幕間

#064「幕間1 その男が言うことには」



「密入国をする必要があります」


 夜の静寂しじまに、降り積もる雪のような声だった。

 風の吹かない穏やかな日。

 空を見上げると、珍しく雲はなく、少しだけ遠くなった星明かりが、透き通るように夜気を貫く。

 銀色の月光、薄っすらと森を照らし。

 木々の枝葉を縫って、足元に散らばる北の天蓋。

 セドリック・アルジャーノンは暖気灯を点すと、背嚢はいのうから丁寧にブランケットを取り出した。


「どうぞ」

「ん。ありがとう」


 手渡されたそれを受け取り、ありがたく全身にくるまる。

 夏とはいえ、北方大陸グランシャリオは基本的にどこにいようと寒い。

 ましてや、未だ最北の永久凍土地帯より、然程の距離も遠のいていないとなれば、寒冷地に強いダークエルフといえども、ある程度の防寒対策は必須だった。


 畜犛牛オーノック毛皮外套ファーコート、それと毛布。


 暖気灯もあるため、こうやって厚着をすれば、凍傷の心配もない。

 上等な衣服があるだけ、今晩の野営は快適とすら言えた。

 気候にも恵まれている。

 幸先はいい。

 気のせいに過ぎないだろうが、まるでふたりに背中を押されながら見送らているようだ。

 だが、


「申し訳ありません若様。このような場所で、私は満足に天幕も用意できず……」

「……あー、何度も言ってますけど、別に気にしてないですよ?」

「ですが、やはりお辛くはあるでしょう」

「いやまあ、そりゃ本音を言えばそうですけど。セドリックさんも、まさかベッドなんて持ち歩けないでしょう?」

「……申し訳ありません。私が下僕として不甲斐ないばかりに……」

「あ、いや、そういう意味じゃなくて……とにかく、セドリックさんのせいじゃないです。野営ってのは、どうしたってこんなもんになるんですから」

「──ハ。ご厚情、有り難く……」


 重々しく頭を下げるイケオジ。

 俺はそれを見て、半ば溜め息を吐きたくなるのをグッと堪えた。

 ヴォレアスを出立し、共に旅を始めてからすでに数日。

 セドリック・アルジャーノンという男は、折を見てはこういった態度を繰り返す。


(忠義者というか、クソ真面目というか……)


 何やらよほど、俺に対して申し訳ないという気持ちが大きいらしい。

 ちょっとした間や、会話の折を見ては、事あるごとに謝罪の言葉を挟んでくる。

 最初は気にしてなかったが、だんだんとげんなりしてきた。


(……ま、仕方がないんだろうけどな)


 セドリック・アルジャーノンという男は、少し交流を重ねただけですぐに生真面目な優等生タイプだと分かった。

 加えて、本人から聞かされた話によると、俺とこのひとは『主従』の間柄になるらしい。

 しかも、驚いたことに俺が『主』でセドリックが『従』


(たしか、スピネルって家に仕えてる、執事って言ってたっけ?)


 いわゆる、爺や的なポジション。

 目の前のセドリックにしてみれば、俺は主君から預かった大事な跡継ぎみたいなもので、そんな俺をおよそ五年近くも生死不明、かつ行方不明にしてしまった罪は、当然のごとくデカい。

 ヴォレアスに辿り着いて、ようやく見つけ出すことができたはいいものの、生来の善的道義心からか、かなりの罪悪感で雰囲気を重たくしている。

 俺的には、「別にそんなん気にしなくてもよくね? 仕方がないよ。だってドラゴンだもん」という感じなのだが。


(というか)


 むしろ、あそこからよく生き延びて、よくひとりっきりでヴォレアスまでやって来れた。信じられない。本当に同じ人間か?


 って、驚きと称賛の気持ちの方が大きい。

 当人であるセドリックには、あまり正しく伝わっていないが、俺は本気で大したものだと感動している。

 それなのに、セドリックは頑として自身を責め続けていた。


 ……真面目である。ものすごく、真面目……


(……まぁ、こういうのは本人の考え方や、心持ち次第なところもあるからな)


 そのうち、どうにかなることを期待しよう。

 俺はフゥと息を吐いた。

 すると、セドリックはそんな俺をチラリとうかがう。

 慣れない視線だ。

 常に気を配られている。

 なんとも居心地が悪い。


(……はぁ。それに王位継承権、か)


