#093「未だ他人の異母兄弟」
「ところで、今頃確認するのも無礼だとは思うんですが、殿下を除いた王家の方々は……今日はどちらに?」
「はは。本当に
昇降機を降り、書架室へ踏み入るのと同時だった。
俺は眼前に広がった無数と呼んで差し支えない叡智の〝書気〟に、人知れず歪んでいく口角を堪えることもできず。
とはいえ、逸るあまりに礼節を忘れてしまうのはさすがに不味いだろうという理性の警鐘にも従い、ナハトに対し、これだけは絶対に確認しておかなければと恐る恐る質問を口にしていた。
すると、ナハトはそんな俺に苦笑の色を深め、
「安心してください。今日はあくまで、僕とスピネル殿の私的な懇談会ということにしてあります」
「懇談会……あー、つまりそれは……」
「僕以外の王族に挨拶をしなかったからといって、別に誰も気分を害したりはしないということです。第一、その必要があれば、僕がこうしてじきじきにスピネル殿を迎えに出るということも無かったでしょう」
「……そうなんですか?」
「ええ。王族が公的に誰かと会う。それすなわち、数多の意味を持つようになりますから」
誰かひとりを公然に特別扱いなど、余計な不和を招くキッカケでしかない。
しかし、
「私的に会うというのも、周囲には意味深だと思いますけど?」
「そこは相手が相手ですので。スピネル殿なら〝酔狂〟の一言で済むかなと」
「言いますね」
「すみません。けど、だからこそ気兼ねの必要もありません」
そもそも僕らは、〈学院〉に通っているとはいえ、未だ子どもの立場でもあります。
「子どもが多少の無礼を働いたからといって、いちいち目くじらを立てる
「なるほど。たしかにそれもそうかもしれない」
「あと、正直に補足しておくと、陛下はいま誰かと会える状態ではないですし、母上……妃方も、それぞれご公務で忙しくしてらっしゃいます」
唯一の例外は姉上くらいでしょうが……まあ、あのひとは問題ありません。
ナハトは最後にボソリ呟きつつ、とにかく心配は無用であると太鼓判を押した。
……ふむ。そこまで言うなら、嘘ではないか。
「まあ、俺なんかが挨拶にうかがったところで、王家の皆さまから顰蹙を買うのは、目に見えていましたしね」
会わないで済むなら、それに越したことはないのかもしれない。
(なに、どうせ煌夜祭になれば、嫌でも顔を見る機会はやって来る)
二兎を追う者は、一兎をも得ずだ。
今日のところは秘文字の調査に集中し、また後日、血の繋がった母親……ルフリーネ・アダマスとは対面すればいい──俺がそうひとり埋没していると、
「意外です。さすがのスピネル殿でも、王宮に来れば王家に対し特別な敬意を表さないとマズイ。そんなふうに考えるものですか」
「え?」
「〈学院〉での姿を知っていると、スピネル殿はどこか、権力的なものに対して好ましからざる感情を抱いているように思っていましたので」
「ん、んー……」
「隠さなくてもよいです。僕が自分の立場を、あまり好いていないことは、スピネル殿もとっくにご存知なのでしょう?」
「…………歳不相応に敏い。よく、そう言われませんか?」
「お互い様かなって思いますけど」
肩をすくめて片目を瞑るナハトに、俺は参ったなと後頭部を掻く。
特別な出生は幼年期を剥奪する。
それは幸か不幸か、どちらかでものをいえば、きっと前者ではない。
だが、俺とナハトでは、決定的に違うものがあった。
「じゃあ打ち明けてしまいますが、別におかしな話じゃありません」
「と言うと?」
「さっきの天井画と同じような話です。気になる相手の身内には、できる限り自分をよく見せたい。誰だって、そう考えるもので」
「……気になる、相手ですか」
「はい。たとえ下賎と罵られようと、一番初めに礼儀を尽くそうとするのとしないのとじゃ、受け取る側の印象もだいぶ異なるはずですからね」
「……結果として自分が侮辱され、嘲笑われるのだとしても?」
