#132「鷲獅子退治の後で」



 エイル高原に着き、二日目の夕刻だった。

 なだらかだった白い丘ホワイト・モットを抜けて、勾配のキツイ山道を登り終わり、明日にはいよいよ高原都市エイル。

 城塞都市を出発してから五日というコトもあって、俺とコアラ氏はあれから、多少打ち解けるコトに成功していた。


「いやはや、にしても今日は驚きでした。

 まさかメラン殿が、鷲獅子グリフィンをも討ち倒せる勇者だったとは!」

「たまたまです。運が良かっただけですよ」

「ご謙遜を! 私はこの目で、しかと目撃させていただきましたよ!?」


 野営の準備をしながら、コアラ氏は興奮も冷めやらぬという様子で捲し立てる。


鷲獅子グリフィンと云えば、何を置いてもまずはその獰猛性! 古代英雄の歌では、いつだって強敵として唄われる怪物です! メラン殿はそれを、まさに英雄譚がごとく討ち取られた!」

「……まぁ、コイツが運よく、ちょうど鷲獅子グリフィンの頸に入ってくれましたからね」

素晴らしい! 私などあの力強い羽ばたきに煽られて、あわや崖から落とされるところでしたのに、メラン殿は少しも臆せず見事に刃を叩き込んだ!」


 中年の薬師は、一時的とはいえ命の危機に陥ったためか、すでに一時間も前のことなのに、未だにドパドパと脳内麻薬を分泌している。

 もしかすると、少しだけ躁のケがあるのかもしれない。やや喧しい。


 だが、結局なんだかんだで、しっかり護衛役の仕事を果たすコトになったので、鷲獅子グリフィンの登場はプラスマイナスで言うと、ぎりプラスでもあっただろうか。

 あまり喜んでいい話ではないが、結果的にコアラ氏の俺への信頼は、ググンと上がった様子である。


(それにしても、まさか鷲獅子グリフィンとはなぁ……)


 エイル高原に、いつの間に棲みついたのだろう?

 〈渾天儀世界〉では稀に、本物の『怪物』が出現する。

 だが、俺も鷲獅子グリフィンと遭遇するのは、今日が初めてだった。


 怪物──異界生物。


 書物によっては、神話生物とも伝説生物とも呼ばれる特異な生命体。

 動物でありながら、尋常道、森羅道、天地道のいずれの分類にも当てはまらず、奇矯な外見と不思議な特徴を持つコトで知られている。

 鷲獅子グリフィンの場合は、鷲の頭部と獅子の体、猛禽の飛翼。

 前世の地球とほぼほぼ同一のイメージで、図体はおよそ五メートルの巨体。

 肉食性の猛獣が、二種類ほど合体してバカでかくなったと思ってもらえれば、どのくらい厄介かが伝わるだろう。

 もっとも、その程度であれば、取り立てて騒ぎ立てるほどの脅威ではない。


 巨角王冠篦鹿ギガンティスエルク太古洞穴熊ティタノアルクトドゥス大蹄大野牛ジャイアントバイソン


 尋常道の動物のなかにも、同程度の威容を誇る猛獣はいる。

 では、何が彼らと怪物とを分ける境界線なのだろうか?


(死体の有無)


 自問自答し、嘆息する。

 この世界の怪物は基本的に、死ぬと霞のように消える。

 ごく稀に、を遺すコトはあるらしいが、大抵は息の根を止めた瞬間、うっすらと透けて、幻だったかのように消えていなくなる。


 というのも、怪物──異界生物は、その呼び名の通り、本来は異なる〈ムンドゥス〉の住人。


 魔物や精霊と同じで、大別的にはこの世の生き物ではない。

 ただし、注意しなければならないが、怪物は魔物や精霊と違って、


(……このあたり、いろいろややこしくて、俺もしっかり捉えきれてるワケじゃないんだが)


 怪物というのは、どうも第一級の〈領域〉──いわゆる、各神話に語られる天上国や地底下界、いとあやしき妖精郷、闇夜鴉の幽冥界、黄金楽土といったような、絶大的な別宇宙論。


 すなわちは、神話の世界、伝説の世界。


 もはや一種の、異世界として確立された、から迷い込んでいるだけ。

 なので、

 要はそれだけ、確固とした存在力を有した場所から誕生している。


 そのため、こちらの世界でどんなに頑張って息の根を止めたとしても、その瞬間に魂? だかがあるべき場所へ戻ろうとし、結果的に死体が消失。


 まるで最初から、いなかったみたいに消えていなくなってしまうようだ。

 なんて迷惑なのだろう。


(ひとを襲いさえしなければ、こっちだって殺す必要はなかったのに)


