#046「屋根裏部屋で - セプテントリア」



 ところで、セプテントリア語がなぜ〝北方大陸語〟と呼ばれているのか?

 北方大陸にはグランシャリオという名前があるのに、なぜグランシャリオ語ではなくセプテントリア語と云うのか?


 これまで疑問に思ったことが一度も無いというと、それはもちろん嘘になる。


 しかし、言語というのはそれを使う民族──種族が存在していなければ誕生し得ない。

 言語とその話者は、常にセットでなければおかしい。

 そう考えると、必然どのような言語であっても、話者種族が積み上げてきた『歴史』というものと、切っても切り離せない関係であることが断言できる。


 かつて、北方大陸グランシャリオにはセプテントリアという超大国があった。


 セプテントリア王国は、四つの種族で構成された多種族国家であり、ティタテスカ、ハーディーンス、エルノス、ルキフェディッテ。

 それぞれ異なる天体スフィアを出身とする複数の種族の集合体。

 外見も言葉も、文化や伝統すら異なる種族たちが、その垣根を超えて〝ひとつの共同体〟を作り上げ、ついには種族間の隔たりを最小限に抑えるため、各種族の基本言語を巧妙に組み合わせることで、独自の人工言語を作成した。


 それこそが──セプテントリア語。


 歴史上、北方大陸グランシャリオを最も広範に統治した唯一の巨大王国セプテントリアにて使われていたがために、後の世になっても〝北方大陸語〟として称されるに値する偉大な言葉というワケ。


 だが、


「〝今日こんにちにおいて、セプテントリア王国は存在しない〟」

「なに? 歴史のお勉強?」

「やあ、ティナさん。ちょうどよかった」

「?」


 疑問符を浮かべる少女に「ちょっとこっちゃ来い」と招き猫のように手招き。

 素直に近づいてきたケイティナに、続いて隣に座るよう手振りで示す。


 本日の天気、大荒れ。


 ヴォレアス全体も、狩猟空間も、珍しいことにどちらもが、バケツをひっくり返したような轟々の雹嵐となっている。

 そのため、俺は今日、アレクサンドロの様子を見に行くこともできず、事実上の自室となりつつある屋根裏部屋で、ひとり調べ物をしていた。

 今ごろ、ヤツはお腹を空かせてかなり切ない思いをしているんだろうが、ママさん直々に「今日はお家で静かに過ごしましょう」とストップをかけられてしまったので、どうしようもない。

 実際、悪天候は命の危険と至近距離での隣り合わせだ。

 アレクサンドロも大人なので、外見上は子どもである俺に、そこまでの無理を強いるつもりはあるまい。

 ヤツ自身も、こんな日はじっと、寝ているくらいしかやることがないだろう。


 ──よって、床に寝そべり、本を開きながら、俺は時たま天井に張ったままの世界地図を見上げて、思考を巡らしている。


 本の題名は『古代国家の隆盛と衰退』


 セプテントリア王国だけでなく、他三つの超大陸に存在した古代の大国についても、簡単ながまとめられたエルノス語の歴史書だ。


(……家の書棚は、結構ジャンルが豊富だよな)


