#091「モルディガーン・ハガル」



 警邏用の石像の怪物ガーゴイルが、空を飛んでいる。

 王都を進み城門を抜けると、そこはいよいよメラネルガリアの中枢だった。


 見慣れた灰色の空。

 暗くて憂鬱な曇天。

 吹き付ける風は相変わらず、視界に飛び込む建造物はどれも巨大で立派。

 要塞的な面も無論あるのだろう。

 空壕からぼりで囲われ、断崖と城壁に守られる堅固な設計。

 聳え立つたくさんの高塔ハイタワーに、緻密に繋がる回廊、稼働する大小さまざまの昇降機。

 まだ入り口を過ぎたばかりのため詳細は分からないが、パッと見上げた様子ではあちこちに胸壁きょうへき矢狭間やはざまなども敷設されていて、そこらへんの穴や隙間から、大型弩砲バリスタっぽい武器も確認できた。

 もちろん、そこには腕に自信のありそうな屈強な兵士たちの姿もある。

 特に目立つのは、大剣を背負った重装騎士たち。


(うへぇ……こりゃステルスゲーだったら、間違いなく死んで覚えるタイプだな)


 心の中で軽く仰け反り感嘆する。

 〈学院〉の初日でも思っていたことだが、こういう時代のこういう城の防衛施策。


(なんというか、を前提にしてるよなー……)


 だからかなおさら、覚悟の凄みを感じてしまう。

 先ほどから突き刺さり続ける、猜疑と監視の視線。

 王太子ナハトによる身元の保証がなければ、俺など本来はとっくに門前払いを食らっているだろう。


(まあ、表向きは貴族の身分だし、屹然と追い返されることは無いと思うけど……)


 セラスやティアが言っていた通り、これはたしかにアウェーな環境だ。

 こちらに馴染む気が無いってのも原因のひとつではあるけれども、排外的意識、集団思考の圧力が、グッと強まったのを背中に感じる。

 そんなにこの格好ナリが気に入らないかね?


「フン」


 鼻を鳴らし、小さく嘆息。

 案内役の兵士がチラリとこちらをうかがってくるが、俺の素顔は覆われている。

 顔色をうかがおうにも、答えが見透かせないため兵士は諦めたように視線を切り外した。

 傾斜のある坂道。

 兵士の先導は意外と長い。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 特に会話を挟むこともなく、雪の感触ばかりが小刻みに連続する。

 が、しばらくすると、音の種類がついに変わった。


 ザッ、ザッ、ザッ。

 から、ジャッ、ジャッ、ジャッ。


 足元を見ると、雪の上に小さな砂利が撒かれている。

 断崖と城壁の間で、深い影が落ち込むせいだろう。

 凍結した坂道で転倒事故でも起きれば、大惨事を招きかねない。


(──と、開けた場所に出たな)


