#119「一騒動の後」



 幸運にも、ドラゴンには襲われずにリンデンへ戻って来られた。

 夕方に差し掛かると、城塞都市には騎士と衛兵が増員される。

 北方大陸グランシャリオの夜は長い。

 暗がりを迎えれば、脛に傷持つ者や魔物の活動率などは増大する。

 リンデンは市民の安全を守るため、守りの堅固な防衛体制を整えているのだ。

 完全な夜を迎えてしまうと、登録済みの自由民とはいえ、面倒な手続きを踏む必要がある。

 まして、トロールに攫われていた二十人もの子どもたちを連れてとなると、普段より時間を取られるのは必至。

 新人の治療もあるので、日が隠れ切る前に大橋まで戻って来られたのは、そういう意味で実に僥倖だった。


「戻ったか。トロルズベイン」

「まだいたのかよ。ゲール爺さん」

「無事なようじゃの」

「寒いんだから、早く家に帰れよ?」

「分ぁっとるわ」


 すれ違いざまにゲール爺さんと会話し、門衛のところまでズルズル橇を引きずる。

 近づいていくと、見知った衛兵が何人かこちらの様子に気が付き、ざわざわと出てきた。


「……また今日は、ずいぶん大所帯だな影野郎シェイダー

「お疲れ様です。ハミング衛兵長」

「オマエもな、自由民メラン。トロールか?」

「はい。三叉槍の道トライデント・ロードを少し歩いた先の林で」

「魔術師だったか?」

「ええ」

「なるほど。近々討伐隊が派遣される予定だったが、先を越されたな」

「でも、見ての通りこの子たちを助けるのを優先したんで、ヤツらのねぐらとかはそのまんまです」

「分かった。そちらは我々で対処する」

「ありがとうございます。あと、いつも通り、救助者の保護もお願いします」

「無論だ。その子たちのコトも、後はこちらで引き継ぐ。ご苦労だったな」

「ありがとうございます」


 諸々の状況を共有し、年輪の衛兵たちが子どもたちを、担架に乗せたりするのを確認する。

 彼らも手馴れているため、その作業は淀みがない。

 一通りの診療が終われば、後はリンデンの正式な役人たちなどが出てきて、子どもたちの身元を確認後、親元や施設などの適切な場所へ送ってくれるはずだ。

 根無し草の自由民にできるのは、ここまでである。


「に、兄ちゃん……」

「心配しなくても、大丈夫だよアレス」


 外套の端を、思わずといった様子で摘んできたアレスに、安心させるよう微笑む。


「リンデンの衛兵さんたちは優しいし、いい人ばかりだ。ひどいことはされない」

「……わかった。ありがとう、兄ちゃん」

「元気でな」


 別れを告げ、子どもたちを見送る。

 さて。


「む、この娘は……」

「ああ。そっちは大丈夫です。俺が連れていきます」

「刻印騎士か。分かった。任せよう」


 衛兵のひとりに軽く頭を下げながら、橇に乗っけていた少女をひょいっと持ち上げる。

 片手で申し訳ないが、もう片方には斧があるし仕方がない。


「……ぁ、あの」

「ん?」

「もう起きれますし、ひとりであるけます」

「無理するな。まだ若干、呂律が幼児みたいだぞ」

「……ぅぅ」


 少女は恥ずかしそうに顔を赤くした。

 リンデンに戻ってくるまでの途中で、だいぶカラダの痺れも取れて来たようだが、完治はしていない。

 この通り、会話が可能な程度には筋肉等も引き締まって、だらん、としていた表情から理知的な表情に変わってもいるが。

 抵抗なく持ち上げられたコトからも分かるように、自律歩行にはもう少しばかり時間を必要としている。


「魔力循環だっけ? さすが。新人でも刻印騎士は器用なもんだな」


 自身の魔力で他の魔力を押し流し、不純物を取り除く自己存在のクリアチューン。

 魔術による干渉も、所詮は魔力による〝異常〟のため、自己の魔力を使って〝元の状態〟を刺激すれば、もともとの所有権の違いから、肉体には自身の魔力の方が優先される。

 要はデバフ解除みたいなものだ。

 魔法を発動する一歩手前の状態で、何のオーダーも与えられていない無色の魔力を、自分自身に付与する。

 刻印騎士ならではの職能と言えた。


「すみません、着任早々ご迷惑をおかけしてしまって……」

「いいっていいって。人質を取られてちゃ、ああいうコトもある」

「……えっと、メランさん、でしたよね?」

「ん?」

「メランさんはその、とてもお強いんですね」

「たまたまだよ。トロール退治には慣れてるからな」


 でなければ、伊達にトロルズベインなんて呼ばれてはいない。


「魔法も一度も、使ってなかったですし……」

「“イグニス”を使っただろ?」

「死体を燃やす時だけでした。戦いのさいちゅうでは、そちらの斧しか使っていなかったです」

「意外とよく見てたんだな。まあ、コイツを振り回した方が、早く終わるって状況もある」

「……私、ダークエルフの方は初めて見ましたけど、メランさんのような方が普通なのでしょうか?」

「さぁて。まあ知り合いに、ドラゴンと引き分けられるヤツはいたけども」

「ドラゴンと……?」


 少女──名をフェリシア・オウルロッドと名乗った──は、目を見開いて愕然とする。


(いけね)