 首を振り、「やれやれ」と零す。

 しかしながら、鷲獅子グリフィン退治のおかげで、コアラ氏の雰囲気はいい。

 単なる好奇心でしかないが、初日に聞きそびれた疑問を、投げかけてみてもいいかもしれなかった。


「コアラさん。話は変わるのですが」

「はい?」

「コアラさんは、どうしてエイルに行きたいんですか?」

「えっ?」

「わざわざ自由民の俺なんかを雇って、年輪騎士の手が空くのを待たずに、出発を急いだ理由。

 話したくなければ話さなくても構わないのですが、実は初日から気になっていまして」

「ああ……」


 訊ねると、コアラ氏は後ろ手に頭を掻き、「そういえば、メラン殿には言ってませんでしたか」と返した。


「いえ、別に話せない事情などではないのですがね」

「やはり、薬師としての仕事で?」

「ハハハ。そうではありません」


 やや視線を落とし、ゆっくりと腰を下ろしながら。


「エイルはたしかに、天然の薬草が多く生っています。

 ですが、この時期に特別、採取を急ぎたいほどのものはどこにも」


 リンデンとエイルは、あまり植生が変わらない。

 エイルで採れるものは、リンデンでも採れる。

 俺も素人ながら、自家製で軟膏を作ったりするので、「たしかに」と頷いた。

 では何のためか?


「エイルに行くのは、単に墓参りのためです。

 メラン殿は、ご存じですか? エイルには町外れに、小さいながらも霊園があるのです」

「霊園? あ、では、ご家族の……すみません」


 立ち入ったコトを聞いてしまった。

 思わず頭を下げ謝る。

 が、


「いえいえ、私の家族ではないんです」

「……え?」

「あそこは無縁墓地。いわゆる、リンデンとエイルで亡くなった、身寄りの無い人たちのために開放されている場所でして」


 焚き火に手を翳しながら、どこかを見つめる。


「長いこと治療薬院ケヒトで、薬師なんかをやっていると、そういった患者さんの、最後の友人などになってしまうんですよね」

「……なるほど」

「年に一回。本当は今年も、冬が来る前に行くつもりだったんですけれども、今年はどうも都合がつかずに」


 おかげで、すっかり遅れてしまった。

 コアラ氏は「なので明日はまず、彼らに謝らないといけません」なんて苦笑を漏らす。

 興味本位で聞いてしまったが、まさかそんな理由だったとは……


「コアラさん」

「ん?」

「じゃあ明日は、俺もお墓参りに付き合っていいですか?」

「え? メラン殿も?」

「コアラさんのお話を聞いて、そうしたくなったんです。ダメ、でしょうか?」

「まさか」


 そこで、薬師の男はニッコリと微笑んだ。


鷲獅子グリフィンを退治するほどの猛き勇者が客人となれば、彼らもきっと喜びます。それに」

「?」

「実は最初から、メラン殿にはついて来てもらうつもりだったんです」


 ほら、と。

 コアラ氏は急にそこだけ小声になり、


「大丈夫だとは思うのですが、万が一、彼らに化けて出られでもしたら……」


 私はきっと、泡を吹いて気絶してしまいます。


「えぇ?」

「あ! いま私を情けないヤツだと思いましたね!? 笑い事じゃないんですよ! ホントに怖いんですから!」

「う、う〜ん」

「頼むから、一緒に来てくださいね!? そのための護衛でもありますから!」

「マジかぁ……」


 なんとも反応に困る捕捉だった。

 薬師コアラ。

 一瞬、たしかに尊敬に値する立派な大人物に窺えたのに、やはり微妙に残念な部分が隠しきれない。


(人間臭くて、まあ、俺は嫌いじゃないが……)


 トライミッドじゃ、アンデッド対策として火葬が基本だろ?

 墓石も、秘宝匠じゃないと切り出しちゃいけない。

 たしか、そういう法律だって、聞いてるんだけど……


(コアラさんは、本当に怖がりだよなぁ)


 けど、それが本来は普通なのかもしれない。


 



────────────

tips:怪物


 神話生物。または伝説生物。

 稀に各地に現れては人里に被害をもたらす。

 神代の時代では地上にたくさんいた。

 地球上の架空生物となぜか同名であり、似た姿を持っているコトが多い。

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