#120「水死者の手」



 朝になると、リンデンには鳥の鳴き声が響き渡る。

 まぁ、別に朝に限らずとも、鳥の声はだいたいそこいらへんで聞こえてくるのだが。

 朝といえばやはり、氷川雁アイゼルの声が特徴的だろう。

 夕方や夜になると、銀冬菩提樹と丸酸塊の森からは小夜啼鳥ナハティガル──前世の地球にいた鳥と同じ種かは不明、やや薄緑っぽい──の声が聞こえ始めるが。

 リンデンを囲う長大な白緑川からは、氷川雁アイゼルと云う名の水鳥が朝を教えてくれる。

 コイツらの声が、またかなりうるさくて鬱陶しい。


 クェェッ!

 クワァァ!

 クェェッ!


「忌々しい氷川雁アイゼルめ」


 俺の仮屋は瓦礫街のなかでも、一番外側にあるため白緑川からほど近い。

 天然の目覚まし時計と思えば、まだ受け入れられるが、起きてからもしばらくの間ひっきりなしに鳴き続けられるので、朝はこうなってくるとさすがに苛立ちが募る。

 普段はなるたけ気にしないようにしているが、今朝はどうやらかなり近いところで、数羽の氷川雁アイゼルが舞い降りたらしい。

 一通りの身支度を終えた後、俺はこっそりクロスボウを構え、何羽か狙った。


 シュッ!

 バサバサバサッ!


「チッ、外したか……」


 練習はしているが、やはりまだまだ上達の余地がある。

 このクロスボウは、狩猟に役立つかと思い、何年か前にホワイトヘイズ・マーケットで買ってみた安物なのだが、安物ゆえか、どうにも矢の進んでいく方向が曲がっている気がする。

 いや、道具のせいにするのは良くないか?

 ただ単に、俺のセンスが足りていないだけかもしれない。

 弓ではなくクロスボウなら、初心者でも比較的扱いやすいかと思って購入してみたが、やはり斧と違って手足のようにとはいかないな。


「まぁいいや」


 昨夜はルカのところで、久しぶりに白パン付きの本当に豪勢な食事をさせてもらった。

 朝はもともと、そんなにガッツリ食べる方じゃない。

 氷川雁アイゼルを仕留めたとしても、処理をしている時間はないし、今朝の朝飯もまたテキトーに、露店で買って済ませよう。

 燕麦のパンと、白樺箱柳ポプラーチの新芽漬けでも買うか。

 味はピクルスに、似てなくもないんだぜ?






「あ、メランさん。おはようございます!」

「おはよう。体調はどう?」

「お陰様で、すっかり元気です!」

「そりゃ良かった」


 蕩けチーズの暖炉亭に来ると、新人刻印騎士──フェリシアが、昨日とは打って変わった様子で俺を待ち構えていた。

 身だしなみも整えて、刻印騎士団の制服もキッチリ着こなし、うっすらだがメイクまでしている。

 今日はいよいよ支部に顔を出すと昨夜のうちに伝えておいたので、ガツンと気合いを入れているのだろう。

 薄明るい榛摺はりずり色の三つ編みをサイドテールにし、唇には淡めの紅。

 昨日見た時はぶっちゃけ、そうでもないと思っていたが、よく見ると不思議で素朴な魅力を持っている。

 北部人種の典型的な白肌に、綺麗なヘーゼルアイ。

 村の中じゃ一番可愛い、〝少年たちの憧れ〟って感じの雰囲気だ。

 うわぁ。俺、今日こんな娘を連れ歩くの?


「嫌な予感がするぜ……」

「え?」

「ごめん、なんでもない。ただの独り言」

「はぁ……」

「それじゃ、行こうか。朝食は済ませたんだよな?」

「はい! 大丈夫です!」


 元気いい〜。

 フェリシアはハキハキ答える。

 うん。フレッシュ感があって、大変素晴らしいですね。

 でも、いったい何時までその気合いが続くかな?

 刻印騎士団リンデン支部は、職場としちゃあまり、褒められた環境じゃないよ?


