#080「メラネルガリア日記②」
変化というのは起こるべくして起こるもの。
このままがいい。
いまのままがいい。
そんな風に無意識の内に、日頃から穏やかな安定を求めていたとしても、変化というのは水面下で進行していて、あるとき不意に目の前に姿を現す。
それを、あらかじめ推測しておいて心構えを済ませておくか。
あるいは予兆を見逃して、あたふたと動揺することになるか。
ケースバイケースではあるけれど、人は変化を目前にしたとき、前者か後者かで好悪を判断するように思う。
メラネルガリアでの生活も、俺にはそうかもしれない。
──あれから、〈学院〉は何事も無かったかのように運営を続けている。
魔術院で発生した魔物、マンティコア。
王太子ナハトが事態の収拾をつけたこともあって、アレの詳細は緻密に調べられた。
結果、原因は魔術院で保管されていた貴重なサンプル。
ある導師がキメラの死骸(脳髄の一部)を許可なく使用し、降霊術の触媒としてしまったことで、マンティコア発生の条件が整ってしまったことだと公表された。
愚かな魔術師。
危険な実験体。
バックストーリーとしては、少々肩透かしな真相である。
こうしてフレーズを並べえしまば、なんともありがちな事件で、いっそ陳腐とすら呼んでしまえる。
だが、実際に犠牲者が存在して、あともう少し遅かったら、導師や警備兵だけでなく、レイナートという学徒まで殺されていた。
それを考えると、決して陳腐なんて表現していい悲劇ではない。
然るべき対応、然るべき処分が求められれば、〈学院〉は閉鎖される。
そういう顛末も、普通にありえる出来事だった──と、俺は思った。
だが。
メラネルガリアもといダークエルフは、そのあたり、やはり根本的に物の考え方が違う。
〝惨劇が起こったのなら、二度と同じ惨劇を起こさぬよう強くなればよい〟
〝王太子殿下は素晴らしい。己が強さを証明してみせた〟
〝汝らも励たまえ。我らもまた励み続ける〟
自粛ムードなどこれっぽっちも流れない。
俺は思わず耳を疑ってしまった。
しかし、心のどこかでは「オマエたちならそう言うだろうよ」とある程度予見もしていて、そんな自分に少しだけ驚いた。
事件はかなりの死傷者を出したにもかかわらず、まったくと言っていいほど問題になっていない。
周囲の反応は言わずもがな。
ブラック連中は大興奮でナハトを賞賛。
フィロメナやセラスたちも、〈学院〉の方針にはこれといった反論を持たない様子で、戸惑いを覚えたのはおそらくは俺だけ。
彼女たちの中には、本人も気がついていないくらいにしっかりと、
生まれてからこれまで、
種族の歴史。
王国の支配。
俺も長期間留まっていると、知らず知らずのうちに感化されてしまうかもしれない。
けれど、あれからすでに一ヶ月。
未だに続いているスネイカーたちの
……というか。
未来の王に、アイツらどれだけ気に入られたいんだ?
露骨なゴマすり作戦に、俺はかなり逆効果だろうと呆れている。
ナハト・アダマスはどうも、お世辞や追従の類いを好んでいない。
というか、憎んでいるフシすらある。
マンティコアの事件を切っ掛けに、俺は少しずつだが声を掛けられるようになった。
もともと予兆は察していたし、驚きはない。
恐らくだがナハトの方で、ある種の踏ん切りがついたのだろう。
これまでの微妙な間合い取りが何だったのかと疑問に思うほど、実にアッサリ声をかけられた。
──スピネル殿。お体の具合は大丈夫ですか。火傷など、されていないでしょうか。
彼は最初、俺の体調を尋ね、自身の魔法で怪我をしていないか質問した。
俺は問題ない旨を伝え、礼儀としてあの時の魔法のすごさを褒めた。
──ああ、これはご丁寧に。お気遣い感謝します。この通り、問題はありません。
──たしかに、そのようですね。よかった。安心しました。
──ありがとうございます。しかし殿下、あの場では大変申し訳ありませんでした。
──? 何のことです?
──殿下の魔法があまりに凄まじかったもので、俺としたことがつい棒立ちになり……
──……ああ。いえ、べつに気にしてはいませんよ。
ナハトは微かに落胆したように眉尻を下げ、苦笑を浮かべた。
──魔法使いとしての立場にいると、ああいった反応には慣れていますから。
メラネルガリアには自分以外に魔法使いがいない。
ゆえに、周囲から当惑や驚愕の眼差しで見られることには、とっくのとうに慣れている。
ナハトは寂しさを滲ませた笑顔でそう嘯いた。
だからかもしれない。
俺はこの時点で、ナハトの人格像に意外なものを感じ取った。
──失礼。俺の記憶では、殿下は魔法の才も含めて口々に『最優』と謳われておいでだったはずですが。
──彼らが本当にそう思っているなら、有り難い話です。けど。
──けど?
