#087「思わぬ繋がり」



 男は自らを、まずラグナルと名乗った。


「俺の名はラグナル。貧民街でガキどもを使ってる。主な稼業は……まぁ借金の取り立てだ」

「……なに? ラグナルだと? ラグナルというのは、ラグナルか?」

「……ハッ、アンタがラグナルを思い浮かべてんのかは知らねぇよ。……だが、もしスラムの取り立て屋……〝狂人〟ラグナルっつー男のコトを言ってんなら……まぁたしかに、それは俺の名で合ってる」

「なんだ。知ってるのか? セドリック」

「……はい。裏の世界では、それなりに曰くの知れた男の名です」


 セドリックはやおら神妙な面持ちに変わって、双眸を細めた。

 曰く、


「〝狂人〟ラグナル……その名はかつて、スラムで異端の偶像崇拝を広めたとして、血みどろの粛清劇を招いた凶悪犯ということで知られています」

「凶悪犯……? あまりそうは見えないけど」


 異端の偶像を崇拝?

 それって、要はカルトってことか?

 思わず首を傾げて質問する。


「カルト?」


 セドリックはキョトンとした顔で困惑してしまった。

 ラグナルとやらも、眉を顰めて疑問符を浮かべている。

 俺は慌てて、「ああ、いや、邪教って言い換えれば伝わるか」と言葉を改めた。

 すると、


「邪教? 邪教だって? 貴族ってのは、ガキでも大袈裟な言い回しが得意らしいな。悪いが、そんな大層なモンじゃあねぇ」


 ラグナルは呻くように反論した。

 そして、いつかを懐かしむかのように視線を曖昧にする。


「ありゃ、ただの吹き溜まり……スラムの中でも極め付けの落伍者どもが、さらに落ちぶれて行き着く社会の最下層……誰からも生きていることを気にされず、誰からも死んでいることに気づかれない……爪弾き物同士が自然と寄り集まって、ただ言葉を交わすでもなく一所ひとところで暮らしている──そういうよ、ただの吹き溜まりでしかなかったんだ」


 今は亡き誰かを想うような憂いを帯びた声。

 だが、ラグナルの言っていることはすべてが過去形だ。


 〝周りはそうは見なさなかった〟


 暗に語られる厳然とした事実。

 現に、


「ただの、と言い張るのはいささか無理があるだろう。噂が本当なら、貴様らが隠匿していたのは『白磁の聖母像』だったそうじゃないか」

「──ハッ! ああ、そうさ。この国じゃ、最も穢らわしい異端の偶像よ。俺たちにゃ、そんな意識はちっとも無かったけどな」


 セドリックの口調は淡々としていて慈悲がない。

 そのせいか、ラグナルの意識は強制的に現在いまへと引き戻された様子だった。

 この男にとって、『白磁の聖母像』というのは余程の代物らしい。


(う〜ん? 察するに、白磁器でできたマリア像みたいなもんか?)


 黒と白。

 父と母。

 メラネルガリアじゃ、後者はたしかに少数派の信仰と言える。

 ラグナルの主張の通り、仮に偶像崇拝の自覚が無かったにしても、多数派の不興を買うには十分な要因だろう。

 狂人の所以も何となく知れた。

 ひとまず、ここまではストンと呑み込める。

 けれど、


「よく分からないんだが、その『白磁の聖母像』ってのは、どうしてスラムで? いや、そもそも何でメラネルガリアにあったんだよ?」


 右も左もどこもかしこも。

 視界に入るもの、すべてが漆黒に染め上げられているこの王国で、白磁器なんて誰も造らないだろうし、材料だって転がっているはずはない。

 偶像崇拝と言うからには、それはれっきとした人形だったはずだ。

 俺はラグナルに顔を向け、彼から回答を期待したが、意外にも、そこで口を開いたのはセドリックの方だった。


「──

「え?」

「若様もご存知ないでしょうか? 浸蝕道の植物で、とても珍しい花の名前です」

「浸蝕道……」


 それはたしか、突然変異を起こすことで、それまで無かった未知の生態、常識外の成長速度を誇る新種の植物を意味した生物分類、だったか?


「その浸蝕道の植物がどうかしたか?」

「白磁霧の叢蘭は、伝染病のように恐れられる花なのです」

「? 伝染病?」

「はい。普段は霧状で、実体を持ちません」


 しかし、この植物は空中を移動し、


「! 生物でさえも?」


 俺は驚いて固まってしまった。

 今のは聞き捨てならない。

 生物でさえも苗床に変える。

 じゃあ、白磁の聖母像ってのは……


「──?」

「「……」」


 返答は無し。

 しかし、沈黙は時として雄弁だ。

 聖母というからには、被害を受けたのは女性だったのだろう。

 ウソだろ、とおののく俺に、セドリックはそのまま、努めて感情を覗かせない声音で先を続ける。


「白磁霧の叢蘭に犯された宿主は、自身のカラダが、まるで蘭の花のような斑痕とともに白磁化していくのを、死の間際まで見つめることになると云います」


 治療法は存在せず、浸蝕速度も早いため延命も不可。

 感染を恐れた周囲からは、大きな迫害を受けて追放される。

 ダークエルフならば、自身の肉体が白く変色していくのは、恐怖以外の何ものでもない。

 最終的には、彼女はスラムのドン詰まりまで追いやられ、あっという間に命を落とした。

 名は──


「──

「!」

「そうです。当時、黒曜の寵姫と渾名あだなされ、めかけでありながらも、最もオブシディアン公の信頼が深いと噂されていました。けれど、それゆえに陰謀の餌食になってしまったのでしょう」