 メランズール・アダマス、ダークエルフの第一王子。

 貴族どころかまさかの王族。

 斧振って薪割って、獣掻っ捌いて肉齧り焚き火焚く。

 そんな俺が、実は〝高貴な血筋ブルーブラッド〟と来たもんだ。

 実感湧かなすぎて、未だに詐欺なんじゃないかと疑惑が捨てきれない。

 けれど、イケオジことセドリックは、大真面目に詳細を説明してくれた。


 曰く──陰謀の夜。

 曰く──邪悪な研究。

 曰く──死界の王の加護。


 どうやら俺は、めちゃくちゃ数奇なバックボーンを抱えていたらしい。


(……とりあえず、『目』と『刺青』について分かったのは、いいことだったけどな)


 自分の体の不可思議さ加減に、ようやく納得できる理屈を与えられたので、そのあたりついては素直に「なるほどー」と手をポンとした。


(んで、ちょっぴり悲しくもなって、嬉しくもなっちった)


 神の祝福 God bless ──死界の王の加護。

 俺の両目は、昼日中は生来の翠色であることが多いが、夜になったり暗がりになると、必ず深い青色に変わる。

 そして、洞窟や地下室だろうと、どこでだって視界に困らない。

 優れた夜目、高機能のナイトスコープ。

 いままでは単に、便利に感じるだけで、多少気にはかかっていたものの、深刻視はして来なかった。

 しかし、どうやらこいつは、神様からの贈り物ってヤツだったらしい。


 ──〈渾天儀世界〉には時折り、地上から退去した神々から、祝福の息吹が吹き込まれます。

 ──は? 祝福の、息吹?

 ──はい。言うなれば、奇跡の類です。


 常識では考えられない神の力。

 思いがけない不可思議の働き。


 ──……魔法や魔術とは、何が違うんです?

 ──私も専門家ではないので、あまり詳しくはないのですが……そうですね。元となる力の源が、『神』である点が大きいかと。

 ──神……


 つまるところ、権能・職能の一部なのだとセドリックは言った。

 なんじゃそれ。


 ──ですがまあ、正否はさだかではありません。なにしろ、神域にまつわる話ですから。


 ただ、〈渾天儀世界〉では昔から、地上を退去した神々の息吹が風のように地上をさすらい、相応しい器を見つけると、加護というカタチで何らかの奇跡を発現させてきた。

 理由は分からずとも、そのように世界は在るんだと云う。

 俺の場合、


 〝死者の世界を視て死者の世界を浮かび上がらせる〟


 一種の魔眼。

 死界を覗く青の瞳として、それは顕れた。

 夜になっても視界が昼間と変わらないのは、なんでも『夜=死の世界』という大昔からの法則が、極めて強固に根付いているからなんだそう。


(……ぶっちゃけよく分かってないんだけど、死界の王って神様は、何が気に入って俺なんかを選んだのかね?)


 あいにくと、見ず知らずの神様相手に気にいられるような真似は、何もしていない。

 しかし、セドリックが言うには、俺は生まれた時からこの加護を発現していて、そのせいで国を追われることになった。

 死者の世界を視て、死者の世界を浮かび上がらせる。

 それは字面だけでも、相当不吉だし相当不気味。

 聞けば、亡者の念なんかもこぞって近寄ってくるそうで、赤ん坊の頃はしょっちゅう身の回りで怪奇現象が頻発したそうだ。


(祝福というより、呪いじゃね?)


 乳母も五人辞めたという。

 とはいえ、その加護があったから、ベアトリクスは俺を見つけられたのだろう。

 祝福保持者ブレスホルダーは独特な気配を持っていて、そうと分かる者には一目で祝福の気配が伝わるらしい。

 種族によっては匂いや音、ある種の共感覚シナスタジア的なセンスで痕跡を辿ることも可能だとか。

 俺は思った。


(なんか……体臭がキツいって言われてるみたいで、かなりイヤだな……)


 しかも、祝福は食べられると、食べた側へ移動するらしい。

 トロールやゴブリンなどの怪人道の中には、希少な加護を狙って、好んで祝福保持者を狙うヤツもいるそうだ。

 ノタルスカ山麓の霜の石巨人フロスト・トロール

 思えばアイツらも、だから俺を逃す気がなかったんだろう。


(魔眼殺しのメガネとか、どっかに売ってないかな?)


