#079「“火”の魔法」



 叫び声の元に向かうと、血が流れていた。

 魔術院の一階。

 複数の副塔へ繋がる六角広間。

 そのうち、美術塔につながる細長い渡り廊下の奥。

 俺とセラスが急ぎ何事かと駆けつけると、状況はやはり、火急の事態に発展していた。


「たすけてぇ、たすけてぇ」

「オイ嘘だろ」

「なんで〈学院〉にあんなのがいるワケ……!?」

「やめて。やめて。たべないで」

「……化け物。にしても、コイツはだいぶ気色が悪すぎるな」


 ──人面獣心マンティコア

 その怪物は、青白い獅子のような胴を持ち、禿げ上がった老爺の髭面、蠍のような毒針を持っていた。

 全長カラダはデカい。

 恐らくだが、アフリカゾウほどはあるだろう。

 しかし、先ほども耳にした奇怪な発声。

 黄色く変色した不潔な乱杭歯を覗かせる血みどろの口元からは、驚くことに少女としか思えない声を発している。

 それも、聞いた者に思わず憐れを覚えさせる幼気なソレ。


(左右で不揃い。青鬼みてぇなアンバランスな目しやがって)


 人間の心など、欠片も解していない。

 虫のような眼差しで俺たちを見ている。

 そして、ヤツの足元にはひとり少年が転がっていた。

 ローブ姿の背ぇ高のっぽ。

 めったに口を開かない同級生。


「……レイナート・シャーマナイト?」

「さっきの叫び声は、どうやら彼のものみたいね」

「まだ息は……してるな」

「血はだいぶ流してそうだけど」

「クソが。俺たちがここに来るまで、それなりに時間はあったはずだぞ」


 なのに導師は、なぜ来ていない?

 常駐の警備兵は、またも職務怠慢なのか?

 コメカミに青筋が浮かび上がるのを感じ、俺は仮面の裏で大きく顔を歪めた。

 そんな俺に、セラスは緊張した面持ちで言う。


「怒っても、たぶん無駄よ」

「なんで?」

「あのマンティコアの顔、知ってる導師の顔だもの。それも、魔術院じゃ一番地位が上だった」

「なんだって?」


 って言うとアレか。

 あの怪物は、食らった獲物の顔を奪って、化けるタイプの魔物ってことか。

 たしかに、言われてみれば見覚えのある顔かもしれない。


「……どうせ化けるなら、もっとマシに化けろよ」


 顔、ぜんぜん縮尺合ってないんだが。

 俺がそうヒクヒク頬を歪ませていると、マンティコアはボコボコと顔を泡立たせ、今度はまたべつの男の顔になった。

 アンバランスな造形と淡青色の瞳だけは変わらない。


「……キ、キモすぎる……今の、俺の言葉に反応したワケじゃないよな?」

「さあ……でも、案外知性はあるのかもしれない。だって、私あの顔も知ってる」

「たすけて。たすけてください」

「声は変わらないみたいだ」

「ああやって人を誘き寄せて、近づいた人間を食い殺すのよ」

「クソ野郎め。まんまホラーじゃないか」


 軽口を叩き平静を装うも、引き攣った頬の歪みは仮面でも隠し切れない。

 声色に含まれる動揺と内心の焦りは、俺をして久々なものだった。


(──魔物。魔物)


 状況はだいたい呑み込めてきた。

 魔術院の導師ならびに警備兵は、すでに大半が逃げ出したか、あるいは食われたかのどちらかなのだろう。

 マンティコアは今もボコボコ顔を泡立てている。


(俺たちの知り合いでも探って、動揺でも誘おうとしてんのか……?)


