#081「シャーマナイト邸へ」



 さて。

 シャーマナイト領といえば、メラネルガリアでは辺境の地として知られている。

 メラネルガリアは広大な国で、国境に面する土地を所有しているのは、当然シャーマナイト領だけではない。

 だが、辺境という言葉を聞いて、メラネルガリア国民が真っ先に想像するのは、決まってシャーマナイト領であると云う。

 その理由は、至極単純にして明快。


 ──大雪原。


 忘れもしない白き無辺荒野。

 シャーマナイト領は彼の地獄と隣接している土地ゆえ、辺境のイメージが強い。

 なにせ、大雪原といえば永久凍土地帯ヴォレアスに次ぐ絶望とすら呼ばれている。

 北方大陸グランシャリオは過酷な環境で、不用意な旅人や愚かな迷いびとは、総じて凍え死ぬのが通説だ。

 大雪原を彷徨して助かるのは、まさに天文学的な確率としか言えない。


 ……俺が言うとあまり説得力がないかもしれないが、ダークエルフは罪人の処刑に追放刑を採用していて、大雪原への放逐=事実上の死刑に等しいことも、メラネルガリア国民なら子どもでも知っている常識である。


 親は言う──いい子にしていないと、オマエを大雪原に放りこんでしまうぞ。


 長年の鎖国もあり、今や大半のダークエルフにとって、『外』とは一種の恐怖そのものなのかもしれない。

 大雪原と隣接しているシャーマナイト領は、つまり、メラネルガリア国民からはめちゃくちゃ不人気な土地と言ってしまっていいだろう。


 だからなのだろうか?


 通常、辺境といえば、国にとっては国境を預ける大変な要所。

 シャーマナイト家は古来、王家からの信頼も厚く、他の一族に比べて様々な面で優遇されることも多かったと聞いている。

 しかし、


(……老醜のネグロ王は、七百年ほど前から、黒方解石シャーマナイト家を冷遇している)


 曰く、彼の一族は貴石貴族の中で、最も高貴さを欠いてしまっていると。

 中枢から離れ、長きにわたり国境を守り続けた一族に対し、もはやその血は劣ってしまった。

 見るがいい、肉体に表れた混種の印を。


 時に灰色がかった黒色ダークグレーであり、時には茶色がかった黒色ダークブラウン


 シャーマイト家はもともと、貴族位としては十一位の最下位に相当するが、このままでは貴族籍を剥奪することも検討せねばならない。

 かつて、ネグロ・アダマスはシャーマナイト家の当主に、そう宣言したらしい。

 史書にはご丁寧に記録まで残されている。


(それから、幾星霜──)


 レイナート・シャーマナイトは、たしかに黒色よりかは灰色に近い。







 見舞い当日になると、結局、集まったのは俺とフィロメナふたりだけだった。


「スネイカーとディープは?」

「やっぱりやめる、とのことですわ」

「……ハァァ」


 場所は王都、貴族街。

 時刻は午睡の鐘からおおよそ一時間ほど。

 天気は良くもなければ悪くもない灰色の空。

 どちらかと言うと、ひと雨来そう。

 俺たちは水の凍った噴水の広場で、お互いの馬車を降りて顔を突き合わせた。

 時間は偶然にもぴったし。

 フィロメナはスンっとしていて、真意は見通せない。

 だが、この分だと本当にスネイカーたちを誘っていたのか……


(怪しいな)


