#130「治療薬院からの護衛依頼」
この世界の医療事情は、基本的に前世の地球と変わらない。
神や精霊、魔法やドラゴン、ファンタジーな存在がゴロゴロと転がっている〈渾天儀世界〉だが。
いわゆる〝回復魔法〟……ファンタジーな手段で傷や病を治す術は、まったく一般的とは言えない。
もちろん、神の奇跡やら錬金術の秘薬やら、摩訶不思議な神秘法則に則って、超常的な回復手段が完全に存在していないワケではないが。
それらは世間一般的に、どちらかと云うと「例外」「希少」「限定的」な枠にカテゴリされている。
回復魔法なんて便利なものは無い。
当然だ。
この世界の魔法は、〝自分が望む願いのカタチ〟を、あらかじめしっかり把握していなければ、氷菓子のように脆く砕け散る。
傷を病を、瞬時に癒す方法?
そんな
肉体の正確なデザイン。
科学ですら完全には解明できていない人体の構成。
人間の魔法使いでは、出来たとしても、せいぜいが不出来な肉塊を継ぎ足す程度。
医療に携わり、解剖医学に精通し、薬学知識まで兼ね備えた魔法使いなど、どこを探せば見つかるのやら。
それに、そもそも何の呪文を使えば、人を正しく癒やすコトができる? という問題も存在している。
魔法による回復は、この世界ではまったく現実的じゃない。
では、教会や神殿、神の奇跡はどうか?
こちらは魔法に比べると、認知度はたしかに多少高い。
カルメンタリス教。
人類に聖具を与える女神の世界宗教。
秘宝匠は神の寵愛を授かった聖なる職人であり、彼らの手掛けた作品は、時として凄まじい聖域を解放する。
忘れたくても忘れられないのは、日輪剣。
あれこそは、まさに『癒し』の聖剣だった。
自然治癒力と若返りの聖域。
カルメンタリス教の神秘には、人を癒す大結界が構築可能……ただ、それはやはり、あくまでも上澄み。
ごく一部の『至高』の聖具に限った話であって、民衆に広く
南方大陸には、また違った別の神による癒しが、無いコトもないらしいが。
そちらは長年、カルメンタリス教と相争う異端の信仰に依っているとかで、残念ながら〝神の奇跡によって傷や病を癒す〟という考え方・概念は、いまいち実存性に欠けていた。
となると、民衆が最も頼りにする〝癒しの技〟とは何だろうか?
答えはもちろん、『実践医療』である。
戦争、疫病、飢饉、災害。
長い歴史の中で人類が直面し、その度に踏み越えようとしてきた幾つもの困難。
実践的な試行錯誤と智恵の集積によって、人々は神秘に頼らずとも、たしかな医療技術を手中に修めている。
西暦2020年代の、高度な最先端医療とは比べられない。
しかし、少なくとも中世ヨーロッパ。
暗黒時代の非科学と混じり合った医学と比べれば、〈渾天儀世界〉のそれは、だいぶ科学的な見方で医療を実践している。
何故なら、悪霊に取り憑かれた。妖精に精神を狂わされた。魔神に呪いをかけられ、不具となった。
ならば、そうではない傷と病。
人の手で癒しを与えられる
人々は怪我をすれば『治療師』のもとに向かい、病気になれば『薬師』のもとに向かう。
当たり前の話で、ファンタジーだろうと、そこは変わらない。
だからもちろん、リンデンにも彼らの働く場所はあった。
シンボルマークは、銀の義手と
トライミッドでは、各都市に必ず一基は置かれている国営の医療施設。
そこから、
「──護衛依頼?」
「ああ。エイルに行って帰ってくるまで。報酬は大金貨三枚だってよ」
「マジか!?」
フェリシアの歓迎会から一週間後の昼過ぎ。
俺はその日、斡旋所のカウンターで、滅多に無い仕事を紹介されていた。
護衛依頼。
それは普段、年輪騎士かリンデン兵に依頼される。
素性の定かではない自由民には、ほとんど誰も頼みに来ない。
なのに、報酬が大金貨三枚? おいおい、自由民価格を知らないのか? やけに美味い話じゃないか。
「いったいどんなワケ有りだよ?」
「あん?」
「惚けないで教えて欲しいぜ、ザックの旦那。
俺は知ってるんだよ? この手の仕事は大抵〝裏〟があるってさ」
「なんだ。やりたくないのか? だったら、先方には断っておく」
「へいへいへーい! それは判断が早いでしょ!」
大金貨三枚だぞ?
