#065「幕間2 移動遊民、雪兎」
大雪原を渡る頃になると、セドリックとの関係にもだいぶ変化が生じてきた。
──早朝、薄明。
天気は平均的な曇り。
足元の雪は、しっかり凍っている。
夜間、異様なほど成長した霜柱(相変わらず、もはや氷筍の域)が、にょきにょき行く手を塞ぎ、真っ直ぐには進めない。
合間を縫うよう、うねうねとゆっくり歩きながら、滑りやすいので摺り足も心がける。
セドリックと共に旅を始めてから、俺はこの男を通じて、改めて〝北方の歩き方〟というものを学んでいた。
「今朝はだいぶ硬いっすね」
「ええ。やはり昨夜は、かなり吹雪きましたからな」
「これなら、今日は昼過ぎまで歩けそうじゃないですか?」
「……うーむ。太陽めが雲間を貫かなければ、というところでしょうか。やや風が強いので、思いのほか雲どもが流れていきそうな感じがいたします」
セドリックは空を見上げると、疑わしげに首を捻った。
太陽が顔を出せば、地表の雪は当然だが溶ける。
溶けた雪は、体積を減らして、柔らかくて重たい天然の足枷に変わる
下手をすれば、股下まで身体が沈んでしまうコトも。
そうなれば抜け出すのには疲労も溜まり、通常の徒歩行程に比べると、たったの二〜三歩が信じられない重労働に様変わりだ。
そのため、セドリックは大雪原に入ってから、できる限り早朝の、早い時間を移動に当てたがった。
(理由はご覧の通り、歩きやすさが多少はマシになるから……)
無闇矢鱈に、一日フルで歩き続けようなどとはしない。
午前中は天気が良ければ移動。
悪くなれば雪洞を掘って待機。
昼に差し掛かるくらいには足を止め、体力のあり余ってる内にその日の晩の寝床の準備。
寝床が完成したら、背嚢にストックしてあるデドン川の恵をチビチビとやって、一日を越える。
──そう。およそ無駄ってものが存在しない。
不要なことを何一つせず、貴重なエネルギーを極力温存するように専心している。
(まったく……ヴォレアスまで単身でやって来れた理由が、分かったような気がするよ)
生きるために必要な最低限の営みを、本当に最低限のラインで実施し乗り切る。
しかも、そのすべてが最適解。
状況の変化に合わせて、臨機応変に「これならばこう」と対応していく。
御歳千五百歳──セドリック・アルジャーノンは、さすがに年季が違った。
一緒に旅をしていると、否が応でも学ぶところの多さを見つけてしまう。
アレクサンドロとはまた、違った方向性の教師だ。
(雪洞の作り方も、俺なんかよりよっぽど上手いし……)
ドーム状のカマクラから、壁に穴を掘って作成する棺桶型まで。
環境に合わせた最短の雪洞作りと、いかに保温性を高めるかという工夫。
たとえば、雪洞の中に敢えて二つの階層を作り、冷たい空気を下へ落としていく設計などは、言われてみれば「たしかにその手があったか」と悔しく感じた。
冷たい空気が下に流れるなど、小学生でも知っている理科知識である。
(雪洞って言ったらこれカマクラスタイル、って思い込みがあったからな……)
人間ってのは一度成功したやり方に、無意識でも固執してしまうようだ。
セドリックのおかげで、俺は新たな知見を開拓している。
千五百年の集積は、まさしく侮りがたし。
(
ルーン文字とジャワ文字の中間。
書き順も、だいたいは把握した。
あとは単語による幾つかの音変化と、文法の使い分けなんかに気をつける必要があるだろうが、そんなもんはどの言語も同じである。
セプテントリア語を習得しているおかげで、メラネルガリア語に関しては、そこまで難しいとも感じていない。
日常的な会話も、この頃はメラネルガリア語を使うよう意識していた。
セドリック曰く、いまの俺はちょうど意思疎通に問題ない他種族くらいのイメージだそうだ。
きっと、カタコト外国人的な感じなんだろう。