 今さらながらにその可能性に思い至る。


「……まあいい」


 どちらにせよ、ここまで来てしまったからには時すでに遅し。

 騙られていたのかそうでないのか。

 真相はどうあれ、最後まで付き合おう。

 馬車の御者にも、しばらくは自由にしていいと言ってしまったしな。


「それで? レイナートの屋敷は?」

「少し歩きます。ラズワルド様は、貴族街このあたりはあまり?」

「うん? ああ、そうだな。詳しくはない」

「では、迷子になったら大変ですわね」


 フィロメナは無言で俺の右袖を引っ張った。

 綺麗系の顔で、やることがあざとすぎる。

 差し出された左腕は、明らかにエスコートを要求していた。


「マジか? お嬢様」

「ここは貴族街ですもの。手を握るか腕を組むか、選択肢はふたつにひとつでしてよ」

「……腕で」

「ふふ」


 仕方なしに左腕を差し出すと、フィロメナはスルリと右腕を絡めてきた。

 郷に入りては郷に従え。

 ここではたしかに、こうするのがマナーかもしれない。

 なので、レイナートの屋敷まで、せいぜい十分もかからないことを懸命に祈ろう。

 シャーマナイト領は地理的に遥か彼方。

 〈学院〉に通う貴族のほとんどは、王都の別邸を利用している。

 フィロメナの話によると、レイナートもまた別邸の方で療養しているらしい。

 歩き始めていくと、段々とそれらしい光景が広がった。

 と同時に、にわかに気温の変化を感じる。


「? 何をキョロキョロしているんです?」

「いや、なんか急に、このあたりの空気が暖かくなった気がして。けど、その割に街灯とかは無いよな?」

「街灯……? ええ、たしかに敷設はされていないようですが」

「だからほら、暖気灯を使ってるワケでも無さそうなのに、なんで? って思ったんだよ」


 暖気灯は渾天儀世界において、古代から存在する。

 照明と暖房の機能を併せ持ち、且つ、魔物未満の〝よくないもの〟を寄せ付けない『御守り』の効果も発揮する優れもの。

 北方大陸種族セプテントリオンにとっては何かと馴染みの深い便利道具で、旅人や行商人なんかは、必ずと言っていいほど予備を持ち歩いている。

 だが、その形状は何も携帯可能な小型版ランタンに縛られない。

 発展した都市や荘園であれば、文字通り街灯として敷設することも可能。

 貴族街なら、なおさら金をかけて設置していて然るべきだ。


(でも、無いんだよな)


 俺がそう不思議に思い疑問符を浮かべていると、フィロメナはこの話題に特別な興味を持てなかったのか、「単に人口の密集差ではないでしょうか?」と気のない返事。


「それよりもあちら、見えまして?」

「ん?」

「あそこ、シャーマナイト様のお屋敷が見えてきましたわよ」

「なに?」


 フィロメナの視線を辿る。

 すると、そこにはたしかに黒方解石シャーマナイトの家紋が刻まれた立派な門構え。

 メラネルガリア建築の実に黒々とした邸宅があった。


(思ってたより、ずっと近いんだが)


 しかも、迷子になりそうなほど複雑な道はまったく通っていない。


(フィロメナ・セレンディバイト、つくづく恐ろしい女)


 並の男ならとっくに勘違いしている。

 まあ、それはさておき。


「いよいよシャーマナイト邸か。確認だけど、先方には連絡済みなんだよな?」

「もちろん。わたくしがお手紙で是非お見舞い申し上げたいとお伝えしましたら、シャーマナイト様からそれはそれは佳いお返事をいただきましたので」

「ならいい」


 少々意外ではあるが、レイナートも一応、貴族の嫡男ということだろう。

 美術と芸術、魔術にしか興味の無さそうな男だと思っていたが、さすがにフィロメナほどの令嬢に声をかけられれば、やはり貴族の務めとして応じるしかない。

 レイナートにもそれなりのしがらみが纏わりついている。

 そう考えると、俺は完全に邪魔者だろうが……


(──ま、まずは顔を突き合わせてみないことにはな)


 俺たちはゆっくり門衛の元へと向かった。



















 しかし、俺はこのあと、結局レイナートと会うことはなかった。

 そればかりか、フィロメナとは別室に通され、思ってもいない事態と対面することに。



 殿




────────────

tips:暖気灯


 明るくて暖かい。

 聖具であるため、使用時にはお護りアミュレット程度の小さく薄い〝聖域〟を展開してくれる。

 少なくとも、魔物未満のは近寄ってこない。

 気休め程度かもしれないが、安眠効果もある。

 あとは低体温症や凍死の予防。

 夜の火熾し、眠らずの番だって必要ない。

 灯火印の看板は、人々の営みを助け続け、いまでも真摯に研鑽を続けている。

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