#105「たとえ呪いであろうとも」



 炎が走る。

 剣が踊る。

 炎が走る。

 剣が踊る。


「──ッ、──!」


 崩れ落ちた漆黒の巨城を舞台に、大剣背負いの大男が、燃える鋼を振り回し破壊を撒き散らす。

 何もかもがスローになった世界で、俺は空中に舞う瓦礫の一粒一粒、肌を舐める殺意の熱気、鼻先を掠めた刃の曲線……様々な物を詳細に感じていた。

 握りこんだ手斧の木柄。

 汗が滲んでグリップが吸い付く。

 だが、目の前の敵はこいつでは殺せない。

 硬度が足りていないからだ。

 敵はバカみたいに硬い。

 ゆえに、斧を握るのは、あくまでも集中力を増すため。

 自分の中の生存本能を、獣のように剥き出しにする。


「ぬッ!? さらに速く──!?」


 アレクサンドロに比べれば、敵の動きは一段か二段は遅い。

 伝説の英雄、ダークエルフの救世主、キングセプテントリア。

 御大層に並べられた看板は、どれも素晴らしく立派なものだが、戦士としての格はそれほど高くなかった。

 元々大したことが無いからなのか、あるいは魔物と化したことで劣化して再現されているからかは不明だが、どのみちこの程度の身体捌きなら、永遠に俺を捉えるコトはできない。

 では、どうするのか?


