#088「黒曜公と晩餐を」



 バルザダーク・オブシディアンが俺たちの敵。

 〝狂人〟ラグナルから、そんなことを聞かされてから、三日三晩が過ぎた。

 俺とセドリックは、あれから刺客たちをスピネル邸の地下牢へといったんぶち込み、これからどうするかを相談。

 そして結論。


「どうするもこうするも、やっこさんの真意が分からないんだ。ここは直接、面と向かって問いただしてみよう」

「しかし……」

「大丈夫だよ、セドリック。セラスもティアも、〈学院〉じゃ特段変わった様子も無かった。少なくとも、オブシディアン家全体が敵に回ったとは考えづらい。というか」


 をかけられた理由が何にしても、その手段──たかだかスラムの小悪党を使っての強襲では、あちら側にそもそも本気の殺意があったかははなはだ疑わしい。

 一応、あの後、ラグナルたちが何らかの陽動や油断を誘うための罠である可能性も考慮し、三日という時間を取って様子を見てみたが、これといって何か、仕掛けられている兆しはなく。

 スピネル家が急ぎ張った有事の際の警戒網にも、それらしいネズミは未だ一匹も引っかからない。

 メラネルガリア貴石貴族にしては、何ともお粗末な手腕だ。


(だいたい、刺客があの程度の尋問で簡単に口を割りすぎ、ってのも杜撰ずさんに感じるからな)


 つまり、敵が本当にバルザダーク・オブシディアンだったとしても、奴さんには俺を害する〝本気〟など端から存在していなかった。俺たちはそう判断を下している。

 とはいえ、


(刺客を放たれている以上、多少の敵意は持たれているかもしれない)


 問題はその〝理由〟が分からないという点だが……思えばバルザダーク・オブシディアンには、個人的な興味が無いでもない。


 ──セラスランカとティアドロップ。


 ふたりの白髪少女。

 聞けば彼女たちをスラムから引きずり上げ、貴族の世界に招き込んだのは、父であるバルザダークそのひとだと云うではないか。

 白磁霧の叢蘭に侵され、陰謀で死んでしまったクローディア・オブシディアンの話も聞いて、今やバルザダーク個人への興味関心はなかなかに大きいと言わざるを得ない。


「だからさ、これもいい機会だし、直接会っていろいろと話してみるよ」

「ですが、なにも若様が出張らずとも……」

「スピネル公が今回、じきじきに手を回してくれるって言ってたんだろ? 貴族の筋を使うんなら、仮にもその一員ってことになってる俺が出るのは仕方がないさ」


 まあぶっちゃけ、居心地が悪くはあるけども。

 苦笑を滲ませる俺に、セドリックは目蓋を下ろして小さく呻く。

 だが、セドリックも頭では理解しているはずだ。

 今回、スピネル公は自身の領地が胡乱うろんな輩に荒らされたということで、内心かなり穏やかではないらしい。

 俺がラズワルド・スピネルになって以来、はじめて向こう側から接触干渉があった。


(オブシディアン家は第九位。スピネル家は第三位)


 メラネルガリア貴石貴族の序列から見て、格下の無礼を放置しておくワケにはいかない。

 スピネル公が鶏冠トサカにキてる理由としては、さながらそんなところか。

 そして、主家である〝スピネル〟の意向を、従臣であるセドリックが拒絶するのは立場的に難しい。


(──ま、お膳立てしてくれるってんなら、俺としちゃ渡りに船だぜ)


 心配性なセドリックは、いささかしつこいぐらいに渋り続けているが、場所は例のレストラン『黒き豊穣の芳醇』……バルザダーク・オブシディアンとは今日あそこで、を共にすることになっていた。


「……と、鐘の音」


 街鐘楼のゴォンとした重低。

 日に幾度か鳴る鐘の刻々とした知らせ。

 耳朶じだへと染み込む鈍重な音の響きに。

 馬車の揺れが、次第に緩くなっていくのを感じながら、俺はバシンッ! と気合を入れて背筋を伸ばした。









 ──そして。


「やっぱり、賑わってるな」


 再び訪れたレストランは、以前に来た時よりも客足が多くなっている。

 優美な音楽と食器の音擦れ。

 和やかな談笑が、芳醇な料理の香りに満たされ上品な雰囲気を醸造。

 俺とセドリックは、ウェイターに要件を伝え、案内に従って二階のバルコニー席へ向かった。

 すると、


(……なるほど。あれが、バルザダーク・オブシディアンか)


