#104「それだけは」
一度決めてしまえば、後は呆気なかった。
何を優先して、何を捨てるか。
俺はこれまで、この国で様々なことを頭で考え、時々で心に従って行動してきたと思う。
だけど、今回のこれは、そういうのとは一線を画した。
次元が違った。
大木が圧し折れる際の、バキバキっという裂傷音。
みしり、みしりと圧力を加えられ、ギシンと軋みを上げる。
二度と元には戻らない。
そんな、ある種の、決定的な感覚を覚えてしまい……
(──スッ、て)
意識に切り込みが入った。
その瞬間、自分が何を為して何を為さぬべきか。
物の判断がクリアに出来て、同時にひどく、大声で泣きそうになった。
「…………」
「…………」
赤く燃える炎の大剣。
メラメラとメラメラと、間近にしているだけで肌が焼けそうになる。
これはどんな偶然なんだろう?
あの日の俺は、守ることができなかった。力が無かった。
だけど今は、間に合うことができたし、守れる自信もある。
あの時、これができたなら。
そんな有り得もしない〝もしも〟に目頭がアツく燃え、けれど、彼女たちとの離別がなければ、今この状況は決して掴めなかったというたしかな現実。
(──だから)
今度は救おう。
絶対に取りこぼさない。
そうしなければ、ダメなんだとかでなく。
そうしたいから、そうする。
「……一応、聞いておくけど」
「なんだ?」
「このまま剣を収めて、大人しくどっかに消えてくれたりは……しないよな」
「もちろん。そのような道理が、何処にある?」
「……無いんだろうさ。けど、聞いて試してみるくらいは、しておくべきだと思って」
言葉を話し、言葉を交わし、互いに相手の意思を確かめ合うことができるなら、たとえ相手が魔物であろうと、まずは境界線を探す。
──もっとも。
(言葉が通じないなら、話は別だ)
ギチギチ、ギチギチ。
こうしているいまも、未だに剣を振り下ろす力に一切の躊躇いが生まれていない。
男。
ダークエルフ。
古めかしい口調。
頭には王冠をかぶり、肉体の内と外には溶岩のように光り輝く炎の光血。
黒金剛石の皮膚、重機のごとき膂力。
どこからどう全身を見ようと、まったくもって尋常の存在じゃない。
明らかに常軌を逸している。
……まぁ、空を貫く炎の剣なんか持ってるのだし、そんなこと、初めから分かりきっていた話ではあるんだけれども。
「──何で、殺すんだよ?」
「知れたこと。余の行く手に立ち塞がる魔物は、その
「だったら、
メラネルガリアの国民を殺す意味が分からない。
メレク・アダマス・セプテントリア。
コイツが本当に、鐘の音の謳い示す通り、本当にダークエルフの英雄なら、末裔であり同胞、現メラネルガリア人をバカみたいに殺しているのは、意味が分からなすぎる。
しかし、疑問する俺に男は答えた。
「たわけが」
「は?」
「貴様もそこな姫も、余を阻んだ。悪しき魔物を討ち滅ぼし、世界を救わんとする余を」
であれば、それは敵。
「如何に巧妙に姿形を偽ろうとも、邪悪な本性が、透けて見えているのだ……!」
「──そうか。じゃあ、自分がその魔物だっていう自覚は、無いんだな」
「愚かなり! そのような戯れ言で余を惑わそうなど、無駄である!」
「ああ……何を言っても、届かないってことがよく分かったよ」
「悪しき第八の眷属よ。裁きの時だ!」
ジリジリと火力が強まる。
険の宿った翠の眼差しが、ゆっくり
オマエの相手は俺だ。俺だけを見ていろ。
ヘイトは稼いだ。
性質も理解した。
魔物ってのは、やっぱり普通は、こんな風に歪んでしまって、破綻した存在なんだろう。
おかげで再認識できた。ケイティナは凄かったんだな……
「メ、メランッ!」
押され始めた俺を見て、堪えきれなかったのだろう。
背後からルフリーネの、身を裂くような声が震える。
(──たしかに)
地面は罅割れ、足場は物理的に凹んだ。
俺はいま王城の床に、数センチほどズシン! とめり込まされてる。
なので悔しいが、認めるしかない。
コイツを止めるには、片腕だけじゃ足りないみたいだ。
歯を食いしばって、もう片方の腕も固く握る。
「……オマエが何処の誰で、どうして急に湧いて出てきたのか。そんなコトは、別にどうでもいい」
「! 口を開く余力があるか。敵ながら、そこは大したものだと認めてやろう」
「ただ、ナハトでもフィロメナでも、
「……? 世迷言か?」
「いいか? どんなに大仰な理想や夢があったって、死者の尊厳をいたずらに貶めていい理由は無いんだ」