──所詮はこの身が、王族ゆえの形ばかりの賛辞。彼らは僕が、王太子だから美辞麗句を並べ立てているに過ぎません。
──そんなことは。殿下は実力も、十分伴っておいでだ。
──たしかに、努力はしていますけどね。オブシディアン家の双子が良い例です。
男か女か。
黒か白か。
正嫡か。
それとも庶子か。
──僕と彼女たちとの違いなど、たったそれだけのコトです。
なのに、たったそれだけのコトが、あまりに風当たりを変えている。
ゆえに、実力の有る無しなど他人の目には関係ない。
人々は所詮、自分が見たいように物事を見る。
──ですから、彼らにとって、僕はたまたま都合の良い存在だっただけなのです。
──それはまた……案外卑屈な考え方をしますね。
──そうでしょうか? 周囲から贈られる過分な評価と、実際の自分。これらのズレを絶えず突きつけられていれば、嫌でもこうなると思います。
──俺には正直、そこまでの乖離があるとは思えませんが。
──それは仕方がありません。スピネル殿は僕ではありませんし。自分の真価は自分だからこそ正確に分かるもの。実際、歴史に語られる大魔法使いに比べれば、この身は青人草に等しいですよ。
──はぁ……
──すみません。せっかく褒めていただいたのに、僕としたことが余計なことを。ご不快にさせたなら謝ります。
ナハトは慌てて頭を下げると、後悔を滲ませた会釈で間を作り、やがて「では」と、そのままクルリ踵を返そうとした。
俺は確信を抱いて、「なるほど」と頷いた。
──じゃあ、最後に一言。廊下を台無しにしたのは、どう考えても失敗でしたね。
──……えっ?
──それに、あの時はまだレイナートが居たのに、いきなり“
マンティコアを退治するにしても、もう少し他の選択肢があったはずですよ。
なんて、偉そうに批判。
さて、どう反応するかなと様子を観察していると、
──……ハハ! それはまた、もっともなご指摘ですね。けど、そんなヘマはありえないことですよ。
──おや、ありえない?
──スピネル殿は魔法使いじゃないから、分からないかもしれません。でも、魔法というのは使い手の意図には、決して逆らわないものなんです。
──と、おっしゃると?
──あの時の魔法は、マンティコアだけを狙ったものでした。
──レイナートには、絶対に当たらなかったと?
──はい。魔法とはそういうものですから。あの場で僕にシャーマナイト殿を傷つける
ナハトは朗らかに足を止めた。
少年らしい実に純朴な笑顔。
気分を害した様子も無い。
むしろ、批判や反対意見は大好物だとでも言わんばかりの喜色満面。
頬には愛らしいえくぼ。
ちょっと前までの曇り顔が、一転して晴天に変わった。
俺はそこから、何となく接し方のコツを掴んで、気づけばみるみる内に懐かれるように……
顔を合わせば、一言二言の挨拶。
それが次第に、世間話も交えた雑談へ。
時には皮肉すら応酬する仲になって、しばらくすると、ナハトは俺を自らの家へ招待するまでに関係性が変わっていた。
王宮。
つまりは、メラネルガリアを治める国王陛下の
これには俺も、想像以上に動揺している。
──スピネル殿は、古文書に興味があるのですか?
ある日の昼下がり。
俺が中庭で、古めかしい
色褪せた羊皮紙には、古エルノス語で『天より来たりしモノたちの言葉』と題名が印字。
エルノス人以外の様々な種族が扱っている言語について、百科事典のように記載されていた。
──古文書……まあ、そうですね。
──なるほど。古の叡智を探究するのは、とても良いことです。
ナハトは感心したように言った。
──古セプテントリア文明なくして、今日のメラネルガリアはありえず。過去を学び未来へ活かせるのは、後世の人間に与えられた義務であり特権。勉強熱心なのは、とても素晴らしいと思います。
どうやらナハトには、古代オタクのケがあるらしい。
俺は「ぉぉぅ」と
ちなみに、言うまでもなく、俺は秘文字の情報を探していただけである。
古代に関心は無くもないが、恐らくナハトほど饒舌にはなれない。
なので、相手に落胆を与えないよう、それとなく話を合わせ続けた。
──スピネル殿は、どういう分野に興味があるので?
