帰郷編

#066「メラネルガリア」



 〝──かつて、北方大陸には偉大な王国があった〟


 渾天儀暦6017年。

 現代に存命する著名な歴史家たちは、口を揃えてこう語る。

 古代四大が一、セプテントリア。

 壊れた星の紀以降、最もはじめに超大陸を統一した偉大な王国。

 その名は当時、海をも越えて轟き渡る『栄光の象徴』だった。


 厳しい自然と痩せた大地。

 およそ文明を築き上げるには、あまりに過酷な常冬の荒野で、彼らはだからこそ、〈渾天儀世界〉初となる多種族国家を成立させた。


 〝──たとえ姿かたちが異なれども、我らは結束すれば、必ず理想郷に辿り着く〟


 救世を謳う予言。

 ダークエルフの王は次々に仲間を増やし、ついには北方大陸グランシャリオの人界、全土を統一する偉業を果たした。

 巨人やエルフなどの人間道はもちろん、雪兎スノウレプスなどの亜人道、奇怪なるグリム人や、トロールなどの怪人道までが等しく王国の民。

 セプテントリア文明、セプテントリア文化。

 誰も彼もが手を取り合い、同じ問題を協力し合って解決する。

 そうして生まれたるは、まさに花開く繁栄の黄金時代。

 吟遊詩人の多くは、夢のような治世であったと、各地で唄を歌い回った。

 しかし、


 〝──夢は所詮、夢なれば。いずれ泡沫のように醒めるが定め。

 今日こんにちにおいて、大セプテントリアは存在しない〟


 現代に伝わる歴史書のすべてにおいて、著者たちはこれもまた、同様に口を揃えて語っている。

 偉大なるセプテントリアは滅亡した。

 多種族共存、理想郷の構築などは所詮夢物語に過ぎなかった。

 あの大戦を切っ掛けに、他の超大陸国もふくめて、世界は不協和音に満ち満ち、各種族は結局、各々を一番に考え袂を分かった。


 だが、落胆することはない。


 世界は元より、初めからこのような形をしていたのだ。

 古代においてはそれを、誰もが忘れてしまい、一時の熱病に浮かされていた。

 四千年近い泡沫。

 長きに亘って夢見たそれは幻。


 ──そして。


 氷雪の彼方、我らが故郷、瀟洒なる黒の王国メラネルガリア。

 北方大陸の中心に腰を据え、セプテントリア語族で最も広範な国土を誇りながら、堅苦しく狭苦しい身分社会。

 時代錯誤な男尊女卑と、旧態依然とした黴臭い価値観を引きずる古代王朝の残した影。

 そこに棲まう、美しくも恐るべき種族こそ、他ならぬ現代のダークエルフ。

 同じ〈第五円環帯ティタテスカ〉系種族である巨人たちが、文化として〝荘厳〟を尊び、銀嶺に移り住んだなら。

 彼らは身の回りのものすべてに、〝瀟洒〟であることを望んで、セプテントリア王国の正当後継者であることを謳い上げた。


 メラネルガリア。


 その街並みは重く、時に威圧感をも与えかねない貴族権威の反映。

 建物の色は黒、衣服の色も黒、食器や調度品、普段使いの日用品類まですべてが黒色。

 ダークエルフは古来より、何物にも染まらない高貴なる漆黒を敬愛した。


 それは、自分たちの肌や髪色──端的に言い換えれば種族愛とも表現できた。


 黒は混じり気のない純粋な色。

 ゆえに最も美しいとして、ダークエルフは周囲を黒で飾った。

 無論、差し色として金や緑などの別色もまったく無かったワケではないが、全体的にはやはり、黒一色で統一されている。

 それ以外の色が基調に選ばれることは無く、例外は断じて認められない。

 彼らの種族愛は、その誇り高さを象徴するように貴族の家名にも表れるほどだ。

 十一の名家、貴石の名を冠するもの。


 第一位:黒金剛石アダマス

 第二位:黒縞瑪瑙オニキス

 第三位:黒尖晶スピネル

 第四位:黒深艶セレンディバイト

 第五位:黒血鉄鉱ヘマタイト

 第六位:黒翡翠ブラックジェイダイト

 第七位:黒玉ジェット

 第八位:黒蝶真珠ブラックパピリオ

 第九位:黒曜石オブシディアン

 第十位:黒蛋白石ブラックオパール

 第十一位:黒方解石シャーマナイト


 皆すべて、黒い貴石にちなんだ家名。

 ダークエルフというのは、それほどまでに大昔から黒色を特別視してきた。

 自分たちの肌や髪。

 自分たちの洗練された文化。

 誇り高い夜の風。

 古代セプテントリアは誰が統一したか。

 偉大なる王の係累として、ダークエルフたちは種族の誇りを大事に尊ぶ。

 翻って、それは行き過ぎた『黒色信仰』を生んだと言えるかもしれない。


 ──


 現代のメラネルガリア。

 ダークエルフの世界において。

 、どのような境遇に置かれるのか?