ましてや、こんなふうに大勢を傷つけ、たくさんの明日を奪わせるなど、とんでもない陵辱。
メラネルガリアに来たばかりの頃の俺なら、眉をひそめて距離を置いて、「ああ、不快なものを見てしまったな」と、それだけで片付けたかもしれない。
しかし、この国で色んなものを見て、色んな人と会って、幾つもの思いがけない喜びを得た。
色眼鏡を掛けていた俺でも、そんな日々を送ることが可能だったんだ。
メラネルガリアで生まれ育ち、メラネルガリアで歳経て、何十年何百年、変わらぬ今までを続けて来た無数のダークエルフ。
彼らには彼らの、何にも代えられない〝毎日〟があっただろう。やり切れない想いがあっただろう。
特に、未だ幼い数少ない子どもたちを襲った非情な理不尽。それを思うと、はらわたが煮えくり返って仕方がない。
俺はな。
「何より、この世には子どもと幸せに暮らしたくとも、それができない親がいる。離れ離れに引き離されちまって、一緒に過ごせたはずの暖かな時間を、失うしかなかった家族がいる──なぁ、いったい誰に剣を向けたか、分かってるのか?」
「……ッ!?」
拳を当てた。
男が吹き飛び、瓦礫を作りながらその中に埋まる。
轟音が一瞬、周囲の炎を凪のように掻き消した。
「──ぇ」
シュぅぅぅぅぅ……
煙をあげる左の腕。
案の定だが、無傷じゃない。
ダイヤモンドを思いっきり殴りつけたんだ。
拳は割れたし、肌も炭化した。
それでも。
「──」
「──ぁ、ああっ……!」
バチリ、と。
空いた右手で仮面の留め金を外す。
紐帯は最初の炎で、すでにダメになりかけていた。
レンズも熱で歪んでしまい、クチバシ部分も含め、仮面は大部分がダメージを負っている。
だから、
(セドリックから話を聞く前……)
あそこで目を覚ましたその瞬間から、これはもう、実はほとんど元の機能を果たしていない。なので、着けている意味が無い。
顔を、晒す。
ほら、ハッキリ視える。
「──こんなにも。こんなにも、だ」
国の空を覆う数多の絶望。
嘆きと怒りと苦しみの声が、渦を巻いて。
縋り付こうと伸ばされる手の、おびただしい力……
「視えてないなら、見せてやるから……そのままどっかで、自分たちの行いがもたらした〝現実〟を、黙って受け入れろ」
俺も受け入れる。
だから、行く。
その光景を、トルネイン・シャーマナイトは離れたところから遠視していた。
爆心地となった黒盆の礼拝堂跡地。
魔術の成功によって、メレク・アダマス・セプテントリアは炎の魔人として地上に再生された。
結果、国の根幹たる大魔術式は、突如として発生した強大な記号を受け入れきることができず、熱暴走というカタチで国土を破壊している。
もはやメラネルガリア貴石貴族は、その大半がこの世からいなくなった。国民もろともに命を失った。
トルネインが長年溜め込んでいた苦悩と鬱積……ダークエルフが陥っていた〝繁栄の袋小路〟は、これによりついに打開されたと言っていい。
「……いつしか聞いたな。国に明日が無いのなら、国そのものを諦めてしまえばいい……貴様は虐殺こそ手段に挙げなかったが、結局は同じことだ……」
元々ダークエルフは、他種族に嫌われている。
散り散りになり小さな勢力に変われば、歴史は再び繰り返される。
迫害と偏見の歴史は根強い。
分裂したダークエルフは、やがて方々で誰に知られることもなく、闇の中へ葬り去られるだろう。
強者など、〈渾天儀世界〉には数え切れないほどいる。
「であれば……どうせ滅びるしか選択肢が残されていないなら……殿下は自分たちの手で幕を引くことを決断された」
それはトルネインが、ラズワルド・スピネルと出会うよりずっと前。
「忠誠を誓うのは必然だった」
少年の答えに、トルネインは一条の光を見出した。
理由はゆえに足りていて、
「──まさに、見事であろう?」
崩壊する国土を、遠視の魔術で俯瞰しながら、トルネインは万感の想いで呟く。
なぜなら、罪深いという一点を除きさえすれば、いま、トルネインの懊悩は見事に晴らされている。
これほどの滅亡、これほどの殺戮。
もはや術式を成り立たせる構成要素は、二度と元には戻るまい。
ダークエルフは既存の生き方を捨て、新たな生き方を余儀なくされる。
大魔術式『
太古の英雄は復活し、彼に導かれることで、生き残ったダークエルフは正しき繁栄を約束されるだろう。
未来の救済。
それこそが、トルネインもナハトも目的だ。
「死者の尊厳を、いたずらに貶めていい道理はない?
