ハミングが、卓上に〝洗濯板〟を置いた。

 一般的な洗濯板と何ら変わらない木製の板だが、


「ここです。クィニーという名前を彫ってある」

「試しに聞き込みを行ったところ、スラムの洗濯女のなかで、同じ名前の女が昨夜から行方不明だと分かりました」

「人狼はすでに、女に化けて都市に侵入したと思われます」


 領主軍代表である三名の男たちが、調査結果を語る。

 レイノルド司祭が愕然と洗濯板を見つめ、「クィニー……」と呟いた。

 事態は由々しき状況へと発展している。

 人狼は人間に化けている間、秘宝匠の聖具でも正体を看破できない。

 被害者の顔を知っているのは、恐らく同じ洗濯女仲間くらいだ。

 つまり、本気で潜伏・変装されれば、見つけ出すのは至難を極める。

 この都市に『至高』の聖具は存在しない。


「本件の緊急性と重大さについて、理解は得られただろう」


 ウィンター伯が淡々と注目を集める。

 言の葉がフラットなのは、敢えてそう努めているからかもしれない。

 顔の前で組んだ両手。

 その指先を、ひそかに開いたり閉じたり、緊張、不安、苛立ちの証か。

 それでも、さすがは賢君。

 臣下や有力者の前で、決して感情を覗かせたりはしない。

 表情はあくまでも、涼し気な微笑みを保つ。


 ──その視線が、不意に俺の方で固定された。


「では、ここからが本題。

 クリスタラー支部長とも話はさせてもらったけど、私は正直、ある人物を除いて、皆んなが怪しいと考えている」

「……皆んな? それは、今この場にいる者、という意味でしょうか?」

「いいや。リンデンに暮らす全ての人間という意味で」


 「なっ」と、虚をつかれ動揺するのは、ほとんど全員だった。

 落ち着き払っているのは、伯爵とルカだけ。


「人狼の変身能力は、極めて高次元のものです。

 敵の発生年数脅威がどの程度のものかは、まだ分かりませんが、侵入されてしまった時点で我々は後手に回っています」

「そう。つまり、最悪の場合、私を含めて誰もが

「そんなバカな!」


 シルバーの叫びは、当然だった。


「ウィンター様。我々はここに来る途中で、シルバー氏の手がけた聖爵ゴブレットを使い、水を飲まされています」

「それでも、皆なが怪しいとおっしゃるのですかな?」

「灯火のロゥ。賢い貴方なら分かるはずだ。そんなものは一時凌ぎにしかならない。このリンデンに、いったいどれだけの人間がいると?」


 およそ一万。


「それだけの人間を、人狼の脅威が消え去るまでの間、朝も昼も夜もなく監視しきるのは、不可能なんだよ」

「む、むぅ……」

「一時間前に魔物ではないと判断された者が、実は十分前から魔物だった。そういう状況が、もうとっくに始まっている」

「……しかし、ならば『銀』を身につけるコトで、保証にはなりましょう!」

「たしかに、人狼は銀が弱点ですからな!」

「おや、?」

「っ──」


 伯爵の滑らかな切り返しに、秘宝匠三名が同時に黙り込んだ。

 勘違いしてはいけない。

 彼らは神の恩寵を授かる聖なる職人だが、身分はあくまで商売人。

 『聖銀』に限らず、『灯火』も『聖壁』も、普段は非常に高値で取り引きされている。


「無論、私はその気になれば『税』として取り立てられるワケだが、そんなコトをしたら、君たちとの今後に禍根を残してしまうだろう? それに、そもそも原材料が足りない」


 ゆえに、だからこそ緊急事態だった。


「シルバー氏の銀を肌身離さず持ち歩く。

 もちろん、それは自衛のためにも、ここにいる全員にやって貰いたい対策だ。

 けど、それだけではやっぱりぬるい」


 タリスマンを持ち歩いていても、力のある死霊は追い払えないように。

 人狼の脅威もまた、銀だけでは取り除くコトができない。

 ならばどうする?


