#114「夜の舌鼓と英雄の歌」
北方大陸の昼間は短い。
大陸の南西とはいえ、リンデンはトライミッド連合王国の中でも北部に位置する。
夜になれば、仕事は進まない。
森の奥には狼……ダイアウルフの群れだって棲息していて、何より夕方は〝逢魔ヶ刻〟
下手に異界に長居を続け、何か恐ろしいモノにでも出会したら、暖かな自宅には二度と帰って来られなくなるかもしれない。
なので、俺たちは日が沈むと、残業などせずスパッと仕事をやめて、城壁の中に戻った。
さあ、昼飯を抜いちまった分、夜は豪勢に行くぞっ!
「あ、すいませーん! 大角鹿のソテーと、
「姉ちゃん! 俺にゃ
「はーい! ただいまー!」
都市中層、『蕩けチーズの暖炉亭』であった。
店内には俺らと同様、ちょうど仕事から帰って来たらしい人間たちが、所狭しとテーブルを囲んでいる。
ウェイトレスの女の子は、忙しそうに注文を取っていた。
暖かな暖炉と料理の熱気。
天井にぶら下がるオレンジ色の燭台に照らされて、リンデンの大衆酒場は、今日も美味しいサービスを提供している。
ここは、自由民も多い。
二階と三階が宿屋になっているため、俺のようなダークエルフも、常連くらいになれば普通の客として食事にありつけた。
「さて」
店は店名通り、チーズ料理を推しているが、先ほどの注文を聞けば分かる通り、ここはそれ以外の料理もハズレが無い。
注文した料理が出来上がるまで、しばし雑談タイムだ。
ティバキンにさっそく近況を聞いてみる。
「で、最近どうよ?」
「どうよって何がだよ」
「仕事の調子とかさ、組合の若頭は大変なんじゃないの?」
「ンなもん、今に始まった話かって」
銀のヘルメットをテーブルに置き、ティバキンは懐から紫色の水パイプを取り出した。
オフモードなので、どうやら完全にハーブをキメたいらしい。
俺は煙草が全般的に嫌いなのだが、ティバキンの吸ってるハーブシーシャは銀冬菩提樹──ウィンターライムハーブが原料なので、香りはいい。
受動喫煙による健康被害が、どれだけあるかは分からないが、少なくとも前世の煙草に比べたら、まったく不快ではないのが反応に困った。
まあ、ティバキン以外にも吸ってるヤツはたくさんいるので、やめろとも言う気は無いんだけどな。
いちいちヒステリックに文句つけて回ってたら、四六時中喧嘩三昧で疲れちまう。
ティバキンは数少ない友人だ。
友人の
それにハーブそれそのものは、俺もよく薬剤作りとかで触れている。
リンデンではハーブティーも名産だ。
一服したティバキンが、気持ちよさげに背もたれに脱力し、「あー、でも、アレだ」と呟いた。
「ん? アレって?」
「最近人手不足だ、って話はしたろ?」
「ああ、言ってたな」
「どうも家の若い連中が、最近、
「
人界・怪人道。
河川や湖沼などの水辺に棲みつき、家畜や子どもなどを襲って、血を吸おうとする連中である。
見た目は蝙蝠の顔にヒキガエルの手足。
体長は小さいが、常にヌメヌメした分泌物で体表を覆っていて、青黒い鱗を持つ。
リンデンには白緑川があるため、割と短スパンでヤツらの退治依頼が飛び込む。
ティバキンたち
「怪我人が出てるのか?」
「ああ。最近は川沿いの仕事だろ? そのせいで、頻繁にやられるんだよ」
「マジか。注意はしてるんだよな?」
「もちろん。でも、若ぇ連中は血気盛んでよ。水掻き鬼くらい、斧と
「……まぁ、実際撃退できなくはないしなぁ」
カラダも小さく刃だって普通に通るし、何より火が弱点だと知られている。
その気になれば、松明一本で容易に殴り殺せるだろう。
年老いた老人や非力な女子どもでもない限り、人死が出たって話も聞かない。
だが、
「ヤツら狡賢いから、罠にでもかけられたか?」
「おう。腐った魚の内臓をぶん投げられて、おちょくられたらしい。ガキどもそれでキレちまったんだと。で、あとはまんまと袋叩きよ」
「ハハハ。あるあるだな」
「笑い話じゃねぇよ。日頃から注意はしてたっつうのに、ったく、頭がイテェったらねぇ」
ティバキンはうんざりした顔で愚痴る。
と、その時。
「はーい、お待ちどうさま!」