 二階に上がって程なく。

 仮面の内側から、それらしい男の姿を捉えて、思わず「ほう」と息を飲み込んだ。

 なんというイケメン。

 セドリックから聞いていて、相当な美男子だとは知っていたが、なるほど。これはかなりの『貴公子』ぶりである。

 年齢はたしか、五百を超えていたはずだが、そこはダークエルフ。

 外見上は二十代の半ばか、後半くらいにしか見えない。


(清潔感のある髪型。細く流麗に整えられた眉。豪奢ながらも派手派手しくはない品のある装い……)


 装飾品の類は少ないため、恐らくだが魔術師ではないだろう。

 服の内側には、はち切れんばかりに鍛え上げられた漆黒の筋肉── 一般に貴公子と聞いて思い浮かべるイメージ像とは違うだろうが、メラネルガリアではこういった男こそが貴公子と呼ばれている。

 どうやら、先はスマートに越されていたらしい。

 セドリックがスっと背後で立ち止まったのを察しながら、俺はまず「どうも」と挨拶から始めることにした。

 両手を胸の前で握り、略式の礼を取る。


「こんばんわ。お初にお目にかかります、オブシディアン公。今日は貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございます」

「ああ、これはご丁寧に。こちらこそ、お初にお目にかかります。お噂はかねがね……ラズワルド・スピネル殿」


 互いに形式的な、友好の礼証を示してサッと着席。

 卓上に食器は並び、ディナーの準備は表面上整えられているが、俺もバルザダークもこのレストランに食事をしに来たワケではないのは重々承知している。

 無駄な探り合いは時間がもったいない。


「早速ですが、本題に入らせていただきます」

「おや、食前酒などは嗜まないので?」

「ご冗談を。失礼ですが、私はよっぽどのことでも

ない限り、人前でを外すつもりはありません」

「なるほど。それは残念です。今期の〈学院〉を賑わせる謎多き貴君の仮面の裏側を、今宵はもしかしたら……と期待していたのですが」


 どうやらそれは、諦めるしかないようだ。

 バルザダークは本心から残念がっているように軽く肩をすくめる。

 しかし、


「ああ、だからですか?」

「?」

「貴方はそれほどに私の素顔が気になっているから、わざわざ刺客を放ってまでして、この命を奪おうと画策した」


 死体になれば、如何様にでも死者の尊厳を暴くことができますからね。

 続くこの一言に、バルザダークは一瞬で目線を細めた。


「……ふむ。スピネル公から連絡をもらった時、何か誤解がありそうだとは感じていましたが、今回のこれはそういう〝場〟というワケですか」

「はい。なにしろこちらで捕えた刺客は、貴方の名前を口にしています。オブシディアン公」

「まいりしましたね。まったく身に覚えがありません」

「もちろん、貴方はそう答えるしかないでしょう」


 認めれば犯罪の自白。

 第九位貴族では、第三位貴族の権勢に打ち勝つことはできない。

 下手をすれば、バルザダークは王家すら敵に回す。

 だが、俺は別に糾弾を求めているワケでも、まして断罪を望んでいるワケでもなかった。

 俺がひとえに答えを欲しているのは、バルザダーク・オブシディアンのひととなり。

 この男は、いったい何を考えている?


「オブシディアン公。刺客のひとりから貴方の名前を聞いたとき、私が何を思ったか分かりますか?」

「さあ。その様子だと、意外なことに怒りではなさそうですね」

「ええ。私はただ『困惑』しました。『意味』が分からなかった」


 バルザダーク・オブシディアンとラズワルド・スピネル。

 両者の間には何ら因縁というものが存在しない。

 セラスとティア。

 ふたりの少女を介して、接点こそ無いと言えなくもないが、俺と彼女たちは良好な関係を結んでいる。

 友人関係と呼び変えてもいい。

 昨日、一昨日と〈学院〉で会った少女たちに異変はなかったし、唯一懸念があったティアですら、約束を違えた様子はなく。


(では、オブシディアンの長が、突如として俺を狙った動機とは何か?)


