#045「怪しい男」
エルフの男の名は、アレクサンドロ・シルヴァンと云った。
「小僧。今日も来たのか」
「そりゃ来るでしょ。アンタ、怪しさ満点なんだから」
あれから五日後。
俺とアレクサンドロは、お互いに多少ではあるものの、少しは知れた仲となっている。
「ほら、これ」
「おお。助かる」
焚き火に照らされた洞窟。
ユラユラとオレンジ色に揺れる石の仮住まいで、アレクサンドロは有り難そうに干し肉を受け取った。
俺は続いて、乾燥させた苔桃類など、栄養を豊富に含んだ一日分の食糧を渡し、「今さらながらに奇妙な
「なあ、アンタ」
「ん?」
「本当に記憶喪失なんだよな?」
「またそれか? 何度も言わせるな」
「……それにしちゃ、いろいろ落ち着きすぎてる気がするけど」
受け取った干し肉を豪快に噛みちぎり、モグモグと
衝撃のファースト・インプレッションからすでに五日。
お互いに限られた時間のみの、わずかな接触期間とはいえ、俺も段々、この男のことを把握しつつある。
アレクサンドロ・シルヴァン──自己を喪失したもの。
年齢は自己申告で、おそらく三千から四千の間。
生まれは古代北方大陸セプテントリア王国で、職業戦士。
街の衛兵や豪族の傭兵、騎士などの身分を経ながら、その昔は人並みに幸せな家庭を築いていた。
しかし、ある理由で、千年単位に及ぶ長規模の旅に。
理由は不明。
どうやら、ここに来る前に〝何か〟があったらしく、自身の『根幹』とも呼べる様々な記憶を失ってしまったようだ。
そのせいで、生まれてから数百年程度の記憶や生活常識、知識の類は問題なく思い出せるが、自分がなぜこんなところにやって来てしまったのかは、とんと覚えていない。
分かっているのは、人生の大半以上を旅に費やしているコト。
──このザマじゃ、ほとんど自分ってものを失ってしまったのと一緒だ。
アレクサンドロは歯痒そうに呻いていた。
ただ、記憶を失った原因に心当たりはあるらしい。
「なんだっけ? アンタがその、記憶を失うことになった魔術、ってのは」
「〝異界渡り〟だ。……チッ、こんな
アレクサンドロは忌々しそうに例の
──触媒魔術。
魔術の中でも特定の器物に対し、一定の神秘を備えさせるタイプの魔術の呼び名らしい。
魔術そのものは魔法と同じで、魔力による超常現象を指す言葉なのだが、こちらは魔法と大きく過程を異にし、天賦の才能などは必要なく、学べば誰でも使える技術として書物には記されている。
なんでも、希少な鉱物だとか水脈など、自己ではなく外部に備わった魔力を利用するらしい。
アレクサンドロの場合、ドアノブという記号? を用いることで、一種の瞬間移動、空間転移を可能とさせたようだ。
しかし、
「何度聞いても、不便が過ぎるだろ。それ」
「小僧が。仕方がないんだよ、こればっかりは。ヨソの国に不法侵入を試みて、何にも罰が無いとかあるワケないだろ」
密入国者には罰を。
「それに、
悪魔が楽園にいないように。
天使が地獄にいないように。
生者が冥界に、死者が現世にいてはならないように。
理を犯そうとすれば、相応の罰が下るのは致し方ない。
「でないと、
そいつはイヤだし、誰だって目を覆いたくなる結果だろ?
