#090「昼休みのお喋り」
「ねえ、スピネル君」
「アンタ、何かやった?」
明くる日の昼だった。
いつものように〈学院〉で午前中の修練を終え、昼の休憩時間に入ったところ、オブシディアンの双子姉妹が一緒になって俺を尋問してきた。
単刀直入。
且つアバウトにすぎる質問。
聞いた俺は、思わず苦笑してしまう。
「何かやった、とはこりゃまた随分とご挨拶だな」
「うっさいわね。いいから答えなさいよ」
「機嫌わるッ」
「ごめんなさい、スピネル君。セラスは昨夜、お気に入りの香油を使用人に盗まれちゃって。それからずっと、こんな風にイライラしてるの」
「使用人に盗まれた?」
「ええ。盗んだ使用人はちゃんと捕まえたのだけど、香油そのものは地面に落とされて、台無しになっちゃったのよ」
「ありゃあ、そりゃ気の毒に……」
「フン」
ティアドロップに宥められながら、セラスはいかにも「私ご機嫌ナナメです」といった様子でツンケンしている。
まぁたしかに、香油は高価で貴重な代物だ。
メラネルガリアじゃどうやって生産してるのか知らないが、たしか水蒸気だかで蒸留? して作っていると聞いたことがある。
俺もこっちの世界に来てからは、何かと匂いを気にするようになった。
寒いのに腹痛で脂汗を流しながら野グソをひり出してからは特にだ。
なのでセラスの気持ちは、分からないでもない。
もっとも、この理由を口に出したら余計にキレそうなので、決して口には出さないが。
「それで? 何かやったってのは?」
「お父様にね、言われたの」
ティアが軽く
──スピネルとは上手くやっておけ。
「なるほど?」
つまり、バルザダークは
「あのひとが私たちに、特定の誰かとよろしくやっておけだなんて、初めてのコトだったわ」
「だから私たち、お父様とアナタのあいだで、何かあったんじゃないかって」
「へいへい。理由は分かったよ。でも、俺はべつに何も心当たり無いな。スピネル公なら、何か知ってるかもだけど」
「ふーん? ま、それもそうよね」
「……そう。スピネル君個人ではなく、あくまでスピネル家との関係を考慮しての発言……たしかに、そう解釈することもできるけれど……」
ティアは小声で考え込んでいる。
姉のセラスがアッサリ納得したのに比べて、やはり妹の方はいくぶん慎重な
双子であっても性格は対照的。
王碩院で首席を争う天才は、さすがに騙されにくい。
俺は悪いダークエルフなので、ここらで話を変えてしまうが。
「ところで、ふたりは『煌夜祭』ってどうするんだ?」
「煌夜祭? あんなの、別にどうもしないわよ」
「外に出ても、いいことはないものね。セラスとふたり、例年通りうちに引き篭ってると思うわ」
「そっか……それは残念だな」
ふたりの素っ気ない反応に本心から残念に思う。
『煌夜祭』
メラネルガリアでは年に一度、国をあげての祭典が執り行われる。
煌めく夜の祭り。
黒炎の恵に感謝を捧げる祝日。
大セプテントリアからの独立を祝い、過去の戦争で散った父祖の霊をも弔う慰霊の日。
大見得切った呼び方だが、なんてことはない。
いわゆる〝建国記念日〟の俗称である。
「たしか、第五冬至と同じ日だったっけ?」
「違うわ。第五冬至よりちょっと前よ」
「今からだと、だいたい半月後くらいね」
「なに? まさかアンタ、行くつもりなの? やめときなさいって」
「お? なんでだよ」
煌夜祭じゃ、貴族は原則王宮に集まって、一日中祝いの宴だって聞いていたが。
首を傾げる俺に、セラスはこれ見よがしな「何も分かってないわねコイツ」という顔で溜め息を吐くと、肩まで竦めやがった。
おい、なんだその人を見下しきった視線は。
「ばーか。私たちみたいなのが祭りの日に、そこらを出歩いてみなさい?」
「せっかくの祝日を、台無しにするなって、あちこちで罵声を聞くことになるわ」
王宮じゃ余計にシラけた目で見られる。
姉妹は息を揃えて、実感のこもった嫌気を覗かせた。
なるほど、たしかに然もありなん。
セラスとティアはもとより、常識知らずの俺も大半の貴族にとっちゃ鼻つまみ者。なにより
白眼視は免れそうにないし、スネイカーやディープ、ネビュラスカあたりは喜んで突っかかってくるだろう。
それだけじゃない。
注意すべきは第三妃のヘマタイト家。
他にも、フィロメナを介し、恐らくだが良い印象を持たれていないであろうセレンディバイト。老魔術師トルネインや、黒曜公バルザダークなどの目。未だ見ぬ貴族のお歴々。