メラネルガリアに到着する頃には、ちょい訛りのキツい田舎者程度には成長してみせるぜ。
(種族母語を満足に話せないってのも、〈渾天儀世界〉じゃかなり怪しまれるもんな)
下手をしたら、素性を欺いていると疑われかねない。
魔物の中には人狼と云って、殺した人間の生皮を被ることで、その人間に化けるタイプの怪物もいるそうだ。
他にも、魔法やら魔術やら、手段はいくらでも考えられる。
言葉の習得は、そういう意味でもかなり重要だった。
セドリックはハンドサインなんかも、有効だと教えてくれる。
(たしか、友好の礼証は両手を、三国志みたく胸の前で握り合うんだっけ)
仕草としては、中国の抱拳礼に似ている。
違うのは手の重ね方で、ダークエルフは左の甲を相手に見せ、右の甲を自分に見せるように拳を握る点だ。
イメージ的には、子どものころやった手遊び歌の『シーシーレモン』に近い。
(あれの攻撃を溜めるやつ)
ダークエルフはその仕草をすることで、相手への敬意や友好具合を示すらしい。
お堅い儀礼の場では、さらに膝をついて頭を下げたり、時には地面に仰向けに倒れることで尊敬の度合いを高めるんだとか。
(仰向けはちょっと、滑稽じゃないかと思うんだが……)
でもまあ、日本にも土下寝という文化があったし、やはりそういう独自文化ってのはどこに行っても存在するのだろう。
常識というか習俗というか、集団で暮らしていれば自ずと身につけられる暗黙の認識。
仲間内か余所者か。
境界線はハッキリしていて、俺はまだまだ完全に後者。
何なら、世界規模で余所者とも言える。
一歩進むごとに感じる雪の硬さは、まるでこれからの、不穏な行く末を暗示しているようにも感じられた。
「なあ、セドリックさん」
「ハ。何でしょう」
「メラネルガリアって、あとどのくらいになります?」
「この大雪原を越えれば、じきに。今度はドラゴンなどに襲われないことを祈りましょう」
「うん。それはもちろん」
ドラゴンに限らず、他のどんな猛獣だって出来るコトなら遭いたくはない。
しかし、
「
セドリックの話では、雪兎と呼ばれる亜人種族。
俗に獣人などとも分類されるケモっ娘たちに手を借りることで、この大雪原を大幅にショートカットできるという話だった。
ケモっ娘たちは生来の種族身体能力で、どんな雪上でもスムーズに移動できる。
彼女たちの脚と雪車があれば、恐るべき大雪原も立派な『道』だとセドリックは語った。
……逆に言えば、俺たちはいま、ある種の賭けに出ている。
──安全な経路を選択すれば、恐らくどこかのタイミングで、若様の生存が本国に伝わるでしょう。
──? メラネルガリアは鎖国中なんですよね? なのに、情報が伝わってしまうんですか?
──国を鎖していることと、外敵への備えが無いことは違います。辺境はとりわけ、シャーマナイト家の目がそこら中に潜んでいると考えた方がいい。
──ふぅん……じゃあ、そのシャーマナイトって家のひとと話をつけてみる、っていうのはダメなんです?
──うぅむ。残念ながら、おすすめはできません。
──なぜ?
──裏切られたときのリスクが、大きすぎるからです。
忘れてはいけない。
メランズール・アダマスの命は、幼いときから狙われている。
表向きは死んだことになっているが、生存が露見すれば、再びその命を奪おうと画策されるだろう。
──ヘマタイト家の連中は狡猾で、常に他家の動向を探っています。そして、王位のためなら平気で幼子も殺す野蛮な一族です。
──なるほど……となると、最悪の場合、刺客とかが送り込まれる可能性も?
──はい。ですので、ここは余人の目を避け、思い切って大雪原を突っ切って行きましょう。
──死にたくないなぁ。
──……憎むべきはヘマタイト家。若様には申し訳ありませぬが、何卒ご寛恕のほどを……
──ああ、頭を下げないで。分かりました。大雪原のルートでいいです。けど、食糧が保ちますかね?
