#124「深夜の森林歩き」
深夜になると、城塞都市は静かになる。
人々は眠り、草木も眠り、聞こえてくるのは猛禽──夜梟が獲物を狙い羽ばたく風切音。
ダイアウルフの遠吠えや、木々の擦れ合うせせらぎ。
首筋に入り込む夜気は、冷たくて艶かしい。
分厚い雲に遮られ、月の光も星明かりも届かなぬ暗い夜。
あたりを照らすのは、夜を徹して都市の守りにつく衛兵たちの篝火。
蕩けチーズの暖炉亭は、とっくに閉まった。
フェリシアの歓迎会も終わり、俺は瓦礫街──仮屋へと戻って来ている。
だが、一日の疲れを癒しに戻ったのではない。
酔い覚ましの薬を飲み、体の調子が戻ってきたのを確認し、再度街の外へ出た。
「……仕事か?」
「はい」
「森に行くのか」
「そうです」
「気をつけろよ」
「どうも」
城壁の衛兵と数言の会話をし、寂しく向かうのは銀冬菩提樹と丸酸塊の森。
刻印騎士団リンデン支部長から任された三つ目の仕事を、ひとりで片付けにいく。
森は近い。
白緑川を越えれば、すぐに鬱蒼とした闇夜の森が待ち構える。
市民用の石橋を使い、川の水音と
周囲は薄靄が立ちこめ、やや霧に
青の瞳は鮮明に森の輪郭を捉えていた。
微かに残る
奥へ奥へ。
境界を越えて、森という名の異界の深い
「──あった」
しばらくすると、痕跡が見つかった。
古い切り株にもたれかかる、ひとりの騎士甲冑。
年輪模様の盾を持ち、もう片方の手には折れた直剣。
すでに事切れていて、鎧の内側が〝緑〟に侵蝕されていた。
“
遺体を燃やし、完全に消し炭になるのを見届ける。
可哀想だが仕方がない。
残火の中から騎士の識別票だけ取り出し、ポケットに突っ込む。
そこからはまた、森の中を歩き続けた。
ホーホー、ホーホー。
夜梟の声が
深い深い森の中。
寒さに軋む木々の息切れ。
風に煽られ地面を舞う雪の粉が、まるで誘うように木立の合間を泳ぐ。
やがて、招かれざる客を見咎めたか。
俺の前には三つの影が、立ち上がった。
「……」
「……」
「……」
物言わず。
しかして蠢く森の落とした陰。
落ち窪んだ眼窩は樹木の
枯れた膚の下を這いずるのは、血液ではなく植物の根。
肉体から
「よぉ、〝
深い森には、必ずと言っていいほど発生する魔物である。
動きは緩慢なため、近づかずに距離を保つ。
先ほどの遺体と違い、侵蝕は激しい。
ただ呪文を唱えて燃やすだけでは、コイツらは退治できない。
「……」
「……っと」
ゾンビのように手を伸ばし、触れようとして来たひとりを躱す。
走って逃げれば、振り切ることは可能だ。
だが、せっかく見つけた脅威を、放置して都市に戻るワケにはいかない。
森を彷徨い歩く魔物の一種で、一見はこの通りただのアンデッドに見えるが、分類はすでに自然霊。
俺の眼にも、人から転じた魔──死者としては写っていない。
だが、元はたしかに人だ。
時には動物の場合もあるが、かつての肉体が樹木や草花に変わっていて、体表が蔦などに覆われている。
そして、目玉が無い。口も無い。
植物界の生命に、そんな器官は存在しないからだろう。
獣神はもともと、森羅道の動物だが、森羅道の動物は生きながらに、転生の準備を済ませる特殊な動物である。
その死後は動物霊ではなく、自然霊。
長い年月をかけて、土地神に霊格を上げ、最終的にはその土地だけでなく、環境そのものを司る環境神へと
土地の従属化、環境同位、還元法。
すなわち、
何をして不興を買ったか知らないが、
いつかは最終的に完全な自然へ還る。
「悪いが、ちょっと待ってくれよ」
「……」
「……」
「……」
ぐぐぐ、と。
非常にぎこちない動作で俺を追う、三つの影。
そのシルエットは、まだ人型と言えなくもない状態だが、この様子では取り込まれて、一ヶ月や二ヶ月ではないだろう。
微かに残る襤褸布に、さては森に落ち延びた犯罪者か盗賊の類かとアタリをつける。
だが、哀れであるのは変わらない。
薬箱から三本、錬金術の薬瓶を取り出し、
「……」
「……」
「……」
反応は無い。
しかし、準備は整った。
「……“
「──」
「──」
「──」
ボァァァァ……!
魔法の赤色が、静かな森の中をしばし照らす。
『樹霊の爛れ』
錬金術で作り出される薬としては、〝妙薬〟に分類される。
薬とは云うが、人を癒やす類のモノではない。
火薬、あるいは爆薬、灯油などの燃料に近いだろう。
扱い方は不便極まる。
なぜなら、こうやって燃やしたい対象に満遍なく振り掛けた後、手動で火をつけてやる必要があるからだ。
材料は怪物の血、妖木の樹脂、そして硫黄。
正確には、灰を養分とした周辺の樹木が、新たな
「……ふぅ」
とはいえ、今回は特に問題もなく、無事に仕事を完了できた。
獣神の眷属は、接触をトリガーに〝還元法〟を伝染させる。
夜しか現れない魔物ではあるが、夜の森は慣れない者にとってとても危険だ。
俺のように夜目が効くならまだしも、そうでない者にとって、明かりの乏しい暗黒の森で、物音立てず忍び寄る
ホラーである。
「そのうちフェリシアも、駆り出されるコトにはなるんだろうが……」
今回は年輪騎士に、犠牲者が出ていた。
都市の上層から刻印騎士団に、行方不明になった騎士を捜索して欲しいという依頼。
上も生きているとは思っていないだろう。
ルカから話を聞いた際にも、できるなら遺品の回収をと。
そのオーダーは完遂した。
後はただ、遺品を引き渡しに戻ればいい。
「けど、今日はもうさすがに遅いな」
年に一度か二度、あるか無いかの半日休。
ルカは今ごろ、ぐっすり
どうせ昼間でなければ用事が片付かないなら、ちょうどいい。
「行きがけの駄賃だな。もう少し歩くか」
今夜は不思議と眼が冴える。
神経が昂っているのだろう。
こういう日はなかなか、毛布にくるまっても眠れないものだし、久しぶりに
俺が何故、リンデンに留まり続けるのか。
切っ掛けとなった太古の『遺跡』が、この森には眠っている。
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tips:樹霊の爛れ
錬金術の妙薬。
怪物の血、妖木の樹脂、硫黄を材料に作られる。
黒くドロドロとした粘性の液体で、ガラス瓶と一緒に投げつけると、爆ぜるように飛散する場合がある。
──森林歩きを安く退治したいなら、必須と言える逸品ですぜ?
とは、卸屋ガーガンの言だが、材料調達はともかく、調合自体は素人でも出来なくはない。
錬金術の初心者に向いている薬である。
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