 探してみたら、そこそこ欲しい情報が眠っている。

 まあ、無いものもあるけど。


「で? ちょうどよかった、ってなぁに?」


 女の子座りになったケイティナが、首を傾げて訊いてくる。

 声が少々間延びしているのは、朝食後すぐで、心地のいい眠気が再来しているからか。

 屋根裏の室温は暖炉前のリビングと比べて低いので、俺は二重に被っていた畜犛牛オーノックの毛布の内、一枚を渡してやる。


「ラズくん、やさしい」

「いや、ここで譲らなかったら俺クズだし」

「でも、やさしくて好き」

「はいはい」


 戯れ言を受け流し、本題に移る。


「いやな? セプテントリア語を勉強するとき、一応、この言語がどんな言葉か? ってのは簡単に抑えてはいたんだけど」

「うんうん」

「この前見つけた、アレ、あるじゃん?」

地図アレ?」

「そう。んで、改めて思ったんだよ。セプテントリア語って、とっくに滅びた王国の言葉だけど、言葉そのものは、国が滅びた後も変わらずに残り続けたんだな、って」


 地図上に古代国家の名前は存在しない。

 あるのは古代国家から別れたという分裂国、あるいはまったく新しい国の名前。

 代表的なのはメラネルガリアであり、ティタノモンゴットであり、トライミッド連合王国、ネルネザゴーン。


 しかし、どの国も種族母語+全世界共通エルノス語+北方大陸セプテントリア語が公用語として一般的で、最低でも二言語は扱えるのが標準。


 人工言語であり、種族古来の母語というワケでもなかったセプテントリア語。

 それが、現在においてなおも生存しているのは、これって何気にすごいことじゃないの? と俺は思った。

 これは、あくまで前世の地球人的価値観に依る考え方かもしれないが、ホモサピエンスの場合、一つの民族の言葉が他の民族の言葉を駆逐することはあっても、人工言語が大陸全体で公用語にまで採用されるなんて、到底考えられない。

 少なくとも、俺は寡聞にして聞いたためしが無い。

 エルフやダークエルフなど、長寿種族が存在する〈渾天儀世界〉だからこそ、こういったことが起こり得るんだろう。


「そうだね。私はあんまり、意識して言葉を使い分けるってことが無いから……いまいち気にしたことはないんだけど、私たちの言葉は、考えてみるととっても長い歴史を持ってるよね」


 ケイティナは毛布を被り、少し考え込んだような顔をすると、トテン、と俺の横に倒れ込んだ。

 そして、一緒になって天井を見上げる。


「ラズくんあったかい」

「ダークエルフなもんで」


 筋肉量が多いから、自ずと体温が高くなる。

 ……ホモサピエンスと違って、それほど寒くはならないのが不思議だが。


「湯たんぽじゃねーんだぞ」

「いいでしょっ、ケチ」


 ケイティナはほとんどくっつくように身体を寄せてきた。

 ……コイツ。


(キティって愛称、本当は子猫って意味でつけられたんじゃないだろうな?)


 まあ、こうしてると二人分の体温が集まるから、効率的ではあるけれど。

 メリットがこちらにもあるので、抵抗せず受け入れる。

 ケイティナは無性に嬉しそうな顔になった。


「──そもそもだけどさっ」

「ん?」

「セプテントリア語って、四つの言語をバラバラにして、ゼロから再構築したものって云うでしょ?」

「おう」

「でも、これってよくよく考えると、ちょっと説明が足りてないよね」


 中枢渾天球エルノス第二円環帯ルキフェディッテ 第五円環帯ティタテスカ第八円環帯ハーディーンス


「エルノス語はともかく、他の三つってさ、それぞれリングベルトの名前なんだもん」

「……ん?」

「あれ、分からない? じゃあ問題っ!」


 ダークエルフはもともと、どの〈廻天円環帯〉を故郷としているでしょうか?


「いや、それは分かるよ。答えは第五だろ?」

「うん。そうだね」


 じゃあ、巨人は?