 今のはちょっと、余計な一言だった。

 嘘をついたワケではないが、ニンゲンの基準からしたら、ドラゴンと引き分けるなど憤怒の英雄級になってしまう。

 ダークエルフはたしかに強い種族だが、さすがに全員が全員、あんなふうにドラゴンと戦えるワケじゃない。

 職業戦士のなかでも、上位十パーセントくらいしか、セドリックに並ぶヤツはいないはずだ。

 今現在のメラネルガリアがどうなっているかは知らないが、少なくとも十年前はそうだったし。


「うっうんッ!」


 咳払いをして訂正。


「ごめん、いまのは冗談。さすがにドラゴンはな」

「え。ぁ、そ、そうですよね。すいません、私ってばてっきり……」

「ハハハ。第一印象にちょっと、ハクが付きすぎちまったか。俺もドラゴンは怖いよ。ところで」


 少女を小脇に抱え、緩やかなリンデンの傾斜を登りながら、俺は「どうしたものか」と思案する。

 魔力を持たない子どもたちと違って、刻印騎士であるフェリシアは自力で回復できた。

 となると、薬屋に寄って、錬金術の妙薬を買い与えてやる必要も無い。

 ルカから与えられた仕事は他にも三件あるし、時間も遅くなったから、今日は一報を入れて明日また上層に向かうのがいいだろう。

 ルカには仕事を、新人と一緒に片付けるようにも言われている。

 思わぬトラブルで余計な時間を食ったが、一件くらいは片付けて戻りたい。

 とすると、今日のところはそうだな。


「フェリシア、キミ、手持ちの金はどれだけ持ってる?」

「え?」

「今日はもう暗くなるから、金があるんだったら、宿にでも泊まってもらいたい。疲れただろう? 支部にはまた、明日顔を出せばいいから」

「え、でも」

「大丈夫大丈夫。上司には俺から伝えておくし、事情もちゃんと共有しとくから、キミが怒られたりはしないよ」


 むしろ、ルカには出迎えを忘れていたという特大の負い目もあるだろうから、喜んで俺の意見に賛成するはずだ。


「で、どう? 金ある?」

「え、えっと、どうだったでしょう……お財布を見ないと……」

「いったん下ろした方がいいな」


 植樹帯のレンガに、そっとフェリシアを座らせる。


「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

「えーっと、お財布、お財布……」

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですっ、このくらいなら……」


 フェリシアは少しだけ、プルプルと震えながら自身の財布を探す。


(……まぁ、さすがに俺が、直接まさぐっちまうワケにはいかないしな……)


 フェリシアの年齢は十八歳。

 この世界じゃ立派な成人女性ではあるが、うら若き乙女であるコトに違いはない。

 俺はこのあたりじゃ、十六かそこらの若造に見られるコトもままあるのだが、前世を除外しても今年で二十七の歳になる。

 仮にここでフェリシアに悲鳴でも上げられたら、衛兵に取っ捕まり、牢獄行きは免れない。

 しかも、性犯罪者は去勢されるのが、リンデンの法律だ。

 ウィンター伯はその辺、厳罰を与えるコトでも有名である。


「あっ、ありました!」

「お。それで?」

「大銅貨が一枚……」

「マジかよ」


 なんでそんな少ないんだ。


「底が破けちゃってる……」

「うわぁ」

「もしかすると、トロールに襲われた時に、破けちゃったのかもしれません……」

「荷馬車、見事にひっくり返ってたしなぁ」


 フェリシアも刻印騎士だ。

 子どもを人質に取られる前は、普通に戦っていたが、その際に衝撃波などでダメージが通っていたのかもしれない。

 仕方ない。


「じゃあ、これ」

「え?」

「貸しとくから、今日はこれでその辺の宿泊まっといて」

「そんな! 助けてもらったのに、悪いですよ!」

「貸すだけだから。ちゃんと返してくれれば、別にいいよ」


 俺は懐から、大銀貨二枚をフェリシアに手渡す。


「宿はそうだな。『蕩けチーズの暖炉亭』か『トナカイ酒場』あたりが、オススメかな。店員に頼めば、食事も部屋まで持ってきてくれるよ」

「すいません……!」

「あとは湯桶と石鹸か? まあそのあたりは、個人の判断に任せる」


 ぶっちゃけ一晩程度なら、大銀貨一枚で余裕で足りるだろうが、リンデンに着いてまだ仕事も貰っていない。

 何かと入用だろうし、初期費用ってコトでオマケしちゃる。


「そろそろ、歩けそうか?」

「ん、なんとか……!」

「一応、宿まではついて行くな」

「すみません……!」

「ハハ、そんな恐縮しなくていいよ」


 俺、嘱託だし。

 正規の騎士じゃないし。

 協働者みたいなもんだと思って、気楽に接してくれ。


「とりあえず、明日またよろしく」

「あ、はい! よろしくお願いします!」

「うん」


 実力はまだ何とも言えないが、人格面は特に問題も無さそうで安心した。


(さすが、人々の盾となるべき刻印騎士団の一員)


 若い女の子と聞いて、ちょっと不安視していたが、リンデンに派遣されるくらいだ。

 不安は杞憂かもしれない。






────────────

tips:刻印騎士団


 人界の守護者。

 刻印魔法のスペシャリスト。

 トライミッド連合王国では、人々からの敬愛も強いため、騎士団への入団は自ずと人格面にも優れた者が多くなる(相応しくない者は弾かれる)。

 古代では実力主義が先行し、血の気の盛んな復讐者も多かったそうだが、現代では組織改革が進み、後進の教育等も熱心に行うマトモな治安維持組織。

 西方大陸のエルダース魔法魔術賢哲学院と提携していて、どの刻印騎士も、そこでの卒業が最低条件として定められているようだ。

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