──う、うーん。そうですね、強いて言うなら、語学になるかと思います。
──へぇぇ、語学ですか。
──は、はい。特に、少数種族の扱う希少な言語体系……今はちょうど、そういうものに興味があるところです。
──なるほど! でしたら、フィロメナ嬢を頼ってみると良いかもしれませんね。
──え? フィロメナ・セレンディバイトを、ですか?
──おや、ご存知ありませんか。彼女はああ見えて、五つの言語を修得している才媛ですよ。
また、語学に限らずとも、教養という点において、フィロメナ・セレンディバイトは間違いなく他の令嬢を寄せ付けない。
妻にすれば、彼女は最高の女主人になるでしょう。
ナハトは褒めちぎった。
俺は愕然とした。
──結構、高評価なんですね。
──それはまあ。彼女は魅力的な女性ですし、自分の能力をひけらかさない、奥ゆかしいところも常々美徳だと思っていますから。
──……なるほど。では、やはり婚約するなら、殿下は彼女が一番だとお考えで?
──さあ、それはどうでしょう。最近はスピネル殿の方が、彼女と親しい様子でもありますし。
──断じて違います。
──では、僕もそういうことで。
──……躱し方がうまいですね。
──伊達に王宮育ちじゃありませんから……あ、そうだ、王宮といえば。
──?
──スピネル殿。もし良ろしかったら、今度王宮へ遊びに来ませんか。王陛下の蔵書になら、もしかするとお望みの知識が眠っているかもしれませんよ。
──王宮に……? いいんですか? 俺なんかが。
──もちろん。〈学院〉の書庫塔には収蔵されていない、それこそ
スピネル殿もきっとご興味があるかと。
要約すると、そんな流れの会話があった。
だから、俺は三週間後、ついに
刺青の謎を解明するにあたって、実際、これほどのチャンスは早々ない。
三週間も待つ理由は、そこまで待たないと、ナハトの都合がどうしても良くならないからだ。
待ち遠しいが、次期国王陛下は公務で忙しい。
ナハトは老いた現王の代わりに、様々な仕事を引き受けている。
わがままを言って好感度を下げるより、ここはじっくりと待つしか道はないだろう。
ネグロ・アダマスはメラネルガリアの王。
俺は実の父に、胎児の頃から実験台にされていた。
ネグロ王であれば、確実に刺青の所以を知っている。
ダークエルフの王が個人的に掻き集めた叡智。
王の蔵書を合法的に検分していいなら、これ以上の手がかりは存在しない。
けれど、俺とネグロ王の関係は、少々事情が込み入っている。
なにしろ、俺が幼い頃に命からがら国外へ脱出したのは、第一王子暗殺をネグロ王が黙認したからだと云うのだ。
我が子を実験体にして、用が無くなれば処分も厭わない。
そんな男、まずクソ野郎で間違いない。
顔を突き合わせたとしても、グッドコミュニケーションを築ける自信は無かった。
一方で、ルフリーネ・アダマス。
幼い俺を、間一髪のところで国外へ脱出させた勇気ある女性。
彼女の姿を、ついに一目見られるかもと思うと、胸元にぶら下がるネックレスの重さ、不思議な胸のザワつきまで感じてしまう。
無論、第一王子メランズールとして戻るワケではないが、ソワソワとした緊張感がカラダを駆け巡っていた。
三週間後が怖いようで楽しみ。
今はとにかくそんな感覚。
それはそうと。
王宮に向かうまでの一ヶ月、俺には少なくない野暮用もあった。
レイナート・シャーマナイトの見舞い。
理由はフィロメナが、〈学院〉の何人かを誘って、皆んなで見舞いをしようと画策したことに端を発している。
──今度の休日、お暇ですわよね?
──藪から棒にかなり失礼だな……
──まあツレないひと。けど、勘違いはよしてください。
──ああん?
──今回のお誘いは、シャーマナイト様のお見舞いになります。せっかくですから、ラズワルド様も一緒に参りましょう?
──せっかくですからの意味が分からないぞ……
──別に、おかしな提案ではないと思うんですけれども。
わたくしたちは学友ですよ?
痛ましい事件が起き、被害に遭った級友がようやく面会を許されるくらいに快復したなら、お見舞いのひとつやふたつ当然しても問題ありません。
フィロメナは大層殊勝な態度で嘯いた。空虚すぎて虚無になるかと思った。
──それで? 何人来るって? いや、当ててやろうか。ゼロ人だろ?