「焼き尽くす──」

「当然そう来るだろう」


 敵の握る大剣から、再び炎の剣身が拡大する。

 伝承の再現なのか何なのか。

 メレク・アダマス・セプテントリアには、石炭を生み出す力があったとは聞いていた。

 その派生か、あるいは解釈なのか、ヤツの大剣が一度真っ黒に染まると、勢いよく炎を噴き出し天へ逆立つ。


「余は、火の父……焦熱と熾火を司る、黒き父なれば……」

「いいよ。勝負しよう」

北方大陸グランシャリオの人界──すべての焔を、此処に束ねることもできるのだ……!」


 要するに、範囲攻撃。

 無差別攻撃と言い換えてもいい。

 先ほどルフリーネを殺そうとしたのと同様、まったく同じものが作り出され、今度は俺目掛けて振り下ろされる。

 懐に入り込んでの妨害は、しない。

 ただ真っ向から、意地を通すため食い破る。

 アレクサンドロの火は、ああ、こんなものじゃなかった。


「──“ イグニス”」

「ッ!?」


 轟々轟々。

 暴々暴々。

 ぶつかり合う灼熱を通して、相手の驚愕が手応えとして伝わる。ふざけた野郎だ……


「人を散々、魔物と決めつけて害悪みたいに語っていたクセに、こっちが魔法を使ったら、そんなに驚くのか? そんなに不思議なのか?」

「たわ、けが──! それほどの魔! それほどの威! 貴様、の……!」

「だから、魔物じゃないって、言っても無駄なんだろうけどさ」


 黒炎を押し返す。

 かつて見た復讐の陽炎を、身を貫いた鋼鉄の厚さそのままに再現して。

 剣を弾き、たたらを踏ませ、ただ上回る。

 直後──


「っ、新手か?」

「おお……王国の戦士たちよ!」


 二秒前まで立っていた場所に、深々と突き刺さった強弓の矢。

 戦いの場に、怒涛と押し寄せる軍隊。

 馬のいななきと戦車チャリオットの鳴動。

 まるで王を佑けるが如く、古めかしい武装をした大量の戦士たちが、雷風鉄火を鳴らし参戦した。

 メラネルガリアの正規兵ではない。

 ダークエルフ、巨人、ダンピール、グリム人、ドワーフ、ハーフリング、イエルティ、サーベリアン。

 ザっと見ただけでも、複数の種族による混成軍。

 翻す旗は黒地に炎の炉。


「セプテントリア王国軍」

「余と共に蘇ったか友たち……!」


 魔人が喜びに打ち震え、闘志を立ち直らせる。

 だが、歴史に消えた亡国の軍が、こんなにも都合のいいタイミングで復活するはずはない。

 復活できるなら、最初からやれば良かったのだから。

 敢えて時間をズラす必要はない。

 十中八九、何処かからのテコ入れだ。

 つまり、


「見てるな。俺を」


 想像していた通り、ナハトかフィロメナか、あるいは他の誰かが、この状況を遠くから観察している。

 もしかすると、人面獣心マンティコアどもの飼い主って線もありえなくはないか。

 となると、レイナートあたりも候補には挙げられる。

 まあ、何にせよ……


「──ッ!」


 職業戦士は、さすがに格が高い。

 矛、槍、剣、矢、石、爪、槌、斧。

 バリエーションに富んだ多彩な攻撃が、洗練された一撃一撃を見事な連携で繋いで俺を襲う。

 同時に突き込まれる四方からの槍。

 上空に跳んで回避すれば、撃ち落とすように斉射される矢。

 外套を巻いて回転しながら着地。

 そこにすかさず叩き込まれる重装騎士の矛。

 身を転げて避ければ悍馬の蹄。

 慌てて馬上に飛びつき、騎手の首を裂き、死体を盾に戦車へ体当たりアタック

 歩兵の投石が、仲間とか関係なく降り注いだ。


(っ、痛ぇな……! なんつぅ威力だよ!)


 いなしきるのは到底無理だった。

 一対一ではなくなっている。

 ここに居るのは歴戦の戦士たち。

 親玉と違って練度が違う。

 息つく暇も無い。

 しかも、


「……あ!?」


 殺したはずの敵が、消えたと思ったら元に戻った。

 首を裂いた騎手、体当たりで壊した戦車、投石でもろともに攻撃された馬や騎兵。

 それらが霞となって消えると、すぐに元の姿になって襲ってくる。

 殺しても死なない。

 真面目に相手をしても意味が無い。

 思わず動揺する俺に、


「──ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハ……!」

「!」


 魔人は笑った。

 嬉しそうに、愉しそうに、笑った。

 そして、


「そうだ……ッ、それでいい……! 悪しき魔よ、裁きの時だ……! 貴様らなど、生まれてきたことそれ自体がッ、この世の間違いなのだからな……!」

「──────は?」


 立て続けに捲し立てられた、聞き捨てならない雑言。

 アイツの中では、魔物はただそこに存在しているだけで、どうしようもないほど『悪』なんだというのは分かった。


 だが、〝生まれて来たこと〟……それ自体が、間違い……?

 

(──それは、あの、ヴォレアスで最もあたたかだった、母娘ふたりに対しても……?)


 ……違うだろう。

 ……違うだろう。


 絶対に、違う。


「“グラキエース”──」

「ムッ!?」


 軍を凍らせる。

 冬の寒さで霜下に閉じ込める。

 殺してはいない。

 ただ、身動きをできなくさせた。

 立ち上がり、言う。


「なぁ──ひとつ訂正させてくれないか」

「貴様……」

「さっき、俺はオマエに、オマエが何処の誰で、どうして急に湧いて出てきたのか? そんなコトはさ、別にどうでもいいって言ったと思うんだけど」


 ひとつだけ、思い出したコトがあった。


「オマエが本当に古代セプテントリア王国の王だって云うなら、頼むから聞かせてくれよ」

「……なんだ」

「デーヴァリングって知ってるか?」

「なに?」

「知らないはずはないだろ? それとも、時の為政者なんてのは、やっぱり都合よく忘れちまうものなのかな」

「その問いに何の意味がある?」

「いいから答えろ」


 明確に、瞭然に、誤解の余地がないほど端的に。

 睨みつけると、


「……無論、知っている。デーヴァリングというのは、いわゆる半神たちのことであろう?」

「ああ、そうだ」


 魔人は警戒しながら、素直に事実を吐き出した。

 神の落とし子、デーヴァリング。

 神と人が交わり合った末の種族子どもで、彼女たちには生まれつき言語の壁が存在しない。

 それまで知らなかった未知の言語も、彼女たちは触れた瞬間に直観的に理解し体得してしまう。


「古代では彼女たちを、便利な通訳者として使っていたんだってな?」

「……」

「オイオイ、何で黙るんだよ」


 まだ何も、核心的なコトには触れてないだろうが。


「貴様は半神に縁のある者か?」

「さてね。でもまぁ、そんな反応をするってコトは、何となく、俺の言いたいことも分かったってことだよな」


 つまり、罪の意識はあるワケだ。笑わせてくれる。


「あらゆる書物、あらゆる文献、あらゆる記録で語られていたよ」

「……」

「デーヴァリングは古代、時の為政者の横暴で絶滅したってな」

「──それは違う。余には半神を滅ぼす意図など無かった」

「当時の実際なんか知らねぇよ。オマエに無くても、オマエを取り巻く環境にはあった。どっちにしても、要はそういう話になるだろ」


 切り返しに、魔人は「っ」と悔しげに口を閉ざす。


(そりゃそうだ)