「腹は立ちます。けど、それで自分の何かが損なわれるワケじゃない」
失うものは、何も無いでしょう。
「────」
そう返した言の葉に、ナハトはしばし絶句した様子だった。
無理もない。
少年にとって、周囲の人間は大概醜悪に映っている。
物心ついた時から、きっと飽き飽きするほどに虚飾に満ちた美辞麗句を聞かされ続けたからだろう。
ナハトは世辞や追従の類いを嫌っている。
王太子という立場に終始付きまとう数え切れないしがらみが為せるわざか、本心を晒して冗談を交わせるような、気の置けない誰かもこれまで現れなかった。それはきっと勘違いではない直観。
接している時間はいまだ短いものの、いや、短いからこそ、同情は禁じ得ない。
ナハトは俺がちょっと砕けた態度を取って、ちょっと否定的な意見を口にする。たったそれだけのことで、いともたやすく好感を抱いてしまうようなのだから。
この子どもは、きっと〝本音〟というものに飢えている──。
ゆえに、今の会話はそう。
俺が他人の罵詈雑言にちっとも価値を見出さないと告げたことで、少年は心底驚いたに違いない。
虚飾に満ちた美辞麗句より、たとえ悪心に満ち満ちようとも、真実ではある罵詈雑言。
ナハトは認めたくなくとも、後者の方に価値があると考えている。
いや、後者でなければ価値を感じられない状態。そう言い換えた方がこの場合は適切か。
まあ、幼い子どもなら仕方もない。
特に思春期に差し掛かる今頃の年齢なら、他人の意見や視線が気になってしまうのは当たり前のことだ。
ダークエルフの思春期が具体的にいつ訪れるものなのかは知らないけれど、たかだか十代も半ば程度で〈学院〉──成人の儀式に放り込まれている。あながち見当違いの推量ではないはずだった。
一方で、
(俺にそんなナイーブな面は、無いからなぁ)
前世ならいざ知らず、この世界では俺はデータ移行された状態で始まった。
時が経ち今となっては、元の人格にほど近い草臥れかけのアラサー感まで漂っていることだろう。
刺激に敏感な細胞はとっくに失われて、代わりに頑丈になった殻みたいなもので心は覆われている。
現代社会人は、ある程度感受性を鈍化させるスキルを持っとかないと、苦痛に耐えられない時がままあるもの。
赤ちゃんの足裏と、オジサンの足裏。
どちらがナハトでどちらが俺かなど、いちいち考えるまでもない。
なので、
「ともあれ、ご挨拶の必要が無いということであれば、集中してここを満喫させてもらえそうですね」
「えっ、ええ……そうなりますね」
「王陛下の書斎は、どのあたりに?」
「陛下の書斎でしたら、あそこの開放された扉の先がそうです」
「ああ、なるほど。書架室の奥と聞いてどういう間取りなんだとちょっとだけ疑問に思ってましたが、大部屋の中にさらにひとつの小部屋が作られているんですね」
「もともとは休憩用のサロンとして作られた場所です。が、陛下が病に伏せる前までは半ば陛下専用のスペースのように扱われていましたので、〝書斎〟と」
「いいんですか? 勝手に入っても」
「問題ありません。陛下の許可はいただいています」
「へえ……じゃあ、そろそろ?」
「はい。僕はそうですね、少しメイドでも探してきます。喉が乾いてしまいました。スピネル殿にも、後でお茶でも運ばせますね」
「ご厚意に感謝します」
礼証を示すと、ナハトはかぶりを振って背中を向けた。
「礼には及びません。今日この場を得られたのは、僕にとっても非常に有意義なことでしたから」
返答は待たず、スタスタと歩き去る孤独な少年。
俺はその後ろ姿を数秒ほど見送り、
「──それじゃあ、今度こそお待ちかねの時間だな」
真っ直ぐ、〝書斎〟へ顔を向けた。
それが俺とナハトとの、現状の関係にふさわしい選択である。
「つーワケで、やって来たぜアダマス王の書斎!」
気分を切り替える。
さあ、まずは何から手をつけるべきだ?
