#067「双子姉妹の噂話」



 朝食を食べるためダイニング・ルームに移ると、いつものことながら大変渋い顔をした老執事が、憮然とした溜め息とともに配膳を開始した。

 褐色の肌とシワシワの手。

 オブシディアン家に仕えて長い〝使用人王キングバトラー

 老いた下僕は、今朝もセラスランカらを見て、大いに内心の不満を溜め込んでいる。


「ありがとう、ヘイゼルさん」

「……」

「今朝は白貂鼠カリュオネスの煮込み? あら、駄鳥ドルモアのタマゴサラダもあるの。いいわ、私これ好きよ?」


 返答は無い。

 しかし、こちらから声をかけると、老執事は決まって片眉を跳ね上げて肩を震わす。


(さて、来るかしら)


 セラスランカはニコリと作り笑いを浮かべ、その時を待った。

 すると、


「……ぬぅ。ご主人様はなぜ、このような仕打ちを……」


(来た!)


 老執事は、とても低く唸った。

 セラスランカたちには聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声量でブツブツと文句を言っている。

 コメカミには血管が浮かび、突っつけばすぐにも破裂しそうだ。


(今朝の挑発も成功、っと)


 オブシディアン家の忠僕は、栄光ある黒曜石の輝きに不純物が混ざりこんだコトが、未だに耐えられない。


(あれから六年も経つっていうのに、微塵も嫌悪感を損なわないんだから、逆に尊敬しちゃうわ)


 配膳が終わると、ヘイゼルはうんざりとした様子で控えの小部屋にそそくさと消えていった。


「三秒」

「まぁまぁね」


 妹の計測に軽く相槌。

 寝ぼけ眼からすっかり覚めた様子のティアドロップは、すでに深窓然とした澄まし顔の令嬢そのもので、早速スープを検めている。


「毒は?」

「なし」

「そう。なら、安心していただきましょうか」


 妹のチェックも済んだので、セラスランカは迷いなく食事を開始した。

 オブシディアン家に入って良かったことのひとつは、飢えの心配がないこと。

 貴族というのは、何ともまあ、朝から豪勢なことでありがたい。

 無論、たまに毒物等に注意する必要はあるが、ここでは基本、毎日充分な量の食事を用意してもらえる。


「ふふ。今日のこれ、いい感じにスパイスが効いてる」

「ねえ、セラス? さっきのだけど、あまり彼をイジメてはいけないわ」

「? あら、どうしたのよティア。貴女だって、毎回しっかりと秒数を数えるくらい、楽しんでいるでしょう?」

「でも、いくら他の使用人じゃ相手にならないからって、彼だけに挑発を繰り返すのは、さすがに下品じゃないかしら」

「げ、下品?」

 

 妹の思わぬ指摘に、つい鸚鵡返しで匙を止める。

 そんな姉に、ティアドロップは一瞥を送りながら、嘆息とともにタマゴサラダを啄んだ。


「──あら新鮮」

「で、私のどこが下品なのかしら?」

「あの継母ひとたちが言ってたのよ。セラスは老僕に媚びを売ろうとしてるって」

「はぁぁ? それはまた、凄まじい言いがかりね」


 いったいどこをどう見つめれば、そんな考えが浮かんでくるのか。

 セラスランカが老執事に擦り寄ろうとしたことなど、一度だって無い。


「〝使用人王キングバトラー〟は唯一、この家で使用人よ?」

「一方的に話しかけて、わざと悪態と愚痴に等しい独り言を引き出すコトを、まさかコミュニケーションだと思っているの? だとしたら、我が姉ながら相当な歪み方ね」

「ふん。なによ。ちょっとくらい憂さ晴らしに付き合ってもらったって、別に良いじゃない」


 使用人という立場ゆえに、老執事は主人であるバルザダークの命令には従わざるを得ない。


(というか)


