#131「薬師と凍えぬ水道橋」
「はっ、話が違う〜!!」
それは、ある意味で清々しいほどのリアクションだった。
西門、朝八時。
護衛依頼の開始。
事前に聞かされていた通り、準備を済ませて待ち合わせ場所に姿を現すと、クライアントは「ギャー!」と尻餅をついて動揺した。
「……あー、
「そ、そうですがっ! あ、貴方はさてはっ、トロルズベイン何某なのでは!?」
「あ、はい」
「ギャーッ! な、なぜ貴方がここに!?」
「なぜって、護衛依頼を出されましたよね?」
「まさか、引き受けたのですか!?」
「……はい」
「はっ、話が違うじゃないですか〜!」
気の弱そうな中年が、地面に両手を着いて『orz』の体勢になる。
これはまた、ずいぶんと拒否反応が顕著なオッサンだ。
リンデンにはたまに、この手のタイプの人間がいる。
大方予想はつくが、念のため何が〝話と違う〟のか確認しておこう。
「えーと、コアラさん?」
「な、なんですか!?」
「話が違うというのは、いったい?」
「分からないんですか!?」
コアラ氏は涙目になりながら、キッ! とこちらを睨む。
……顔の彫りが深いためか、なんだか陰影がハッキリと落ちて、凄まじく絶望している風だ。
とりあえず、朝とはいえ人通りもゼロではないし、手を差し出して立ち上がらせた。
「ぅ、ありがとうございます……」
「いえいえ」
「でも! だからって誤魔化されませんよ!?」
コアラ氏は「ヒィィ〜!」と震え上がって、こちらを指差した。
「私は〝護衛依頼〟を出したんです!」
「はい」
「なのに、当の護衛役が魔物を引き寄せるようなヒトじゃ、とんだ火消し放火魔じゃないですか!」
「火消し放火魔」
恐らくマッチポンプという意味だろうが、たしかにそれを言われると否定はできない。
死界の王の加護。
正確には引き寄せているのではなく、浮かび上がらせているだけ。
周囲に死霊がいなければ、特にこれといって面倒な騒ぎも起こさない体質だが、傍から見ればどちらも同じコト。
一般人であるコアラ氏にとっては、俺は護衛役不適格と映ったらしい。然もありなん。
けれど、
「ご安心ください、コアラさん」
「はぁ!? 何を!?」
「私はたしかに死霊と縁が深いですが、これでもこの街の嘱託騎士でもあります」
そら、いざ輝け刻印騎士団の徽章。
「ルカ・クリスタラー支部長に誓って、コアラさんには決して魔物を近づけさせないと、ここにお約束しますよ」
「む、むぅ……ルカ様にですか……」
「それに、怖いのはなにも魔物だけではないですよね? エイルまでの道じゃ、
斧をわざとらしく担ぎ直して、力自慢をアピール。
トロルズベインの異名を知っているなら、巨体を誇る
「う、う〜ん……」
コアラ氏は悩んだ様子で唸った。
両腕を組んで、眉間に皺まで寄せて迷っている。
……ふむ。イケると思ったが、ダメだったか?
「……仕方がありません。ご納得いただけないというコトでしたら、今回はご縁が無かったと思い諦めます」
「いえ! お待ちください!」
身を退こうとした俺に、コアラ氏が待ったをかけた。
かと思うと、やや口ごもった様子で、
「……しゅ、出発前に騒いでしまって、申し訳ありません。やはり護衛をお願いいたします」
「……私でよろしいので?」
「はい……先ほどはつい取り乱してしまいましたが、ぜひ引き受けていただきたく」
「分かりました。もちろん構いません」
今日はそのために来たのである。
「ありがとうございます」
コアラ氏はホッとした様子で頭を下げた。
(よかった)
話してみれば、そんなに悪い人ではなさそうだ。
出会い頭にオーバーな叫び声を上げられた時は、「こりゃキャンセルもありえるな」とスッと覚悟しただけに、「ふぅ」と内心の冷や汗を拭う。
危ない危ない。
(危うく大金貨三枚の儲けが、パァになるところだった)
護衛の仕事は、こういう一悶着をどう
護衛中のコミュニケーションという意味でも、今後の仕事量という意味でも、多少の交渉力は自由民に必要だ。
今回はうまく乗り切れたので、だいぶ幸先がいい。
「では、さっそく」
「ええ。行きましょう」
男ふたり旅。
エイルまでの片道は、約五日間。
距離はさほどでもないが、雪下の悪路と丘陵地帯の傾斜、高原地帯に入ってからの厳しい勾配。
慣れない者にとっては高山病などの恐れもあるため、ゆっくりと時間をかける必要がある。
天候と体調次第では、さらに様子を見るかも知れない。
無理はせず、休めるところでしっかり休みを入れつつ、進んでいかないとな。
(まずは『シルバーライム水道橋』か)
リンデンから西へ、最初の休憩地点。
初日の夜は、恐らくあのあたりで明かすコトになるだろう。
水道橋に着くと、あたりはすっかり薄暗かった。
鈍色の曇天。
月明かりが幽む雪の夜。
大昔にリンデンの秘宝匠が建築したと云うシルバーライム橋は、厳寒の冬季でも水が凍らない。
しかし、それもある意味で納得だ。
水道橋はインフラのひとつ。
人類文明を守護するカルメンタ神にとっては、これほどの長大なアーチ型建築物を前に、加護を与えない方がナンセンスに思えたのだろう。
おかげで時のリンデンライムバウム伯からも、じきじきに名を贈られたと史書には記される。
地理的にも、ここはまだ