 順当に考えていこうにも、俺は考えれば考えるほどに〝不可解だ〟という感覚に頭を悩まされた。


「正直に打ち明けますが、私は別にあの程度のちょっかいをかけられたからといって、大騒ぎがしたいワケではありません」

「──ほう。若いのに、大層寛大なのですね」

「下手人は捕らえましたし、あれからいろいろ考え、真犯人が本気だったとは思っていないからです」

「真犯人が、本気ではない?」

「だって、現にこうして、私が生きているじゃないですか」

「ハハッ! なかなか、おもしろいことを仰る」


 バルザダークは興味深いと言わんばかりに顎をさすった。


「貴君は敵の攻撃を掻い潜ったとき、ご自身が敵を上回ったのではなく、あくまで敵が全力を尽くしていなかったとお考えになるのか」

「時と場合によりますよ。今回はただ、明らかに手を抜かれていた」

「ですが、刺客はたしかに、貴君の言うところの真犯人の名を告げたワケですよね? そしてそれは、私の名であった」


 それは通常、間違いなく敵の失態。

 すなわち、今この場は反撃・逆襲のための絶好のチャンスなのではないか?

 なのに、こうして場を設けておきながら、ことさらに大事にするつもりがない?

 ならば、この場はいったい如何なる腹積もりで開かれたのでしょう? とバルザダークは首を傾げる。

 俺はフンと鼻を鳴らしてしまった。


「反撃、逆襲のための絶好のチャンス。そう思わせることが、あるいは敵の狙いなのかもしれない」

「ふむ?」

「オブシディアン公。私は貴方が言うような、そこまでの自信過剰にはなれません。陰謀渦巻くメラネルガリア。新参者にすぎない私に、どうして大蜘蛛どもの巣糸を掻い潜ることができましょうか」

「……」

「私は思いました。ひょっとすると、──……と」

「……はぁ。その理由は?」

「そうでなければ、狂人ラグナルがあそこまで簡単に口を割った理由が、見つからないからです」


 否。

 正確に言い表わすなら、ラグナルが何ゆえ真相に繋がる情報を握っていたのか。

 あんな、どう見ても使い捨ての駒にすぎない刺客が、なにゆえ飼い主の名を知っている?