 流れるように続いた問い掛けに、俺は一瞬「おん?」と眉間に皺を寄せた。

 答えは知っている。


「巨人も第五だ……」

「そう。ってことは、一つの天体スフィアに複数の種族がいたワケだよね」

「あー……あー、あ、なるほど」


 ケイティナが言わんとしていることが、ようやく分かった。

 要するに、聡明なこの娘はこう言いたいのだ。


第二円環帯ルキフェディッテ 第五円環帯ティタテスカ第八円環帯ハーディーンス

 どれも本当は、厳密な意味での種族母語じゃなくて、もともとそれぞれの世界で使われていた『共通語』だった……ってことか」

「だーいーせーいーかーいーっ」


 耳元に届く少女の息が、弾むような感触で耳朶をくすぐる。

 お返しに俺は、フー、っと相手の耳元目掛け息を吹きかけてやった。

 途端、ケイティナが「キャッ! もうっ、やだラズくんっ」とますます楽しそうに驚く。

 作戦は失敗した。


「エルノス語はエルノスの三種族……エルフ、ドワーフ、人間の母言語。〈中枢渾天球〉には共通語って概念が、そもそも無かった」

「皆んな同じ言葉を使ってたみたいだからね」


 ゆえに、エルノス語だけは他のリングベルト言語と違って、性質を異にする。

 第五円環帯にはダークエルフと巨人が暮らしていた。

 しかし現在、これらの二種族は国を分けて言葉も分けている。


 メラネルガリア=ダークエルフ語

 ティタノモンゴット=巨人語


 同じリングベルトに棲息していたからといって、種族母語まで同じだったワケじゃない。

 となると、セプテントリア語というのは正確に表現すると、


「四つの種族言語の複合って言っちゃうのは、かなり大雑把な括りになるだろうね。厳密には、四つの天体スフィア言語の複合って感じかな」


 ただし、種族という単位をリングベルト規模で括るのであれば、決して間違いでもない。

 その場合、ダークエルフも巨人も〝ティタテスカ系種族〟という分類にはなるだろう。


「じゃあ、本当に半端ない歴史の産物なんだな」

「だね」


 俺は『壊れた渾天儀世界』で読んだおおよその時代遷移を思い出した。



 ────────────


 ○百億年以上前 : 流出代

 ○六十億年前〜百億年前 : 開闢代

 ○四十億年前〜六十億年前 : 顕生神代

 ○十億年前〜四十億年前 : 古生神代

 ○一億年前〜十億年前 : 原生竜代

 ○四千八百万年前〜一億年前 : 新原生竜代

 ○二万一千年前〜四千八百万年前 : はじまりの紀

 ○六千年前〜二万一千年前 : 崩落の紀

 ○現代〜六千年前 : 壊れた星の紀


 ────────────



 この内、『古代』というのは『壊れた星の紀』に含まれる最初の四千年間。

 残りの二千年は地球でいう『中世』にあたり、現在は中世の終わりか近世の差し掛かりと言ったところ。ごちゃ混ぜの過渡期に当たる。

 分かりやすく整理すると、



 ────────────


 ○古代/渾天儀暦(四方大国暦)/四千年間

 ○中世/渾天儀歴(黒曜八蝕暦)/二千年間


 ────────────



 と分割可能だ。

 それだけ歴史が長いのに、各〈廻天円環帯〉が形成され〈〉が完成したのは、開闢代でのこととされている。

 いや、最初に読んだ時はバカみたいなスケールだと思ったね。


「セプテントリア語の完全なルーツを探ろうとしたら、各リングベルトの大昔にまで遡る必要があるのか」

「そうなってくると、もはや言語学者というより考古学者の領域かな」

「アホほど気の遠くなる話だぜ……」


 決めた。俺は絶対に言語学者なんかにならない。

 ダークエルフがいかに寿命が長かろうと、研究している途中で絶対に時間が足りなくなる。

 研究する気もさらさら無いが、両腕を上げて降参したい気持ちでいっぱいになった。


 ──にしても。


「なあ、ティナさん」

「なぁに? ラズくん」

「ティナさんは、デーヴァリングだから気にしたことはないかもしれんけどさ」

「うん」

「言語ってのは、本来、その話者をどこの国の人間で、どこ出身か? っていうのを見分ける判断材料になるじゃん?」

「まあ、普通はそうなんだろうね」

「じゃあさ、セプテントリア語を話すママさんは、セプテントリア王国出身だったのかな?」


 アレクサンドロ・シルヴァンが、セプテントリア語を話していたように。


「う〜ん……どうだろ?」

「あれ、違うのか?」

「ママはほら、複合元になった言語全部使えるから」

「あ」


 そういえばそうだった。

 普段セプテントリア語しか聞かないので、うっかり忘れていた。

 彼女はハイスペックウィッチだった。


「それに、ママの場合はちょっと複雑というか……ごめん。私には分からないや」

「いやいや、別に全然謝らなくていいよ」


 俺が気にしたのは、単に最近現れた記憶喪失男の影響で、あのエルフがセプテントリア語を話していたことから、つい同郷だったんじゃないかと勝手に想像を膨らませてしまったからだ。 

 俺なりに、少しでもアレクサンドロの素性を解き明かしたいという思いの顕れである。


(北方大陸に暮らす種族は、たしかセプテントリオンとも呼ばれるんだよな)


 滅んでから二千年も経っているというのに、どれだけ影響力が強いんだセプテントリア王国。

 七つの冬至セプタ・ユトラの伝統も、確実に発祥元だろ。






────────────

tips:ティタテスカ語


 その昔、第五円環帯を故郷としたダークエルフと巨人たちが扱っていた言語。

 彼らはそれぞれ自分たちの専用言語を持ち、それと同時に、世界を共有するもの同士として一つの共通語を利用していた(=第五円環帯語族)。

 なお、このような特徴は他の円環帯においても同様に散見される。

 現代でも使用話者は存在しているが、汎用性の高いセプテントリア語話者の方が圧倒的に人口が多い。


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