 右へ回り込むようカーブを描く坂道を淡々と登り終える。

 すると突然、予想外に視界が広がった。


「ここは第一昇降機への乗降口です」

「ん? 乗降口?」

「はい。私の案内はここまでになります。お客人、どうぞそのまま道なりにお進みください」


 案内役の兵士がピシッと立ち止まって、不動の態勢を取った。


「道なりって……」


 俺は戸惑いながらも、促された先に視線をやる。

 すると、


「──ああ」


 すぐに納得した。

 大傘を持った侍従と、小柄な少年。

 腰まで伸びた長髪を風に泳がせながら、今日の招待主であるナハトが、ニコニコと俺を待ち構えている。

 近づくと、


「お待ちしていました、スピネル殿。

 ようこそ『モルディガーン・ハガル』へ」


 ナハトはメラネルガリア最大の要所であり、自身の居城でもある漆黒の宮殿を、誇らしげに口にした。


「歩かせてしまってすみません。本当は門まで馬車で迎えを出したかったのですが、ロイヤルガードが許してくれなくて」

「警備上の規則でしょう。歩くのは好きですし、構いません。それよりもナハト殿下、今日はお招きいただきありがとうございます」

「よしてください。僕の方こそ、本当に来ていただけて嬉しいんです。外は寒いですね。さ、昇降機に乗りましょう。早速案内しますよ」


 兼ねてからの約束通り、ナハトはどうやら自らの手で直接王宮内を案内してくれるようだ。

 侍従を下がらせ、まさに勝手知ったる様子で昇降機の制御棍レバーを握った。

 俺も後に続き、ちょっとだけおっかなびっくり昇降機の床へ足を置く。

 ナハトはそんなこちらの様子に「クスッ」と微笑した。


「昇降機は、初めてですか?」

「初めてじゃありませんが、こういうタイプは初めてです」

「ご安心を。見かけは頼りないかもしれませんが、僕ら程度の重量なら問題なく運んでくれます」

「王宮には、この手の〝円盤〟が他にもたくさん?」

「そうですね。何かと上下に行ったり来たりするところなので、昇降機に限らず階段、ハシゴなども多いですよ」


 ナハトは「ちょっと辟易します」なんて冗談めかしながら、制御棍レバーを前方へ傾ける。

 直後、ガコン、という重厚な硬質音が足元から響き、円盤はゆるゆる上昇を開始した。

 移動は思いのほか安定している。

 俺はふと気になりナハトへ尋ねた。


「素材はやっぱり、浮雲石ネペレイトを使っているんですか?」

「ええ。我が国は幸運にも鉱物資源に恵まれていますからね。二百年ほど前に陛下が導入したそうです」

「二百年前」

「なんでも〝照明器具だけに使うのはもったいない〟とか。たしか、王の語録帳にも載ってたと思います」


 メラネルガリアでは鉱物資源が生活の基礎を支えている。

 そのため、ほとんどの貴族が領地内にて採掘事業を営み、地下に潜る坑夫は暗闇のなか、満足のいく仕事を進めるため画期的な照明器具の開発を望んだ。

 結果、浮雲石ネペレイトという重力に逆らって空中を浮遊する石の発見および活用。

 最初は単純に蝋燭などを括りつけていただけだったらしいが、地上にも広まり、便利かつ小洒落た燭台として体裁を整えられてからは、多くの人々に広まったと云う。


(さすがに十一ヶ月近く滞在してりゃ、詳しい所以ゆえんも知れる)


 伊達に書庫塔でハズレを引き続けていない。


(にしても、まさかエレベーターとしてまで活用してるなんてな)


 ネグロ王はラ◯ュタ王だったのかもしれない。

 浮雲石ネペレイトって名前も、なんとなく竜の巣を連想させるし──なんて、俺が益体もない思考に遊んでいると、


「止まりましたね。さ、どうぞ」

「あ、すみません。ありがとうございます」

「いえいえ。では続いて、第二昇降機に向かいましょう。少し階段がキツイかもしれません。休憩を挟みたくなったら、遠慮なく申し出てくださいね」


 気の利くナハトが親切なことを言いながら、次なる階層へ先導を開始した。

 目の前には、やや勾配のきつい石の階段。

 足元に気をつけつつ、強風に身を縮ませ何とか登り切る。

 横幅のある階段だが、万が一滑って転落すれば崖下まで真っ逆さまに放り出されかねない。

 手すりを設置していないのは、敢えてなのかそうでないのか。

 ともかく、特別苦労もなく第二昇降機前へ到着した。

 ナハトとふたり再度円盤の上へ。


「これを降りたら、今度は城のなかを少し通り過ぎます」

「城のなかを?」

「ハガルは『城砦』と『宮殿』の複合建築なので、王族の居住地である宮殿を守れるよう、下からのぼっていくと城砦が最初に待ち構えているんです」


 ナハトは丁寧な口調で説明した。


「最初に幕壁と楼門。次に主塔と大塔、小塔等の監視の下で、城柵によって区画化された中庭ベイリーを通過。道順はそれほど複雑ではありませんが、それぞれの区画に最低でも、四人の衛兵と一台のガーゴイルが常時配置されています」