 仮にも王を名乗るものが、自らが君臨した集団組織の一挙手一投足に責任を持てないなど、口が裂けても言い放つワケにはいかない。

 しかし、実際問題、歴史はつまびらかに語っている。

 あらゆる種族、あらゆる国の言語を問答無用で解する種族能力。

 古代各国は、当時、多種族共和を訴え、結束のためにデーヴァリングの能力を大いに役立てることを考えついた。


 ──たかだか通訳のためだけに求められたワケじゃない。密書にしたためられた暗号、その種族でなければ通じぬ独特な言い回し。デーヴァリングは何もかもを解読可能だった。


 ゆえに、その能力は権力者たちに重宝がられ、同時にひどく、疎んじられて殺された。

 暗殺、毒殺、謀殺、射殺。

 居場所を追われたデーヴァリングは、次第に山深い隠れ里や、地図にも載らないような未開拓地の村などに辿り着き。


(子どもの姿から変わらない神秘性……)


 神の血を引く事実から、ほとんどが崇拝の対象となった。

 その結果、彼女たちは望まぬ形で祭り上げられ、中には悲惨な因習や生贄の儀式などに捧げられてしまった。

 ──なあ、だから教えてくれよ。


「オマエがこれから、もしも本当に世界を救っていくとして、デーヴァリングみたいに便利な種族がいたら、今度もまた同じように役立てたいと思うか?」

「…………」

「複数種族の共和と協調を謳っておきながら、大多数の幸福のためなら、少数の犠牲は仕方がないって統治者らしく考えるか?」


 そこのところ、どうなんだろう?

 俺は目を逸らさずに答えを待った。

 すると、


「──余は、それが〝最善〟であるならば、如何様な決断も下すであろう」


 魔人はことのほか、理性の宿った眼差しで俺を見据えた。


「そうか。ま、そうだよなぁ。いや、正直に答えてくれて礼を言うぜ」


 深く息を吸って、空を見上げる。

 雲は厚く、風は近く。

 常冬の大陸で、まさかこんなに赤い空を見上げるなんて、思いもしなかった。


「不思議だな。前はすごく醜い空だと思ったんだが、今はアレが、かなりマシな空だったって思える」

「……問答は終わりか?」

「ああ。手間を取らせたな」

「では、焦土の時間を再開しよう」


 魔人が大剣に炎を充填する。

 グツグツと燃え滾る灼熱が、彼我の実力差を理解しつつも、止まることを知らずに切っ先を鋭くする。

 凍らせていた軍隊が、王の意思に呼応して自由を取り戻し始めた。


 もう、終わりにしよう──。


 秘紋を励起させる。

 教えられた『詞』を詠い上げる。


「夜陰に蝕まれる黄昏、幽玄透徹に空を塞ぐ黒、境界の瞳は誰時たれどきを覗く──」

「ッ! 魔術か?」

「門よ開け。扉よ開け。地とそこにあるもの、とこしえに輝ける天上の虚ろ」

「……否! 魔術ではない……? それは、まさか原初の──!?」


 肌の上を這いずる秘紋が、肌の外までのたうち回り始め、とうとう余人の目にも可視化された。

 夜色の肌にありて、なお黒く。

 闇夜の風を差し置き、なお暗く。

 刻み込まれた呪いの言葉。

 ありとあらゆる超常を踏みつけ、玉座の在処を示す。


「我が腕にはかんなぎあり。

 巫が紡ぎし神秘古言ミュトスの調べは、凱歌となって肉叢ししむらに刻まれたり」

「貴様、何者だ……ッ!?」


 メレク・アダマス・セプテントリアが狼狽するのも無理はない。

 俺は自分でも、たしかに何者と答えたものか考えあぐねる。

 ただまぁ、ラズワルド・スピネルではないコトは確かだろう。


「碑文石の巨塔に架かる橋、天窮の交叉路に羽搏けレイライン、この身はすでに収穫の円錐なれば……詠み終えるのを待ってくれたのは、慈悲か何かか?」

「吐かせ……紛い物め!」

「紛い物か。言い得て妙だな」


 それを言われたら、俺はもうぐうの音も出ない。








「──王権神授 ドミナンス 白嶺の魔女ウェネーフィカ=ベアトリクス








────────────

tips:煌夜の剣


 メレク・アダマス・セプテントリアの大剣。

 北方大陸の人界(古代セプテントリア文明圏)における、すべての火を集約・放出することが可能。

 本格解放時には、一度黒化という過程を経る必要があるが、それは彼が石炭を生み出す力によって火≒文明の父となったため。

 剣身を拡大し、空を貫くほどの巨大な炎閃は、征服者としての威容そのもの。

 北方大陸を統一した最強の王の剣。

 ある意味で、伝承の再生その真骨頂とも言えるだろう。




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