アレクサンドロはフン、と鼻を鳴らしながらぶっきらぼうに言葉を返す。
淡いの異界。狭間の幽世。混沌渦。
耳慣れないフレーズ含め、ある程度の理屈はなんとなく分かったつもりでいるが、魔術というのは意外と制約事項が多い技術みたいである。
(ママさんの『扉』の方が、万倍も便利ってことなんだろうな)
ま、それはさておき。
「それで? 結局、何に追われてたのかは思い出したのかよ?」
「いいや。だが、もう少し時間をくれ」
「そう言って、アンタもう五日も経ってるじゃないか」
「無理を言ってるのは分かってる。しかし、今はまだ誰にもオレの所在を知られたくないんだ」
「アンタを追い詰めてたヤツってのは、そんなにヤバかったのかよ?」
「──ああ。なぜだか分からないが、それだけはハッキリと胸の内に確信がある」
焚き火で沸かした小鍋の水をゴクゴクと飲み干し、アレクサンドロは神妙な顔で再度「頼むよ」と言う。
俺はコメカミを揉んで、長く息を吐きながら、どうしたものかと頭を悩ませた。
(……う〜ん)
アレクサンドロの言っていることは、要するに〝匿ってくれ〟というものだ。
右足首を掴まれ呼び止められたあの日、この男は俺に「とにかくオレのことを誰にも話さないでくれ」と訴えてきた。
記憶を失い、自分の人生のおおよそを見失いながらも、それでもなお現状の分析から〝自分は何かから逃げてきた〟のだと悟り、ほとぼりが冷めるまでしばし身を隠したいと。
俺は当然、それを聞いてかなり呻いた。
(なにしろ、信じられる根拠が一つもない!)
怪しさの爆発。
加えて、もしアレクサンドロの話が本当だった場合、それならばそれで、また新たな問題が浮上してくる。
つまり、
(コイツは、絶賛厄介ごとの真っ只中ってことだろ……?)
関わり合いになりたくない。
早くどっか行ってほしい。
心の中に、正直な願いが湯水のごとく湧いてくる。
だって、アレクサンドロは言うのだ。
記憶喪失ほどの大きな代償を許容してでも、自分は逃げることを優先したのだと。
(……そんなの、100%やばいのが相手だったに決まってる!)
状況の変化。
たとえば、雪崩や地割れなどの天災であればまだいい。
けれど、そうじゃなかった場合。
執念深い
悪いが、こちらの暮らしを脅かされるリスクを負ってまで、見ず知らずの他人を救うことはできない。
ママさんは強いので問題ないかもしれないが、ケイティナはデーヴァリングであるという点を除いて、あとはいたって普通の女の子だ。
巻き込まれない保証はどこにもない。
彼女がトロールどもに傷つけられる光景を想像しただけで、俺は頭がどうにかなっちまう。
(とはいえ、一度助けると決めちまった手前──)
今さら手を引くのも、それはそれで目の前の男に不義理で心が痛い。
人助け自体が悪いこととも思っていない。
結果として、俺は思考のデッドロックに囚われている。
こういうの、お人好しは貧乏くじを引くとか、下手な干渉は余計に事態をややこしくするだけ、とか他人に言われるんだよな。
なので、
「……とりあえず、早いとこ体力を取り戻してくれよ」
「ああ。すまん」
俺は今日も、秘密を抱えたまま屋根裏に戻る。
微かに陰を落とした俺の顔に気がついたのか、アレクサンドロはそこで意識して明るい声音を作った。
「なに、ここは
「そいつはよかった。これでも、家から食べ物を持ち出してくるの、地味に苦労してるからな」
「貴重な糧だ。当然、感謝はしてる」
頭を下げるアレクサンドロ。
それに軽く頷きを返し、俺は背中を向ける。
胸の中は、「ああ、返す返すも、妙なことになっちまった……」の一言だけ。
今はまだ平気だけれど、いずれケイティナあたりが不審を気取って、イロイロ突っついてきそうで怖い。
そのとき、どうやって誤魔化すべきか。
これもまた、今から考えておかないとな……
「……ダークエルフの貴種。それも、
囁くような呟き。
アレクサンドロの独り言は、残念ながら風に掻き消され、こちらの耳に届くことはなかった。
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tips:古代セプテントリア王国
古代北方大陸を統一した超大国。
領邦制で、ダークエルフの王を戴いていた。
ティタテスカ、ハーディーンス、エルノス、ルキフェディッテ。
複数の種族がひとつの国という形で結束。
狩猟、略奪、魔術、建築。
文化・文明の特徴としては、上記の四つがとりわけ顕著。
使用言語はもちろんセプテントリア語で、当時の遺産を指してセプテントリア文明、ないしセプテントリア文化と呼ぶことが多い。
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