 彼だけでなく、オブシディアン家の使用人は皆んな、バルザダークの命令でセラスランカたち双子姉妹に従う必要がある。

 しかし、老執事以外の使用人は、一度としてセラスランカたちと口を利かなかった。

 スラム生まれの忌み子など、彼らの心情としては本来仕えるべき主人では無いのである。

 ゆえに、声をかけて物を頼めば、使用人たちは憮然としつつも職務として仕事を遂行するが、〝本当の黒曜石〟である継母連中に比べると、その忠誠具合にはまさしく雲泥の差があった。


 老執事ヘイゼルは、そんな中で唯一言葉を使用人である。


 彼は長年オブシディアン家に仕えているため、忠僕としての誇りが高いのか、セラスランカが声をかけわざと愛想良く接してあげると、先ほどのように屈辱感からプルプルと震える。たぶんそのうち、憤死するかもしれない。でなくとも、卒倒くらいはするはずだ。


(なのに、血統の証って残酷よね……)


 セラスランカとティアドロップ。

 ふたりは髪が白いだけで、肌や眼、その他の外見的特徴は完全な〝貴族〟だった。


 翠玉エメラルドの瞳と、黒曜石の肌。


 翻って、使用人たちの多くは蒼然たる褐色、ないし暮れのような赤褐色をしている。

 瞳の色は緑系。

 だがまあ、黒系翠眼長寿種族ダークエルフは何をおいても『黒色』が絶対だ。

 強き者、優れた者、並外れた者は例外なく漆黒を併せ持つとされている。


(……ほーんと、くだらないんだから)


 たしかに、貴族と市井の者とでは、その身体能力に多少の優劣があるかもしれない。

 だが、そんなものは後天的な努力で、いくらでも狭められる。少なくとも、セラスランカはそう信じる。

 たかだか色の差異で最初から優劣を決めつけるなど、メラネルガリアは古臭い価値観に凝り固まり、もはや饐えた油、カビの匂いまで発するグズグズの王国だ。


「だいたい、私が媚びを売ってるとか聞いて、一番怒りそうなのはヘイゼルじゃない? それ」

「あの継母ひとたちには何だっていいのよ。私たちを攻撃できるなら」

「貴い血が呆れるわ。ヘイゼルも可哀想。本当のご主人様たちには、私たちも彼らもほとんど同じってことだもの」

「……そうやって彼を哀れむなら、今後は挑発も差し控えてあげるのね。でないと」


 そのうち、本当に敵になりかねないわ。

 音には出さず唇の動きだけで伝えてきた妹に、セラスランカは「分かったわよ」と肩を竦めた。

 ティアドロップが忠告してきたということは、継母たちの動向がそれなりに活発になっているのだろう。

 しばらくは大人しくしながら、様子を見ておく必要がある。


(あー、やだやだ)


 せっかくの朝食が、すっかり陰鬱な気分で台無しだ。

 気を取り直し、スープを掬って口内に広がった森の香りに意識を集中させる。


(うーむ)