「厳重な警備体制ですね」

「軍人が多いですから。ご存知です? メラネルガリアの国庫の内、およそ三パーセント近くが彼らの俸給として毎年支出されているんです」

「三パーセント。すみません、私にはそれが多いのか少ないのか……」

「多いのだと思いますよ。あいにく、他国の懐事情には詳しくありませんが、国全体の防衛予算も踏まえて考えれば、バカにならない額です」

「なるほど。未来の王としては、かなり頭の痛い話?」

「ええ。まったく」


 少年はまるで、サラリーマンのように苦笑した。

 王太子の立場など、やはりロクなものではない。


「と、すみません。つい愚痴っぽくなってしまいましたね」

「いえ、構いませんよ」

「ありがとうございます。それじゃあ、こちらへ」

「はい」


 円盤が静止し、ナハトは気恥ずかしそうに頬を掻くと、再び先導を開始した。

 幕壁と楼門。

 主塔、大塔。

 先ほどの説明通り、城柵によって区画化された黒土の庭を、しっかり記憶しながら進んでいく。

 道中、兵士たちはナハトに気づくと、揃って敬礼を取っていた。

 が、中には訓練中と思しき稽古場もあり、そこでたむろしている兵士たちはナハトに気がついても、略式の礼を取るだけで訓練を続行している。

 黒マントの完全武装兵。

 人型のガーゴイルを相手に、複数人で模擬戦をしている。

 大剣のぶつかり合う激しい剣戟。

 おそらくだが、あれが王族の近衛を務めるロイヤルガードという兵士たちだろう。


(なんとなく、記憶にあるような、ないような……)


 朧げなイメージだが、数瞬だけ過去の記憶が脳裏へ浮上する。

 ナハトはいよいよ屋内へと入り込んだ。


「ここからは幾つか階段をのぼって、渡り廊下と礼拝堂を抜けていきます」

「礼拝堂ですか?」

「ええ。城砦と宮殿を繋ぐ回廊の途中に、父祖の霊を祀るための礼拝堂があるんです。煌夜祭では『黒盃』に火炎を灯して、皆で黙礼を捧げるのが慣わしですから」

「あ、ああ。なるほど」

「スピネル殿も、当日はいらっしゃいますよね?」

「えっ、ええ。もちろんです」

「よかった。今年の煌夜祭は、スピネル殿にも是非参列してもらいたいと思っていたんですよ」

「私に?」

「はい。スピネル殿は、


 ナハトはそこで、ニッコリと微笑む。

 つい先日まで、ロクな親交も持たなかった間柄とは思えない。

 だが、今ではすっかりこの気に入られようだ。


(まだこんな小さいのに……王宮ってのは、よっぽど捻じ曲がったヤツらの巣窟なんだろうなぁ)


 階段を上がる小さな背中を追いながら、俺はつい仮面の内で嘆息してしまう。

 建物内に入ったことで風や寒さは和らいだものの、通り過ぎる人々の内面、使用人のちょっとした身振り手振りなどが、不思議と寒々しく感じた。

 だからだろうか。

 ナハトと俺は、しばし互いに口を閉したまま城内を歩き続ける。

 が、やがて、


「礼拝堂です。厳粛な場所なので、あまり物音を立てないようご注意を」

「分かりました」


 階段を四つほど登り、ようやく迎えた渡り廊下。

 進んでいくと、窓の外から漆黒の礼拝堂が視界に飛び込み、大理石の祭壇と巨大な黒盃。

 様々な貴石で彩られた柱状節理の壁が、螺鈿細工のような模様を描き特別な空間を演出していた。


「──ふぅ。ここまで来れば、もう大丈夫です」

「ずいぶんと綺麗な場所でしたね」

「セプテントリア時代から残る遺跡を利用したものなんです。現代では失われた建築法が使われていて、あれだけの美観を再現するには、単一種族だけじゃ無理らしいです」

「へぇ、そりゃすごい」

「スピネル殿も、ああいう建築物はお好きですか?」

「美しいものは何であれ、好ましく思うタチです」

「ははは! では、ここからも存分にお楽しみいただけますね」


 ナハトはもったいぶった仕草で廊下の先の扉へ手をかける。


「ではご照覧を。瀟洒を謳う我が国メラネルガリア。その最高芸術こそ、モルディガーン・ハガル」


 旧き第五の神話にて、地上で最も見事と語られる宮殿。

 夜神の居城と同じ名を冠した此れなるは、ダークエルフの王族、黒金剛石アダマスの血縁のみが住まうことを許された場所──


「……ぁぁ」


 既視感が溢れ出る。





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tips:石像の怪物


 ガーゴイル。

 魔術で作り出された人造の魔。

 概念としては日本の式神・狛犬に近いが、その術式思想は〝毒を以て毒を制す〟に近い。

 能力として、何かを見張る、監視する、警備することに特化。

 頑丈だが、一台作るのにとても時間がかかる。

 これを作る魔術師は、皆優れた彫刻師でなければならない。

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