(片っ端から総当たりするのは、〈学院〉の書庫塔でナンセンスなのが身に染みてる)
となれば、ここは推理力が求められる場だ。
ようやく手にした絶好の機会。
何も成果を上げずに出ていくことだけは、絶対にありえない。
そのためには、やはり情報を再確認しよう。
俺がいま抑えている情報は以下の通りだ。
①ネグロ・アダマスは実の息子を使って人体実験を行っていた。
②実験の詳細はネグロしか知らず、しかしその目的は大多数の貴族に知られている。
③他人に施す人為的な魔力獲得。それこそが実験のあらましである。
だが、
(実験は表向き、
第二王子ナハトは奇遇にも、魔力を宿して生まれてきているが、それは実験とは関係のない運否天賦だったとセドリックは語っていた。
これについて、俺も特段疑う気持ちは持っていない。
なぜなら、
(ナハトのカラダには、俺と同じような
兵装院には学徒用に更衣室が開放されている。
完全な裸体を確認したワケではないが、ナハトの肌に奇怪に蠢き回る紋様は一切見受けられなかった。
ナハト自身が特別素肌の露出に抵抗を覚えている様子も見覚えがない。
加えて、ナハトに関する噂の方でも、これまで刺青の話が耳に入り込んだことは一度だってなかった。
(──第一王子メランズールには、〝妄執の王の哀れな実験体〟という明らかな曰くが存在しているのに)
そして、ナハトが産まれたのは俺の誕生から、わずか五年未満という短い期間。
ネグロがその間、自身の実験に対して、何らかのアプローチ変更をした可能性は、果たして如何程あるだろうか?
(肌の上を、ひとりでに蠢き回る不気味な紋様)
まず間違いないが、これは魔術的なサムシングのはずだ。
あるいは、俺がまだ見ぬ未知のファンタジー要素である可能性も否定はできないが、とにもかくにも、見るからに『異常』な点は変わらない。
ネグロの実験において、秘文字という代物が極めて重大なウェイトを占めていることは、まったくもって疑念の余地が無い。
しかし、にもかかわらず、ナハトのカラダには俺と同じような『異常』は一切確認できなかった。
状況証拠から察するに、俺とナハトとで、ネグロがどんなアプローチ方法を採択したかは分からないものの、何かしらの小さい変更点があったことは推測できる。
(気になるのは、結果としてそれがネグロの狙い通りだったかどうかなんだが──)
どちらにせよ、ナハトは魔力を宿した。
実験が正しく成功してそうなったのか、はたまた実験とは関係なく、運否天賦でそうなったのかは不明である。
けれど、情報通なセドリックが後者と語ったからには……まあ、十中八九そういうことなのだろう。
ネグロ本人がそう認めたのか、もしくは貴族のお歴々がそう見なしたのかはさておいて、ナハトは実験とは関係なく魔力を宿した。
それを踏まえて、
「成功か失敗かはともかく、自分の子をふたりも使って研究した。その
魔術大国でもあるメラネルガリアの王が、まさか、ひとつの記録も取らないまま実験を進めたはずないよな?
「たぶん、このへんにあるんじゃないか〜?」
書棚に並ぶ重厚な
机には思った通り、引き出しがある。
鍵穴は無い。
手をかければ、驚くほどするりと開けられそうだ。
「……どうだッ!?」
声とともに開けた。
直後だった。
「ッ!?」
中から溢れ出た闇の触腕。
それが、俺を
────────────
tips:魔力の有無
魔力が感得困難な代物であり、寿命と近似の概念でもあることは、これまで幾度と語られてきた。
しかし、そうであるならば、魔力の有無を、ひとはどうやって確かめることが叶うだろう?
第八の神が敷いた理──呪文を唱えさせることで、確認するのか?
なるほど。それもある程度の知性・自我があれば、いいかもしれない。
だが、確認するべき対象が、未成熟な赤子や幼童だった場合、どうやって呪文を唱えさせる?
呪文はただ声に出して、音の響きを作ればよいというものではない。
超常を望む明確な意図。詠唱者の経験や心象のカタチ。すなわちは、主観に左右される──だからこそ、余はあの魔物と契約を交わしたのだ。
──さる古ぼけた手記より抜粋。
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