 だとしたら、かなりの畜生具合。

 仮面が無ければ、思わず唾を吐き捨てていたところだ。

 ……しかし、


「アイツ、ずいぶんと食事を楽しんだみたいだが……なのに無傷なのか?」

「そうね。ありえない」

「……不気味だな」

「ええ、そうよ。だから私も、さっきから動けないでいるッ」


 セラスの焦燥は俺の比などではなかった。

 叫び声が魔術院から聞こえたと分かったとき、少女は妹の無事だけを願って疾走した。

 パルクールの要領で外壁さえよじ登った。

 ここまで来る途中、ティアドロップの姿は見ていないが、あんな化け物が出てきた以上、セラスの胸中はとても穏やかではいられないはずだ。

 マンティコアは人を喰らう。

 だが、仮に最悪の事態を想定して、レイナート以外の学徒、他の導師が、全員マンティコアの被害に遭ったのだとしても。


(皆が皆、何の抵抗もなく食い殺されたはずはない)


 

 強壮を謳い精強を謳い強靭を謳い最強を謳い。

 種族の能力とメラネルガリアという国の優秀さを何より誇りとしている彼らが、いざとなったら何の反撃もできず無惨にやられてしまうなど、冗談でも笑えない。

 セドリックは言っていた。


 ──〈学院〉の導師は、一線こそ退いた者ばかりですが、現役の頃は最前線で功績を残した古強者です。


 侮っていい相手ではない。

 ドラゴンと対峙し、殺されなかった男がそう言うのだ。

 俺は彼らを、セドリックと同等ないし、それ以上の戦士だと認識している。

 そしてマンティコアは、どんな書物にも危険な魔物と記されているが、ドラゴンほどの脅威ではない。

 俺が知っている特性も、せいぜいが〝人喰い〟程度。

 村を、町を、都市を、国を、軍を、英雄を。

 滅ぼし尽くした記録は一度も見ていない。

 では、


「──たべないで。やだ。やだよぉ」

「こふっ!」

「! ヤロウ、分かっててレイナートにトドメを刺してないな?」

「アイツ、私たちが彼を助けようとして、自分の間合いに入ってくるのを待ってる……」

「一応聞いとくけど、あの毒針って刺されたらどうなる?」

「身体が麻痺して動けなくなる。気をつけて。刺されたら最後、生きたまま食われるわよ」

「なるほど」


 マンティコアの顔は無表情だが、ダラダラと滴り落ちる多量の睡液。

 下劣な獣性が、トクトクと紅絨毯の上に注がれていた。


(ずいぶんと食い意地の張ったことで)


 奇怪で下等な見た目に騙されてはいけない。

 あのマンティコアには、間違いなく卑劣な精神が存在している……

 だがそれ以上に。


(──解せないな)


 見れば見るほど、俺はこのマンティコアにを感じなかった。

 もちろん、魔物と対峙している恐怖はある。

 おどろおどろしい外見に、醜悪な習性、人界に仇なす怪物である以上、油断していい理由はどこにも見当たらない。

 けれど、


(……絶望はしない。天地が塗り潰されるような重圧感は欠片も無い)

 

 頑張れば殺せる。

 その直感がある。

 だからこそ、おかしい。

 とてもじゃないが、〈学院〉の導師を複数人殺せる存在とは思えない。

 なら、現状の俺では計り知れない何か。

 罠のようなものがあるはず──


(──でも、それは何だ?)


 セラスとふたり、俺たちは得体の知れない不吉な予感に足を絡め取られ、数秒間の沈黙が渡り廊下に広がった──そこへ。





「“イグニス” ッ! 」

「!?」




 背後から唱えられた呪文。

 魔法は魔力を与えられてカタチを得て、詠唱者の意図のもと瞬く間にマンティコアを燃やした。

 途端、チリチリと肌を焦がす炎熱。

 卑劣な異形は火達磨となり、一気に廊下の中が熱くなった。

 人間の声帯では、絶対に出せない醜怪な悲鳴。

 異形の断末魔が炎の中から反響する。

 声もすでに、少女のソレじゃない。


「ぐ゛あ゛あ゛あ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛……」


 やがて、にわかには信じ難いが、マンティコアは消し炭となって消滅した。

 セラスは数秒、呆気に取られ、ハッとして振り返る。

 そして、彼女は目を見開くや、真っ先に膝を着いた。


「──おふたりとも、無事ですか」

「ハ、ハッ! これはありがとうございます。ナハト殿下……」

「叫び声を聞いて、急ぎ駆けつけました。どうやら、かなり危ない状況だったようですね。咄嗟に僕の最大火力を叩き込んでしまいましたが、おふたりとも怪我はありませんか?」

