#042「世界地図と生まれ故郷」



 ときに、今さらの話になるのだが、ヴォレアスでの生活は実に局所的である。

 周りの環境が地獄であるため、仕方ないと言えば仕方ないのだが、俺たちは基本的に家の外を出歩かない。


 というか、出歩くことができない。


 屋根裏の狩猟空間は、厳密に言うと家の中。

 ごく稀にすごく天気がいいと、庭先で薪を割ったり、雪掻きをすることは許してもらえる。

 しかし、そういうのは本当に稀だ。

 ダークエルフがいかに寒さに強い種族だろうと、生物であるからには、必然、どうしたって耐え得ることのできる限界気温というものが存在している。

 同様に、半分人間であるケイティナも、外出自体を命にかかわる行為だと制限されていた。


 そのため、これまでヴォレアス、ヴォレアス、と一口に呼んできたが、北方大陸グランシャリオの極北、永久の凍土地帯。

 遥かなる常冬の山嶺と、長大無比なる万年氷河、何もかもが白と黒に覆われたこの土地について。


(その隅から隅を)


 知り尽くしているのはひとりだけ。

 極寒の猛吹雪も、視界を無意味にする白闇ホワイトアウトも、降り注げば人間の頭ほどの大きさで大地を穿つ雹も。

 それら一切、我には通ず。

 たおやかな外見からは、いっそ信じられないほど強靭な頑丈さを持った、ママさんだけが把握している。


 けれど、今日──


「見て見てラズくんっ!」

「うわ、すごいなコレ……!」


 屋根裏部屋にあった埃の積もったキャビネット。

 ケイティナの暇つぶしに付き合い、宝物探しという名のガラクタ漁りに興じていると、一枚の羊皮紙が隠れていた。

 ただの羊皮紙じゃない。

 くるくると巻かれた絨毯のように大きい面積を持ち、広げると、ちょうど天井を覆い尽くしてしまうほどの大きさがあった。


「地図だ……」

「地図だね」


 この世界で初めて目にする、それは紛うことなき世界地図。

 ダイナミックな四つの超大陸。

 中つ海の広大。

 各地にあるらしい国や土地の特徴が、驚くほど精緻に描き込まれている。

 文字はところどころインクがかすれて、読めなくなってしまっているところもあるが、どうやらエルノス語の古字体のようだ。

 日本語でいう草書体に近いので、ちょっと読みづらいが解読できないこともない。


「すげぇ……」


 異世界の全容。

 地図という紙面上のものではあるが、俺はついにこの世界を捉えてしまった。

 前世じゃネットで検索すれば、簡単に衛星写真や航空写真を確認することができたし、Goo◯leアースでいくらでも世界中の地理空間を調べることができた。

 だが、この世界ではそれは無理だろうと。

 あっても、せいぜい特定の地域の限られた地図が精一杯だろうと。

 心のどこかで、軽い諦めの気持ちがあった。


(でも、コイツはすごい!)