 本気で暗殺を成功させる気があったなら、証拠の隠滅まで徹底していて然るべき。

 もしかすると、ヘマタイト家あたりが偽装工作の一環として濡れ衣を着せるため、あえてオブシディアンの名を騙った可能性も考えられた。

 だが、俺は刺客の一人であるラグナルの経歴から、それは今回ないだろうなと判断を下している。


「オブシディアン公。思えば貴方には、前々から個人的な興味を抱いていました」

「おっと。話が変わりましたね。個人的な興味ですか?」

「貴方はこの国じゃ、〝黒曜公〟と渾名されるほど立派な評判をお持ちだ」


 漆黒の髪、漆黒の肌、翠緑の眼。

 純血のダークエルフの中でも、とりわけ優れたルックスと体格。

 見てくれから十二分に伝わる通り、血統に申し分はなく、中身も一級に磨き抜かれている。

 人格や素行の類いまでは知らないが、少なくとも領民からの人望は厚く、他の貴族からの評価も油断ならないと大いに高評価。

 かつての〈学院〉では兵装院、王碩院、ふたつの院で首席の栄冠を飾っていたと、能力に関しても水準以上なのが確実。

 セドリックは細部に至るまで調べ上げてくれた。

 そんな男が、だ。


「セラスランカとティアドロップ」

「……娘たちが、何か?」

「貴方は名実ともに模範的なメラネルガリア人でありながら、周囲から唯一、自らの評判を落とす要因を作ってしまっていますね」


 端的な指摘に、バルザダークはそこで初めて不快げな反応を浮かべた。

 眉をひそめ深々と溜め息を吐く。


「無論、アレらが次代のオブシディアンを継承するのに値しない、という意見が多数派を占めているのは承知しています。ですが、それは仕方のないことです」


 オブシディアン家は家督巡りの内紛で、後継の資格を持つ者を失っている。

 血の惨劇。

 骨肉の身内争い。

 それもまた、調べさせればすぐに判明した醜聞。

 セラスとティアは、だからこそ白羽の矢を当てられた。

 〝現当主〟としては、あまり他人からとやかく言われたい話題ではないのだろう。

 バルザダークの声は一段と低くなった。


「我が家の後継問題については、貴君が気にされるような事柄ではないと思いますが?」

「そうでしょうか? あいにく、ご息女がたと私は同世代。〈学院〉の本旨を踏まえれば、完全に関係がないとは言い切れないと思います」

「ハッハッハッ──おもしろいことを仰る。貴君は我が愚女たちをめとるつもりか」

「あくまで、可能性の話をしたまでです」


 そのうえで。


「話を戻しましょう。狂人ラグナルは、かつて貴方の細君を看取った男でしたね」

「……」

「彼は貴方の娘たちを救って、物心つくまで育てあげた男でもある」

「だんだんと、貴君の言いたいことが分かってきましたよ」

「であれば、話も早い。〝オブシディアン〟にとって、ラグナルは結果的に恩人とも言える人物です」


 ならば、バルザダークとラグナルとを結びつける点と線は、これにて十分。

 次のステップへ話を進めよう。

 これから続ける論理で最も肝要なのは、


「貴方の細君は、その昔、黒曜の寵姫と呼ばれていたそうですね」

「ええ、それが?」

「黒曜の寵姫。言うまでもなくそれは〝黒曜公〟──すなわち貴方の寵愛を一身に受けた女性という意味合いを持ちます」


 これは誰が聞いても、そう解釈する他に検討の余地がない。

 バルザダークも素直に首肯した。


「もちろん。私と彼女の関係は、今さら誰にはばかることもない周知の事実です」

「だったら」


 俺は言葉を切り、一泊の間を挟む。

 クローディア・オブシディアンは当時、妾の立場でありながら正室や他の側室を差し置いて、分不相応にもバルザダークの寵愛を受けた。

 当人たちの感情はどうあれ、それが周囲から見て気持ちのいいものだったとは思えない。

 導き出されるのは、ありふれた嫉妬。ありふれた悪意。

 だからこそ、


「ここからは憶測になりますが、貴方は実は、ご自身の意思で内紛を起こしたんじゃありませんか?」

「失礼。意味が分かりません。自らの後継が互いに殺し合うのを、私が意図して仕向けていたと?」

「愛する女性を、白磁霧の叢蘭などという残酷な植物で死に追いやられ、双子の姉妹は九死に一生を得たものの、その生涯を忌み児として送ることを宿命づけられた」


 夫であり父親であるバルザダークの立場からすれば、復讐の火種を育むにはあまりにも条件が揃いすぎている。

 たとえ身内だとしても、許容できない一線は確実に存在するのだ。


「それにオブシディアン公。貴方は優れた統治者で、普通に考えれば自身の膝下で起こった内紛程度、収集をつけられなくなる前に解決できたはずなんです」

「貴君が私の何を知っているのでしょう」

「気に障りましたか? ですが、貴方は事実としてセラスとティアのふたりを、見事に次期オブシディアン公の位置に据えている」

「他に選択肢がなかっただけのことですよ」

「だとしても」


 俺はこの一点に、半信半疑ながらも希望を見出したい。

 世界に迫害され、他人のすべてを敵と見なすしかない人生だって?


(……そんなのは悲しすぎる)


 俺は彼女たちに、できれば当たり前のように、他者からの親愛を受け入れてもらいたい。

 ゆえに。


「……前置きが長くなりましたが、改めてお尋ねします」

「どうぞ。訊くだけなら自由です」

「オブシディアン公。貴方は実は、誰よりも娘たちを愛している。愛しているから、〈学院〉で娘たちに近づいた俺のような男が気に食わない」


 ぶっちゃけて言えば、単なる親心として今回の刺客騒動を起こした。


「そうなんじゃありません?」





────────────

tips:メラネルガリア貴石貴族の世襲制


 ダークエルフは長寿種族であるが、メラネルガリア貴石貴族は世襲制を採用している。

 各家の当主になった者は、子孫を増やす義務を課され、一定の年月が経つと家督を次代に継承させなければならない掟が敷かれているからだ。

 その狙いは、古き体勢がいつまでも権勢を握り、種族全体、国家全体が凝り固まった価値観で老いさらばえることがないようにとの意図から来るもの。

 だが、中には不慮の事態で後継者を失うなどして、何代分にもわたり当主を続けている貴族も存在している(あるいは、名だけを変えて欺瞞を続ける者も)。

 よってメラネルガリアでは、半ば暗黙のもとで形骸化しつつある制度と云えるだろう。

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