#048「狩猟練習部屋 - 動物オジサンと取引」



「取引をしよう」


 第六冬至ユトラ・ミザールを終えた翌日のことだった。

 アレクサンドロの記憶は戻らず、しかし体力は大いに回復している。

 俺がいつものように朝方、例の洞窟にやってくると、アレクサンドロはまるで待ち構えていたかのように切り出してきた。


「取引?」

「ああ。交換条件と言い換えてもいい」


 焚き火とカンテラの仄かな明かり。

 小さくても暖かなオレンジ色を浴びて、掘りの深いエルフの顔は、見事な陰影を作り上げている。

 体力を取り戻した大人の男。

 その横顔は精悍で、大剣という武器を身につけさえさせれば、いまや立派に『戦士』と呼べそうな風格があった。

 彷徨の騎士、旅の傭兵。

 想像できる生業は初めて会ったときから少しも変わらず、時を追うごとに確信を深めていく。


(そろそろ出ていってくれ……って)


 言い出そうとしていたところだったが、運悪く先手を取られた。

 否、あるいは、アレクサンドロもこちらの感情を薄々察していて、敢えてこのタイミングを狙っていたのだろうか。

 まともな人間であれば、厄介者がどちらであるかは客観的に判断できる。

 善意の時間は終わりを告げたと言っていい。

 であれば、ここでいう取引──交換条件というのは、すなわち〝ここから先の対価〟について。

 交渉を仕掛ける側であるアレクサンドロはニヤリと笑うと、「なに、悪い話じゃない」といかにもずる賢い顔で言葉を続けた。


「小僧。オマエは見たところ、このあたり一帯についてかなり詳しいようだな」

「ああ。たしかに詳しいよ」

「普段は杣夫そまふ──木樵と、猟師として生計を立てているとも言っていた。腰に提げている斧は、愛用の道具だとも」

「ああ。その通りだけど?」


 アレクサンドロの言っていることは、ある意味で間違ってはいない。

 最初に会った時、俺は自身の素性を説明するにあたって、「このあたりで木を伐り倒したり、獣を狩ったりして生活している者だ」と答えた。

 アレクサンドロはそれを、「なるほど。では、まつろわぬ民だな」と勝手に納得したのだ。

 まつろわぬ民。

 というのは、アレクサンドロ曰く、のコト。


 種族の集団から抜け出して、特定の住居を持たず、また、どこの国の民にもならない孤高の人間。

 要は、何らかの理由で故郷を捨てた者、支配という体制それ自体を拒んだ者、というアウトローな意味である。

 とはいえ、後者はともかく、前者はあながち間違いでもない。なので放置していた。


「それで? アンタ、何が言いたいんだ?」


 迂遠な話の運びに、俺は首を捻り続きを促す。

 すると、アレクサンドロは待ってましたと言わんばかりの得意顔で、


「小僧。単刀直入に訊くが、を学びたくはないか?」


 実に想定外の方向から、興味深いことを言い出した。


「……剣?」

「ああ、剣だ。それとも、他の武器がいいか? 剣が嫌なら、槍や矛でもいいぞ」

「……いやいや」


 急にどうして、なんでそんな話になるんだよ。


「フン、そう訝しむな。オマエくらいの歳の小僧であれば、父や兄から相応の教育がされていて、然るべき頃合いだろう。しかし、オマエの所作や体幹からは、それらしき師の気配が窺えない」


 察するに、男手はオマエだけなんだろう?