 まさか、世界地図を作れるだけの測量技術と、いっそ変態的とも呼べる完成への執念を持った誰かが居ただなんて。


「ブルァブォ! ブルァブォ……!」

「ぶるぁぶぉ?」


 心より賞賛と感謝の拍手を送りたい。

 ので、俺は怪訝な顔のケイティナも気にせず、背筋を伸ばして感涙しながら手を叩いた。


「そんなに?」


 ケイティナは引いた。

 しかし構うものか。

 どうせ原生異世界人には、この気持ちは分かるまい。

 それだけ、この地図は俺にとって福音だ。

 やっぱ、視覚的なイメージで知っているのと知らないのとじゃ、後者より前者の方が大いに助かる。

 図鑑の挿絵と注釈だけじゃ、どうしたって頭の中のイメージ像に限界があるからな。

 正しい地図かどうかは、いったん置いておくにしても、これまで書物で読んだ〈渾天儀世界〉の特徴と、そこまで大きい乖離があるとも見受けられない。


「ヴォレアスは……ここか」


 地図の上部。

 最北端として描かれているあたりを注目する。

 こうして見ると、ヴォレアスは西に長い土地らしい。

 西方大陸とは三つの海を挟むように位置しているようだ。

 中心に最も峻険な雪山々が連なり、海と面しているあたりには、かなりの氷床と氷山が見渡せると。


「なあ、ティナさん」

「ん?」

「俺たち、どの辺にいるんだろうな?」

「さあ、どこだろうねぇ」

「やっぱこの、雪山の集まってるところか?」

「雪山、他にもいっぱいあるけど?」


 人間など、世界地図に落とし込めば芥子粒ほどの小ささにも満たない。

 当たり前だが、俺たちの家は地図には記載されていなかった。

 我が家の窓からは雄大な自然が見渡せる。

 思うに、ある程度の明峰に建てられているのは間違いないと思うが、俺はケイティナと顔を見合わせ、どちらからともなく同時に肩を竦めた。


「とはいえ、ヴォレアスってこういう形をしてたんだな」

「そうだね。それを知れたのは私も初めて」

「思わぬ宝物ですぜ」

「ラズくんはガラクタ漁りとか言って、いかにも面倒くさがってたけどね」

「え? いやだって、埃っぽいものとか触りたくないじゃん」

「臓物や生肉は触れるのに!?」


 仕方がないだろう。

 人には得手不得手というものがあるのだから。

 それに、


屋根裏ここは色々と物が多すぎて、掃除がなかなか行き届かないんだ」


 これでも空間を作るため、ある程度の掃除はしたのである。

 四隅や端っこの方には、大量の戸棚とガラクタ類が山のように積み上げられ、俺は最近、あまりの面倒くささから見て見ぬフリをするようになった。

 このくらいの汚さなら、まあ、きっと、たぶん大丈夫だよ。


(俺が来る前までずっとで、それでもスライムが出たことは一度も無いって言うし)


 いや、たしか、埃や塵の場合はシャドーマンが生まれやすいんだったか?