(心が痛いぜ……)


 何も知らない無垢な女の子を、まるで地獄まで案内しているみたいだ。

 しかし、俺も所詮は嘱託の身。

 生きていくために仕事を引き受けている以上、雇い主の意向には可能な限り従わないといけない。

 だって、刻印騎士団は自由民の俺にも、とても金払いがいいからね。


「今日はまず、支部に向かう前に、ひとつかふたつ仕事を片付けていくけど、準備はいいかな?」

「あ、はい! 大丈夫です!」

「……そう? まあ、今日のはそんなに難しい仕事でもないよ。

 だから、フェリシアがどれくらい出来るか、いろいろ確認させてもらいながら進めていけたらなって思ってる」

「っ、分かりました……!」


 ゴクリ、と唾を飲み込んで、気合いをさらに追加投入するフェリシア。

 その気合いが、空回りしないといいのだが、緊張でガチガチになっている感じはしないので、一先ず様子を見てみよう。

 ひとつ目の目的地は、リンデン大橋の橋架下。

 白緑川の定期巡回。


「知ってるかもしれないけど、川ってのは一種の異界でさ。此岸と彼岸、てよく云うだろ?」

「はい。境界を分かつ〈領域〉ですね」

「そうそう。んで、リンデンにはデッカイ橋もあるワケじゃん?」

「橋……そっか。つまり、境界が重なっているんですね」

「うん、そう。さすが」


 魔物退治の専門家は、もう俺の言いたいコトを理解している。


「〝境界は異界に繋がる回路であり、境界そのものでもある〟

 此岸と彼岸両方の側面を持っているから、あちら側の住人が現れやすいんだ」


 橋だけに限らず、坂や峠、交差路などもそう。

 あちらとこちらを分ける境界線は、昔から何かと魔物絡みの事件を起こしやすい。

 この世界は様々な世界が折り重なり、混ざり合って、不可逆に紐づいてしまった経緯を持つ。

 だから、ふとした拍子に世界の均衡が揺らいで、異界なんてものが波のように寄せては返すのだ。

 あちら側の住人が乱数的にこちら側へ現れるのも、そういった理屈だと解釈されている。

 逆もまた然り。

 こちら側の住人が、気づいたらあちら側へ迷い込んでいるなんて話は、そう然して珍しい話でもない。

 帰らずの森や霧の海。

 いわゆる、神隠しと呼ばれる不幸な事件。


「水辺の怪異は、とりわけ人間を


 リンデンでも、年に数人の被害が発生していた。

 そして死者被害が出れば、それだけ次の呼び水も湧いて、次第によくないものが降り積もり、ヤバい状況に変わる可能性も否定できない。

 刻印騎士団リンデン支部は、だから定期的に白緑川を巡回・警邏している。

 ルカによると、最近橋の下では、手招きするが目撃されたそうだ。


「〝水死者の手ウォーターハンド〟──それが、今日一発目の仕事だよ」


 ハイ、てなワケで。


「橋の下に降りる前に、対処法を確認しておこうか」


 大橋の上の階段。

 顔馴染みの警備兵に軽く挨拶をしながら、フェリシアに振り向く。

 ルカからは、少女は今年エルダース魔法魔術賢哲学院を、次席で卒業した秀才だと聞いているが、一般的な魔物について、どの程度のレベルで知識を持っているのか。


(……こういうの、まるで試してるみたいで嫌な役回りなんだが)