「私は、貴公に希望を見出した。そう、トロルズベイン殿」


 皆の視線が、一斉に集中した。


「貴公はこの一週間エイルに行っていて、リンデンに帰って来たのは、つい先ほどだと聞いている」

「おおっ、というコトはっ?」

「彼だけが、人狼の容疑者の対象外なんだ」

「ちょっと待ってください」


 俺は黙っていられず、ここで初めて声を出した。


「俺が帰って来たのは、たしかに先刻ですが、そこからこの城に来るまで、さすがに一時間は経っています。ウィンター伯爵、貴方の話では、俺もとっくに容疑者の範疇なのでは?」

「それは違う」

「なぜ?」


 純粋に尋ねると、ウィンター伯は堂々と「監視していたから」と答えた。


「申し訳ないが、貴公がリンデンに戻ってきてから、実はずっとある者に監視を頼んでいた。信頼できる男だ。……あいにく、名と姿を明かすコトはできないが、トロルズベイン殿。人狼でないと断言できるのは、よって今この場において、確実に貴公だけなんだよ」


 なんだそれは。

 と、反駁したい気持ちは喉元までせり上がって来たが、眉間にシワを寄せ、片眉を跳ね上げてみせるだけに何とか留める。

 ウィンター伯の言葉では、俺とその謎の監視者。

 ふたりの男が人狼の容疑から外されていそうだが、恐らく監視者の方は事情があって、表には出せない。

 あからさまに詳細を伏せられた以上、下手に突っ込みを入れて、藪から蛇を出すのはマズイ気がする。


(……国の機密とか貴族の隠し事とか、そういうのはメラネルガリアで充分満喫したし)


 なので、


「……分かりました。それで? わざわざ私のような流れ者の自由民を捕まえて、ウィンター伯爵、貴方は何をお命じになるつもりなんですか?」

「無論、人狼の捜索を」

「でしょうね。領民一万人を監視するのは不可能でも、個人を監視するのは簡単。要はそういう話ですか」

「理解が早くてとても助かる」


 まったく信じられない大胆さだが、伯爵は俺に全賭けベットするつもりだ。

 チラリとルカの顔を見ると、唇だけで「ごめん」

 どうやら始めから、この流れは仕組まれていた様子でもある。

 トロルズベイン。

 少しばかり、高く買われすぎた名前になってしまった。

 秘宝匠組合から「待った」をかけられるかとも期待したが、どういうワケか誰も反対意見を言わない。

 八年前じゃ信じられない展開である。


「ハァ……まあ、元々そのつもりでいましたし、引き受けるのに否やはありませんよ」

「感謝する」

「けど、さすがに正体も分からない誰かに監視されてるっていうのは、いまいち気分が良くない。

 ここに居る皆さんも、本当にその監視者を信じていいのか、疑問が無いワケじゃないでしょう」

「手厳しいな……」


 ウィンター伯はそこで苦く笑った。


「では、どうしたいんだい?」

「刻印騎士団の誰かを、私の協力者兼、監視者として任命してください」

「ふむ?」

「人狼の捜索をするにも、私ひとりでやるより、正規の刻印騎士が一緒にいた方が、何かとやりやすい状況があります。

 それに、私も自分の目で、確実に信頼できる誰かを、ひとりくらいは確保しておきたいので」

「──と、言われているが? クリスタラー支部長」

「承知しました。フェリシアさん、お願いします」

「え、あっ、私ですか!?」


 フェリシアがビクリと跳ねて、驚愕した。

 と同時に、他の多くも疑問を挟む。


「ルカ様、貴方とトロルズベイン氏は、長い付き合い。御自身で承らずによろしいので?」

「……何か誤解があるようですが、ただの適材適所ですよ」

「その娘は、新人なんじゃないのか? 任せて本当に問題ないのか?」

「我々は刻印騎士。この白き制服に袖を通したその時から、皆が人界を守る盾です」

「──よし。では、そういうコトで行こうか」


 パン、と両手を合わせ、伯爵が席を立ち上がった。


「今後の細かい動きについては、追って詰めるとしよう。

 差し当って、秘宝匠組合には急ぎ商品の棚卸しを。

 アルゼンタム聖堂には、いざという時の避難民受け入れのために、準備を進めてもらいたい。

 刻印騎士団は、その職務を常と同じように全うしてくれ。

 我が騎士と兵士たちには、平時の倍の警戒網を引かせる」


 なるべく早期の事態解決を願っているよ。

 最後に一言、流し目を送って。

 ウィンター・トライ・リンデンライムバウムは、来た時と同様、ハーブの香りを漂わせながら部屋を立ち去った。


「……日が沈む」


 夜。

 人狼の恐怖が始まる時間だった。






────────────

tips:リンデン秘宝匠組合


 リンデンに棲まう聖なる職人たちの寄り合い。

 ここでは主に『看板』の発行と登録、管理が行われる。

 リンデンでは、「聖銀」「灯火」「聖壁」の三巨頭が有名。

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