 塩野菜で味付けされたスープはうっすらと黄金色で、見た目的にも美しい。

 一口大に切りそろえられた柔らかい獣肉を頬張り、セラスランカは「ほぅ」とため息を吐いた。

 野菜も美味いが、上等な白貂鼠カリュオネスは都市部ではなかなか出回らない高級品である。


「ところで」

「ん?」


 タマゴサラダを食べ終え、ティアドロップは早々に口元を拭うと、ティーカップへ手を伸ばした。

 生まれついて感覚が過敏なため、妹は味の濃い料理を苦手としている。

 今朝のスープは少しばかり香辛料が強い。

 本当はもう少し食べられるはずだが、きっとしょっぱすぎて、好みではなかったのだろう。

 もしくは、舌が麻痺して、毒の味が分からなくなることを嫌ったのか。

 調薬に実験。諜報に悪巧み。

 ティアドロップ・オブシディアンは、いささか以上に影の道に邁進している。

 お茶で唇を湿らせ、不意に窓を見つめる流し目すら妙に艶めかしい。


に、なにか?」


 問うと、妹はコクリと頷いた。


「これは噂だけど、一月ほど前かしら。国境線が破られたそうよ」

「えっ?」

「侵入者はふたりぐみで、片方は恐らく、私たちと変わらない少年ですって」


 あるいは、小柄な大人。


「もしかしたら、女性かもしれない」

「……大丈夫なの? この国」

「さあ。でも、突破された地区の犬橇部隊に、犠牲者は奇妙にもゼロだったそうよ」

「──まさか。そんなに相手の方がだった?」

「分からないわ。ただ、聞いた話だと全員が全員、妙な幻でも見させられたんじゃないかって話」

「幻?」

「ええ。なんでも事件当時、彼らは皆んな、ひどい恐慌状態で見つかったらしいわ」


 正気を喪失した尋常ならざる動転。


「あいにく、何を見たかまでは詳しく知らないけど」

「いいわ。大方、詳細が伝わる前に処刑されちゃったんでしょ」

「……不憫よね、国境警備隊も。あともう少し時が経っていれば、違った罰もあったかもしれないのに」

「今度のはふたりぐみ、ってのは言い訳にはならなかったんでしょ」

「仕方がないのかしら。ひとりもふたりも、少人数には違いないのだから」


 部隊は連座で罪を問われ、三日以内に処刑が執行された。

 ハウンドに至っては数匹が逃げ出してしまって、今も見つかっていない。

 市民からは獰猛な獣の捕獲を、最優先しろとの声も上がっている。

 侵入者の正体は不明。

 国は総出で行方を捜索しているようだが、オブシディアン領までこのように情報が伝わってしまっているくらいだ。

 芳しい結果は未だに出せていない。


「じきに〈学院〉でしょ? おかげでちょっと、ヘマタイト家なんかはザワザワした雰囲気になってるわ」

「大事な王太子が、よりにもよって公的に外へ出なきゃいけないんですもの。第三妃ヘマタイト家としては、そりゃあ気が気じゃないでしょう」


 ピリピリする理由としては十分妥当である。

 メラネルガリアは男系で、現在アダマス王にはふたりの子どもがいるが、第一子であるテルーズの性別は女性。

 テルーズ・アダマスと云えば、メラネルガリアで一二を争う美姫としてこの上ない名声を誇っているものの、王位継承権は認められていない。

 また、男性であった第二子は不運にも夭逝ようせいしてしまったため、三番目の息子ナハト──すなわち第三妃家こそが次代の支配者と考えられている。


(……老醜のネグロ王は、そろそろ死期が近いらしいし)


 王位継承を巡り、ヘマタイト家としては不要な騒動を、何としてでも除きたいと考えているはずだ。

 〈学院〉は一種の品評会。

 成人たる資格があるか、各家は様々な角度から厳しい目で若者を値踏みしてくる。


(──逆に言えば)