「はい。私の方は何とも……」

「よかった。……そちら、スピネル殿は?」

「…………」

「……ちょっと?」

「いえ、構いません。少々驚かせてしまったみたいですね。すみませんがセラスランカ嬢」

「は、はい」

「スピネル殿を頼みます。僕はあそこで倒れているシャーマナイト殿を。彼を助けなければ」


 言い残すと、王太子は颯爽とした小走りでレイナートの元へ向かった。

 俺は思わず、その後ろ姿を追わずにはいられない。

 が魔法を使っている姿を、初めて見たというのもある。

 だが、何よりも目を引いたのは、


(……よりにもよって、“イグニス” か)


 その魔法は今でも鮮烈に刻まれている。

 忘れはしない。

 忘れられることなどあり得ない。

 俺にとって特別な魔法があるとすれば。

 それはきっと、“イグニス”であろうと何度も思い続けた。

 まさかそれを、こんなところで──


(もう一度、目の当たりにするなんてな)


 しかも、使い手は腹違いの弟と来ている。

 これはいったい、どんな因果の収束だ?


(……それに、レイナートも救えるのか)


 傷口を焼いて止血?

 最善手だが手馴れすぎだ。

 王太子の応急処置には迷いがない。

 遠目からでも逡巡のないことが窺える。

 “イグニス”の呪文をよほど精密にコントロールできるのだろう。

 あれならば、一命は取り留めるに違いない。

 出血量はヤバそうに見えるが、この世界には造血薬なども存在している。

 値の張る薬だが、貴族にとっては問題ない。

 レイナートは命を拾うだろう。


 ……それにしても。


「ずいぶんと派手にやったな」

「──あ、やっと戻ってきた。さっきの魔法のこと?」

「ああ」

「たしかに派手だったわね。あのマンティコアが、一撃で蒸発しちゃうんだもの」

「こりゃあ建て替えは必須だな」

「飾られていた絵画も、半分以上ダメになっちゃったみたい」

「そうだな」


 美術塔につながる唯一の通路らしく、この廊下には豪奢な額縁が等間隔で並んでいた。

 風景画に人物画、歴史画と思しき作品もあった。

 どれもほとんど、絵具が溶けたり燃焼してしまったりしている。

 一枚一枚にどれほどの価値があったかは分からないが、これは後で、かなりの損失が発覚するのではないだろうか。


「ま、どうでもいいけど。それより、なんか変な匂いしない?」

「ん、変な匂い? 煙か?」

「ううん。なんだろう、絵具の匂いかしら……」


 微かに異臭がすると、セラスは顔を歪めた。


「あいにく、俺は仮面こいつでよく分からん」

「そ。ならいいわ」


 さっさと出ましょう。

 セラスは歩き始めた。

 たしかに、これ以上ここにいても何にもならない。

 王太子ナハトがやって来たことで、事態は華麗に片づけられた。

 あとは彼の近衛が、然るべき対処と調査を進めるはずだ。

 耳を澄ますと、慌ただしい足音が近づいてくる。

 野次馬らしい声もしてきた。

 セラスと俺は、何を絡まれるやら知れない……が、


「おい。ティアドロップを探さなくていいのか?」

「……いい。冷静になって考えたら、今日ティアはうちで療養中だったわ」

「……オイオイ。なんだよそりゃ」

「うるさいわね」


 いろいろあって、ちょっと冷静じゃなかったのよ。

 セラスは恥ずかしそうに顔を背けた。

 俺は深く息を落とす。


「まったく。療養って、風邪でもひいたのか?」

「いいえ。ただの打撲よ」

「打撲? なんだってそりゃまた」

「他愛のない姉妹のじゃれ合い。なによ。なんか文句でもある?」