「穢らわしい白髪鬼……よくも我が物顔で」

「妹ともども、いつか絶対に殺してやる……」


(……フン。相変わらず、罵倒のボキャブラリーが貧困なんだから)


 あいにくと、こちとら物心ついた時からその手の脅しは慣れっこだっつーの。


(いちいち気にして、ビビったフリなんかしてられないわよ)


 「ハァ」と嘆息することもなく。

 セラスランカ・オブシディアンは、やれやれと飽き飽きした顔で廊下を進んでいく。

 継母ままははたちの恨み言は、今日も今日とて他愛がない。

 メラネルガリア第九位貴族オブシディアン。

 罵倒のキレがあの程度じゃ、黒曜石の名も形無しよね、と少女は内心で大きく鼻を鳴らした。


(あ、でも、白髪鬼はセンスあるかも?)


 見ての通り、単なる身体的特徴をあげつらっているだけだが、鬼の一字は悪くない。

 せいぜい私を恐れろ、と白い髪を風に梳かさせる。


 ──セラスランカ・オブシディアン。


 人呼んで、異形のダークエルフ。

 白髪の双子姉妹(姉)。

 メラネルガリアでは、生まれついての忌み子と知られている。

 ただ、現在は自己紹介をする場合、もう少しだけ補足が必要だろう。

 オブシディアン家の次期当主候補。

 あるいは、次代の王陛下であるナハト・アダマスの婚約者候補。


(──どっちにしても、天地がひっくり返るほど、愉快な肩書きだわ)


 何もかもぶっ壊れればいいのよ。

 少女は割と、本気でそう考えていた。






 ────────────

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 ────

 ──






 何が問題なのかというと、差別が問題なのだ。

 自分の中の最も古い記憶を探すとき、セラスランカはいつも薄汚い路地裏を思い出す。


 貧民街、スラム、浮浪児の溜まり場。


 メラネルガリアは表向き、瀟洒絢爛な美しい王国をどこよりも気取っているが、国の隅々まで豊かなはずはない。

 見渡す限りどこもかしこも黒づくめの王国で、こんな言い回しは変に感じるかもしれないが、光差すところには影があり、影あるからこそ光は際立つ。

 徹底した身分社会。

 高貴な血筋と低俗な血筋。

 能力の優劣は不幸にも色の濃淡として外見に顕れ、漆黒から遠ざかれば遠ざかるだけ〝卑賤の生まれ〟として烙印を押される。


 


 ……植物界の浸蝕道。

 この世界には突然変異を起こして、埒外の生態を獲得する植物がいる。

 自然界の反撃。

 荒れた土地を急速に回復させるためか、はたまたまったく異なる原因か。

 とにもかくにも、尋常の理を脱し常識外の変異を辿ることで、それまで無かった奇想天外な新種へ変生する奇怪な植物。

 たとえば、それは水銀にも似た食中植物の液体樹林。

 土壌をまるまる開墾不可能に変えてしまう鋼鉄の苔筵。

 外見上は普通でも、皮を裂いたら途端に溶岩が溢れ出てくる灼熱蔓など。

 浸蝕道の植物は獰猛な繁殖力で、〝世界〟を浸蝕する。

 ──そのひとつに。


 『白磁霧の叢蘭』


 霧と化して群生する、伝染病のような蘭の花があった。

 普段は霧状で、実体を持たない。

 人里に下りなければ、ただ不気味な気象現象──不自然な濃霧として片付けられたかもしれない。

 しかし、この植物は空中を移動し、ひとたび根を下ろすに足る水分を見つければ、病気のように猛威を振るった。


 吸い込めば、生物は肉体を滑らかな白磁に変えられていく。


 治療法は存在しない。

 浸蝕道の植物はあまりにも成長速度が速い。

 苗床になった宿主は、自身のカラダが、まるで蘭の花のような斑痕とともに白磁化していくのを、死の間際までじっと見つめる。


 セラスランカの母は、ダークエルフであるにもかかわらず全身が白色だった。


 白磁霧の叢蘭におかされた彼女は、感染を恐れた親類縁者や、見ず知らずの周囲から大きな迫害を受け、最終的にはスラムのドン詰まりまで追いやられたらしい。

 ゴミ溜めの廃棄場。

 悪臭と汚物の路地裏。

 双子の姉妹は、そこで生まれた。

 白磁の人形は妊娠していたためだ。

 完全な白磁像になる前、彼女は通りすがりの浮浪者に子どもたちを託すと、自身の骸をどんな風に売り捌いてでも構わないから、子どもたちだけは安全に育てさせることを誓わせたと云う。


