#103「母を救う」



 そして、王宮では今まさに、ルフリーネが窮地に陥っていた。

 否、ルフリーネだけではない。

 王宮で働く下女や侍女たち。

 使用人の中でも、とりわけ戦う力を持たない非力な者。

 生き残った数少ない文官や役人たちをも率い、ルフリーネはハガルを脱出しようと、必死に道を探していた。


「っ、ダメです。ここも火の手が強い……!」

「口元を袖で押さえなさいッ、喉がやられますッ」

「ルフリーネ様っ、あれを……!」

「っ、もう来ましたか!」

「──何処へ行こうと言うのだ? 末裔たちよ。そちらは危ない。余の元へ参じよ」


 踊る炎に回廊が焼ける。

 あまりの高温ゆえに、城が音を立てて燃え落ちていく。

 王冠をかぶった金剛の魔人。

 ダークエルフの英雄が、父祖の霊が、自らが魔物と化したことにも気づかず、ルフリーネたちを追ってくる。


「はぁ、はぁ……逃げますよ」

「しかしっ」

「アレが将軍や、騎士たちを、どう扱ったかは貴方もその目で、十分見たでしょう」

「……くっ!」


 苦渋に歪む侍女の顔に、同じく絶望しそうになりながら、ルフリーネは魔術を使い壁を壊す。

 いまこの場にいる者で、最も力を持っているのはルフリーネだ。

 だからこそ、弱気になってはいけない。

 王族の一員として、気丈に胸を張って先導を続ける──たとえあの魔物が、どれだけ危険な存在か見抜けていたとしても。


「こっちですッ」

「はい。さあ、こっちに! 急いで!」


 復活したメレク・アダマス・セプテントリア。

 伝説に謳われるダークエルフの救世主。

 アレが、本当にその通りの存在だったとして、だとしても、

 完璧に元通りに戻ることなど、絶対にあり得ないのだ。


(アレは恐らく、魔術による伝承の再生……!)


 大規模な降霊術。

 かつてこの星に存在し、その魂と偉業を霊脈に刻みつけた英雄の記録を、依代を与えることで再生している。

 だが、


「たすけて」

「ッ」


(──そんな、マズい!)


 曲がり角から顔だけ覗く人面獣心マンティコア

 見知った近衛の、変わり果てた姿につい息を飲み込んで、背後から飛んでくる、それよりももっと恐ろしい声に身が竦んだ。


「忌々しい第八の魔がァァァァァァァァッ!

 余の眼前で民を傷つけることは、絶対に許さんぞォォォォォォォォォォォォッ!!」


 業火・激昂。

 人面獣心マンティコアは大火の渦に呑まれて焼失した。

 それすなわち、ルフリーネたちが走り向かっていた先が、魔力の火炎で塞がれたことを意味する。

 魔物への怒り。

 民を傷つける者への、尋常ならざる殺意。

 しかし、ルフリーネたちはもう知っている。


「あぁ、また、兵士たちが……」


 侍女が呟く。

 人面獣心マンティコアの足元には、まだ息のある兵士たちが倒れていた。

 けれど、背後から迫るあの魔物は、明らかにそんなことを気にしていない。

 それどころか、力ある者、戦う意志持つ者、主に武装した男たちを中心に、多数のダークエルフをも虐殺している。

 アレの目には、正気など宿っていない。

 ルフリーネたちだって、いつ〝敵〟と見なされるか、まるで分からなかった。

 ゆえに。


「────やはり、この手しかありませんか」

「ルフリーネ様……?」


 ルフリーネは決断する。


「皆、逃げなさい。私が時を稼ぎます」

「! そんなっ、なりません!」

「王族の命に逆らうのですか? アレの注意を引けるのは、今この場で私だけです」

「ダメです! ルフリーネ様!」

「時を稼ぐたって、あんなの一瞬で……」

「おいっ黙れオマエ! ……申し訳ありません、ルフリーネ様」

「構いません。今ならば見逃します」

「ルフリーネ様ああぁぁぁぁぁ──ッ!」


 親しかった侍女が、悲痛の叫びをあげて連れられていく。

 それを尻目に、ルフリーネは煌夜の王を待ち受けた。

 一歩、二歩、三歩と近づかれ。


(──ああ、たしかにこれは)


 時を稼ぐなど、到底不可能だと確信してしまう圧倒的プレッシャー。

 むべなるかな。

 相手は少なくとも、四千年以上は昔からこの世界に名を刻んだ伝説だ。

 積み上げられた歴史と信仰。

 ダークエルフが野放図に育て上げた強固な誇り。

 それらすべてが、一身に凝縮している黒色の化身。

 ルフリーネの胸裏に、幾つもの未練が押し寄せる。

 メランズール、セドリック、父に母……


(それでも!)