 貴族の世界では、有名な話。

 オブシディアン家の双子が、何ゆえ白色を持つのか。

 種族として白色を持たないはずのダークエルフが、何ゆえ白色の髪などを持って生まれたのか。

 真実に近づきハッとする俺に、そのときラグナルが天を見上げて言った。


「……アンタらが何を知っていて、何を語ろうと自由だがよ。俺にとっちゃ……あのひとは唯一の光だった」


 ゴミ溜めの廃棄場。

 悪臭と汚物の路地裏。

 者皆忘れたこの世の地獄。

 何もかもが薄汚れ、カスとゲスが卑しく泥水を啜る。

 そんな吹き溜まりで、穢れきった世界で、


 ──貴方、そう、貴方に。わたしの子を託します。絶対に助けなさい。


 白磁の母親は一介の浮浪者に過ぎない男に向けて、凄烈に告げたのだ。

 肉体が完全な無機物に変わる直前、死を間近に控えながらも、自らが産んだ新たな命ふたつに、未来を与えるべく懸命だった。

 拒むことなど到底できない凄絶だった。


「……あん時の光景を、俺は今でも思い出せる」


 ひび割れた胎の中から、白磁の破片に塗れて泣く双子の赤ん坊を抱え、彼女は今にも崩れ落ちそうな両腕をボロボロと伸ばしながら、男へたしかな使命を与えたのだ。


 それは男の人生で──最も神々しく気高い瞬間。


 見ず知らずの他人。

 それも得体の知れない、奇病に罹ったとしか思えぬ姿の女。

 然れど──母の、親の、何にも犯され難い真の愛情。


 ……あとはわざわざ、語るまでもない。


「俺はガキどもを育てた。といっても、使えるものは何も持ってなかったからな。俺と似たような境遇のヤツらを集めて、自分の身に起きたコトをそのままそっくり語って聞かせたのよ。ひとりじゃどうにもならなかったからな」


 そうしたら、


「次第に、次第にだ。どいつもこいつも、彼女のカラダとガキどもを見て、俺と同じようなことを思ったんだろうな……いつの間にか、余裕のあるときに食糧を分け合ったりして……助け合う間柄になってたんだよ」

「それが、周囲からは異端の聖母を崇める狂信の徒として見なされたってコトか? そんで……」

「ハッ……不穏分子を見過ごせねぇってな。アンタらお貴族サマは、わざわざスラムくんだりまでやってきて、ご自慢の剣を振りかざしやがったってワケだ」


 ラグナルは憎々しげに呟く。

 なるほど。

 俺はだいたいの事情を把握して、コメカミを揉んだ。

 仮面の上からだったので、いまいちちゃんと揉めなかったのがもどかしかったが、ともあれ、そこから先の経緯いきさつは現状の情報量で何となく察せられる。

 セラスとティアの境遇も理解した。


(……この話題はもういい。十分だ)


 話を戻そう。


「アンタの為人ひととなりは分かったよ。けど、まだ分からないな。スラムで知る人ぞ知る〝狂人〟ラグナルさんが、どうして俺を狙ったんだ? 俺たち、初対面だよな?」

「吐くなら、早い方が身のためだぞ」

「ゥ、オヤジ……!」

「分かった! 話す! 話すからやめさせろ!」


 セドリックが人質に剣を突き立てた。

 ラグナルは歯噛みしつつ、必死にこちらへ訴える。

 俺はセドリックの名前を呼び、脅迫をやめさせた。


「それで?」

「アンタらを襲ったのは、に命じられたからだ!」

「? すまん、もう一度言ってくれ」

「は!? 耳にクソでも詰まってんのか? よく聞けよ。アンタらを襲うよう俺たちに指示したのは、!」


 黒曜石の家紋を掲げる貴石貴族。


「当主バルザダークが! アンタらの敵だ……!」


 ラグナルは吠えると、後は繰り返しそう叫び続けた。

 





────────────

tips:白磁霧の叢蘭


 ホワイトヘイズ。

 植物界・浸蝕道の蘭。

 普段は霧のように見える極小の粒(種子)として空中を漂っている。

 種子の状態は休眠状態のようなもので、本来は大気に含まれる水分をゆっくりと時間をかけて集めていき、一定水準に達したら一斉に発芽。成長の過程はひどく幻想的。

 霧から現れる人工物としか思えぬ純白の蘭。

 ただし、この植物が生物の水分を吸い始め、その命を糧に根付きはじめてしまった場合、事態は非常に凄惨だ。

 旅人が森を歩いていると、目の前に突然白磁の彫像が立ち並ぶ不気味な庭園が広がり出す。

 そんな世にも奇妙な怪事件が、起こり得ないとも限らない。

 なお、白磁化してしばらく経つと、この植物は自然に砕け散り、風に舞った細かい破片が、再び種子として空中を浮遊する。

 駆除するには燃やすしかない。

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