 高い評価を得れば、どの家の子息も相応の対価を期待して、社会に上がることが可能だ。

 少なくとも、侮られることや見下されること、軽んじられることは大いに減らすことができる。


 誰だって自分が、弱者だと舐められたくはない。


 ダークエルフたるもの強くあれ。

 この国では特に、その価値観が根強かった。

 強さこそが、揺るぎのない指標。

 ヘマタイト家としては、今回の〈学院〉で何としてでも、王太子ナハトの実力を内外に推し広めたいと考えているだろう。

 斯く言うセラスランカも、〈学院〉に向けてはしっかりと気合いを入れていた。


「王太子の実力は、さてどの程度かしらね?」

「ちょっと」

「あ、ごめん」


 窘める妹の眼差し。

 いまのはさすがに、他人に聞かれれば不敬罪と騒がれかねない失言だった。

 王家への不遜はバルザダークも許さない。

 下手を打てば一族郎党、容易に獄に繋がれる。

 オブシディアン家の長として、彼が今この場にいたなら、セラスランカには苛烈な罰を言い渡していたかもしれない。

 眉を顰める妹の視線は、批難と同時に姉妹の絆だった。


「まったく。セラスはどうして、こう巨猪ダエオドン的なのかしら」

「ぐぬ」

「闘争心に満ちているのは良いことだけど、あまり血の気が多いと足元をすくわれるわよ」


 大事なのは冷静であること。

 激情に身を任せても良いことなど少ない。

 ただでさえ、貴族の世界は狐狸野干の巣窟なのだ。

 同じダークエルフの失言でも、漆黒の純血児と白髪の異形児では、問われる罪の重さが信じられないほど違う。

 じきに始まる〈学院〉では、どれだけ〝黒づくめ〟の侮蔑と嘲罵に晒されるか。


「危なっかしくて心配よ」


 ティアドロップは懸念も顕にティーカップを傾けた。


「でも、私が主に戦うのは『兵装院』と『魔術院』だし」

「出たわね男勝り。後者はともかく、前者にまで出張るのは、もはや完全に自分から目をつけてくださいと言っているようなものだわ」


 男社会のメラネルガリアでは、腕力に劣る女性が戦士の技量を身につけても、無駄な努力として笑われる。

 ダークエルフは男女間で、とりわけ筋力差が激しいため、女性は戦うなら魔術を学ぶのが主流だ。

 しかし、セラスランカはどちらも使


(男どもの鼻を明かすのが、今から楽しみでたまらないわ)