 あるならコンタクトレンズでもいい。


(──ま、魔眼殺し云々は冗談にしても)


 気配、存在感、雰囲気、オーラ。

 呼び方なんて別に何だって構わないが、だだ漏れというのは少し気になる。

 誤魔化せる術が仮にあるなら、是非とも誤魔化せるようにしたいところ……


(──その点、刺青の方は、服で隠せるから楽で助かった)


 たまに腕とか首とか、露出部分にぬらっと顔を出してくるけど、基本はこちらの意思通りに、ひっそりと服の内側に隠れてくれている。

 ただ、背中に引きこもるのはもうやめたらしい。

 グニャグニャ、ニョロニョロ。

 あれ以来、まるで蜘蛛の子どもが、卵から一斉に孵化するみたいに人の肌を動き続けている。

 今のところ、害はない。

 見ていて奇怪だが、くすぐられてる感触もしない。


(……声も、聞こえてこないしな)


 あの夜、俺はたしかに誰かの声を聞いた。

 生死の淵を行き来し、幻聴だった可能性もゼロではないと思うが、あれはおそらく、女性の声だったように思う。

 比翼連理がどうたら、運命の主従がどうたら。

 俺の語彙力では、まず出てこないフレーズがあったので、気のせいでなければ高確率で他人だろう。


 魔力喰らいの黒王秘紋。


 いったい、どんな由来の代物なのやら。

 メラネルガリアに行ったら、そのあたりも調べてみたいと思っているところだった。


(──ま、問題はイロイロ、山積しているみたいだけど!)


 今夜の寝床(雪洞)を作成中のセドリックをぼんやり見つめて、どうしたものかなー、と考える。


 王位継承権には実のところ、まったく興味がない。


 裕福な屋敷や豪華な食事。

 綺麗な衣服に贅沢な風呂。

 そういう生活には、正直に心惹かれるものを認めなくもないが、経緯を聞けば聞くだけ、眉間に皺が寄ってしまう。


 暗殺、陰謀、血で血を洗う玉座争い。


 中世チックな貴族世界で、殺伐とした陰謀劇?


 そんな場所に、生涯縛られろと言われても、俺は勘弁して欲しいと正直に両腕を上げてしまう。

 幸せになりたいのだ。

 約束を破るような選択は、絶対に取りたくなかった。


「あ、そこ、枝が混ざってる」

「む?」

「ほら。そこ」

「……おおっ、これですか。ありがとうございます若様」

「うん」


 恐らく、メラネルガリアに向かえば、俺はそこそこの面倒に巻き込まれるだろう。

 想像するだに難くない。

 死んだはずの第一王子が、実は生きてましたー! なんて話、どんな宮廷ドラマでだって波乱の幕開けだ。

 実家に戻るのは、半分以上セドリックへの義理立てだが、正体がバレれば俺は再び命を狙われるだろう。どうしたものかね。


(でもまあ……思い込みはよくない、か?)


 世界は残酷だが、マイナスな方面にばかり思考を傾けても、ストレスが溜まってしまう。

 案外メラネルガリアに行ってみれば、そこは天国かもしれない。

 考えてみれば、ダークエルフって種族について、俺はほとんど知らないまんまだ。

 どんな人間が集まっていて、どんなコトを考えて日々を過ごしているのか。

 まだちゃんと見てもいないのにアレコレ考え込んで、はじめからこうだと決めつけてしまうコトほど、バカバカしい話は存在しない。

 ケイティナも言っていた。

 いろんな国の歌を、聞いてみてと。


「一番聞きたい歌声は、二度と聞けないってのにな」

「? 若様、いまのは……」

「すみません。独り言なんで気にしないでください」

「……ハ」


 セドリックは訝しげにしつつも、素直に雪洞作りに戻った。


「コホン──それより、密入国って?」


 やや気まずくなり、話を振ってみる。

 セドリックは作業を止め、ゆっくりと周囲を見回した。

 辺りには何もいない。

 実に静かで平穏な夜。

 確認を終えると、セドリックは再び作業に戻りながら、滑らかに話し始めた。


「メラネルガリアは表向き、鎖国中の国です。なので、許可なく国を出た我々は、戻る時には密入国をしなければなりません」

「ダークエルフの国に、ダークエルフが入れないんですか?」

「我々の社会では、外の同胞はほとんどの場合で罪人と決まっています」

「……たしか、一部の要人だけなんでしたっけ? 国境線を自由に跨げるのは」

「はい。それ以外は、選りすぐりの国境警備隊が、剣を携え処断しに来ます。彼らには殺人の許可も与えられ、獰猛な犬たちもけしかけてくる」

「こわぁ」

「はい。とても怖い。なので、国境警備隊とその犬橇。彼らには特別注意しなければなりません。アルクトドゥスハウンドは、元は熊狩り用の狩猟犬として訓練されていますから、見つかればひどいコトになる」