リンデン領の一部であるため、まあ、当然と言えば当然かもしれないが。
ともあれ、特に問題が起こるワケでもなく、順当に最初の休憩地点にたどり着いた。
今夜はここで天幕を張って、休むとしよう。
橋の上に登れば、清められた水まで手に入れられる。
ありがたい水だ。
大事に頂戴しなければ。
コアラ氏と一緒に、淡々と準備を進めていく。
「では、火を焚きますね」
「薪を持ってきていたんですか?」
「あ、はい。このあたりは燃料が、必ず調達できるとも限らないので」
「なるほど……用意周到ですね」
「単に心配性なだけですよ」
苦笑し、薪を積んでいく。
筋力に自信があるせいで、俺の背嚢は旅をするとき、いつもパンパンだ。
道中もコアラ氏からは、チラチラと何が入っているのだろう? という視線で見つめられていた。
その答えのひとつが、コレである。
火口箱から火種を取り出し、数秒ほどして着火させた。
「手慣れていますね」
「自由民ですから」
「……暖気灯をつけても良いですか?」
「構いませんよ」
言った途端、コアラ氏は自身の背嚢から、五つも
そして、思わず目を丸くする俺の横で、それらをすべて地面に置いて灯す。
暖気がむわむわと頬を撫でた。
「ハハハ。これだけあれば、凍死の心配はまずありませんね」
「そうですね。魔物も、近寄って来ないといいのですが……」
ビクビクと怯えた様子で夜の闇を見渡し、コアラ氏は天幕を立てる。
橋、水、俺。
不安要素が三つも並んでいるせいだろう。
朝方はいったん承知してみせたコアラ氏だったが、やはり歩いている内に不安が膨らんだのか、緊張した面持ちから一向に崩れる気配がない。
だが、その心配は差し当たって杞憂だ。
「大丈夫です。シルバーライムはこれだけの大きさです。周囲に死霊の影は、チラリともありません。死霊じゃなくとも、きっと魔物は一体も現れませんよ」
「……古の秘宝匠に感謝ですね」
「ええ」
頷きながら、俺も天幕を張る。
シルバーライム水道橋は、そういう意味でもありがたい橋だ。
聖具としての格が、具体的にどのランクになるのかは知らないが、実際、俺の目にあちらの世界は少しも窺えない。
夜の静寂には、ゆらゆらと灯りの火が輝くだけ。
焚き火に鍋をセットし、先日購入した魚の残りをテキトーに切り分け投入した。
今夜は緊張を緩める意味でも、胃に優しいあっさり目のスープがいいだろう。
「……」
「……」
グツグツと鍋が煮立つ音を待つ。
「食事が済んだら、早いうちに休むとしましょうか」
「寝ずの番は、どういたしますか?」
「そうですね。今夜は私が先に寝てもいいでしょうか?」
「え?」
「時間は短くて良いです。たぶん、初日はその方がコアラさんもご安心いただけるのかなと」
初対面のダークエルフに見張られたまま、ひとり先に寝るのは難しそうな気質をしている。
言外にそう伝えると、
「……すみません、気を遣わせてしまいましたか」
「構いません。あ、もちろんですが、万が一私が眠っている間に何かあったら、遠慮なく叩き起こしてくださいね。そのための護衛なんですし」
「はい、そこはもちろん!」
力強い了承に、やや苦笑を深めつつ、俺は折りを見て鍋をかき混ぜた。
見ず知らずの他人に無防備な姿を晒すのは、誰しも抵抗を覚える。
俺もそういう点では、普通にコアラさんが怖かったりするが、これだけ臆病な人だ。
信頼関係を築くには、まずはこちらから譲歩した方が良いだろう。
(
そういう展開を望むのは、人としてダメだ。
何事も無い平穏な方が、いいには決まっている。
エイルまでの道はまだ長い。
今夜はこんなところで、鍋でも囲っておくのがグッドコミュニケーションの始まり。
(……まぁ、知らないオッサンと同じ鍋を囲うのも、それはそれで地味に気疲れはするけどな)
一週間の辛抱。
大金貨三枚のため。
エイルに着けば、マトモな宿にもありつける。
しかし、そういえば……
(コアラさんは、なんでエイルに行きたいんだ?)
年輪騎士の手が空くのを待たず、それでも護衛として雇われたというコトは、きっとそれだけエイルに向かわなければならない理由があるのだろうが、そのあたりを聞くのをすっかり忘れていた。
(……でも今夜はやめとくか)
もう少し打ち解けた感じが出てきたら、訊いてみよう。
今はたぶん、何を言っても警戒心を煽るだけな気がする。
依頼人の中には、詮索とかを嫌がる人もいるしな……
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tips:シルバーライム水道橋
白緑川上流。
すなわちエイル高原の澄んだ湧水を、リンデンへ届けるためのアーチ型水道橋。
橋としてはかなり長大な規模を誇り、古の秘宝匠が設計・建築したらしく、カルメンタ神の加護がかかっている。
丘陵間を繋ぐ雄大な様は、たしかに神がかり的。
城塞都市のインフラ(上下水道)を支えている。
この橋を流れる水は決して凍らず、また、水質の浄化も自動で行われるようだ。
過去、幾度かこの橋を巡り争いも起こったらしいが、時のリンデン伯がすべて勝利を収めたと史書には記される。
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