 ──十歳。


 死骨弔花セラスランカ涙滴鈴花ティアドロップ

 共に不吉な白花の名前を贈られて、双子姉妹は斯くして命を拾った。

 迫害と差別。

 おぞましき白髪の異形。

 心無い侮蔑と、過酷な悪意に晒されながらも、名付け親である浮浪者の教えに従って、闘志とともに世界を睨みつける。


 運命の車輪が思わぬ方向に回ったのは、それから一年ほど経った後。


「私の名はバルザダーク。バルザダーク・オブシディアン。悪いが君たちの父親だ。一晩時間をやる。このままスラムの最下層で一生を送るか、我が黒曜石の家紋の加護を受けるか。選べ」


 傲慢な口調だった。

 唐突な申し出だった。

 スラムの掃き溜めに突如として漆黒の王が舞い降り、セラスランカたちは娘として迎え上げられると言われた。

 名付け親は当然、激昂した。

 これまで手塩にかけて、姉妹を育ててきたのは自分である。

 それを横から奪い取ろうなど、盗人も猛々しい。

 漆黒の王は相手にしなかった。


「私の用件は伝えた。決めるのはあくまで、君たちふたりだ」


 それから、これまでの人生で最も長く感じた夜が過ぎて。

 名付け親は怒ったまま姿を消した。


「恩知らずのクソガキども。二度とそのツラ見せるな。オマエたちなど拾ってやらなければ良かった。とんだ骨折り損だ。二度と戻ってくるなよ」


 彼を傷つけた事実に、セラスランカたちも胸は痛む。

 けれど、セラスランカもティアドロップも、他ならぬ彼に教えられてスラムの流儀を実行した。

 掴めるチャンスは必ず掴め。

 不当な理不尽に負けたくないなら、勝つための努力をしろ。

 ふたりで話し合い、そして、


(私たちは黒曜石オブシディアンになった)


 スラムの浮浪児が、メラネルガリアを統治する十一貴族の一員に激変。

 また、これは後々から知ったが、オブシディアン家はどうやら数年ほど前に凄惨な家督争いがあったらしく、後継者となる候補者を軒並み失っていたらしい。

 現当主であるバルザダークは、だからセラスランカとティアドロップを迎えに来た。


 クローディア・オブシディアン。


 双子姉妹の母親はかつての妾。

 たとえ白髪でも、自身の血を引く直系であるならば、黒曜石の後継者として取り立てないワケにはいかぬと。

 なにしろ、ダークエルフは子が生まれにくい。

 仮に後継者不在のまま、バルザダークに万一のことがあれば、オブシディアン家の血筋はそこで断絶してしまう。

 ゆえに、姉妹が見出された。

 簡単に言うと、そういう背景になるそうだ。


(……いろいろと言ってやりたいコトだらけだけど、ま、今はどうでもいいわ)


 大事なのは、いかにセラスランカたちがこの世界に負けないでいられるか。

 抑圧も偏見も不条理も迫害も。

 すべてを捩じ伏せ勝利してやる。

 双子姉妹の目的は、幼い時より何も変わらない。


「…………」


 カツ、カツ、カツ。

 屋敷の廊下は長い。


(ティアは起きてるかしら?)


 じきに〈学院〉が始まる。

 メラネルガリアでは実に三十年ぶりの催し。

 王族もふくめた一定数の若者を集め、この国では成人かどうかを判じる通過儀礼イニシエーションを行う。

 ダークエルフは年齢に重きを置かない。

 時が経てば自然と手にするものに、価値は見出せないからだ。

 成人として認められるのは、〈学院〉での査評をクリアし、


「──認めさせてやる」


 セラスランカは知らず滾る闘志を口にした。


(っと)


 妹の部屋の前。

 ノックをし、心を落ち着ける。


「ティア? まだ寝てるの? 入るわよ? ……まったく、この子ったら」


 くぅくぅと微かな寝息。

 大方、いつものように夜を徹して、調薬の研究でもしていたのだろう。

 オブシディアン家の令嬢として、睡眠不足は美貌を損なうからやめろと言っているのに。


「さあ、起きなさい? ティアドロップ。目を覚ますのが億劫なのは分かるけれど、世界は今日もきちんと冷酷よ。貴女の朝食、また抜きにされちゃうかも」

「うぅぅん。それはいやぁ」

「だったら、早く身支度を整えて。どうせメイドも、私たちのためには手を貸さないんだから」


 強くなければ、この世界では生きていけない。






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tips:植物界・浸蝕道


 奇想天外な植物種の分類。

 既存の自然界には当てはまらない新種の草花。

 独自の生態によって不可思議な景観を生む。

 成長速度と繁殖力が著しく高い。

 例)白磁霧の叢蘭、蟲食みの水銀樹、鉄茨苔の平原、灼熱蔓密林。

 突然変異のため絶対数はそこまででもないが、こういった植物の生み出す環境下では、森羅道の獣も埒外のカタチで誕生し得るため、数々の学者が頭を抱えている。

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