──いまお声掛けしている方の中だと、「行く」と明言されているのは、ラズワルド様おひとりですね。
──オイ。
──なんです? いいじゃありませんか。ラズワルド様が来ると仰られれば、恐らくあと二人は釣れる目算なのです。
──釣れるって言いやがった。……まあいいけど、誰だよその二人ってのは?
──スネイカー様にディープ様。
──気はたしかか。
よりにもよって、なぜあのふたりを俺とカチ合わせようとするのか。
フィロメナの考えていることが分からず、俺は本気で困惑してしまった。
そんな俺に、フィロメナはクスリと微笑む。
──スネイカー様もディープ様も、ラズワルド様が妬ましくてたまらないのでしょう。
──はあ?
──わたくしがラズワルド様も誘うつもりだと言ったら、途端に意見を翻されたので。
──……タチが悪ぃな。
──ええ、まったく。最初は明らかに面倒臭いという顔を浮かべてましたのに。あの顔、ラズワルド様にも見せてあげたかったですわ。
──そうかい。
俺は少しだけスネイカーたちに同情した。
〈学院〉の性質上、異性との関係は良好に構築することが求められる。
フィロメナは高嶺の花。
スネイカーたちからすれば、本来はどんなに手を伸ばしたって手の届かない相手。
ヘタにちょっかいなど出そうものなら、王太子の逆鱗に触れる可能性もある。
それが、最近になってどう考えても自分より格下としか思えない男と、フィロメナが親しげにしている。
ワンチャンを錯覚したとしても、無理はない流れ。
といっても、当のフィロメナは、恐らく父親からの呼び出しを断るため、体のいい方便作りとして俺たちを利用したいだけだが。
レイナートの見舞いなど、俺にはそうとしか考えられない。
だって、フィロメナ・セレンディバイトがレイナート・シャーマナイトと親密だったことなど、俺の知る限りは一度も無いのだ。
逆もまた同様。
レイナートがフィロメナに好意を持っている可能性は、無きにしも非ずとしても……いや、それでも考えにくい。
レイナート・シャーマナイトはこれまで、〈学院〉の誰ともマトモに口を利いていない。
俺とはまた、違った意味での変わり者で知られている。
寡黙。
沈静。
無言。
排他。
レイナートを表すとき、人はだいたいそんな二文字を思い浮かべるだろう。
ヤツが誰かと喋っているところなど、恐らくほとんどの者が見ていない。
スネイカーたちでさえ、レイナートには不気味なものを感じているのか、「陰気臭くて敵わん」と近づかないくらいだ。
なにか独特な、他人を寄せ付けない空気をまとっているのは確実である。
普段はもっぱら魔術院に足を運んで、ひとり黙々と絵なんかを描いていると噂も聞く。
それ自体は、悪いことではない。
俺も時々、真っ白なキャンバスに絵筆を走らせたくなるし、思い出を
もっとも、レイナートが絵を描くのは、ひとえに魔術の一環らしいが。
優れた芸術は、魔術の触媒になり得る。
だから魔術院でも、美術塔なんてサブ塔が開放されていた。
レイナートは差し詰め、芸術魔術師とでも言ったところか。
まあ、兵装院での決闘稽古ですら呻き声をあげない、薄気味悪い男なことだけは間違いがない。
身長が高く、同じ空間にいれば嫌でも視界に入ってくる背ぇ高のっぽ。
あれだけデカいのに、存在感ってものをまるで出さないのも、よくよく考えると不思議だ。
極たまにだが、本当はそこにいないんじゃないかと錯覚するコトもある。
なんというか気配を感じない。もしや相当な達人なのか?
……。
まあ、マンティコアの件もある。
あのとき俺を見ていた視線が、もし気のせいでないなら、あっちもあっちで、何か俺に話したいことがあるのかもしれない。
レイナートのヤツも、さすがに見舞いに来た級友を相手に、それでも無言を貫くほど礼儀知らずではないはず。
話してみれば、案外いいヤツの可能性だってゼロではない……少なくとも、ブラックトリオどもとは距離を置いている男ではある。
なので面倒だが、仕方がないだろう。
フィロメナには今度、ティタノモンゴット語でも教えてもらう。
まったく、妙なことになっちまった……
────────────
tips:魔術院
王碩院と同じく一つのメイン塔と複数のサブ塔で構成される。
メイン塔は六角の構造をしていて、六つの渡り廊下がサブ塔へ繋がる。
〈学院〉全体の敷地における配置としては、最も裏手側に近い。
サブ塔は以下。
触媒塔、輝石塔、降霊塔、美術塔、領域塔、円環塔。
なお、この度かなりの職員(導師)が殉職し、新規採用の窓口が設置された。
ダークエルフ有志は奮って志望されたし。
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