日本円換算なら約十万。
事情は聞いてから、受けるか否かを答えさせて欲しい。
カウンターの机をバシンと叩く。
「オイ。傷むだろ」
「で、実際どんなワケ有りなんです?」
「チッ、クソガキが。いちいち疑ってかかんなよ、面倒クセェなぁ」
「口が悪すぎる」
俺の戦慄に、髭面の担当官は再度舌打ちをすると、渋々といった様子でテーブルに依頼書を置いた。
「ほら、よく見ろ。別に裏なんか無えよ」
「ええ?」
「今回の依頼は、ただ先方の時期が悪かっただけだ」
羊皮紙には細かい字で、詳しく背景まで記載されている。
独特な薬の匂い。
紙とインクと一緒に、どこか香のような匂いもするのは、正真正銘、
読むと、神経質そうな生真面目な筆致で、ハッキリ〝騎士の代わり〟と書かれていた。
「なんだ。年輪騎士は忙しいのか?」
「領主様がじきに、帰ってくるんだと」
「ああ、じゃあそのための〝地ならし〟か」
いわゆる、お出迎えのための
ウィンター伯の人望は篤いから、リンデンでは領主の帰還の際、いつもこの手の仕事が若干増える。
であれば、特に問題もない。
大金貨三枚というのは、いささか相場を大きく超えているが、どうやら依頼主はかなりの心配性のようだ。
依頼書にはしつこいほどに、腕利きを頼むと念押しされていた。
エイルまでの護衛で、大金貨三枚はかなり金を使いすぎだが、自分の命にきちんと金をかけるヤツは嫌いじゃない。
行って帰って
「薬師コアラさんね……了解。受けます、この依頼」
「なら、先方にはそう伝えておく」
「事前の顔合わせは?」
「しなくていい。向こうの条件は、とにかく
「ならいいけど……」
エイルまでの道中には、たしかに
リンデンの姉妹都市。
湖と高原のエイル。
冬に行くのは初めてだが、基本はのどかで牧歌的な、アルプスのような町だ。
景勝地としても有名だし、放牧されて育った
夏に咲く花の美しさは、まさに一見の価値ありで心に感動を与えてくれる。
「出発は明後日。朝八時に西門で集合だそうだ」
「了解。それじゃ、準備しなくちゃだな」
護衛依頼。
行き先を思うと、つい小旅行に向かうような気分にもなるが、仕事であるからには真面目に取り組まなければ。
何より、金払いのいいクライアントとは、この先もいい関係を築いておきたい。
特に、
医療従事者の護衛を失敗したら、信頼は一気に失われるだろう。
俺は「よし」とやる気を出した。
「土産を忘れんなよ」
「あ、私の分もお願いしますね」
「……了解」
斡旋所のふたりは、早くもエイル土産に期待を寄せている様子だったけれども。
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tips:治療薬院
ケヒト。
いわゆる病院。
国家資格を得た治療師と薬師のみが働ける。
国の保護の対象であり、これを害する者は極刑を免れない。
「たとえ呪いや幻想病を癒せなくとも、彼らは人を救わんとする英雄なれば」
銀の義手は万病と不具への抵抗。
多頭の鎌首は、不死のごとき生命力を持つ怪物にあやかって。
感謝と尊敬を集める一種の聖域であろう。
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