 王族とは、何なのか。

 貴族とは、何なのか。

 常日頃上に立ち、たくさんの人々に比べて贅沢な暮らしを許され得るのは、何のための特権か。

 答えは知れている。


「こういう時に、意地でも民を守るために立ち上がる。我々はそのために存在しているのです」

「おお、ようやく立ち止まったな姫よ。他の末裔こどもたちは何処へ行った?」

「死んでも教えてなるものですか」

「なに?」


 ルフリーネはその瞬間、自身が持ちうるすべての攻撃手段を以って、眼前の脅威を打ち砕かんとした。

 およそ十秒間の魔弾射出。

 隠行状態で待機させていた護衛用のガーゴイル、三機同時突喊。

 大鉈、重槍、破城槌。

 それぞれ甚大な一撃が、必殺の意思で相手へぶつかっていくが、


「──ぬぅ。これは、何の真似か?」

「やはり、効きませんか」

「いや、止そう。愚問であった。余に弓を引く以上、悪しき魔物に与する賊奴輩のひとり……ならば良かろう! 塵も残さんッ!!」


 存在の強度が足りなかった。

 貴石による魔弾は触れた瞬間から肌の上で弾かれ、三機のガーゴイルは剣の一振りで玉砕。

 メレク・アダマス・セプテントリアの伝説は、さすがに物が違う。

 龍の尻尾を踏んだツケ。

 掲げられた大剣が、空を貫く炎柱ほむらばしらとなって処刑を告げていた。


(──ああ、メラン……)


 目蓋を下ろし、最後に我が子の姿を思い描く。

 小さなカラダ。短い手足。柔らかな頬。可愛い声。

 運命の不遇さえ無ければ、あの子は今も、この腕の中にあっただろうか。

 哀れな子だった。神に呪われていた。

 だけど、ルフリーネからすればほんの少し、他人ひととは違っていただけ。

 言葉の発達が遅れていたことも、他の子どもに比べて、感情表現が多少分かりにくかったことも。

 ああ、そうだ。何一つとして、母が子を愛さない理由にはなり得ない。

 せめて、せめてもう一度……!


(──一目ひとめでもいい。あなたに会いたかった……!)


 炎が、真っ逆さまに、振り落と、され──













(…………?)


 しばらく待っても、一向にその瞬間ときが来ない。

 ルフリーネは恐る恐る、目蓋を開けた。

 すると、


「!」


 風に舞う煤煙。

 はためく獣毛の外套。

 血と鉄の匂い。

 ひとりの少年が、魔人の腕を掴み上げ、暴力でしかない炎閃を止めていた。

 ギチリ、ギチリ。

 力の拮抗する衝突の戦慄わななき。


「貴様……何者だ?」

「俺の方こそ、聞きたいね……」


 その声に、姿に、ルフリーネはハッと口元を押さえる。

 背格好、年の頃、後ろ姿からも伝わるかつての面影。

 顔はやはり、仮面をつけているのか。

 わずかにクセのある滑らかな黒髪だけが、記憶の中の我が子と一致して──


「メラン、なの……?」

「────」


 返答はしかし、すぐには与えられず。


「間に合って、良かった」


 こちらの無事を、安堵する言葉。

 少年は振り向かぬまま、静かに、けれどハッキリと。


「ちょっとだけ、待っててください。すぐに──貴方を助けます」

「!」

「ほう」


 ルフリーネを救う。

 たしかに、そう告げるのだった。





────────────

tips:伝承の再生


 魔術は集合的無意識の発露である。

 集合的無意識とは、霊脈に染み込んだ数多の想念等の堆積である。

 国家規模の祭儀を行い、一年で最も多くの人々がメレク・アダマス・セプテントリアを想った。

 ならば、その時すでに彼のものの『記憶』は地上に復活している。

 よって、これは降霊術であって降霊術に非ず。

 伝承の再生。

 第二級に相当する〈領域レルム〉を、たった一個のヒトガタとして閉じ込めた驚異の御業なり。

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