とにかく、たくさんの貴族が一堂に会するのだ。
何が起こっても不思議はないだろう。
だが、
(けどなぁ)
俺としては、そう何度も王宮に足を踏み入れられるワケじゃないし、秘文字の謎を調査できる機会は、なるべくなら増やしておきたい。
ナハトに招待された日までは残り三日。
すなわち
(でも、一回でアタリを引けるとは限らない)
むしろ、一度目の調査でどうにか〝糸口〟を見つけ出し、二度目でこそケリをつけるというのが堅実な行動だろう。
宴の席をこっそり抜け出して、ひとり静かに書斎へ。
そのためにも、明々後日はできる限り間取りとかを抑えておかないとな。
──しかし、それはさておいてだ。
「王宮だけじゃなくて、日中はどこもかしこも屋台が出たりパレードやったりで、騒がしくなるんだろ? 周りが皆んなどんちゃん騒ぎなのに、ふたりだけ引き篭もるってのも、なんというか癪じゃないか?」
「はぁ? そりゃまあ……ムカつきはするけど」
「外に出て、自分から不愉快になるより、ね……」
顔を見合わせて、揃って「ないわー」というムードを漂わせるふたり。
なんというもったいなさ。
国の祭日であるなら、国民であるふたりも周りと同じように楽しむ権利があるだろうに。
俺は「ふむ」と両腕を組み合わせた。
「そうだなぁ。もしふたりが良かったらだけど、当日の午前中はスピネル領に遊びに来ないか?」
「「え?」」
「実はこの前、城下に人通りの少ない閑散とした広場を見つけてな。そこで簡単な屋台でもやらせようかと思ってるんだよ」
タダ働きでも文句を言えない八人ばかりの労働力。
趣味と実益を兼ねて、彼らにはジビエなんかを作ってもらう予定だ。
突然の申し出に、姉妹はポカンと間の抜けた顔で困惑している。
数瞬して、
「……もしかして、そこって
「あ、ああ。あの寂れた? うちにもあるけど、煌夜祭当日はさすがに人通りも多くなるんじゃない?」
「スピネル君が気を遣ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりどこに行っても同じだと思うわ」
「ところがギッチョン」
「「ぎっちょん……?」」
「俺がやらせようと思ってるのは、あくまで私的なこじんまりしたヤツでな。食材とかもそんなに揃えるつもりはないんだ」
人が集まってきても、すぐに売り切れで終わっちまうバーベキューみたいなもの。
いや、ここはバーベキューというより、単なる焚き火肉と言った方が適切かもしれない。
本当は煌夜祭とか関係なく、個人的な楽しみのためだけに思いついた計画だったのだが、どうせならふたりを誘ってしまおう。
遠隔地の領主に気を遣い、王宮の祝宴は午後から開催される。
午前中はどう過ごそうとも問題ない。
スピネル領はアダマス領と隣接してるし。
「けど……」
「屋台なんて、ねぇ? べつに興味もないし……」
「オブシディアン公には、〝スピネルとは上手くやっておけ〟って言われてるんだろ?」
「「──む」」
「じゃ、そういうコトで」
「あ、ちょっと! ラズワルド!?」
「スピネル君!?」
戸惑う姉妹にヒラヒラ片手を振って、俺はその場を立ち去る。
悪いが早いとこ飯を食わないと、昼休みがお喋りだけで終わってしまう。
午前中はカラダを動かしていたワケだから、エネルギー補給は切実な問題。
抗議は後から受け付けよう。
仮面をつけた生活は本当に不便でいけない。
「ああ、腹が減った」
毎度毎度、人気のしない空き教室とかを探すのも、地味に面倒くさいんだぞ?
王宮じゃひょっとしたら、丸一日飲まず食わず。
素顔を隠したまま、どうその辺りを切り抜けるか……
(隙を見て齧れるように、干し肉でもポッケに入れとくとか?)
それか、ドライベリーあたりが一番賢明かもしれない。
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tips:煌夜祭
メラネルガリア建国記念を祝う盛大な祭典。
もとは石炭による火力インフラの恩恵に感謝を捧げる祭礼だったが、長い時を経てセプテントリア王国からの独立を記念する日に意味合いを変遷させた。
〝煌めく夜、黒炎の王、貴き御名は███なり!〟
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