 このさき一緒に働くコトもあるだろうし、聞いておかないワケにもいかない。


水死者の手ウォーターハンドは水魔のなかじゃ、割かしポピュラーな魔物だけど、遭った経験は?」

「ないです。でも、対処法は師から聞いています」

「お。じゃあ、どうやって対処すればいい?」

「水辺に近づかないコトです」


 フェリシアは澱みなく言った。


水死者の手ウォーターハンドは、その名の通り水死者の霊障です。

 見た目からよく、精霊エレメンタルと勘違いされるコトも多いですが、実態は人から転じた魔。

 死者の霊が水に取り憑いて、失った肉体を探し求めている幽霊ガイストに分類されます」


 水辺に近づかなければ、害は与えられない。


「ああ、その通り。でも、俺たちは退治しなくちゃいけないだろう?」


 リンデンには大勢の人が暮らしている。

 人が生きていくうえで、水の恵は欠かすコトはできない。

 哀れな水死者には申し訳ないが、死者にはあるべきところで、安らかにお眠りいただく必要がある。


「はい。なので、水死者の手ウォーターハンドに限らず、幽霊ガイスト全般に通じる対処法ですが」


 その霊が取り憑いている物質と、霊との繋がりを断ち切るコトで、憑依状態を解除。


「具体的には、魔力をぶつけてバランスを乱してしまうなどの手段で、霊障を消失させられます」

「釈迦に説法だったかな」

「シャカ?」

「いや、気にしないでくれ。新人とはいえ専門家に、ちょっと愚問だったなと反省しただけだよ」

「そんな。メランさんは先輩ですし、当然だと思います」

「嘱託だけどな。そのうち、俺の方がフェリシアに使われる立場さ」

「そうでしょうか……」


 ともあれ、フェリシアは知識面の方で、百点満点の回答をした。

 補足すべき点も特に見当たらない。

 水死者の手ウォーターハンドはフェリシアも言った通り、憑依状態を解除してやれば簡単に決着がつく。

 多少の抵抗はもちろんあるが、基本はただ魔法で攻撃してやるだけでいい。

 水はもともと物質として不定形だし、霊障程度の悪さしか起こせない魔物なら、人間の魔法でも容易に上回れる。

 後は実際に、現場での動きを見させてもらおう。


「んじゃ、降りるか」

「はい!」


 階段を使い、川岸へと降り立つ。

 大橋は結構な高さがあるので、上と比べると下はかなり空気も冷たい。

 川の水気もあるし、水死者の手ウォーターハンドに引き込まれたら、陸に上がったとしてもかなり惨めな思いをするだろう。

 一応、火を焚く準備はしておくべきか?


「あの」

「ん?」


 俺が使えそうな薪を探していると、フェリシアが小さく挙手の姿勢を取った。

 ふむ。可愛いが、俺は先生じゃないぞ?


「何か質問?」

「はい。この後は、水死者の手ウォーターハンドを探して、川岸を歩いていくんですよね?」

「いいや?」

「白緑川って、いつもはどのくらいの距離を──え?」


 目をパチクリさせ、戸惑い。

 フェリシアは疑問符を浮かべて俺の顔を見た。


「たしかに、普段の定期巡回なら川岸も練り歩くんだけどな」


 今日は明確に、水死者の手ウォーターハンドの退治が仕事である。


「そうだな。これから一緒に、魔物退治に協力し合うことも多いだろうし、教えておくよ」


 ダークエルフの眼は翠色だ。


「え、でも……」

「俺の眼は〝青い〟じゃないかって? そうなんだよ、青いんだよ。どっかの神様に、何が気に入られたのか……生まれた時からでさ」

「神様に、気に入られた……? っ、それって!」

「うん。死界の王の加護」


 死者の世界を覗き視て、死者の世界をこちらに浮かび上がらせる青の瞳。

 神々の息吹のひとつ。

 祝福であり、加護であり、呪業でもある数奇な宿命。


「フェリシアは感得できるタイプじゃないみたいだけど、ひとによっては、一目でそうと分かる特殊体質ってヤツかな」


 だから、ほら。

 橋の下の川の中央を

 それだけで、水は逆巻き、うねり、回り、


「! 水死者の手ウォーターハンド……!」

「こと死者に関して、俺はわざわざ探し回ったりはしない」


 そんなことをするまでもなく、俺の眼には彼らが視えているし、彼らも俺を視ている。

 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらをなんとやら。


「……つーワケで、実戦いける?」

「ッ、はい!」


 問いかけると、フェリシアは杖を抜いた。

 梟の意匠の杖だ。


 フェリシア・オウルロッド。


 新人刻印騎士の、実力や如何に──






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tips:魔物


 境界を異にする非生物。

 元々は〈第八円環帯〉の住人であり法則だった。

 化け物。怪異。人外。異形。

 存在規模が低いモノは魔法を使えない。

 ただし、世界に長く留まったモノは経年と共に魔力を増やす。

 皮肉なコトに、人類と相性が良かった。

 そのため、現在では〝人から転じた魔〟という大分類も存在している。

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