──ギリギリまで切り詰め、半ばまでは何とか。
──後半は? 飢え死にはイヤですよ。
──ご安心を。このセドリック、ひとつ考えがあります。
「……んで、大雪原もそろそろ半ばだと思うんですが、雪兎の移動遊民は本当にこのあたりに?」
「そのはずです。彼女たちとは、以前もこのあたりで共に冬越えをさせてもらいました」
記憶が正しければ、そう遠くないところで天幕を張っているでしょう。
セドリックは「もうしばらくの辛抱です」と努めて明るい口調で言った。
……まあ、俺としては従うしか他にない。
セドリックへの信頼は、ここまでの道中でたしかなものへ変わった。
この男がやれると思って選択した方針なら、たぶんだが高確率で上首尾に終わるはずだ。
残念ながら、メラネルガリアに関する話は、聞けば聞くだけやはり嫌な予感を膨らませているが、今さら「やっぱやーめた」はあまりに徒労すぎる。
刺青の由縁も詳しく知りたいし、まさに〝もうしばらくの辛抱〟だぜ。
「それにしても、亜人かぁ。俺、亜人種族とは初めて会うんで、ちょっと緊張します」
「ご安心を。とても友好的な種族です。少しだけ、困ったところもありますが……」
「困ったところ?」
「はい。なんというか、彼女たちはやや……友好的すぎるきらいがありまして……」
セドリックはそこで、珍しく言い淀んだ。
頬をポリポリと掻き、視線を気まずげに横に逸らす。
……はて、何だろうこの反応は。
黒い肌ゆえに分かりにくいが、じゃっかん頬も赤くなっていないか?
「なんだか……怪しいっすね」
「うっ。ま、まあ……若様も彼女たちに会えば、分かりますよ」
「なにが?」
「……種族が異なれば、親愛を示すカタチも、その、様々だということです」
「! もしかして、エロい話してます?」
「ブブッ!」
セドリックが大きく
「い、いけません若様。王族がそのような下賎な言葉を使われては……」
「は? 先に匂わせてきたの、そっちじゃないですか?」
否定もしねぇし、このイケオジ。
「ち、違いますぞ? 私はべつに、疚しいところがあるワケでは……」
「別にいいですよ。命の恩人で、且つ看病とかもしてもらってたんでしょう? 聞いた感じ、女系の種族っぽいし」
イケオジほどの男なら、そういう展開も往々にしてあるんだろう。
異世界の恋愛観に詳しくはないが、俺は別に責めているワケじゃない。
同意さえあるなら、その辺は個人の自由だと考える。
「とはいえ、そうなってくると、大雪原を選んだ理由も、ある程度私心が混じっていたと穿ちたくなるな……」
「若様!? ち、違います、本当に違いますので!」
「楽しみだなぁ。どんなヒトたちなんだろう?」
エフエフのヴィエ〇か、ワンピースのキャ〇ットか。
俺はなんとなく、後者をイメージしてセドリックをからかった。
──なお。
その後、実際に目の当たりにした
「ピー〇ーラビット……」
「?」
可愛らしく首を傾げる、服を着た二足歩行のホッキョクウサギ。
手足はスラリとしていて美しい。
俺は失礼だが、ガッカリしてチベットスナギツネみたいになった。
肩に乗られて一斉に頬ずりされれば、たぶん誰でもそうなる。
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tips:スノウレプス
人界・亜人道に分類される獣人。
北方大陸の大雪原を主な生息地とする。
女系種族で他種族の雄と交わることで子孫を残す。
子どもは必ず女性になり、成長すればスラリとした手足と柔らかな毛並みが大変な魅力を持つ。
一説には、大雪原にのみ存在する大変に珍しい植物を食べて生活しているらしい。
森羅道の雪兎と姿が似ているため、ハンターにはたまに混同される。
脚力と聴覚がずば抜けている。
この種族の戦士で羚羊流を使うものには、厳重な注意が必要。
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