「お、待ってました!」
先ほど注文した料理が、いい香りを漂わせ運ばれてきた。
大角鹿のソテーと
両方とも素晴らしく美味しそうだ。
大角鹿のソテーはクセの少ないアッサリした鹿肉を楽しめるし、付け合わせのドルモアオムレツは
苔桃ベースの赤黒いソースは程よい酸味でこちらも絶品。
リンデンじゃどちらも、古くから愛される伝統料理。
今日の夕飯は、久しぶりに贅沢な食事である。
「よっしゃ。それじゃ、食うか!」
「おう!」
ティバキンと一緒に、ふたりしてハフハフがっついた。
一日中カラダを動かす肉体労働従事者にとって、食事は日々の体力を維持する大事なエネルギー源。
食べている途中、無性に米が欲しくてたまらなくなるが、そこは意識しないよう、今はただひたすらに目の前の皿へ集中する。
「うめぇ……!」
「やっぱここは最高だな!」
一食あたり大銅貨七枚。
切り詰めれば最低大銅貨二枚で一食賄えることを鑑みると、相場的に約三倍。
値段は高いが、たまにはこんな日もいいだろう。
斡旋所に行けば、今日働いた分の報酬が入る。
自由民なんて基本はその日暮らし。
食える時に食っておくコトは、長い冬に備えて極めて大事なコトだ。
と、そこに。
──ポロン、ポロロン
「ん?」
「お、吟遊詩人か」
酒場の奥。
俺たちのテーブル席からは、少し離れた小さな
演奏台に座っているのは、緑衣に身を包んだ白毛の
ドール・ビッグ・ホーンみたいな立派な角を持っている。
見慣れない顔だが、何やら唄を歌うらしい。
耳を傾けると、
“おお 怒りの剣 光の刃”
“魔物を 打ち破る 猛き益荒男”
「『憤怒の英雄』か」
「人気のある曲だよなぁ」
察した俺たちと共に、他の客席からも次第に「おお……!」と男たちが頷き合う様子が窺える。
『憤怒の英雄』は吟遊詩人の唄の中じゃ、市民に絶大な人気を誇るコトで有名だ。
トライミッドじゃ、太古の英雄譚とも並ぶ。
英雄なんて、現代じゃ絶滅して久しい。
しかしこれは、今なお地上に生きる新たな英雄を主役にしている。
さらに、その英雄はリンデン出身らしい。
この街の住人で、『憤怒の英雄』を知らない人間はいないだろう。
“鋼の 肉体 不屈の魂”
“我らの 安息 守るために”
“彼の者 悪魔の 絶滅者となり”
“数多の 嘆きを 希望で塞ぐ”
“その身に 刻みし 誓いの言葉”
“栄えある 騎士道 人界を守る盾”
「「「グラディウス!」」」
「「「グラディウス!」」」
「「「グラディウス!」」」
……いやはや。
相変わらず、とんでもない人気っぷり。
演奏も上手かったし、歌声もめっちゃ綺麗なテノールだった。
これはひょっとしなくても、リンデンに新たなスターが誕生しちまったのか?
ティバキンもいつの間にか、ジョッキを片手に雄叫びを上げているし。
「すげぇな刻印騎士団」
魔法使いの一団だってのに、当代の団長が凄まじい英雄らしいため、その名はトライミッド中でめちゃくちゃ轟いている。
噂じゃただのニンゲンだって話だが、聞いただけでも相当な魔物と怪物……人喰い八脚馬スレイプニール、堕ちた大魔法使いゼオメイガス、〝貪る蝗龍〟グラトロンなどの討伐が語られている。
前者ふたつはまだしも、三つ目のは虫系とはいえドラゴンだぞ?
(ドラゴンにどうやって、人が勝つんだよ……)
刻印騎士団長、アムニブス・イラ・グラディウス。
可能なら、いつか会ってみたい男だった。
まあ、その娘となら明日にでも会えるんだけど。
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tips:憤怒の英雄
古代から存続する魔物退治の専門家『刻印騎士団』の当代団長、アムニブス・イラ・グラディウスを唄った歌。
トライミッド連合王国では極めて高い人気を誇り、リンデンでは半ば聖歌に近い。
一説によると、吟遊詩人はこの歌さえ練習しておけば、まず食いっぱぐれないだろうとも。
それだけ、この歌の人気は高いようだ。
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