 なんにせよ、階下の日常空間は十分綺麗にしているから、多少の妥協は許してもらえるはずだ。

 それはそうと、


「改めて見てみると……広いなぁ」

「そうだね。世界って広いよね」


 見事な出来の地図に圧倒され、ケイティナと二人、小学生みたいな感想を漏らす。

 これらの超大陸そのひとつひとつが、かつて異なる天体として、遠い空の向こう側で廻っていたものの複合だなんて。

 北方大陸はたしか、


(……中枢渾天球エルノス第二円環帯ルキフェディッテ 第五円環帯ティタテスカ第八円環帯ハーディーンス


 主に四つの世界要素で再構築されたらしいが、返す返すもスケールがデカい。


「なあなあ」

「ん?」

「ティナさんは知ってるか?」

「なにを?」

「魔法って、第八円環帯からやってきたものらしいぜ」

「知ってる」

「おかしいと思わないか?」

「なにが?」

北方大陸グランシャリオにゃハーディーンスも含まれてるはずなのに、そこで住む俺たちが魔法を使えないってコト」

「仕方がないよ。第八の神様は、べつに北方大陸の住人だけに盟約を結んだワケじゃないもん」

「でも、ちょっとはエコヒイキしてくれてもいいもんだ」

「あは。そうかもね。たしかに、贔屓にしてくれてもいいかも」


 他愛のない雑談。

 ともに魔力を持たない敗北者同士として、俺たちは「は〜あ」と嘆息する。


「でもラズくん」

「おん?」

「仮に第八の神様が、北方大陸だけに盟約を結んでいたとしても、確率は四分の一だったんじゃないかな?」

「十分じゃねえかよ」


 全体の25%が魔力持ちとして生まれるなら、世界はもっと便利に発展していたはずだ。

 四人家族なら、一人は魔法使いになれる計算だぜ。


「……なんだか魔法使いが、奴隷みたいに働かされちゃいそう」

「そうかぁ?」


 俺は逆に、25%もの集団が結託して、非魔法使いを支配する社会のほうが想像できるけどな。名前を言ってはいけない例のあのひと的な感じで。


「どっちもイヤ!」

「俺だってやだよ」

「なんでこんな話になったんだっけ」

「ティナさんが始めたんや」

「違うよ。ラズくんだよ!」

「なんだと?」

「うりゃうりゃ!」


 俺たちはしばらくの間、互いの脇腹を小突き合う。


「ところでラズくん」

「イテテテテ……あんだよ」

「ラズくんは、仲間のところに帰りたいなーとか、考えたことはある?」


 油断していたところに、急に重めの話題が飛んできた。

 仲間。

 仲間か。


「……それって、ダークエルフの、ってことか?」

「うん、そう」

「べつに思わないけどなぁ」

「嘘じゃない?」

「いやいや、なんでだよ。ほら、前にも話しただろ?」


 俺は捨てられた子どもである。

 血の繋がった家族との繋がりを示すものは、宝石のぶら下がったネックレスだけ。

 それを手切れ金として、辺境の地に連れて行かれる途中でドラゴンに襲撃された。

 そこから先は、ひとりで彷徨の日々。

 ノタルスカの山麓の湖で、トロールどもに食い殺されそうになっていたところを、ママさんに助けてもらった。

 助けてもらえてなかったら、完全にあそこで俺の人生は終わっていただろう。


「あの頃は言葉も分からなかったし、今じゃ記憶も霧がかったみたいに朧気だよ」

「でもさ、これ」

「うん?」


 少女の指差す先を見ると、そこには一つの国の名前があった。


 〝メラネルガリア〟


「ダークエルフの王国が、どうかしたのか?」

「どうかしたのかって……ここ、ラズくんの生まれ故郷だよ?」

「そんなこと言われてもなぁ」


 北方大陸の中心で最大規模の国土を誇るダークエルフの王国。

 その昔は五番目の円環帯で、巨人たちと同じ地平を戴き、夜の風と北の大地の種族と並んで称された。

 しかし、今では故郷を同じくする巨人たちともたもとを分かち、長い間鎖国を続けている。


 巨人の王国ティタノモンゴット。

 エルノスの三種族のトライミッド連合王国。

 あやしきグリムびとや、複数の魔の群がる東境の幽谷ネルネザゴーン。

 そして、他にあるかもしれないと噂されているのが、第二円環帯ルキフェディッテの末裔たちによる星辰天秤塔。

 北方大陸の主要な国家と種族の集まりは、以上の五つだ。


(俺からしてみれば、どこも外国と変わらないけどな)


 なので生まれ故郷と言っても、メラネルガリアでの暮らしは何もかもが別世界で──実際別世界だったワケだが──現実感が薄かった。

 見るもの聞くもの、すべてが国宝級の文化遺産に囲まれていた生活って言えば分かりやすいだろうか。

 場違いゆえの困惑と違和感、押しては返す波のような苛立ち。

 おはようからおやすみまで、常にそうだったとまでは言わないものの、心から安心を覚える時間はとても少なかった。

 だから、


「俺の故郷は此処さ」

「ラズくん……」

「ティナさんがいて、ママさんがいる。俺にとっちゃ、それが一番大事なことなんだ」


 あの日、はじめて言葉を交わせた。

 わざわざ言うつもりはないが、それがどれだけ救いになったと思う?

 たとえこのさき何があろうと、その気持ちだけは絶対に変わらない。


「やれやれ。なんだよ、ティナさん。こんな地図ものを見たくらいで、俺がホームシックに駆られるとでも心配になったのか?」

「べ、べつに、そんなんじゃないけど……」

「大丈夫だよ。どうせ戻る場所なんて無い。俺の家はここだ」


 安心させるように、少々オーバーな明るさで背中を叩く。

 すると、


「……うん。そうだね」


 ケイティナは薄く、眉を下げて微笑んだ。





────────────

tips:北方大陸Ⅱ


 この大陸には、主に五つの大勢力がある。


 〝瀟洒なる黒の王国メラネルガリア〟

 〝巨いなる荘厳銀嶺ティタノモンゴット〟

 〝三種の血の交わりトライミッド連合王国〟

 〝深淵の大峡谷ネルネザゴーン〟

 〝星辰天秤塔〟


 上の三つは大国。

 順にダークエルフ、巨人、エルノスの三種族たちの勢力圏。

 四つ目はかろうじて国の、別名グリムランド。

 ハーディーンス系種族であるグリム人やデュラハン、ダンピールなどを中核とし、他は寄るべをなくした怪人類が雑多に集まる禁忌の内一つ。

 五つ目は所在不明。

 だがたしかに星詠みたちはそこへ集う。

 すべては二度目の〈崩落〉を起こさぬために……

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