 フフン、と口角を吊り上げると、ティアドロップは諦めたように首を振った。

 姉の実力は妹が一番よく知っている。

 並外れた闘争心。

 ティアドロップにはそれが、セラスランカの優れた剣才を支える由縁だとハッキリ知られていた。

 とはいえ、


「この野蛮人」

「は? なによ陰険」

「ひどいわ。ひとり寂しく『王碩院』に向かう私を、可哀想だとは思わないの?」

「別に。でも、多少は申し訳なく思っているわ」

「多少、ね?」

「いいじゃない。適材適所ってヤツよ。貴女はそっちが主戦場。私はこっちが主戦場」

「……ふぅ。まったく。いつからこうなってしまったのかしら」


 嘆く妹に片目を瞑り素知らぬ顔。

 一拍の間をおいて、互いにクスリと吹き出し、和やかに微笑み合う。

 セラスランカたちは物心ついたときから、気がつくとこういう間柄だった。

 姉は外敵を直接攻撃し、妹は頭を働かせて外敵を陥れる。

 生きるため。

 勝つため。

 スラムの下層では、自ずとそういう役割分担が生まれていたのだろう。

 どちらにもどちらなりの苦労がある。


「王碩院は、専門的な学問と統治者に必要な政治経済を学ぶ教室」

「兵装院と魔術院は、国の武力に結びつく軍事の訓練場」

「「私には向かない」」


 メラネルガリアの〈学院〉は、新世代の貴族を篩にかける。

 最低限の教養──共通語学や算術などは各々の家で学ばせておき、〈学院〉では国力の底上げとして最後の仕上げが目的だ。

 文官と武官。

 分かりやすく説明すると、この二種を増やそうとしている。

 裏を返すと、〈学院〉における査評で国益に見込みなしと判断されてしまうと、メラネルガリアでは一生涯、日の目を見ることができない。

 永遠に未熟者。

 誇り高さを美徳とするダークエルフとしては、なかなかこれ以上に勝る屈辱は存在しない。


 チャンスは三度、与えられる。


 セラスランカとティアドロップは、もちろん、今回の一回目を最後にするつもりだ。

 苦手分野で戦ったところで良いことは何もない。

 自分が信じる最も強い自分を、最も効果的だと思える手段で実現する。

 首席の座を手にすれば、誰も彼もが黙ってほぞを噛むだろう。


「いつか私の命令で、何千人もの男たちが意のままに動くのよ」

「あら、将軍にでもなるつもり?」

「きっと爽快でしょうね。馬を駆って軍を率いるのは」

「呆れた。とことん勝ち気なんだから」

「そういうティアは?」

「セラスが将軍なんでしょ? なら、私はさしずめ宰相あたりが妥当だわ」

「ちょっと、それどういう意味?」

「猪みたいな姉には、お利口さんの妹が必要ってこと」


 ああ、でも。

 ティアドロップはふと、思いついたように言葉を続けた。


「何も国を動かすっていう点なら、将軍や宰相になるより、よっぽど手っ取り早い方法が今回の〈学院〉にはあるわね」

「え?」

「しかも、この方法は男性にはできなくて、私たち女にしかできないやり方だわ」

「ん? どういうこと?」


 話の筋がよく分からず、セラスランカは首を傾げて妹の顔を見た。


「あら、分からない?」

「もったいつけてないで、さっさと教えなさいよ」

「ちょっと待って」


 ティアドロップは立ち上がると、当惑するセラスランカに耳元まで顔を寄せた。

 どうやら、小声でないと話せない内容らしい。


「それで?」

「王太子の子どもを産めば良いの」

「ブふぉッ!!」


 澄ました顔でとんでもない爆弾発言だった。


(ちょッ! ティア……!?)


 狼狽える姉に、妹は何事もなかったかのようにスススス座席へ戻る。


「ね? これなら、令嬢にしかできないやり方だわ」

「淑女の慎みはどこ行った!」

「スラムの流儀よ」

「アホーッ!」


 ゼェゼェ、息を切らし額を抑える。


「セラスったらそんなに取り乱して……安心して? ただの冗談だから」

「こ、こいつぅ……!」

「だいたい、私たちみたいなのが相手にされるワケないじゃない」

「む」


 そう言われると、たしかにありえないの一言しか出てこない。

 セラスランカは「チッ」と冷静さを取り戻した。


「……なるほどね。それならまあ、に可能な手段ではあるか」

「そういうことよ」


 白髪の双子姉妹は、ダークエルフの美観に合わない。

 醜いやら気持ち悪いやら、心無い暴言は幼い頃から耳慣れている。

 王太子を誘惑するなど、土台無理な話だった。


「一応、私たちも令嬢の端くれとして、王太子の婚約者候補には数えられているけど、所詮は数合わせの引き立て役よね」

「噂だと、黒深艶セレンディバイトの令嬢が一番有力だそうよ」

「ああ、あの美髪で有名な?」

「ねえ。彼女をめぐって、いったいどれだけの男が決闘騒ぎを起こすと思う?」

「どうでもいいわよ。私に突っかかって来ないなら」

「即答。さすがね、ちょっと戦慄したわ」


 我が姉ながら、なんてドライな生き物なの。

 本当に乙女?