……ああ、知っているとも。自分たちがもたらした現実の責任は、この先いくらでも果たす」
嘘などではない。
事実、トルネインは手始めに、復活させた救世主に手ずから処断された。
ここにあるのはもう、レイナート・シャーマナイトという銘を持った、トルネイン・シャーマナイトの記憶を引き継ぐただの人形でしかない。
主であるナハトも、永劫徒刑につく。
偉大なる英雄をこの世に繋ぎ止めるための要石として、ナハト・アダマスの自意識は、二度と顕在化しない。
「──北方大陸王、メレク・アダマス・セプテントリアには、それだけの価値がある」
たとえ魔物でも、復活させた術者張本人として断言しよう。
今現在の〝浄化〟が終われば、彼の王は機械的なまでにダークエルフを救う。確約できる。
「なにしろ、そういう歴史だ。そういう伝説だ」
星に刻まれた存在属性は、過去の記録ゆえに決して揺るぎがない。
抗うな。
刃向かうな。
逆らわなければ、この地上で最も確実な永遠の守護者に庇護される。
不世出の英雄が万民を救うのだ。
しかし……
「……殿下、ナハト殿下……貴方のお言葉に甘え、貴方の覚悟に未来を見出し、共に悪名背負おうと、こうして地獄の底までやって参りましたが……どうやらまだ、打ち破らなければならない最後の障壁が残っていたようです」
ラズワルド・スピネル。
否、メランズール・アダマス。
死んだはずの第一王子にして、やはり生きていたナハトの異母兄。
顔を晒した少年は、青く光り輝く瞳で死者たちを捉え、今や明らかな〝敵〟であった。
こんなことになるのなら、あの日あの時、殺しておけば良かったと心底悔やむ。
「忌々しい……」
トルネインは素直に呪詛を吐いた。
「何故だ? 何故なのだ? 貴様はこれまで、ひたすらに道化を演じ、〝爪弾き者〟の立場を一切崩そうとして来なかった……名と素性を偽ることで、この国の如何なる事情にも深入りはしないと、全身で訴え続けて来たではないか……」
なのに今さら、この局面に陥って正体を明かす? 立ち塞がる?
ダンッ! と足元の瓦礫を踏みつけ、トルネインは奥歯を噛み砕いた。
「貴様に何の権利があってッ、そんな巫山戯たマネが許されると思っている──!」
魔人に匹敵する力の正体など知らない。
メランズール・アダマスは魔力を持って生まれて来なかった。
推測できるのは、実はその情報が誤りであったというコトくらいだ。
だが、
(ここまで計画は、誰にも暴かれなかった……)
完璧に秘密裏に、すべては細心の注意を払って準備され、ついに今日という大願成就の時を迎えられた以上、ここから覆される〝負け〟は無い。
(
魔術を起動する。
生涯にかけて蓄え続けた神秘の触覚を霊脈に潜らせる。
本来の肉体を失い、最盛期の魔術を直接行使するコトはできなくなっているが、あらかじめ仕込んでおいた術式に火を灯すくらい、人形のカラダでも支障は無い。
「──うつしようつせ我が麗筆。画額縁取れ精髄の真実。壁龕は聖櫃に同じく劇場は小神殿に同じ──うつくしきうつせみは時に精華を上回る」
詠唱の終了と同時、トルネインの周囲には『画廊』が構築された。
展覧されているのは、十一枚の絵画芸術。
精緻を凝らされた珠玉の美彩。
しかし、内何枚かは額縁が飾られたのみで、肝心の絵が存在しない。
ただ
「……『人面獣心』、『魔術院の導師』は使い切った。本来ならばコレは、来たるべき王政復古の凱旋のため、しばらく温存しておきたいところだったが……出し惜しみは悪手だと直観した。完膚なきまでに膝を折ってくれるッ」
『北の古強者』
『勇壮なるセプテントリオン』
『黒炎騎士団 冬の征伐』
「いずれも、王の麾下にて最強を謳われた、名のある戦士たちの歴史画だ。現実を凌駕する芸術の極地、とくと味わえ──!」
老魔術師の咆哮。
絵画からぬるりと、〝太古の軍〟が投射される……
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tips:美術魔術(絵画)
人が美しいものに接触した際の精神作用。
また、涙を流すなどの鮮烈な肉体的反応を基にした魔術。
優れた美術品は歴史に名を残し、幾代にも亘って人々の記憶へ。
トルネイン・シャーマナイトは『名画』のアーキタイプを掌握しており、自身が手掛けた作品をいつでも現実に描画できる。
周囲にはそれが、本物と見紛うほどの芸術であり、錯覚してしまったその時点で、絵画そのものへの干渉は不可(審美眼が足りないため)。
よって、この魔術を正攻法から打ち破るためには、初見で違和感を察知し、偽物・駄作・贋作(あくまで現実と比べて)だと切り捨てられるたしかな審美眼を持つ人物であるか。
あるいは、画家本人ないし画廊への、直接攻撃が必須になる。
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