 アレクサンドロは皆まで言うなと途端に厳かな顔つきになった。


「まつろわぬ民の子どもは、大抵がそうだが、片親しかいないことも、時には両親そのものを知らないことも多い」

「──はぁ? だから、アンタが俺の父親代わりになるって言いたいのか?」

「いやいや、それこそバカを言え。さすがにそこまで無礼者になるつもりも、責任を負うつもりもないさ……オレはただ、ほんの一時ばかり〝恩返し〟をしようと言っているだけに過ぎん」


 つまり、話をまとめると、こういうことか。


「読めた。アンタは俺に、戦い方を教える代わりに……」

「そう。交換条件として、もう少しだけ此処に居させてくれ」

「……う〜ん」


 正直、魅力的な提案ではある。

 アレクサンドロの望みは、当初から変わらず、自身の身の安全を確保すること。

 この洞窟に引きこもり、一定期間姿を隠すことで、自身を追いつめたはずの〝何か〟から逃れることを目的としている。

 あと、できれば記憶を取り戻してから、万全を期して出ていきたいと考えているはずだ。その気持ちはたしかに、分からないでもない。

 対して、俺の方はといえば、


(最低限の面倒は見切ったし、アレクサンドロには出ていってもらった方が、ぶっちゃけ面倒事が無くなって楽ではあるけど……)


 ママさんたちに隠し事をしていることもそうだが、下手に関係を続けることで、トラブルに巻き込まれるリスクを負いたくない。

 しかし、


(これだけ時間が経ってるのに、何も無いんだよな……)


 案外、アレクサンドロの抱える問題は、大したことがないのかもしれない。

 この男を追う〝何か〟など無くて、実はとっくに助かっているというオチもゼロではないはず。

 なにせ、当の本人は記憶を失っているのだから。

 俺の懸念は考えすぎの杞憂という可能性も、実は全然、大いにありえる。


(その場合、アレクサンドロ自体も……考えすぎってことにはなるけど)


 元より記憶の喪失者。

 何らかのショックを受けて、そのせいで強迫観念に取り憑かれているのだとしても、不思議はない。

 とすると、俺の興味は実際へと移っていく。


「アンタ……強いのか?」

「明け透けだな。だが、オマエみたいな小僧よりかは、ずっと強いだろうよ」

「ぐぬぬ」

「ハッハハハッ! その顔、取引は成立か? まあ睨むなよ。言った通り、悪い話じゃなかっただろう? 小僧とはいえ、オマエも男だ。オレたちは家族を守るために、力をつけなければならない」


 いざと言う時に、為すべきことをただ為せるように。

 それは、ママさんからも聞かされた、この世界の男性に求められる必須の気構えとも合致していた。


「小僧。オマエの身上をオレは知らない。

 だが、オマエがその年齢で一端に〝守るべきもの〟を持っているのは分かる」


 そうでなければ、未だに名すら明かさない慎重さは信じ難い。


「まあ、その判断は正しいので今さら名乗れとも言わないが──だからこそ、オマエは内心で忸怩たる思いを抱えているはずだ」

「ずいぶんと、見透かしたようなコトを言うんだな」

「年の功だよ」

「記憶喪失のクセに?」

「だとしても、少なくとも百年以上はオマエより年長だ」


 アレクサンドロは鼻で笑い、焚き火に薪を焚べる。


「オマエには父がいない。兄がいない。見習うべき師の背中が足りていない。それは見ていれば分かるし、さぞやもどかしかろう」


 その一瞬、アレクサンドロの眼には不穏なモノが浮上したような気がした。

 暗く、赤く、辛く、厳しく。

 冬の夜の血のように不吉を感じさせる、炎のような揺らめき──


(……影の、せいか?)


 不審に思った刹那、


「まあ話は決まった! そうとくれば、小僧、さっそくだが聞かせてくれ。オマエは動物だと、何が一番好きだ?」

「──は?」

「ちなみにオレは、大狼ダイアウルフが一番好きだ」

「……え、何言ってんの?」

「とはいえダークエルフなら、古熊や巨猪も捨て難い。ふむ、実に悩ましいところだな?」

「動物オジサンになっちまったのか?」

「動物オジサン? オイオイ、ワケの分からんことを言うなよ」


 いや、アンタが何言ってんだ。






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tips:まつろわぬ民


 種族社会から離反したモノ。

 どのような国体・組織体にも属さない。

 分かりやすく言えば、根無し草の総称である。

 特定の民族を指すのではなく、『社会』という枠組みに収まらないすべてのモノを指す言葉。

 国によっては、支配力の及ばなかった証拠になるので、非存在の烙印を押すところもある。


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