「もしかして、血を浴びて喉を潤さないと、生を実感できない怪物だったりする?」

「私は吸血鬼か」

「あるいはバーバリアンなのね、きっと」

「脛を蹴るわ」

「やめて」


 テーブル下、しばし姉妹で足を動かし戯れ合った。


「うっうんっ──とはいえ、私たちも〈学院〉を越えれば、いずれは結婚することになるでしょうね」

「ちょっと? まだ冗談を続ける気?」

「いいえ? 真剣な話よ。セラスも少しは、考えておいた方がいいわ。お父様はどうして、私たちを拾ったのかしら」


 無論、それは黒曜石の血筋を絶やさないため。

 長寿種族は歳を経るごとに〝個〟の存続性が高まる。

 そうなると生物としての仕組みで、子孫を残す必要性が自ずと削がれていくのだ。

 若い世代、それも同世代間でないと、妊娠・出産の可能性は極めて減少する。

 まして、一度でも子を生した経験があれば、その先は言うまでもない。


「お父様はまだ605歳と比較的お若いけれど、私たち含めて五人もの子どもを作られているから」


 家督を巡る争いで死んだ三人の純血児。

 継母たちが憎しみを込めて双子を罵るのも、自分たちではもう絶望的だと薄々分かっているためだろう。

 愚かな足の引っ張り合い。

 なのに、どうして最後まで引き際を見誤ったのか。


「……理屈は理解できる。でも、だとしても、私たちを相手にする殿なんてこの国にいる?」

「まさに、そこが問題ね」


 姉妹は顔を見合わせ、乾いた笑みで肩をすくめた。

 現実的な方法としては、やはり政略結婚。

 だが、よほどの弱みでも握らない限り、セラスランカもティアドロップも到底結婚までは漕ぎ着けない。

 バルザダークとの契約で、ふたりはオブシディアン家に入った時から貴族の義務を負っている。

 すなわち、血の存続は果たすべき条項だ。

 結婚相手の選別。

 否、まずは婚約者の獲得には、密偵を放つしかない。


「……ちなみに、いい男はいるの?」

「さあ、どうかしら。いずれにしても、今回の〈学院〉に殿方は四人……いえ、五人しかいない」

「ひとりは王太子よね。そうなると、選択肢は四つ?」

「ただ、そのうちの半分はクズよ」


 黒翡翠ブラックジェイダイト黒蝶真珠ブラックパピリオ

 ブラックの名がつく家は典型的な差別主義者で有名だ。

 スラムの孤児みなしごや他種族の奴隷を、犬の餌にしたこともあるらしい。


「最悪」

「残る二人は、辺境の黒方解石シャーマナイトと、第二妃の黒尖晶スピネル


 ティアドロップはトン、トン、と指でテーブルを叩く。

 これは、妹の中で何か曖昧な事実がある時の不機嫌を表す印だ。


(……そういえば、さっき珍しく情報を途中で訂正したわね)


 四人から五人。

 〈学院〉に参加する貴族子息を、ひとりプラスした。


「飛び入りの参加表明はどっち?」

「スピネル」


 察して訊くと、案の定するりと答えが返る。


「噂だと、は長いあいだ病気で、最近になってやっと回復したらしいの」

「ふーん?」

「これまで表舞台に名前を出してこなかったのは、病状が重すぎて、死ぬまで床に臥せり続けると思われていたから、家の意向で存在を隠されていたって話」

「なるほど? ありえなくはないわね」


 スピネルの家格は第三位。

 王家との繋がりも深い第二妃を輩出した家。

 弱点になりかねない身内の存在は、極力隠そうとしても、特段不思議がる点はない。

 病気が治ったのなら、それはいいことだわ。

 セラスランカは頷いた。


「で? ティアは何が気になっているの?」

「なんというか、あまりにも怪しくないかしら」


 陰謀の香りがする。

 夭逝した第一王子の母方の家で、突如として同世代の貴族子息が姿を現す。


「疑う私は、ちょっとビョウキ?」

「かもしれないわね」


 だが、妹の直観は侮れない。

 ティアドロップが疑念に思ったのなら、今頃は少なくない貴族が同じように疑念を掻き抱いている。

 真偽は〈学院〉でのみ、たしかめられるだろう。


「名前はなんて云うの? そいつ」

「──ラズワルド・スピネル」


 群青の黒尖晶?

 ますます以って、怪しいわね。




────────────

tips:〈学院〉


 ダークエルフの王国メラネルガリアで、貴族の子どもが一定数に到達すると、公的に開催される成人の儀。

 ある時から学び舎の様相を得て、子息子女は武官、文官としての能力に最終的な磨きをかける。

 それぞれの院で理想とされる修得能力・実績は以下の通り。


 兵装院:伝統的な王朝剣術、軍人に必須なレンジャー技術。

 魔術院:各々の家に伝わる貴石魔術の研磨、より洗練され強力無比な術式の発見と構築。

 王碩院:専門的な学問探究、統治者に必要な政経にまつわる手腕。


 首席の座は計三つ。

 総首席の座は一つ。

 なお、総首席は王族専用の名誉勲章のようなもので、実質的な頂点評価は各院の首席までと考えて問題ない。

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