「セドリックさんなら、問題ないんじゃないですか?」


 なにせ、ドラゴンだって退けられる実力を持っている。


「かもしれません。ですが、騒ぎを起こせば不要な注目を集めます。若様の身の安全のためにも、出来る限りそれは、最後まで避けるべきかと」

「……なるほど。すみません、ありがとうございます」

「いえ、当然の疑問だったかと」

「でも、それじゃあ、どうやって国境を?」


 首を傾げて問いかけると、セドリックはさりげなく腰元の剣を触った。


「……え?」

「少々古いですが、心当たりのある裏道を使います」

「……裏道?」

「俗にいう、賄賂というヤツです。警備隊の目を掻い潜るのは難しいため、金銭の力で強制的に曇らせてしまおうかと」

「……通じるんですか、それ?」

「通じなければ、斬るしかありません」


 マジかよ。


「ですがご安心を。このセドリック、若様の御命を危険に晒すコトはあっても、決して傷つけさせはしません。この命に代えても、必ずやルフリーネ様の元まで無事にお連れしてみせます」

「い、いや……まあ、その意気込みはありがたいんですけどね……」


 ドラゴンと推定イーブンのアンタが、そういうコト言うと、めちゃくちゃ血なまぐさい光景が浮かんでくるんですが。

 ちょっと忠誠心が高すぎない?

 恐ろしいよこのオジサン。

 本当にそれしか方法ないの?

 さっき騒ぎを起こすのは、最後まで避けたいって言ってくれてたのに、賄賂がダメだったら剣を抜くって……大騒ぎになる予感しかしないよ?


「他に選択肢は?」

「ありません。出る時もたくさん斬りました」

「そっかぁ……」


 メラネルガリアは怖い国なんだなぁ。


「まあ、旅はまだ長いですし。先のことは、また追い追い考えていきましょう」

「そうですね。それがいいかも」

「ところで、若様」

「なんです?」

「若様はまこと、言語に堪能になられましたな。これならばやはり、ヘマタイト家の連中も文句は言えますまい。ルフリーネ様も、さぞお喜びになられるかと」

「ああ……その件。どうです? セプテントリア語、違和感ありません?」

「まったく。少々古代訛りな気はいたしますが、メラネルガリアではむしろそちらの方が好まれます」

「へぇ……そうなんですか。それなら、良かったです」

「勉強は、おひとりで?」

「いえ。教師がいました」

「教師ですか。それはもしや、ひょっとして聖剣のエルフ殿が?」

「……まあ、そんなところです」

「なるほど。たしかに彼ならば、セプテントリア語には詳しいでしょう。亡くなってしまわれたのは、とても残念です。生きていれば、直接感謝を伝えたかった」


 よもや志半ばで、病に斃れられるとは──。

 首を振り、僅かに黙祷を捧げるセドリック。

 俺は黙ったまま、あえてその誤解を解こうとはしない。

 セドリックには俺を、このままだと思っていてもらう。


(その方がたぶん、ずっといい関係でいられるだろうしな……)


 夏の夜は短い。

 すべてを打ち明かす必要はない。

 騙しているようで心苦しくはあるが、俺ももう無知ではなかった。


(この世界での世渡りも、初心者なりに上手くやっていかないと……)


 欠伸をしてまばたき。

 夜の大気は、死者の抱擁に似ている。

 新たな出会いは何を導くのか。

 暖気灯の明かりに微睡みを感じつつ、俺はいろいろと思考を続けながら、気づけばそこで、落ちるように眠っていた。






────────────

tips:加護/祝福/呪業


 以下に代表的なものを記す。

 最もポピュラーなのはカルメンタリス教の聖なる人界の加護。


・取り替え仔の加護(妖精に愛される)

・死界の王の加護(死者の世界との接続)

・精霊の祝福(水精であれば水中呼吸が可能になるなど)

・地竜の祝福(動物との会話が可能になり、支配できる)

・尽きせぬ黄金の呪業(触れたものや目で見たものが黄金と化してしまう)

・飽くなき名声の呪業(他者を心酔させるが、最終的には凶運を招き寄せる)


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