「べつに無いけど」


 おっかねぇ姉ちゃんだな。


「ちなみに理由は?」

「あら、どうしても聞きたい?」

「……やめとく」

「そ。賢明ね」


 俺たちはちょっとだけ、気の置けない仲になった。やれやれ。


(しっかし……あのマンティコア、どっから湧いて来たんだ?)


 謎は残っている。

 それに、俺とセラスがたしかに感じた不吉な違和感。

 正確な犠牲者の数は後々判明するにしても、〈学院〉の導師が幾人も殺されていた事実は決して無視してはいけない。


(けど、真実は闇の中……か)


 違和感の正体は炎の中に葬り去られた。

 マンティコアは消滅。

 王太子の魔法によって、拍子抜けなほどアッサリ退治されてしまった。

 臭いものに蓋をしたような、なんだか釈然としない結末である。

 だが、騒動が静まったコトには違いない。

 俺は何となく、チラリとだけ後ろを振り返った。


「ん?」

「どうしたの?」

「……いや、気のせいか」

「? なにが?」

「何でもない。たぶん偶然だ」

「あっそ」


 怪訝げなセラスにかぶりを振り、前を向き直す。

 振り返った瞬間、王太子と視線がぶつかった。

 意識を失っていたはずのレイナートもまた、こちらを見ていた。

 仮面越しだし、煙も漂う視界不良。

 ふたりがこちらを、凝視していたように感じたのは、恐らくただの見間違いである。

 そうでないなら──


(そうでないなら?)


 いったいなんだと言うのか。

 答えも思い浮かばない謎の仮定。

 俺はもう一度かぶりを振って、フゥ、と息を下ろした。

 今日は色々なことがありすぎて、精神的に疲れているのだろう。

 こんな日は長湯に浸かって、一日の疲れをゆるりと癒すに限る。


(貴族は毎日、風呂も入り放題)


 なんと、香油で髪も洗ってもらえる。

 まあ、それはセドリックのいる日限定なのだが。

 他の使用人に顔は見せられない。

 俺はすっかり仮面に取り憑かれてしまった。

 ここじゃあ何処に行っても、常に第一王子の宿命がまとわりつく。

 難儀な生活だ。

 難儀過ぎて、嫌でも嫌気が差してくる。

 友人ができたのは幸いだったな。


「……」

「……」


 横を歩く白髪の少女。

 セラス。

 セラスランカ・オブシディアン。

 気難しくも大変好感の持てる友人。

 メラネルガリアでは爪弾き者同士、俺たちは今まで、互いにどこか肩肘を張っていた部分があったと思うが、気づけばこんなにも飾らずに接している。


(剣を突きつけられた時はマジかと思ったが……)


 こういうのってきっと、悪いことではない。

 河原で喧嘩したヤンキー理論? いや、古すぎるか。

 俺はハハッ、と仮面の奥で笑った。





────────────

tips:マンティコア


 人面獣心。人喰いの化け物。

 人界の種族であれば怪人道でも喰らう。

 その正体は、カニバリストの霊がキメラの死骸に取り憑くことで発生する魔物。

 青白い獅子の胴。

 蠍のような毒針の尾っぽが特徴的。

 注意点としては、マンティコアは食らった人間の顔を再現し、物影から頭部だけを出して獲物の注意を引く習性を持つこと。

 また、幼気な少女や赤ん坊の泣き声を模倣し、卑劣な手段で油断した獲物を誘い出す点が挙げられる。

 人から転じた魔性のなかでも、生前から畜生の道に堕落していたモノは、死後においても醜悪なサガを発露させる──

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